水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
第二十一章(13)
合掌
故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪
是無上呪 是無等等呪 能除一切苦
(この般若を知っていた方がいいぜ。
短いお呪い(おまじない)だ。
だけどよ、何しろ凄ぇんだぜ。
俺も修行僧もお前ぇ達も同じものだ。
共通なお呪いだ。
意味なんて知らなくていい。
知っても何もプラスにゃならねえ。
幸せになるのに、意味なんて考えるなよ。
苦しみが小さくなったり、
時には無くなったりすれば上等だろ。
それが出来るんだなぁ。
何とかなるんだよ。
心配するな。
仕組みの理屈は考えるなよ)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
第二十一章(12)
合掌
三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
(過去、現在、未来のブッダといわれる人達。
人だけじゃ無ぇぞ。
ケモノだって妖怪だってブッダはいるんだぜ。
お前ぇらも、一応候補生だ。
皆、般若っていう楽に生きられる方法を使ったんだなぁ。
今まで言ってきた方法だ。
難しくは無ぇぞ。
こだわっているモノがあれば、それを放す。
時々、息をゆっくり吐いて、ボヤ~としてみる。
この世の仕組みはイイカゲンだから、こだわっても無駄だ。
まぁ、なるようになるから心配するな。
そうするとな。
生きている事が愉しくなる。
苦しみも辛い事もあるが、そのまま受け取れる。
毎日、いろいろが変化しているんだ。
苦しみも辛さも、同じ姿じゃいられ無ぇのさ。
普段の暮らしが全く変わるわけじゃ無ぇ。
だけどな、こだわりが薄まると受け止め方が変わる。
苦しみや辛さは、それまで思っていたよりも小さいと判る。
何でもないような出来事が、とても嬉しいものだと判る。
苦しみや悲しみが小さくなって、嬉しさが増える。
すると、他のモノに優しくなれる。
自他の不出来や欠陥が可愛いと思える。
心の余裕ってやつかな。
それがブッダといわれるモノ達だぜ。
だからブッダは特別なモノ達じゃ無ぇ。
皆同じく、生きとし生くるモノ達だ。
こだわりから抜け出ただけだ。
誰でもなれるんだぜ。
だからお前ぇ等に伝えているんだ)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
第二十一章(11)
合掌
三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
(過去、現在、未来のブッダといわれる人達。
人だけじゃ無ぇぞ。
ケモノだって妖怪だってブッダはいるんだぜ。
お前ぇらも、一応候補生だ。
皆、般若っていう楽に生きられる方法を使ったんだなぁ。
今まで言ってきた方法だ。
難しくは無ぇぞ。
こだわっているモノがあれば、それを放す。
時々、息をゆっくり吐いて、ボヤ~としてみる。
この世の仕組みはイイカゲンだから、こだわっても無駄だ。
まぁ、なるようになるから心配するな。
そうするとな。
生きている事が愉しくなる。
苦しみも辛い事もあるが、そのまま受け取れる。
毎日、いろいろが変化しているんだ。
苦しみも辛さも、同じ姿じゃいられ無ぇのさ。
普段の暮らしが全く変わるわけじゃ無ぇ。
だけどな、こだわりが薄まると受け止め方が変わる。
苦しみや辛さは、それまで思っていたよりも小さいと判る。
何でもないような出来事が、とても嬉しいものだと判る。
苦しみや悲しみが小さくなって、嬉しさが増える。
すると、他のモノに優しくなれる。
自他の不出来や欠陥が可愛いと思える。
心の余裕ってやつかな。
それがブッダといわれるモノ達だぜ。
だからブッダは特別なモノ達じゃ無ぇ。
皆同じく、生きとし生くるモノ達だ。
こだわりから抜け出ただけだ。
誰でもなれるんだぜ。
だからお前ぇ等に伝えているんだ)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
第二十一章(10)
合掌
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
(生きる、暮らすってのは毎日の事だ。
楽に生きる、元気に暮らすにはコツがあるぜ。
嬉しい事もあるけど、辛い苦しい事もあるよな。
そんな事ばかりだと滅入るよなぁ。
毎日の現実ばかり見ると、未来を暗くしちまうのさ。
だから夢があり、空想があるのさ。
夢や空想は現実からの逃避でも空しいモノでも無ぇぞ。
使い方さ。
毎日を明るく生きる為に使えばいいのさ。
時には夢や空想が現実にだってなる。
夢や空想を捨ててしまうなよ。
正しさや真実を追いかけると夢を失うぞ。
夢から遠く離れると、全てパァになるぜ。
生きているって事の意味が無くなるんだ。
正しさや真実だけ追いかける心から離れようぜ。
夢やアイマイなモノを大切にしろよな。
夢を持つから明るくなれる。
想いがあるから、温かくなる。
慈悲というのは、アイマイを大切にする心から生まれるのさ。
未熟な心を、そっと抱いてあげるのが慈悲ってもんだ。
未熟なのは、お互い様だぜ。
真実追求の心からは慈悲は生まれない。
それは非情ってヤツだ。
夢や想いや慈悲を持てば、そこが涅槃だ。
お互いに慈悲があれば、そこは極楽だ。
なにも遥か彼方にあるわけじゃ無ぇ。
毎日の生活の中に涅槃があるのさ。
・・・あまり真実追求にこだわるなよ、弟子達・・・)
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第二十一章(9)
合掌
心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖
(心の悩みや迷い、心のダメージが有っても大丈夫だ。
その事に固定しなければ、勝手に変わる。
いろいろが有って当たり前だ。
だが、心は変化しやすいんだぜ。
一々思い出して、こだわらなけりゃ変わるぜ。
身体の病や怪我も有る。
必ずといっていいほど、降りかかる。
だが、それでも大丈夫だ。
回復したり、軽減したりするコツがある。
身体も常に変わっているのが事実だぜ。
しかも回復方向に変わっているんだぜ。
生きているってのは、必ず回復に向かっているんだ。
回復を邪魔しているのは、自分の固定概念なんだよ。
変化している事を認めろよなぁ。
不都合があるのを認める。
同じく、回復している事も認める。
要は、常の変化を認めるって事だ。
それが、こだわらない、イイカゲンって事だ。
それが、般若って事だ。
心や身体の不都合にとらわれるなよ。
といって、無視していいわけ無ぇだろ。
それぞれ可愛がれよな。
それが養生ってことだ。
養生を意識し行うと、楽になるぜ。
不都合が有っても治せばいいんだ。
すると、恐怖が必要以上にならない。
恐怖が有っても、大丈夫になるのさ。
まぁ、適当な大きさで恐怖を感じられる。
これは、結構大切なんだぜ。
恐れも知らないと、ロクなモノになれ無ぇ。
人間もケモノも妖怪も、適当に恐怖が必要さ。
必要以上は、いら無ぇけどな。
まぁ、般若ってのは、暮らすのが楽になるコツだ)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
ただ今、十三章がダブっていた事に気づきました。
したがって、この章は今日から二十一章になります。
第二十一章(8)
合掌
菩提薩多 依般若波羅蜜多故
(お前ぇ等は皆菩薩なんだぜ。
生き物ってのはよ、その立場立場で生き方が違う。
それでも方向は同じなんだぜ。
気づいても気づかなくても同じ方向に歩いている。
この世界に生まれて、死ぬまで生きる。
一人一人の個性で生きる。
個性は共生を活かす為のもんだ。
この世ってのはよ、多種多様なモノが合わさって出来ている。
どんな立場でも、他の役に立っているんだ。
だから、気づいても気づかなくても菩薩だ。
もちろん一度の人生で完成するわけが無ぇ。
何度も生まれ変わるのさ。
いろいろな立場を経験するのさ。
そして、少しづつ進むんだ。
幸せ、そのものの境地に向かっているんだ。
生きているってのは、幸せに向かう事なんだぜ
誰でも菩薩なんだけどよ、
菩薩として生きるコツがあるんだ。
そのコツを知って実行すると、楽に生きられる。
苦しむと、生きるのが大変に思えるだろ。
苦しむ菩薩より、愉しめる菩薩になりなよ。
そのコツが般若ってヤツだ。
何も難しい事じゃ無ぇ。
何度も言っているだろ。
この世の仕組みはイイカゲンだ。
だから、イイカゲンに心を合わせるのさ。
万物が流転しているし、諸行は無常だろ。
心を固定したら苦しくなるのは当たり前だ。
毎日身体だって変化しているんだ。
心だけこだわるのは不自然だろ。
それに気づく事が、般若ってことさ)
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第二十章(7)
合掌
無智亦無得 以無所得故
(欲しがる心から自由になれよ。
それは僧達も同じだぜ。
物欲や肉欲だけが対象じゃ無ぇぞ。
欲しがる心が、大切なモノを観えなくしているんだ。
欲しがる心に、こだわらなくなる。
欲しがっても、いつでも放せる。
するとな、サトリからも自由になれるんだぜ。
サトリを得る事なんざ、どうでもよくなる。
サトリを追いかけるのは、趣味の一つだ。
サトリがどうでもいいなら、
その為の修行や智恵の追及もどうでもいい。
智恵からも放れる、放せる。
それで、やっと、大切なモノが観える。
大切なのは、毎日の暮らしだ。
(サトリを)欲しがる心にこだわらなくなると、
当たり前に気づくようになる)
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第二十章(6)
合掌
無苦集滅道
(皆、苦労してるかぁ?
まぁ、苦しい事は多いわなぁ。
だからって、人生は苦だ、なんて思うなよ。
ん?ワシがそう言った? そりゃ誤解だ。
四諦? そりゃ、若気の至りってやつだ。
つまらねぇ事なんざ、忘れろよなぁ・・・
四苦八苦という苦しみがあるよな。
あるけど、苦しみだけでも無ぇだろ。
苦しみだけだと思い込むと、苦しみしか感じられ無ぇのさ。
苦しみにこだわるなよ。
こだわり、ってヤツが、更に苦しみを産んでいるのさ。
こだわりを無くせば、苦しみは小さくなる。
無くなるわけじゃ無ぇけど、楽になる。
無くすには、コツがあるんだ。
こだわりを無くす、って事にも、こだわらねぇのさ。
キマジメに執着を無くそう、なんて思うなよ
苦を無くす事にこだわらなくていいけど、より楽に生きてぇだろ。
苦ってのは暗ぇんだぜ。
ならば、明るく生きればいいじゃねぇか。
正しく生きるのは難しいけどよ、明るく生きるのは出来るぜ。
誰だって赤ん坊だったろ。
暗い赤ん坊なんて居ねぇんだ。
誰だって、明るかったんだよ。
ならば、誰だって、出来るんだよ。
昔、自分でしていた生き方だ。
それが、八正道って言葉なんだぜ。
人生、明るく生きようぜ。
それが、人生を愉しく生きる事になる。
苦を含めて、いろいろ体験する。
全て含めて、明るく愉しむ。
それが、この世に生まれてきた理由だ)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
第二十章(5)
合掌
無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽
(先の事は分からねぇだろ。
それを無明っていうんだ。
いろいろ迷ったり苦しんだりするだろ。
それらには原因があるんだ。
とりあえず、十二個の影響があると思ってくれ。
一応、まとめて十二因縁っていうんだ。
おっと、そんな事ぁ覚えなくていいぜ。
無明から始まって最後は老死になるけどな、
老死から、また無明につながるんだ。
そうして、何度も生まれ変わって人生を体験するんだ。
先が分からねぇ人生だから、いろいろ体験できる。
何でも分かって、何でも見切っていたら人生しなくてもいい。
つまりな、
生きているって事は、無明の闇だから意味があるんだ。
迷って、苦しむ事ぐらいで人生を嫌になるんじゃねぇぜ。
無明だからこそ、嬉しさも愉しさも気持ちよさも味わえる。
無明や老死から離れたら、生きている実感も無ぇのさ)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
第二十章(4)
合掌
無眼界乃至無意識界
(毎日の暮らしがあるだろ。
見たり、聞いたり、感じたりしているだろ。
嬉しかったり、辛かったりするだろ。
まぁ、辛い方が多く感じるかな。
苦しむ事が多いかなぁ。
嫌なモノは見るな、っていっても無理だよなぁ。
辛い事を感じるな、っていっても感じるよなぁ。
毎日、実際に苦しいもんなぁ。
だけどな、
見た事を引きずる事ぁ、無ぇんだよ。
辛い事を思い出して、苦しみ続けるのは余分だぜ。
つまりな、
見た事や聞いた事や感じた事は無くせねぇけど、
いつまでも、こだわる事は無くせるんだぜ。
苦しむ元ってのは、見た事や感じた事じゃねぇんだ。
いつまでも、こだわった事なんだぜ。
嫌な事があっても、苦しみは無くせるんだぜ)
別訳
(生きているってのはよ、
いろいろ見て、聞いて、味わって、感じて、思ってるんだ。
実際は、心がどう思うかで、見方や感じ方が違う。
つい、受身で生きているけどな、変える事が出来るんだぜ。
なにも苦しむ為に生きてるわけじゃねぇんだ。
楽になるには『コツ』ってのがあるんだ。
苦しみを無くすだけじゃねぇ。
更に愉しめるんだぜ。
見る、聞くなどは受身だけど、
思う、は自分で自由に出来るんだ。
その『コツ』が、こだわらない事だ。
こだわらなけりゃ、いろいろな出来事は面白れぇぜ。
生きている時間は限られているんだ。
いろいろな体験は貴重なんだ。
同じような出来事でも、一つ一つは違う。
少しづつでいいからよ、変えてみようじゃねぇか。
大丈夫だ。
心はイイカゲンだから、変える事が出来るんだぜ)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)