ある気功師・680
巨木に抱きつくと身体から足に流れる。
何かが流れ、地面に吸い込まれる。
私の中に滞った障り(穢れ)を流してくれた。
だが、巨木が一方的に私に親切にしてくれたわけではない。
私と巨木は初対面だ・・・
イキナリ親切にされる理由がない。
自慢じゃないが、私は人格者の逆側だ。
アホだしスケベだしいいかげん者だ。
それでも人格と私が扱う気功は別物だ。
扱うのは、私の氣じゃないのだ。
気功は氣の交流でもある。
私も巨木に気功をしていた。
巨木も何らかの必要があったのだろう。
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