どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

最近文章が長くなってわかりにくいよな

2017-10-01 21:33:22 | 日記

 

つまらない日々をどのように盛ってもつまらないものだ。かっこいいことを言おうとしても限界はある。だがな、何か言いたくなるメモみたいになってきている当ブログだ。しかし民進党の解体のような、最近の曖昧な領域はどうも言葉が長くなりすぎて、そうするとこうしてどう読めばいいのかわかりにくい文脈になる。

で、この時点でわけがわからない。

 

 

ベンツのゲレンデヴァーゲンに人が乗り込んで発車するまでをみた。ドアを開けるとルームライトが着く。そしてドアを閉めても消えない。エンジンをかけるとルームライトは消える。

古い車だが随分便利なシステムだ。当時の日本車はドアを閉めるとルームライトは消えた。今は遠隔操作でエンジンアイドリングを行い、ルームライトは着き(設定で何かできるのだろうか)、ドアを開けて中に入るとルームライトは徐々に消えてゆく。

確かに今の日本車はその通りでかなり上質な演出はできているが、人の意思決定という考えではゲレンデヴァーゲンの方が合理的に感じる。



泳いだが、少しだけ微妙だった。左肩が痛い。フォームチェックのみになった。

隣のレーンでは例のごとくお父さんが子供に水泳を教えていた。だが何か少し雰囲気が違う。子供が全く真面目ではないのだ。

話を聞いてみたら、子供は25メーター泳げるといったらしい。そして習っているというのだ。で、お父さんもお母さんもその話を疑ったのだ。それではとやらせてみたら泳げないということで、なんじゃいなとなったようなのだ。

基本的に小学校2年生程度だったら水遊び中心のメニューで、水に徹底的にならす方向で行きますんで、大丈夫ですよといっておいた。

子供は盛りに盛って、遊びたかったんだろうね。多分これが本当だろう。プールに誘い出されたのだ。

水泳は基本的に家族で教えてはいけない。子供は水で遊びたくなるのだが、家族が教えたがるとそれはえらくつまらないものになる。甘えてくるのを拒絶するのも良くない。なので他人が一番いい。だが方法論としては徹底的に子供の遊びに付き合うのがいいのだが、大人は合理的な判断をしがちだ。単位時間あたりの効率となるのだが、目標も目的もない子供には、一番意味がない。

真面目にいうが、本当に泳げるお父さんは子供に泳ぎを教えない。ひたすら遊ぶのだ。こちらが多分正しい。

 

 

現世に何にも考えていないというのは、実はキリスト教だ。仏教というのはその意味で真逆で、現世で頑張らないと解脱できない。来世は虫になって踏み潰されるとかそういったのを避けるために功徳を積む。偉いお坊さんに自分でできないから寄進する。来世でもあなたは立派な方だから私らを救ってくれるし、仏への導きをしてくださる。

キリスト教であるのはその時代のその時の考えでしかない。

 

 

日本人は個人の生死感がないというのがある。人はあるものでしかない。そうあるものだ。それは時間軸のない概念だ。常にいる。人は必ず死ぬ。

 

 

結論が欲しい方には簡単にいう。神を言い訳にしている社会は相当おかしい。

なぜなら日本の神道がカオスだから。歴史的にもね。復古主義は今の復古主義でないと成立しない。

 

 

合理性が破綻した社会という状況が、もともと非合理生だった社会を救済できるわけはない。


今日も寒い

2017-10-01 01:11:59 | 日記

 

今日はラクロスの試合を撮影する予定だったが、会場にゆくとテントすらない。誰もいない。昨晩の天気予報の降水確率50%と70%で中止としたようだ。だが屋外スポーツでこういった決断を簡単にする競技は初めて見た。当日まで大体は粘るものなのだが、テントがないというのは昨日の時点だということになるから、ウ〜ン。硬いゴムボールを使うので、スティックとグローブが雨で滑りやすくなってコントロールに問題が出るのだろうか。そで危険なのだろうか。

フリスビーを使ってアメフトのノーコンタクトのルールの、アルティメットという屋外競技があるがこいつはどうなのだろうか。フリスビーの特性で雨にはかなり弱い。女児と男子と混合のチームを作るのでさらに雨には弱そう。でも小雨だったらやりそうな気もする。

とはいっても天気予報も細かく見てゆくと、午前中の試合はまだしも午後の試合は結構激しい雨になる予報だった。だがな、そんな細かい予報は当日でないと出ない。有料のサービスでも前日に確実な予報はかなり難しいので、やっぱり雨に弱いのだろう。

ラグビーのやつが「俺ら雷以外で中止になることないんだけどな。台風だってあったしなぁ」。あなたがたも少しおかしいですね。

 

 

ヨーロッパの2大鉄道車両会社が統合することになった。 独シーメンスと仏アルストムだ。世界3大鉄道車両メーカーのうち二つが統合するのだ。なおもう一つはカナダのボンバルディア。日本ではございません。TGVのデザインICEの合理性が合わさった車両ができたらそれはかっこいいだろうな。

日本だと川崎重工業・日立製作所・日本車輌製造・近畿車輛、そして非上場の総合車両製作所の5社がある。ただ新幹線で見ると1位が日本車輌製造、2位が日立、3位が川崎重工業、4位近畿車輛、5位総合車両製作所となる。実は日本車輌製造の株式50.1%をJR東海が持っている。子会社化している。なのでJR東海は日本車輌製造の新幹線が多くなる。JR西日本になると川崎重工が半分になる。JR東日本は川崎重工と日立製作所が2強なのだが、総合車両製作所がJR東日本の子会社である。東急車輛の指導を受けてJR東日本が通勤車両の製造を行っていたのが、東急車輛の経営不振で買収し統合したものが総合車両製作所だ。北陸新幹線でE7系60両を作った。

日本にはいろんな車両があって、それがまたて鉄道オタクにはたまらないものになっているのだが、新幹線で見ると国際競争力のなさそうな匂いはすごい。ただでさえ一番多い車両は狭軌のもので国際基準からすれば珍しいものになっている。それでは国際基準になる広軌で5社。しかもそのうち2社は鉄道会社の子会社。

日本の鉄道車両は、かつての国鉄主導で開発が進んだ流れなのだろうか。国鉄が研究開発して実車製作を民間と共同でやっていた流れなのだろうか。そも意味ではJR東海と東日本の子会社はどう位置付けてゆけばいいのかわからない。通常の企業なら本体と切り離すべき存在で、日立や川崎に売ればいいものだと思う。東海と東日本は巨大企業なのであんまり考えないのだろう。

インドに日本の新幹線を売ったのだが、日本は安全管理から全てのシステム込み込みで車両を売るというのが目標だったといういう。だがこうしてみれば、単体で車両を売れそうなメーカーがないという気になってくる。

ただ世界3強でも実は2割しかシェアがないというのが鉄道の世界だ。このナゾは近代史そのものなのだ。国家を超えて鉄道規格を揃えられたのはシベリア鉄道くらいかな。鉄道は近代でいきなり起きたムーブメントなので、その時その場で規格が決まった。その上国境を越える問題があった。下手に規格が同じだと大量輸送を可能にする鉄道は、戦時に困ったことになる。なので規格を少し変える。

これを徹底的にやったのがイギリス統治下のインド。今でも規格がバラバラなのだ。分割して統治しましたからねぇ。徹底したものです。おかげで相互接続ができなくています。その上規格があるので車両から鉄道まで全部違うんですから、効率は極めて悪いです。

車両メーカーが世界的にムチャクチャ多いのは、まあこんなことでしょう。

この統合で世界一位のメーカーができたのは間違いがない。安く作れる中国製も、世界最強メーカーの前にはどうできるかはわからない。そして日本の新幹線、大丈夫か?

 

 

響にゆくと、CBSソニーの「蜜蜂と遠雷」の曲をまとめたCDがあったので、聞かせてもらった。CBSなので演奏者に限界があるのかと思うのだが風間塵のバルトークのコンチェエルト三番はかなり苦しいような気がした。素晴らしいのだが、これは現代のコンクールでは落ちてしまうだろう。ライブ盤だとしか思えないのだが、一体どこからこの音源を拾ってきたのだろうか。ジェルジ・シャーンドル、アダム・フィッシャー指揮ハンガリー国立管弦楽団ということでハンガリーの演奏家で揃えた演奏のせいかもしれない。奔放すぎてかなり戸惑った。



蜜蜂と遠雷という小説は、罪作りだねぇ。