天気がいいはずなのだが、時折晴れ間がのぞくだけでほとんど曇りだった。夕方になって晴れて来たがもう何もやる気がしない。
実は昨日から通販で買ったものが到着するのを待っていたのだが、どうもその荷物がおかしい。ゆうパケットで届くはずなので追跡ができる。すると店舗は21日の12時50分に荷物を出したというメールが届いた。しかしそのエリアの基地局に集荷されたのはその日の18時48分時前だった。なのでこの日に移動することはないのかもしれないが、22日もその基地局から移動しない。そして23日の15時14分に盛岡中央郵便局に届いたが、この時点で地域郵便局に移動できないのか、この日の配達はなく、明日の配達になる。
ゆうパケットのホームページでは翌日から翌々日の配達となっている。エリア的には北関東から北東北なので翌日が通常で、翌々日はあまりない。翌々々日というのは、日本郵便だとしてもとてもおかしい。
いや暇だから追跡サービスがあるとついつい見てしまうのだが、それにしてもおかしい。法人契約で遅くなってもいいという契約は通販ではありえない話だ。DMとかではあり得る話だ。その猶予期間を使って値下げ交渉できるからだ。だがゆうパケットというのは商品なので、これは全くない。
おまけに21日にアマゾンに注文した商品が今日ヤマトで届いた。18日に楽天経由で購入した商品はこの体たらくだ。営業日という概念はあるが、それにしても日本郵政。
変なニュースがあった。イギリスで農家の納屋が燃え、中にいた雌豚2等と子豚18頭が消防士よって助け出された。BBCだ。ここまでは美談なのだが半年後この農場主が消防士たちに、この時の豚で作ったソーセージをプレゼントした。もちろん全頭を使ってのソーセージではないと思う。繁殖用の雌豚は2年で処分されソーセージ等にされるようなので、子豚ではないと思うが、子豚も大体半年で出荷されるのでどの子がソーセージになったのかは全くわからない。多分雌豚一頭だろう。消防士はBBQにして食べたそうだ。
さてこの話なんか助けたのに食べたってどうゆうこと?と少し気持ち悪くなったが最後のコメントで、とても納得した。
「消防士たちに感謝したかった。火事の当時、ソーセージを持っていくからと約束したし、みんな喜んでいた」とリバースさん。「うちは農場なので、こういうことをするわけです。ペットとして飼うわけにはいかない。〜中略〜 ドーセット・ウィルトシャー消防救助消防局の報道官は、「農場主の厚意に感謝する。嘘をつくわけにはいかない。ソーセージは最高だった」とコメントした。」
農家にとっては豚は財産だ。それが全焼したら価値もなくなる。消防士は財産を守ったわけなのだ。
だが何故これがニュースになったかといえば、動物愛護の先進国イギリスだからなのだろう。もちろんアメリカみたいな動物愛護原理主義者ばかりではないというのはあるが、それでも火事の現場から豚を救ったという英雄的行動からのギャップはひどいものだ。
だがLiveStockでもあったわけだ。火事でたとえ素晴らしく焼き上がっていても血抜きもしていない豚よりは、美味しくいただいた方が彼らのためでもあるかもしれない。
ここがね、ガストロミー的に単純ではないのだな。
そしてこれはかなり古い風習だ。財産を守ってくれたものにその一部を分け与えるのだ。単純にそういったことなのだ。
8/25追記
ロイター通信によると、子豚を解体したのだそうだ。そしてソーセージを作っている際に思いついたそうだ。もしかすると火事の際に約束したことを思い出したのかもしれないが、多少の記述の違いが気になる。
アメリカは横須賀港を母校とする第7艦隊の司令官を解任した。それは当然かもしれない。今現在2隻のイージス機能を失ったわけだし、17人の人命も失った、しかも平時にだ。
まあ中国から米海軍は危険物とまで言われてしまったしね。中国の膨張政策を抑えられなくなる可能性が、とてもある。
そういえば南アフリカで人肉売買が行われているという報道があった。よくあるのは呪術師がアルビノの人間を殺して特効薬として人に食べさせることだ。ただこの場合少し違うのは、食べ飽きたというやつがいたということだ。ここが少し違う。
要は呪術的に使える部位は限られていて、アルビノだと全部なのだろうが普通の黒人だと有効な部位は頭だったりするのだろう。それでは余った部位はどうなるのかといえば、それはそれで有効なので食べるのだろう。だが需要が旺盛すぎて、不要部位に価値がなくなったのだろう。
食べ飽きたというのはそういったことだ。
アフリカの経済が勃興するその手前で、古い文化が蘇っている。ただそれは資本主義的な手段によってなのだが、つまり金持ちが増えたということなのだが、人は肉としても貨幣に変換されるものだというのは、チト古すぎやしませんかな。
ただ金があれば人を食う、特に美味しいところを食う。それはどこの社会もそうなのだろう。
人を消費することで社会は成り立っているのかもしれない。