どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

ああめんどくさい選挙だ

2017-10-16 23:16:11 | 日記

 

隣の大学で選挙広報と、「池上彰のマンガでわかる投票ガイドブック」という結構力の入った小冊子、公益財団法人明るい選挙推進協会が、一般財団法人日本宝くじ協会が助成金を出している。

大学生に向けて選挙に参加してくれということで、選挙公報など以外オマケについたのが南部せんべい。ティッシュじゃ当たり前、今じゃ食べ物とかノベRYティグッズ付きでないと受け取ってもらえないわけです。ですがここでは全く別。

食品用インクジェットプリンターで印刷しているのですね。こちらに驚いていただいた方が。

 

 

まあ多分この南部煎餅の会社が持っていた装置だと思うのですが、煎餅の原価は下げてもこの機械はまだまだ高い、とは言っても彼らの感覚からすれば製造装置よりは安いのだが、こうして選挙等のノベルティが出てくるとビックリする。納品価格がどう考えても一枚50円以上100円以下だろう。

何しろ美味しくなかった。インクジェットではなく、煎餅が。納品価格が製造原価につながったというのがよくわかる。

 

 

その上で18歳からの選挙権になったわけだから、啓蒙活動は必要だ。ありとあらゆる手段を取るのはいいだろう。だが明るい選挙と日本宝くじ協会の組み合わせは、絶妙すぎる。中立的な組織の組み合わせだが、公営ギャンブルの胴元と選挙は実際イメージが悪い。行政が示唆したとしか思えない組み合わせなのだ。

特に今回の選挙では、若者の自民党の支持率が高い。その意味では行政側の人たちが、若者層を啓蒙するといいつつ自分たちの支持層を増やそうとしているのではないのかという疑いが出る。

実際はそうではないのだろうが、忖度した結果であったとしても、意味がある行為ではない。

 

 

腑に落ちたのは日経ビジネスオンラインの小田島さんのコラムだ。簡単に言えば政治について喋るなという社会と、政治にコミットせよという選挙は矛盾しているというのだ。

更に言えば、人に迷惑をかけるなと教わってきた日本人にとっては、政治というのは最も縁遠い個人主義の世界なのだ。その上で犯罪者が「世間にご迷惑をかけました」というのと同一にある。

多分小田島さんのコラムも正しいし、私の観察も正しい。政治にコミットするのは、世間のタブーなのだ。若者が選挙にゆかないのは社会認知の問題なのだ。彼らにとっては、選挙はタブーなのだ。もうそろそろいいかなと思った時には年寄りになっているのだ。

SNSの世界でも「FF以外から」という接頭語がつくようになった。日本文化はものすごく強固なのだよ。だからみんな直視しないだけだんだよ。

まあ直視しても不利益しかないけどね。


キジがいました

2017-10-16 00:57:40 | 日記

 

シガレットホルダーのスプリングがまた切れた。ここの部品は交換できないし、それでいて一番弱い。かといってここを丈夫なスプリングにすると強すぎたり、太すぎたりとうまくいかないのだろう。

ということで東中野のスパークまで行ってきた。

 

 

途中中津川によってみたが、鮭はもう遡上を終えたようだ。

中途半端な時間になったので、響のイベントに向かう。

 

 

あ、キジの雛だ。

 

 

おいしそう。野生なのに5メートルまで寄ってきました。

そういえばイタリアの大学でペットの犬の介抱のために二日間の有給を申請したが、一旦は大学から認められず、その後認められるという話があった。確かに日本では手術後のペットの介抱のために有給二日くれと会社にいえば、だいたい嫌な顔をされるだろう。忙繁期だったら認めてくれないかもしれない。だが法的には可能だ。

イタリアの刑法ではペットの放棄を禁じ、動物を苦しむ状態に放置することは犯罪と規定しているため同大は再考し、女性研究者の要求に応じることにしたという。」

日本もこの点では一応適用範囲になる。

この話の何がすごいのかといえば、実は有給以外に手当の話だということ。

女性が今回得た待遇は、これまで個人もしくは家族が深刻な問題に直面した時に付与される手当が適用された。女性は病休手当を要求する際、イタリアの動物保護団体に法的な対策などの助言を求めていたという。」

この話はイギリスではなくイタリアだということ。そしてペットは家族であるというのが、法的に認められたということが重要になる。

 

 

換羽期の男の子ですね。マダラの模様がイキがっている中坊のようで可愛いです。

そうこうしてキジばっかりみていたらイベント大遅刻。何か混雑していたから、そのまま帰って仕事しました。

 

 

ミニマルピアノコレクションのブルーボックスを買ったと米山に言ったら、「La Monte YoungのComposition 1960 No.7を聴きたい」と言った。どうもこの曲はミニマル史上最小の傑作だという。その中でもVan Veenのこの演奏が史上最高と言われているそうなのだ。最小と最高が同一しているというのはすごい。

確かにこの曲は誰でもできるというものではない。この曲の指定の音を「長く伸ばせ」という指定にある。この演奏では、マイクでピアノの音を拾ってそれをアンプで拡大して流す。そのコントロールもあるが、絶対の偶然性というのがある。持続音を出せるオルガンとかでは2時間越えの演奏もあるようだが、ピアノでは限界がある。

名演という意味ではかなり偶然に左右されるので、そこがVan Veenの実力なのだろう。

さてこの曲、Cを挟んだHとFis音の完全5度の和音一発でしかない。なので演奏と言えるのかどうかも作曲と言えるかどうかも、実際は疑問だが、これを曲だと作曲者がいているのだからそうなのだ。その前にジョン・ケージの「4分33秒」のような実験音楽にカテゴライズされるものだとも思う。

ミニマルミュージックと捉えると、つまり最小限のフェイズの変化と捉えるとこの演奏は思想的にも正しく最高の演奏だと思う。そして聞いている環境音とないまぜになってゆく感覚と、覚醒する感覚は確かに名演なのだろう。

その前にミニマルミュージックはあんまりの最小限なので、作曲と言っていいのかどうかというのが常につきまとう。なので過去に遡りがちなのだ。サティのヴェクサシオンがある!とかなるのだが、その流れなのだろう。

ということでほぼフルボリュームで聞いた結果。この演奏途中で切ってしまっているな。でもね、これは本当に哲学的な問題なのだよ。

音楽は、終わらないといけないんだ。終わらない音楽は音楽ではないのだ。