晴れて天気がいい日でしたが、風が強くて冷たくて寒い一日でした。
カワアイサってなんで陸上ではあんなにメタボなんだろう。空中でも水上でもあんなにスマートなのに。
14年から顕著になったIS問題だが、ISの戦闘員は5万人殺されたという。この数をどう考えるかは人それぞれだと思うが、5万人死んでも成し遂げられない宗教的熱狂というのはなんなのだろうか。宗教指導者はこれをどう考えているのだろうか。ISの指導者だけではない。イランのシーア派の指導者やサウジアラビアやエジプトのスンニ派の指導者たちはどう考えるのか?
彼らは生まれてこなかった方がいいとでも考えているのだろうか。
ここには実際深刻な失業問題もあったりする。あの韓国ですら失業率が高すぎる。特に若年層の失業率が高い。
ニューズウイークの書評に「クー・クラックス・クラン」があった。結構面白そう。KKKは白人至上主義というより反近代の側面があるという。なので現在では「二〇一四年一一月九日付の『インターナショナル・ビジネス・タイムズ』紙には、カリフォルニア州に拠点を置くクランの分派「ロッキー・マウンテンの騎士」が、アングロサクソン系の白人だけでなく、黒人やヒスパニック、ユダヤ人や同性愛者の入会をも認め、会員の資格は、一八歳以上で大西洋岸に住んでいる、この二点だけに修正した、と伝える記事が掲載されて話題を呼んだ。」というように、その形を変えつつあるという。過激な時もあれば、人種差別もなく貧困対策に取り組んだりした時期もあり、なかなかに難しい組織のようだ。
ニューズウイークの小崎哲哉氏の連載「現代アートのプレイヤーたち」の「アーチスト(4)サミュエル・ペゲットと現代アート」はわかりやすい。というかこの連載はゴシップ含めて大変興味深いものなのだが、真面目に難易度が高い。かなり高い。多分BTより高い。芸術新潮は確実に下だ。
「これら「様々な危機的状況」に反応して、諸ジャンルの表現者がベケットを召喚した。それが1989年以降の特殊事態である。それ以前にも、巨人ベケットは様々な芸術表現に影響を与えたが、1989年以降は「人間の運命」、それも具体的にして悲惨な運命にベケット的世界観が重ね合わされるようになる。アートも例外ではない。」
さて、アートでは実は文学がアートの地平線を切り開くということが多かった。そして絵画や彫刻へ、そして音楽へと変化が続いてゆくものだった。文学は時代の先端を切り取ることが実は可能だ。特に詩はそうだった。それは頭脳で体験するのもだったからだ。ただ詩は朗読などで身体化されないと理解不能な場合が多い。そこには個人的作業があり、そこでしか得られないものがある。絵画や彫刻はその世界を表現するものから、独立してゆくが、視覚という経験に遮られてしまう。音楽は聴覚というさらに本能的な経験に遮られている。当然味覚や嗅覚には圧倒的な制限がつけられている。
いきなり結論で申し訳ないが、普通の人が現代アートを理解できないのは、実はここだと思う。
道は所々に氷が残っている。
カラスは愛宕山近辺にまだ集まっているようだ。
そういえばダイヤモンドオンラインの記事で「あなたの街は醤油派?ソース派?地域食対決」という記事がある。そこに洋菓子都市と和菓子都市という比較があって、世帯当たり年間購入額で分類しているのだが、そこに特異的に山形市が出現している。和菓子も洋菓子もよく買う都市になっている。なお和菓子も洋菓子もよく買うということでは金沢市がトップだ。
それでは世帯当たりの醤油の年間購入額で見てゆくと、山形市が日本一醤油を買っている。そしてソースをそんなに使わないという傾向になる。
それでは、山形市ではみたらし団子が売れているという話になりそうなのだが、そうなのだろうか。多分これは探るべきだろう。
ただこの統計資料では、青森とか岩手とか、本当にそんなに消費量が少ないのかと思うところがある。
統計資料は読み方が本当に難しい。