どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

クリスマスイブでございます

2016-12-25 02:33:28 | 日記

 

クリスマスイブはとても寒くなりました。日中の最高気温は2度以下でしょうか。

イブでもオオバンは元気に走り回っています。

 

 

サンタが銀行強盗を起こしました。世も末ですね。

でもこいつ頭がいいですね。なおこのスズメは今年初めてのクリスマスですね。

 

 

オバマ大統領が最後っ屁を盛大にかましました。国連安保理事会でイスラエル入植の非難決議採択に拒否権を出さずに、棄権しました。

トランプ大統領がエルサレムに大使館を移すとか、まあ変なことを言い出していますから、ここで盛大に妨害して起きたいという気持ちはよくわかりますね。ただ一部のアメリカ人で、キリストは必ず再臨し、それはユダヤ人の中からで、しかもエルサレムだろうと信じているから、アメリカの中東政策は石油以外ではこの悪影響があります。困ったもんです。

 

 

 ポリティカル・コレクトネスという言葉がある。そこでは差別のない言葉が選ばれる。宗教的な意味合いを持たないということで、クリスマスもmerryChristmasではなくhappyholidayと言い換える。

ポリティカル・コレクトネスとは、差別や偏見に基づいた表現を「政治的に公正」なものに是正すべきという考え方のこと。主に人種や性別、性的嗜好、身体障害に関わる用語や認識から差別をなくそうという動きで、20世紀後半のアメリカでは「インディアン」を「ネイティブアメリカン」、「黒人」を「アフリカ系アメリカ人」、「ビジネスマン」を「ビジネスパーソン」に変えるなど、用語上の差別が撤廃されてきた。」

それをトランプ氏は変えようとしているらしい。

先週もウィスコンシン州での遊説で、トランプはこう語った。「18カ月前、私はウィスコンシンの聴衆にこう言った。いつかここに戻って来たときに、我々は再び『メリークリスマス』と口にするのだと。......だからみんな、メリークリスマス!」」

アメリカでの差別意識は極めて高いようだ。このポリティカル・コレクトネスに対してフラストレーションを感じる白人がかなりいるというのがわかったのは、この前の選挙だった。確かに行き過ぎではないのかという話は聞く。だが差別が厳しいが故に言葉から消してゆくというのはあながち間違いではない。

日本でもこれに関しては議論が続いている。私も差別用語を撤廃することで差別がなくなるとは思っていない。むしろ陰湿化した日本の差別では逆効果ではないのかとおもう。むしろ文脈上で差別していないと書くようにした方が良いとさえ思う。

だがここにヘイトスピーチ禁止というのを当てはめると俄然難しくなる。日本でも法律化された。その中ではヘイトとされる用語が法令として並ぶわけでやはりそれらは口に出せない用語になる。アメリカは先にヘイトスピーチを禁止したが故のポリティカル・コレクトネスだというのがある。

 

 

本当に細部から全てが美しいのがオシドリ。本当に素晴らしい。でもこいつの鳴き声がひどいこと。泥酔した親父のシャックリ級の汚さだ。

日本のChristmasの歴史について週刊現代がいい記事を書いている。最初はクリスチャンの行事で信者を増やすためのものだったのが、日露戦争以降大ブームになる。要は欧米に追いついていないと自覚していた時期は反発やためらいがあったが、これ以降はどんどんエスカレートしてゆく。で、興隆を極める中でChristmasの電飾と飾り物から出火した白木屋全焼事件が起きる。

日本初の高層建築物火災であり、死者14人でそのほとんどが墜落死だった。その墜落死については伝説がある。当時のデパートの店員は和服だった。その和服の裾がはだけるのを恥じらってロープを伝って降りられなかったというのだ。だが事実は違うようだ。でもここから和服でも下着は着るべきだという考えが生まれる。

昭和の不安定な時代でも、皇太子が23日に生まれたことでドンチャン騒ぎになり。クリスマスがさらに盛り上がったりしつつ、支那事変以降は自粛するのだがそれでも細々と馬鹿騒ぎの伝統は残ったらしい。

 

 

盛岡に最高にまずい自家焙煎コーヒ屋ができるということで、期待して行って見たのですが自家焙煎ではありません。残念。でも味はフレンチプレスですし、豆も親方からの仕入れなので仕方がないのか。こうなると脱肉遅れで果肉臭が盛大に残ったコロンビアを平気で出す自家焙煎店よリは潔いかもしれません。5月に飲んだ壮大に味がどうかしてしまった浅煎りケニア水出しコーヒーを出した方です。生暖かく見守りましょう。

豆を挽いて出してくれるカップ自販機のコーヒーが100円程度なので、紙コップでサーブする時点でローソンよりうまいかどうかという、カフェとしてもあるまじきものなので、なかなかに楽しいですね。

ポストモダンにおける味の多様性というのは認めるところです。でも限界はある。それは味の世界だからだ。

 

 

今日でワーグナーウイークは終わった。バイロイトフェスティバルのNHKFM放送が終わるからだ。今年も果敢に録音したが、ワルキューレが全滅。パリシファルが第一幕1場と2場が欠落した。だが後はだいたい完全に収録できた。原因はわかっていないのだが何らかのノイズがソフトウエアーを誤動作させている可能性だけはある。

今日はパルシファルを聞いた。すごい演奏があるものだ。ただこれをすごいと言っても、多分わかるのはワグネリアンだけだろうな。で、イブに限ってティーレマンのトリスタンとイゾルテだ。これもすごい。

かつてのデロデロのロマンに陥ってはいけない「今のワーグナー」というのは本当にスリリングなものだ。耳で聞く現代美術的なところはある。

 

 

ということで、最後は白鳥で締めようと思ったらシルエットで黒鳥になってしまいました。

 

 

 

Happy Holidayですね。まあ日本人だからこちらでいいかなと。おまけに今年は日曜だ。サンタにはMerryChristmasと書かれちゃっているので、重語を避けますかね。

言葉より、その真摯さが大切だと思います。