どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

なぜかエネゴリ

2017-10-28 01:38:01 | 日記

 

今日はなぜかエネゴリのぬいぐるみを拝借できた。時間がないので適当に撮影。このぬいぐるみがまたとてもよくできていて、首のところにある襟なんか本物のシャツと同じ作りになっていたり、服の柄はプリントなのだが縫い目が入っていたり、本当の縫い目にはちょっと太い糸で縫っていてぬいぐるみなのに作業着感が出るように本当に細かくよく作られていた。手足とか顔とかのゆるさと比較すると流石だと思う。すごいこだわりを感じる。

でもなぁ、なんでエネオスのキャラなのにゴリラの力強さとか、守る力とかそっちをキャラで出さなかったのかなぁ。バカキャラで通してしまったために、エネオスカードのエネゴリがどうもあくどく感じてしまう。

でも制服へのこだわりは、バカキャラだろうが社員である限りの愛を感じた。まあ実際のバイトはエネゴリより誠実ではないがな。

 

 

ということでゆぴあすに泳ぎにゆく。7日間開けたが、まあなんとかなった。ただ妙に混んだ日で、結果として50メートルインターバルトレーニングになって過酷になってしまった。

この前の選挙でニューズウイークの冷泉さんのコラムが面白い。「小泉代表の衆院選最大の誤算は?」、東京都民は国政と都政を別に考えているというのだ。不透明だった上に多額の税金が流れてゆくオリンピックや豊洲の問題がある。だが国政はまた別なのだ。冷泉さんは言わないけど、純粋東京都民がそんなにいないというのがあるかもしれない。

その意味では大阪維新の会が没落した理由もここにあるのかもしれない。大阪府の問題を解決してもらいたいのに一気に国政に入って存在感が希薄になった。

なんかSNS的な政党だったな。

同じニューズウイークに小幡績氏の「日本の政党政治はこれからどうなるべきなのか前編後編」が面白い。私の理解では、日本では調整型の政治が有効で、政策を争う二大政党には向いていない。そして個人の技量で政治家になるしかない世界では、つまり自民党のような組織ですら政治家を育成せずに後援会を持つ個人を集めたような組織で、実力のない野党が勝てるはずもなく、強固なバックを持つ公明党と共産党以外は、その時々で流れる政治家でしかなり得ない。

だったらもうヨーロッパにある「緑の党」になってしまえ、という話なのだが説得力がある。

もっとさらっと言ってしまえば、日本の古層には極めてアジア的な、室町期のムチャクチャなような世界観がある。極め付けのアナーキズムが日本の古層に流れている。今上品に見えるように振舞っているが、その古層が現代の衣を纏って出てきている。

ただSNS的な感覚もいけないが、誰も責任を取ろうとしなかったという意味では、SNS的なのだが、生身の人間であることを忘れてしまった政治というのはどうなのかな。

 

 

 

誠実という言葉に根拠が必要な時代になってきた。


今日もまた

2017-10-27 01:10:12 | 日記

 

最低気温が4度とかずいぶん下がってきた。だが今日は最高気温が18度とこの時期にしてはかなり暑かった。

こうなると服が困る。脱いで荷物が増えるのも嫌だし、薄手の重ね着というのも好みではない。そして本当に暑くなるのかどうかは、朝方ではわからないのだ。

風邪をひかないようにしよう。

 

 

アメリカ歴代大統領で犬を飼わなかったのは一人だけだという。ウィリアム・マッキンリー大統領だが、他のペットがいたという。

ジョン・F・ケネディ元大統領にいたっては、犬10匹に加え、馬やウサギ、鳥まで飼っていた。第30代大統領カルビン・クーリッジと妻グレースのファースト・ペットは、アライグマだった。」

そう潔癖症のトランプさんはペットを飼えないのだ。

その意味ではプーチンの方が人間くさく感じる。「人を見れば見るほど犬が好きになる」。孤独を感じるのが人で、従順な犬というのは極めて親密になれるものなのだ。

トランプさんが人も汚いと言い出す日が来ないことを祈ろう。

 

 

集中力が戻らなくて困っている。まあ料理をしながら仕事をしているのが悪いのだが。


歳をとると

2017-10-25 22:22:27 | 日記

 

ダラダラと仕事をしていると、休憩したくなる。で、するのだがほとんど意味がない。

なんでかといえば歳だから。目の前にあることをこなすだけで精一杯なのに休憩ばかりしているから根本的な解決にならない。

 

 

体が疲れている場合は重症だが、その状態にある人は意外とそれに気がつかない。だがダラダラと仕事をしていると、簡単に疲れる。なんでだろう。

飽きるから。

頭が飽きて疲れたと言い訳するから。これが大きい。

歳をとると仕事をシステム化してルーティーンになりやすい。それでは集中力が足りなくなる。だがね歳とると集中力が持続できる時間が限られてしまうのだよ。それでは飽きないように、それでいて集中力をいかに使うのかと言うのが重要なのだが、そのためにはイメージトレーニングが重要になる。

だが現場ではイメトレ通りではなくなるわけで、そこで小出しに集中力を使うのだが、ルーティン状態だとその瞬発力が起きにくい。

えらく面倒だ。

 

 

ただ、疲労というのは日常のルーティーンの中に潜んでいる。

ということでガスレンジ周りのお掃除をした。

日常だろ!


台風すぎて

2017-10-25 00:56:26 | 日記

 

台風が過ぎて、快晴になった。ただ影響が残ったのか北風が続いて最低気温は2.7度とえらく寒くなった。でも霜は降りていない。その後南風が吹き、最高気温が16.4度とかなり暖かい1日だった。

隣の大学ではテントを収納するために屋根を干していたり、あの雨の残務整理がいたるところで見られた。で、なぜかカボチャが落ちていた。あの雨の中、もうめんどくさくなって置きっぱなしにしたのだろう。

 

 

今日は泳ぎにゆく予定だったのだが、仕事が一本追加で入り、たった30分予定のズレなのだが諦めた。無理をすることもない。

 

 

昨日降った岩手山の雪は随分残っているようだ。

 

 

学祭では米の品種で「亀の尾」が売られていた。明治32年の山形発祥の品種で「惣兵衛早生」からの選抜種。大正期までは有力品種だったが、愛国20号と亀の尾4号との交配種の陸羽132号が主流になり、これに森田早稲を掛け合わせたのが農林1号。これら3品種はそれぞれの時代で美味しいと言われたお米です。亀の尾はその中で食べてよし、酒にしてもよし、寿司にも使えるという評判でした。農林1号は今の農業技術センター・旧農業試験場の開発した第一号ですね。で、これに農林22号を掛け合わせたのがコシヒカリ、ということで今ある美味しいお米の源流ということになります。貼ったウイキにある通り久須美酒造の「亀の翁」で注目され、酒米としての生産が増えています。山形発祥ということで、寒冷地向きだということなのでしょうか、岩手でも遠野や北上でも生産されています。主にやっぱり酒米です。背丈が今の米の1.5倍になり、一本の苗から分かれ出てくる分けつは少ないけど、一本の穂になる実の数が大きいのが特徴で、えらく倒伏しやすいのですね。そんな難儀な米を作るのは大変なのですが、今の米市場からゆくと品種で勝負というのはよく分かります。

最近どうも飯米として売られているようですが、初めて見ましたので購入。そのうちレポートしましょう。

なお岩手県産の亀の尾を使って菊の司酒造が酒を造っています。陸羽132はわしの尾が造っています。わしの尾さん、「銀河の雫」で酒を造っているのか。銀河の雫は硬い米なんで、結構苦労したろうな。

 

 

カメって結構ナゾなところがある。なんでここにいるのかよくわからない。多分なのだが、必死に登って行った先でこのように腹が支えて、つまり腹も甲羅なんで、止まってしまう。そこをジタバタしているうちにバランスの良い点に落ち着くのだろうな。でもこの板は大体3センチの幅しかないしほぼ垂直なのだ。その細い道を辿って気分のいいところであえて方向転換して、体のバランスのみで甲羅干しするのだろうか。

後ろ足を引っ込めれば重心バランスが崩れて、頭から落ちるのだろう。逆の頭を引っ込めても落ちるのだろう。

本能にしてもすごい。

 

 

響にゆく。お年寄りと政治談義になったが過激な方がいて、俺の票は売れないのかという話だった。「まず現在では組織票以外は売れません。隠し通すほどの組織でないと売れません。なので個人やその家族の票では売れません。その上選挙公示前に行わないといけません。でないと選挙違反になります。でも公示前ではお金になりにくいでしょう」。かつて専門学校で教壇に立っていた時に20歳になった学生から「どの候補がいいんでしょうか」と相談を受けていいて、なんか授業でやっていたらしい。今だったら選挙公報を使って議論させるという方法はあると思う。まああの時の利益誘導はなんだったのかという話なのかもしれない。ただ現在だったらタブーな話だ。私が学生だった時もタブーだった。

とっちらかった話はさらに進む。「選挙に3回行かなかったやつは選挙権剥奪でいいんじゃないのか」と、憲法にある義務を履行しない人たちへのことですね。さっきまでの票がお金になる話と全く真逆で、票がお金に全くならない社会ですね。「憲法上、人権の剥奪になります。法ではその規定はできませんし、行政はできません」。棄権という形の義務の履行があるからだ。その意味では最高裁の投票のバツをつけるやり方は変だな。無記名投票は本来は棄権なはずだ。選挙制度の統一が求められる。

で、話はなんで票が売れないのかとか夢幻ループに入ってゆく。ただそのなかでわかったのは選挙権が生存権と同一と扱われていることだ。憲法上そうなる。主権というのは俺を訳なく殺すなというのがある。逆に選挙というのは訳なく殺す人を選択しない権利だ。

選挙権の停止というのは実際ある。心身喪失した方、今でいうと法的後見人が付いている方や重度の精神障害があって政治判断ができない方、なぜこれを先に出すのかといえば過激な方が「80歳以降は選挙権がなければいいんではないのか」、いやあなたあと15年後だよ。なんでこんな過激なこと言うのよ。日本国籍を持っていて生きている限り選挙権はあるのだよ。

選挙権は刑法に触れた人と、選挙違反を犯した人に適応される。刑法に触れた人についてはどう解釈していいのかわからないが、執行猶予がついた人には選挙権がある。そして刑が確定する前の人にはある。でいいのかな。禁錮中の人にはない。

選挙権は憲法の規定の前に、生存権なのだな。それがよくわかったムチャクチャな1時間だった。選択できる生存権。今この国家で生き続けるための選択でもある。

自由とは奪われないかぎり想像できない概念だと思う。そして自由より生存権が圧倒的に上位にあるとよくわかった。だから選挙制度はあるのだと。

何か今ある世界的な傾向が少しわかったような気がする。そこには圧倒的な生存権だけなのだ。

 

 

そして月が出て、また沈む。


台風が通り過ぎました

2017-10-24 00:57:45 | 日記

 

昨日からの雨で78.5ミリ雨が降った。風は最大17.4メートル/秒だった。

 

 

台風が一番接近している12時に仕事だった。キャンセルにならないかとずっと思っていたのだが、ならなかった。でも時間をかけられたので割といい仕事になった。

岩手大学教育学部の牛渡克之准教授主催のウインターコンサートの曲目予定が耳に入ってきた。プロコフィエフの交響曲一番「古典的」、ブラームスのハイドンの主題による変奏曲、そしてベートーベンの交響曲1番だ。教えてくれた学生は「うししの趣味ですよねぇ」と言っていたので、説教した。「プロコフィエフはハイドンが現代に生きていたらどうゆう曲を書くのかというシュミレーションで、対位法を使った変奏や構造を鮮やかに軽く現代的な音に置き換えてみようとしたものだ。プロコフィエフの遊び心ふんだんの傑作。ブラームスは全くハイドン的ではないがハイドンのスペルを音階に置き換えた主題でできている。そしてベートーベンの1番はハイドン・モーツアルトの影響下にある曲。ハイドンはいないけどいるという、コンセプト。ハイドンから一番遠いのがブラームスで、研究した結果のプロコフィエフが最初に、直接影響を受けたベートーベンが最後という意欲的なプログラムになっている」

さて楽しみだな。ただ演奏時間が長くなるような気がしている。

 

 

20日から雨が断続的に続いていた。結果90.5ミリの雨になった。そして岩手山には随分雪が降ったようだ。

 

 

明日は晴れのようだ。