阪神・淡路大震災から18年。今年は東日本大震災の被災者も、神戸の慰霊祭に出席するようです。ニュースでは阪神・淡路だけでなく、東日本の死者も慰霊すると聞こえました。ありがたい事です。
大震災の支援では、関西圏、特に兵庫県からの支援が多かったと聞いています。改めて御礼の言葉を申し上げます。
さてこのときなぜか神戸に行きました。報道関係でアルバイトしていたので、誰か行くやつはいないのかという声で、行きますと手を挙げたのが運の付き。周りも一斉に手を挙げていたのに日程が近づくにつれ脱落者続出。
震災一週間後に入りました。そこから1週とびで合計2週間以上いたはず。なので震災からひと月をみてきたわけです。ただどこにいたのかよく覚えていないので、この写真はどこ?と言われてもよくわからなくなっています。

これは東灘区の市場の大火事後を眺めたもの。よく見ると、大丈夫そうな家も妙に歪んでいます。ここの焼け跡はすごかったです。ポッカリと何も無くなっていました。
この辺りの思い出は、避難所になっていた小学校の校長先生のこと。学校の中にいる子供たちや被災者まですべて覚えて、配慮している姿に感動しました。器の大きな人でした。

どの街だか忘れました。ビルの三階が全滅とか良く見ました。これは一週間後だと思います。道路の渋滞がすごかったのを覚えています。

大都市での直下型の怖さを感じます。この地震がお昼とかだったらどの程度の被害が出たのか、全く解りません。
これだけではなく、ほとんどの建物がブニャグニャで水平感覚が解らなくなります。自分がまっすぐに立っているのかどうかすら怪しくなります。
足の裏の感覚を信じるとでも言いましょうか、そうでないと立っていられない光景ばかりでした。

古い家の土塀をブロックにしてかまどを作っているのを良く見かけました。薪はいっぱいあるから、と言う言葉が忘れられません。
人ってすごいなと思いました。

この地震のニュースは、撮影に出かけた下北で聞きました。人にほとんど出会わない所をうろついていたので、どうなっているのか皆目見当がつかず、帰りの列車の中で、三陸はるか沖地震のボランティアから話しを聞いて事の重大さを知ったというマヌケっぷりでした。
なおこうやって自転車に荷物を満載している人はよく見ました。堂々と、いや~鍋借りてきてと、尋ねてもいないのに一方的に話してくる所が関西圏です。
東日本大震災では、略奪がなかったと言われていますがそれはちょっと違います。どうしようもなくて寸借したというのが正しいでしょう。それを犯罪だという向きもありましたがそれはどうでしょうか。アメリカのハリケーン・カトリーナのときにはウォルマートは会計で全損処理をして、無かった事にしてしまいました。こちらが正しい判断のように思います。

いや人の多い事多い事。ここが東日本大震災との違いでしょうか。どこに行っても人がいます。大都市だから当たり前なのですが、ここが東日本大震災との最大の違いだったかもしれません。
当初私の考えでは、神戸には企業があり富裕層も多い。民度も高く協調して復興出来るだろう。そして地価の高さからも速やかに復興するだろうと思っていました。しかし実際は2重ローン問題などで復興が遅れました。

実はこのときに、もしも東北でこのレベルの災害が起きたらどうなるのだろうかと思いました。復興のための資金を神戸のように調達出来るのか、地価からいったら不可能だろう。高齢化と分散した集落で復興はどう出来るのだろうかと、考えてしまいました。
現在当時考えていた以上に高齢化と過疎化が進んでしまいました。改めて神戸の写真を見て、人が多い事に気がつきます。

神戸は津波が無かっただけよかったと言う人もいます。しかし本質的に違う地震です。最大の違いは広域であるか局所的であるかという事はあります。政府の対応もあまりにもの広域で、対応がおくれているフシもあります。あと民主党の肩を持つ気はないけど、自民党やりすぎています。
くだらないかもしれませんが、神戸の時には一階が駐車場になっているマンションは壊れました。それでは東日本大震災では一階が駐車場で壁の無いマンションが生き残りました。些末ですがこういった違いもあります。

実は不謹慎な事なのですが、阪神・淡路大震災と東日本大震災を比べると、これだけは不幸中の幸いだったとしか言いようが無い事があります。阪神・淡路大震災が日中だったら?東日本大震災が早朝だったら?
更に被害が大きかったのはともに同じです。少しは天が采配してくれたのかと思います。
阪神・淡路大震災、そして東日本大震災で亡くなられた方のご冥福を、心からお祈りいたします。
大震災の支援では、関西圏、特に兵庫県からの支援が多かったと聞いています。改めて御礼の言葉を申し上げます。
さてこのときなぜか神戸に行きました。報道関係でアルバイトしていたので、誰か行くやつはいないのかという声で、行きますと手を挙げたのが運の付き。周りも一斉に手を挙げていたのに日程が近づくにつれ脱落者続出。
震災一週間後に入りました。そこから1週とびで合計2週間以上いたはず。なので震災からひと月をみてきたわけです。ただどこにいたのかよく覚えていないので、この写真はどこ?と言われてもよくわからなくなっています。

これは東灘区の市場の大火事後を眺めたもの。よく見ると、大丈夫そうな家も妙に歪んでいます。ここの焼け跡はすごかったです。ポッカリと何も無くなっていました。
この辺りの思い出は、避難所になっていた小学校の校長先生のこと。学校の中にいる子供たちや被災者まですべて覚えて、配慮している姿に感動しました。器の大きな人でした。

どの街だか忘れました。ビルの三階が全滅とか良く見ました。これは一週間後だと思います。道路の渋滞がすごかったのを覚えています。

大都市での直下型の怖さを感じます。この地震がお昼とかだったらどの程度の被害が出たのか、全く解りません。
これだけではなく、ほとんどの建物がブニャグニャで水平感覚が解らなくなります。自分がまっすぐに立っているのかどうかすら怪しくなります。
足の裏の感覚を信じるとでも言いましょうか、そうでないと立っていられない光景ばかりでした。

古い家の土塀をブロックにしてかまどを作っているのを良く見かけました。薪はいっぱいあるから、と言う言葉が忘れられません。
人ってすごいなと思いました。

この地震のニュースは、撮影に出かけた下北で聞きました。人にほとんど出会わない所をうろついていたので、どうなっているのか皆目見当がつかず、帰りの列車の中で、三陸はるか沖地震のボランティアから話しを聞いて事の重大さを知ったというマヌケっぷりでした。
なおこうやって自転車に荷物を満載している人はよく見ました。堂々と、いや~鍋借りてきてと、尋ねてもいないのに一方的に話してくる所が関西圏です。
東日本大震災では、略奪がなかったと言われていますがそれはちょっと違います。どうしようもなくて寸借したというのが正しいでしょう。それを犯罪だという向きもありましたがそれはどうでしょうか。アメリカのハリケーン・カトリーナのときにはウォルマートは会計で全損処理をして、無かった事にしてしまいました。こちらが正しい判断のように思います。

いや人の多い事多い事。ここが東日本大震災との違いでしょうか。どこに行っても人がいます。大都市だから当たり前なのですが、ここが東日本大震災との最大の違いだったかもしれません。
当初私の考えでは、神戸には企業があり富裕層も多い。民度も高く協調して復興出来るだろう。そして地価の高さからも速やかに復興するだろうと思っていました。しかし実際は2重ローン問題などで復興が遅れました。

実はこのときに、もしも東北でこのレベルの災害が起きたらどうなるのだろうかと思いました。復興のための資金を神戸のように調達出来るのか、地価からいったら不可能だろう。高齢化と分散した集落で復興はどう出来るのだろうかと、考えてしまいました。
現在当時考えていた以上に高齢化と過疎化が進んでしまいました。改めて神戸の写真を見て、人が多い事に気がつきます。

神戸は津波が無かっただけよかったと言う人もいます。しかし本質的に違う地震です。最大の違いは広域であるか局所的であるかという事はあります。政府の対応もあまりにもの広域で、対応がおくれているフシもあります。あと民主党の肩を持つ気はないけど、自民党やりすぎています。
くだらないかもしれませんが、神戸の時には一階が駐車場になっているマンションは壊れました。それでは東日本大震災では一階が駐車場で壁の無いマンションが生き残りました。些末ですがこういった違いもあります。

実は不謹慎な事なのですが、阪神・淡路大震災と東日本大震災を比べると、これだけは不幸中の幸いだったとしか言いようが無い事があります。阪神・淡路大震災が日中だったら?東日本大震災が早朝だったら?
更に被害が大きかったのはともに同じです。少しは天が采配してくれたのかと思います。
阪神・淡路大震災、そして東日本大震災で亡くなられた方のご冥福を、心からお祈りいたします。