ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

新たな死の文化とは

2021年01月27日 | 教育・文化
 「本の批評」のそのまた批評です。

わたしたちはどんな医療が欲しいのか?』(M・デ・リッダー)の書評、鹿島友義氏(九州循環器病センター名誉院長『医療はどう変わるべきか ドイツ人医師からの提言』/『本のひろば』2021年1月号)を読んでの感想です。
前置きがとても長くなり失礼しました。

医師には教養が不可欠。今、医師に限らずすべての専門職でリベラルアーツ(一般教養)の軽視が残念なことに進んでいる。教育系の大学が「学芸学部」と称していたのが「教育学部」に変更にしたころからその傾向が見られますから、その軽視はかなり長い年月が経ってしまっていますね。

膨大になりすぎた専門知識を一刻も早く教え込むために教養科目は付録のような存在でおざなりです。今や教養学部を維持しているのは国立では東京大学だけの状態になってしまっているという。


わたしたちはどんな死に方をしたいのか。高度先端医療時代における新たな死の文化の提言とは?
これには医療者側と患者側のよき話し合いが必要となります。それには患者の自覚と自己責任があるとしても、一方で文学、歴史、芸術を含めた豊かな教養は「良い医師」の必須条件であると鹿島氏は指摘する。

そうした関係を持ち、患者たちはどのような死に方を選択するのか。自分の意思とは無関係に事故や突然死で亡くなるケースは別として、意識した死の有り様、「作法」の選択は個人の思い、その人らしさが尊重されてしかるべきのように思えます。ひるがえって病気に対しての治療方法にしても、それぞれの死生観に基づき多様な選択肢があります。

病気と徹底抗戦する方法、まったく戦わず自然に身を任せる方法、適度に治療し適度に諦観する方法。。

題名の「わたしたち・・」の中も様々な「わたし」があるなと思いました。「わたし」が私であるように。


 


今夜の曲は「ブッダのように私は死んだ」です♪



ブッダのように私は死んだ☆ 坂本冬美
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