最高気温が16.2度になった。とても暖かい。一気に春になったようだ。
今年はまだ黄砂も降っていないし、PM2.5も普通だ。昨年のアレはなんだったのだろうか。中国の景気後退は本当なのかもしれない。
さずがにこの前の雪で、白梅はまだ咲いていない。それでも少しづつ蕾が大きくなってきている。
ジュウガツザクラも足踏み状態だ。でも今年の花色はとても良いものになりそうだ。
サザンカが今咲いているというのも盛岡らしい。何しろ北限を超えた場所に植えられてしまったのだから仕方がない。
AFPPの記事で面白いのがあった。
【3月16日 AFP】世界報道写真財団(World Press Photo、WPP)が主催する報道写真コンテストには今年、前例がないほど多くの「加工された写真」が持ち込まれ、写真報道(フォトジャーナリズム)における芸術性と不正の境界線の在りかをめぐる議論が再燃した。最終選考の一歩手前まで残った写真の20%が、過度の加工を施していたために失格となった。昨年の3倍だった。
昨年から問題になっていたことなのだが、今年はさらに激増したという。最終選考に残った写真には、カメラのCCDから直接取り出して加工されていないROWデーターの提出を求められる。露出の調整や色補正は認められるが、それ以上の加工は認められていない。それでもどんどん出てくるというのはいったいどうゆうことなのだろう。
もっとも深刻なのはスポーツ部門だろう。
とりわけ、画像の不正加工による打撃が大きかったのはスポーツ写真部門で、この部門で失格せずに最終選考まで残ったのは2作品だけだった。「多くのスポーツフォトグラファーが、自分の仕事はジャーナリズムではないと思っているかのようだ」とバズは批判している。
スポーツで加工するのはご法度だろう。人の熱狂を簡単に失望へと変えてしまい、関係者に多大な迷惑がかかるからだ。写真による八百長とも言える。とはいえどの程度の改ざんを行ったのだろうか。まさか相手をすり替えたとか足を増やしたとかではないだろう。
報道ではないが日本でよく見るのは、球場にあるコマーシャルに全部モザイクをかける場合だ。アマチュア野球がよくやる。多少は改善されたと思うが今でもやっているところはあるだろう。テレビなんかで、どこで撮ったのかわかりにくくするために全体にボカしをかけて登場人物と変な具合になっているのも良く見かける。警察24時間とかそういった番組でよく見かける。報道番組なのかどうかよくわからなくなる。プライバシーに配慮しすぎてそうなる写真もある。そうするとその写真の意味すらもわからなくなるのだが、それを出す意味があるのかどうか。
ただこの記事にも書かれているように、カメラマンのビジョンは大切だ。実際モノクロ時代には焼き込みや覆い焼きが頻繁に行われていた。周辺を暗く焼きこむビネット効果も散々使われてきた。硬調なプリントでのとげとげしさの強調もあった。記事中には安いレンズを使うとビネット効果が得られるのにと書いているが、それではなぜカメラマンがより良いレンズを使いたがるのか説明がつかない。フィルム時代のカメラマンたちはライカやコンタックス、そしてニコンやキャノンの高級レンズばかり使っていた。なぜ過去がよくて今はダメなのか。アナログではよくてデジタルではなぜダメなのか、考えが単純すぎる。
アセビが咲いてしまった。
さて続きだが、高級レンズを報道カメラマンが使っていたのは、後でトリミングなどの加工がしやすいからだ。そして媒体がそれを求めてきたからだ。できるだけ綺麗な原盤、そしてトリミングしてもボケない解像度とコントラストのレンズを求めていたというのは事実だ。そしてカメラマンも自分の仕事を最良に残したいからこそ良いレンズを使ってきた。戦争写真のようにカメラマンは撮ってきただけ、フィルムは送るだけ。通信社で現像され編集者がセレクトして記事と印刷に合わせて画像を焼き込みや覆い焼きで調整してきたものを発表していただけなのだ。
それがデジタルになって、通信社は現像とかプリントのシステムをやめてしまった。代わりに今までの華々しい効果をカメラマンに求めるようになったと思う。いやそうだろう。そしてカメラマンの競争は激しい。できるだけ顧客が求める形で出してゆく。それが焼き込みや覆い焼きだったりするわけだ。場合によっては加工だったりする。実はそれだけの話なのだ。それが報道写真家協会のコンテストにそのまま出てしまうほどに一般的になってしまったのだ。
AFPは加工判定ソフトを導入してその偽造を配信しないようにしているというが、過去の自分たちとの整合性は気にしていないようだ。
問題は顧客だ。それは出版社や通信社ではない。彼らは逃げの一手を打った。加工された映像は配信しません、なのだ。顧客というのは実はそこから配信された映像を見る普通の人たちなのだ。もはや強調の入った「わかりやすい」映像以外は受け付けない。それでいながらもっともわかりやすい残虐な映像は一部の人の顰蹙を買う。それでいて新聞も雑誌も売れない時代になった。そんな時代にすべての説明責任をカメラマンに押しつけているという図式がある。それでいで報道写真家協会のように崇高な使命を帯びた団体は厳密を要求する。
ここにはポストモダン状況とまではいかないが、写真で事実が伝わらなくなっている状態がある。たった一枚の写真で世界が動かせる状況ではない。写真にある多様な読み方の問題が大きく影響しているのだ。
オオイヌノフグリが咲いているということはガマガエルの観察を始めないといけないようだ。少し遅れたかもしれない。
デジタル以降の報道写真で一番の問題は、デジタルならではの加工性の高さだ。そこに誰もが疑心暗鬼になっているということだ。この写真は正しいのだろうか。このカメラマンは偽装していないのだろうか、そして発表された写真を見る人はリテラシーがあるのだろうか、変な勘違いをするのではないのか?そして見る人もこれはきっと合成だと疑う時代になっている。
カメラマンがどのようなモラルを持っていたとしても、通信社が高度なソフトを入れても、現実に売れない商品をどうするのかという問題があると思います。
ロイターから出禁を食らったカメラマンは、きっと真面目だったのではないのかと思います。
今日は歯医者の日。ついに前歯ブリッジの行程です。作業時間から予約時間も少し早くなり時間が中途半端になってしまいました。春を探しながら喫茶「響」に向かいます。
「響」でいきなり「ニューギニア飲む?」と言われました。推定数量50杯限定のコーヒーです。そういえば格好いいのですがスラヴェシ島の農園から持ち込まれたもののようです。サンプルロットです。気に入った豆ではないということですが、思ったより良かったということで店出しになった模様。しかしだね、以前に見た限りでは素人目にも未成熟豆が20%以上は入っていたものです。どうも選別が大変だったようです。
トラジャの隣の県で作られているということなのですが、かなりな違いがあるそうで、そちらは野菜作りが有力な県で植物のことがよくわかっている。だからコーヒーも生育がいい。しかしなぜか収穫が荒い。それでは隣のトラジャはあんまり上手ではないのだが収穫だけはキチンと成熟豆を収穫するという。これはイスラムとキリストの違いなのかというのが熱田氏の考えだった。
スラヴェシでもイスラム圏の豆なのだが、盗まれるのを恐れて早摘みをしてしまいがちなのだという。そのため未成熟豆が多く混入してしまうという。ただイスラムは人のものを盗むというのはご法度で厳罰があるはずなのだが、その盗まれるという概念が、多民族国家ゆえなのかその農場の特質なのか、宗教なのか判然としない。
ただわかるのは、極めてアジア的だといいうことだ。人が植えたものでもそれは自然だから、誰もが採って良いという考えなのだろう。キリスト教だと多少その辺りが厳密になるのだろう。
お味は?香りがいいブラジルっぽい感じでしょうか。冷めたときの酸と苦味の関係性が生み出す、あの甘さと苦味が、さて皆様次の言葉を期待するのでしょうがそこから先は、クリアーで余韻のなさが待ち構えております。
限定価格400円という安値です。ニューギニアと次にブラジル中炒りをデミタスでオーダーするのが楽しいかと思います。
松と白鳥。あんまりいい組み合わせではなさそうです。
カワウを撮影していたら、珍しい鳥だと通りがかりの人に思われてしまい、困惑しました。
綺麗な鳥なのは間違いがないのですが。増えすぎるとあのウンコ攻撃ですから、如何ともし難く。
報道では、写真よりテキストの方が重要です。そのへん分かっていなかったり写真だけ取り上げられてしまう世の中が、とてもおかしい。
コマーシャルと報道が渾然一体になりつつありそうで、本当のプロがいない世界になりつつありそうです。
歯医者で、寝てしまった。
仮歯を作る過程だったのだが、時間がかかる。修正をかける時間なのだがその間にどうも熟睡していたらしい。いびきをかいていたようだ。
いい病院だ。