水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「母のこと・52」

2011-09-15 19:58:34 | Weblog



一応小学生になれた私は、毎日学校に行った。
同じ幸知区内に保育園、小学校、中学校があった。
家から見える距離にあった。
私が毎日通えるか、という母の心配は無用となった。

今は、その全てが無い。
私よりずっとアホな政治行政に携わっている人達によって廃校となった。
どんなに人数が少なくても、保育園や学校があれば地域は活きる。
だが、無くなればたちまち地域は過疎化する。
こんな当たり前がわからない連中が決めているのだ。
町が無人化になって、財政困難もへったくれもない。
経費節減したいなら、税金を貰うのは辞めればいいのに。

毎日通うだけでなく、私は学校での一日を母に報告していたらしい。
それにより、学校の様子、先生の様子が手に取るようにわかった。
どうやら、この子(私)はまるっきりアホでもないらしい・・・
忙しい中、母は子供の話をキチンと聞いていた。
私は自分の子供達や本妻や愛人達の話しさえ、マトモに聞いてない。
残念ながら、こういうマトモは受け継がなかったようだ。

        
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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「母のこと・51」

2011-09-15 19:55:07 | Weblog



私はアホ、で思い出した。
私の兄達も多少は変わっていたようだ。
授業中に一人で校庭のブランコで遊ぶ。
授業中イキナリ立ち上がり、教壇で遊ぶ。
その頃は先生の度量によって許されていた。
いい先生に当たっていたようだ。

私もかなり幼いままだったらしい。
母は、この子(私)は小学生になれるのだろうか?と思った。
子供が幾人もいれば、そういう子もいるから。
だからなのか、厳しいことを言われた事が無かったようだ。
ある意味、諦めていたのか、優しかったのか・・・

小学低学年時の写真。
私は斜頚だったのか、いつも顔が傾いていた。
蓄膿症(副鼻腔炎)ぎみで、洟をたらしていた。
私の尊敬する赤塚不二夫師の「天才バカボン」に近いかも。

話はズレるが・・・
私が理想としているのは、バカボンのパパだ。
これで、いいのだ。
それで、いいのだ。
この歳になっても、その境地には未だ到っていない。

        
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