タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

   ~ 「オ カ ピ」は何時も体が、テカテカ~蝶いろいろ

2020-09-04 | その他

生き物に関する豆知識

貴方は、珍しい動物を見たい、癒されたいと思われませんか。 ここで紹介するのは、国内の何処かの動物園で、必ず飼育されている動物達です。

「オ カ ピ」

もともと熱帯雨林に棲むため、雨で体が濡れて体温低下を防ぐため、いつも体はオイルでテカテカ。  うっかり触ると、茶色い油で手がヌメヌメ。   毛皮の美しさから「森の貴婦人」と呼ばれているそうな。   長い舌で葉っぱを食べているところが、見られたらラッキー。   だがしかし、野生では超警戒心が強く、その生態たるやほとんど解明できていないと言う。   観覧したら新発見があるかもよ。

「オ カ ピ」は、シマウマそっくりなのだが、キリンの仲間だよ。

日本では、横浜市立「金沢動物園」に居るよ。  機会があったら動物好きの人は、見る価値ありと思う。  

 




 

先日、華蔵寺に参詣に行った時はですね~  実は、展望台からのパノラマ写真と、野鳥撮影が狙いだったんですよ。  ところが野鳥については、たまたま「チョウゲンボウ」が撮れたましたが、何故かこの日は、撮れるのは「蝶々」さんばかりでした。

カラスアゲハ

ソース画像を表示

 

キアゲハ

イシガケチョウ(幼虫)・・・イシガケチョウには二年前にも、展望台周辺でであいました。  低・鉱山帯を好むのかな。?

種は分 👇 かりません。

交尾中のアオスジアゲハチョウ

と言う事で、今回の枕木山(華蔵寺参詣)では、野鳥は撮れませんでした。


  ~龍翔山・華蔵寺に御参詣りに行く。~

2020-09-02 | その他

先日、年1回は御参詣りに行く龍翔山・華蔵寺に行って来ました。  「華蔵寺」は、松江藩歴代の祈願所であったそうです。  今年は、特別な願掛けに行って参りました。  パーキングに車を停めて、380段の急坂(石段)を喘ぎ喘ぎ登ったのでした。    

先ず最初の長いながい、石段が思いの外きつかった。(手摺に支えられてやっと)

今、登って来た ☟ 石段です。

途中、参道の左脇にある「不動明王」の巨大な石造です。

やがて、仁王門が見えて来ました。

 

ある日、華蔵寺さんに伺いました。今年の華蔵寺は雪が全くありません。通常であれば、雪深く冬はお参りの人はいませんが、今年は、暖冬のおかげでお参りの方を見かけます。何よりも、雪かきをしなくて良いことが嬉しいです。#島根県 #松江市 #枕木山華蔵寺 #枕木山 #華蔵寺 #禅寺

参道はまだまだ続きます。(華蔵寺の標高は456m

だそうです。)

途中、右横手の林をくぐると、視界が眩しいほどに視界が開けて来るのです。  やっと展望台に辿り着きました。

眼下に見下ろす中海・弓ヶ浜半島・大根島(牡丹の島)・国立公園大山(別名:伯耆富士)などの一大パノラマが広がります。  

 

この展望台では、米国人の御主人と日本人の奥さんに出会い、お話をしました。  ご夫妻は松江に住む方で、よく華蔵寺にお参りに来るそうです。(後付けですが・・・ここは若者達のデートスポット&観光ルートにもなっている様です。)

生憎、大山山頂は入道雲で隠れておりました。

これは以前に撮った画像です。  晴れた日には大山が綺麗に見えます。

y_racco

大根島を400mmズームレンズに替えて、撮って見ました。

島全体が、高麗人参と 👇 牡丹栽培をしています。

松江市と境港市を結ぶ「境水道大橋」です。  ちょうど三隻ばかりの入船が有りました。

これが、👇 弓ヶ浜半島です。  近くで見ると松林越しに伯耆富士が見え、美保の松原によく似ています。

展望台で一息入れて、本堂でお参りをして来ました。

 

帰途、車を停めて探鳥をしていると、車のすぐ前に一羽のチョウゲンボウの幼鳥?(種はよく分かりません。)が、舞い降りました。

 

驚いて直ぐ、飛立ちました。   今回の気付き。。。華蔵寺には車で行けるそうです。   でも、やっぱり歩いて上る方が、ご利益がありそうな気がする。

つづく


    ※ 歎異抄をひらく ※

2020-08-31 | その他

おはようございます!  今日は真面目に「歎異抄」などを、読み進めることと致します。

 

歎異抄をひらく

(歎異抄原文)

第一章

(意 訳)

*すべての衆生を救う*と言う、阿弥陀如来の不思議な誓願(*神仏に誓いをたて、ことの成就を願うこと*)に助けられ、疑いなく弥陀の浄土へ行く身となり、念仏称えようと思いたつ心のおこるとき、摂めて取って捨てられぬ絶対の幸福に生かされるのである。  弥陀の救いには、老いも若きも善人も悪人も、一切差別はない。  ただ『仏願(*阿弥陀仏の誓願(約束)本願とも言える*)に疑心あることなし』の信心を肝要(*唯一大事なこと*)と知らねばならぬ。  なぜ悪人でも、本願を信ずるひとつで救われるのかといえば、煩悩(*欲や怒り、妬み、嫉みなど、私たちを惑わせ悩ませること*)の激しい最も罪の重い極悪人を助けるために建てられたのが、阿弥陀如来の本願の真骨頂(*真価・本来の姿*)だからである。  ゆえに弥陀の本願に救い摂られたならば、一切の善は無用となる。  弥陀より賜った念仏以上の善はないからだ。  また、どんな悪を犯しても、不安や恐れは皆無となる。  弥陀の本願で助からぬ悪は無いからである。  と、聖人は仰せになりました。 

第一章は、『仏法の肝要』を親鸞聖人が言われた言葉である。

(肝要とは:唯一大切なこと。) 


   ~餌場に来たスズメがたった一羽~

2020-08-28 | その他
餌を食べつつ、眠そうなスズメです。
昨日の朝、我が家の餌場に来たスズメはたった一羽。  他のスズメが来ていないので、独り占めです。  お腹いっぱいになったのか、なんと、居眠りしながらお米を食べています。  なんとも長閑な朝のひと時です。(あれだけ多く来ていた雀は、どこに行ったのかな~)
 
 
食べながら、うつらうつらしていおります。
 
 
 
一夜明けて今日。  近くの田んぼで見たのが、刈り入れ直前の、稔って首を垂れた稲穂に止って、こんな所でお米を食べておりました。(我が家に来ていた雀なのかは、定かでありませんが)
 
 
 
 
 
こんな事にも、ホッとする私なのでした。

  ※歎異抄を開く ※・・・動画で見る親鸞聖人

2020-08-26 | その他

歎異抄をひらく

親鸞聖人の教え(歎異抄第1章から)を学ぶ前に、「親鸞聖人」とはどのような人であったのかを、動画で学ぶこととします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ① 動画で見る親鸞聖人

  ~映画「君の名は」:佐田啓二・岸恵子~

2020-08-19 | その他
君の名は:森昌子

映画「君の名は」

ラジオドラマでは放送冒頭に毎回『忘却とは忘れ去ることなり。 忘れ得ずして 忘却を誓う心の悲しさよ』・・・・・この有名なナレーションで始まる『君の名は』。  

1952年(昭和27年)に始まったNHKラジオドラマなのですが、翌年には、主演:佐田啓二・ヒロイン:岸恵子で松竹映画社が制作しています。

公開当時、私は大人のドラマの何たるかも、勿論、知るよしもなく、それでも妙に記憶に鮮明なのは、兄や姉からの刷り込みなのか、それとも、後年映画を見た際の、印象なのか定かではありません。 確かに「ラジオドラマが始まる時間帯になると、女湯が空になる。」と言われていた様な気がします。  ヒロイン:真知子(岸恵子)の 「真知子巻き」が大変な人気であったことは何故かよく覚えています。   

そんなこんなで、レンタル店で見付けたのが、この映画「君の名は」・・・まだ有ったとは驚きでもありました。  主演の佐田啓二(後宮春樹) ヒロインの岸恵子(氏家真知子)の演じるメロドラマ(今で言うラヴロマンス)です。   純な愛の物語なのですが、男女のすれ違いを巧みに描き、「ドラマは、これから一体どうなっていくのだろうか???・・・」との、視聴者心理を巧みに突いた演出となっていました。(確かに戦後、娯楽の少なかった時代のラジオドラとしては、出色の脚本によるドラマかと・・・思う訳です)

~あらすじ~

昭和20年5月24日の空襲の中で、偶然に出会った若い男女が、戦火の中を手に手をとって逃げ惑い、防空壕で一夜を明かします。  そして別れる際に、銀座の数寄屋橋の上で、春樹が「もし生きていたら、半年後の24日にここでお逢いしませか。」と聞き、女性も「ええ、もし生きていたら・・・」と応えて去っていくのでした。

女性の後ろ姿に『君の名は・・・』と尋ねるのだが、空襲のサイレンが鳴り響き、慌ただしい喧騒の中で、お互いに名乗れないまま別れて行きます。  そして・・・・・約束の、半年後の再会の日、真知子は空襲で親を亡くし親戚の叔父を頼って佐渡へ渡る船上から、遠い東京を詰めていました。 一方、春樹は約束の数寄屋橋へ行き、真知子をひたすら待ち続けるのですが、真知子は遂に現れません。  映画は、北海道から九州まで西に東に舞台を移しながら、男女それぞれの人生の紆余曲折を経ながら、展開して行くのでした。  

一日違いで約束の場所へ行けなかったり・・・・・やっと会えた時には、真知子が結婚式を明日に控えていたり・・・・・次に再開する時には身ごもっていたり、夫の策略で遠ざけられたり・・・と、ストーリーは至って単純なのだが、徹底した「すれ違い」を軸にストーリーは展開される。  いかにも戦後間もない恋愛映画らしく、この時代の、真っ正直で純朴な日本人の‘愛‘が描かれた映画でもあるのでした。

この映画の鑑賞には、相当の時間を要します。   主演の佐田啓二は、『喜びも悲しみも幾歳月』など、当代随一の売れっ子スターであったが、事故で38歳という若さで世を去っている。  ちなみに俳優・中井貴一(58歳)、貴恵の父君でもある。(中井貴一は、今見ると父親そっくりになって来た様な気がします。)

※この記事は2015・11・17に、一度取り上げていますが、当時のGOOブログは、画像ホルダーを一度誤って削除すると、本文上の画像も消去される仕組みとなっており、誤って消去した為、画像無しの記事となっており、気になっていたので、再UPした次第です。


  ~カメラのお勉強~・・・松江精霊(灯篭)流し

2020-08-18 | その他

おはようございます。   いかがお過ごしでしょうか

コロナ、なかなか終わりそうにありません。  マスク・手洗い・三蜜避けて、無事ここを乗り切りましょう。





8月16日は送り盆の日。

今年は近縁の者が旅立った、なので 精霊流し(松江では、灯篭流し)に行って来た。   宍道湖岸に着くとちょっと様子が違う。  もしやと思って検索してみると、:今年はコロナで中止になったそうである:  例年そんなに人出が多い訳でもないのに、こんな所にも影響が出ているんだ。   仕方ないから持参のカメラで夜景でも撮って見ることにした。

(松江市役所方向から宍道湖大橋を望む~夜景) 

今回初めて使ったのが「スペシャルモードシーン」、撮影時には、街の灯りが見える程度のかなり暗い撮影環境。  1枚撮ってはライブビューで確認。  これならまずまずいける。

 

松江大橋を写す。

 

松江大橋は、独特の造りの写せる昼間撮影が、より一層いいみたい。

今回学んだのは夜景撮影と写真撮影の「黄金比率」

一つ一つ学んで行こう。

 





同じカメラでプロが写した写真


 


   ※ミノバト・・・・・お盆・・・・・透かしほおづき※

2020-08-14 | その他

ミノバト:蓑鳩

 

東南アジア、インドネシア、ベンガル湾に浮かぶインド領のニコバル諸島などに生息し、別名「ニコバルバト」という。   絶滅したドードーの近縁種である。   ミノバトは虹色の光沢の羽を持つとてもカラフルな鳩。  現在では個体数が減少し、準絶滅危惧種に指定されている。   インド洋の沖合の小島で、群れを形成し島から島へと渡りながら暮らす美しい鳩である。   

群れで周辺の島々を渡りながら暮らす。   捕食者のいない沖の小島で休み、日中は食べ物を探して過ごすという。  かつては名前の由来であるニコバル諸島に、大規模なコロニーが見つかり保護区となっていたが、2004年のインド洋大津波によって人も鳥も大きな被害を受けたそうだ。

 ミノバトは食肉としてだけではなく、砂嚢の胃石を宝石として珍重する人々により狩りの対象になっている可能性が高く、かつ珍しい鳩として罠にかけてペット市場に売られるなどの違法な取引がなされている。さらに繁殖地となっている島の環境も開発の影響で損なわれるなどの要因から個体数は減少傾向にあり、現在は準絶滅危惧に指定されている。

日本では背部の羽毛が蓑に似ていることからミノバトと呼ばれているこの鳩は、インド洋にあるニコバル諸島やマレー諸島、ソロモン諸島やパラオに生息していることから、海外ではニコバルピジョン(ニコバルバト)という名で呼ばれている。ハト科のなかでは17世紀末に絶滅したとされているドードーに最も近縁の鳥といわれている。

 体長およそ40cmで、脚は暗緑色で頭部は灰色、首の周りは緑と赤銅色が入り混じっており、尾の部分は白く、その他の部分は金属的な光沢の緑色という珍しい配色の鳩だ。

日本では福岡動物園や上野動物園で、飼育鳥として大切に飼育されているそうなので、機会があったら是非見てみたい鳥です。

 



 

レース鬼灯

お盆でご先祖様達を迎えるために、足元を照らして、我が家に迎え入れる道しるべ「ほおづき:鬼灯」

「ほおづき」を、使って「透かしほおづき」を作って見よう。

(作り方)

  ①新鮮なほおづきの実   ②瓶などの容器(ほおづきの実がすべて浸かる大きさのもの)    ③水(適量)

(作成手順)

〇容器(瓶等)に「ほおづき」の実をに入れて、すべてが水に浸るまで水を入れ    ます。  ※必ず実がすべて浸かるようにしましょう。 空気に触れた部分があると、黒ずんでしまうことがあります。

〇1週間から10日ほどそのまま置いておきます。(水の中で腐らせるので、当然臭いので(笑) ラップなどで蓋をしておきましょう。)

〇様子を見て水が濁っていたら、ほおづきを取り出し、流水で優しく洗い流します。 (中の果実を残して、ほとんど葉脈だけの姿になりました。)

〇残った組織は、柔らかい歯ブラシで「ほおづき」の繊維が破れない様に優しく洗い流します。  ※シミが残ったらは漂白剤に浸けると良いでしょう。

こんな感じの「透かしほおづき」が完成です。

女性の方は是非作ってみて下さい。   インテリヤにも良いと思います。

 


  ~♪ 世界一美しい鳥”ケツァール ♪~・・・ジョン・デンバー:カントリー・ロード

2020-08-13 | その他

世界で一番美しい鳥

最近、益々鳥に興味が深まりつつある中で、YouTubeで  世界で一番美しい鳥:ケツァール を訪ねる旅の動画があり、思わず見入ってしまった。  それは中部アメリカ、コスタリカの密林に棲む、『ケツァール』と言う鳥です。   グアテマラでは、この鳥を「国鳥」に指定していて、国旗、切手、コインなどのデザインにも使われている様です。  驚くことには、この国の貨幣の単位もケツァール・ケツァルとなっていると云うことです。  残念ながらこの鳥を我が日本国内で見ることは出来ません。   
 それは順絶滅危惧種に指定されていて、ワシントン条約で手厚く保護されていて(商業のための輸出入は禁止)、国外への持ち出しが禁止されているからです。
 日本国内で見られる、この鳥に匹敵するのは、私的には「サンコウチョウ」???
いやいやまだそんな美しい鳥には出会っていませんので、美しいと言えば「花」でしょうか。   しかし、 世界一美しい鳥:ケツァール には、飛ぶ姿を含めた、美の共演という点では到底及びません。 
コロナさへ無ければ、今、世界一美しい鳥”ケツァールに出会う、中米・コスタリカへのツアー旅行 に人気がある様です。  「世界一美しい鳥」という”枕言葉”でよく語られているケツァールは、キヌバネドリ科に属し、「ケツァール」の和名は、カザリキヌバネドリと言うそうである。(全長約40センチメートル、雄の尾は飾り羽となり約1メートルに達する。) 
また、漫画家手塚治虫がライフワークとしていた、漫画「火の鳥」のモデルは、ケツァールであると言われています。
”火の鳥の生き血を飲むと、不老不死になれる”という設定のもと、古代から、35世紀までの遥か未来までの「火の鳥の存在に翻弄される主人公たち」が語られ、宇宙、地球、社会、人の生き様、死に様などが描かれています。   実に34年もの長い歳月を経て描き続けられた壮大なストーリー「火の鳥」。   そのストーリーをつなぐ火の鳥(不死鳥)のモデルとして、”世界一美しい鳥” ケツァールに、筆者(手塚治虫)は注目し構想を練ったことでしょう。(宝塚市の手塚治虫記念館には、このケツァール(火の鳥)の銅像があるそうです。)

 

 

まだまだ・・・つづく

七色に輝く羽が美しい鳥・「ミノバト」です。



卑 怯・・・鳥ではなくて、花かよ。

でも、やっぱりお花も・・・美しい!

ジョン・デンバー:カントリー・ロード

~ニホンノウサギに出会う。~・・・オーストラリアの固有種鳴き真似NO1の「コトドリ」

2020-08-12 | その他

世界の野鳥の、ことども 

この鳥は、「コトドリ」コトドリ科に属する野鳥で、オーストラリア東海岸、を中心に、森林地帯に生息する。  1950年前後に移入された。 オーストラリア固有種の野鳥。  

地上で、腐葉土や腐った木の枝を、脚で後ろに掻き出しながら、地中の昆虫やミミズなどの無脊椎動物を探しだし捕食する。  繁殖期になると雄は、1mほどの塚を落ち葉や枯れ木などをかき集めて作り、その上で求愛行動を行う。  求愛行動は飾り羽のついた尾羽を上に持ち上げ、飾り羽を自分の体の上に覆うようにし、他の鳥類の鳴き声をまねながらダンスをする。  

個体によっては人が発する言語の他、カメラのシャッター音、チェーンソーの音、車のブレーキ音など人工的な音を真似出来る事も知られている。  雌は1羽で巣を作り、一回の産卵で1つの卵を産み、子育てを行う。   中でも最大の特徴は、鳴き真似では、オウム・キュウカンチョウ・インコ等よりも、ダントツの鳴き真似上手で、オーストラリアの貨幣や切手にもなっているそうです。  

(写真はお借りして来ました。)

この長い爪で、ミミズなどを掻き出し、捕食するそうな。

世界にはまだまだ知らない野鳥が沢山居ます。

つづく



 

野 兎(ニホンノウサギ)

昨日、山道を超えて海へと向かう途中でのこと、車の前を黒い影が、突然飛び跳ねながら横切ったのです。  よく見ると「野 兎」でした。  もう少しで轢きそうになりました。  車を停めても逃げません。  帰宅後、画像処理の過程で気付きました。  少しお腹が膨らんでおり。  お腹に赤ちゃんが居る「ニホンノウサギ」みたいです。  危害を加えられる恐れが無いと、判断したのでしょうか。   道路をピョンピョンと横切って、もとの草むらに戻って行き、しばらく蔓草の葉(ムベの葉)を食べていましたが・・・また藪の中に消えて行きました。    

ガードレールの下を潜って、藪へ消えて行くかと思いきや・・・

もと来た道へ脱兎のごとく戻って行き・・・

しばらくの間、蔓草(ムベの葉)をムシャムシャ食べていましたが、その内、雑木林の中に消えて行きました。

やがて来る、出産のために備えて、栄養をとっていたのでしょうか。

・・・豆知識・・・

二ホンノウサギの中には : キュウシュウノウサギ(長崎)・トウホクノウサギ(東北・日本海側)・サドノウサギ(佐渡島)・オキノウサギ(隠岐諸島)の四種類があるそうです。

東北地方や日本海側の積雪地帯、佐渡島の個体群は、冬季に全身の毛衣が白くなる。  積雪する地域では、秋頃より体毛の色が抜け落ちはじめ、冬には耳介の先端の黒い体毛部分を除き白化し、早春頃より白い体毛が抜け、徐々に赤褐色から茶褐色の体毛が生えてくる。

主に低山地から山地の草原や森林などに生息する。   群れは形成せず単独で生活する。   特定の巣は持たないが、ねぐらを中心に半径が約400メートルの範囲で行動する。夜行性で、昼間は藪や木の根元などで休む。   天敵としてはキツネ、オコジョ、イヌワシ、クマタカなどが挙げられる。   食性は植物食で、樹皮などを食べる。  (出典:Wikipedia)

夜行性だからなのでしょうか。   野兎を間近で見たのは、初めてのことでした。  

 

コトドリの鳴きまね上手

  ~隠岐諸島・・・後醍醐天皇・・・海水浴・・・カモメ・・・ノカンゾウ~

2020-08-11 | その他

隠岐諸島

今日は野を超え山越え、島根半島の港町に行ってきました。  よくは晴れた日には、隠岐諸島が見えるので期待していましたが、霞の向こうにうすボンヤリと見えておりました。  ちなみに隠岐諸島と本土間の距離は50㎞で、長崎市&対馬間の178㎞には及びません。

この風光明媚な島は、かつては倒幕に失敗した「後鳥羽上皇」と「後醍醐天皇」が配流になった島です。  私も約3年半、道後の島に配流になっておりました。(笑)  懐かしい。

(左が島前・右が島後です。)  

小さく白く見えるのが、本土と隠岐の島 ↓ を結ぶ、隠岐汽船のフェリー です。

山を越え、辿り着いたのが「御津ノ浦」の漁村です。

三連休も最後の一日とあって、浜辺は子供連れの海水浴客で賑わっておりました。

港にカモメは・・・やっぱりお似合いです。

 

 

 

 

帰りの道脇に、ノカンゾウの花が咲いておりました。  この花の若葉は、食用として、昔、母が「ヌタ料理」を作ってくれたことを・・・不覚にも思い出してしまいました。


  ※ 釣り・・・コロナ・・・鳶の食事・・・朝顔 ※

2020-08-10 | その他

日曜日の昼下がり、釣りを楽しんでいる人がいました。

三連休の中日とあって、「蜜」を避けて釣りなどして、それぞれに楽しんでいる様です。。。。。今朝起きて、ネットニュースを見て、ビックリしました。  何と、コロナ感染者が123人(過去トータル)と一気に、100人近く増えていたからです。  何でも私学の寮でクラスターが発生したとの事でした。  釣りは人との接触も無いから、時間潰しには良いのかもしれません。

釣り人が捨てた大きな鮒(ふな)に、鳶の親子が群がっておりました。

 

親鳥が、食べ方を教えている様でした。

 

 

 




夏も本番、朝顔の花が次から次へと、咲いています。

今日も、30℃超えの暑い一日となりそうです。  熱中症にはご注意を!


   ~ 長崎の鐘 ~

2020-08-09 | その他

長崎への原子爆弾投下から、75年目の暑い暑い夏

8月9日午前11時02分・・・ただただ、黙とうを捧げました。

長崎の鐘

長崎の鐘は、松江市出身の永井隆博士がその体験をもとにが執筆した随筆。その内容は、長崎医科大の助教授であった永井が、原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様子を記録したもの。  被爆時に大学をはじめとする長崎の都市が完全に破壊された様子、火傷を負いながら死んでゆく同僚や、市民たちの様子を克明に描いている。  永井は、この時妻を亡くした。  また、救護の際には、頭部の重症と疲労から自らも危篤状態におちいるが、同僚医師や看護婦たちの努力により一命を取り留める。  

「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のこと。   作品は昭和21年8月には書き上げられていたが、GHQ)の検閲により、すぐには出版の許可が下りなかった。  精神科医の式場隆三郎が創刊に関った『東京タイマズ』に「原爆病患者の手記」の連載を始めると大いに話題になり、1948年、永井隆の『生命の河』がやはり式場隆三郎の経営する日比谷出版社から出版された。  『長崎の鐘』は、GHQ側から日本軍によるマニラ大虐殺の記録集である『マニラの悲劇』との合本とすることを条件に、昭和24年1月、同じく日比谷出版社から出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなった。  永井自身は、「なかなか出版してくれる出版社がなく、式場隆三郎氏などの尽力により出版にこぎつけた」と本書序文に書いている。   同年7月に同書をモチーフとした歌謡曲が発売されて大ヒットした。  

(出典:ウィキペディアより)

 

 

  作詞 サトウ ハチロー、作曲 古関 裕而

1、こよなく晴れた青空を
  悲しと思うせつなさよ
  うねりの波の人の世に
  はかなく生きる野の花よ
  なぐさめ はげまし 長崎の
  ああ 長崎の鐘が鳴る

2、召されて妻は天国へ
  別れてひとり旅立ちぬ
  かたみに残るロザリオの
  鎖に白きわが涙
  なぐさめ はげまし 長崎の
  ああ 長崎の鐘が鳴る

3、つぶやく雨のミサの音
  たたえる風の神の歌
  輝く胸の十字架に
  ほほえむ海の雲の色 

  なぐさめ はげまし 長崎の                          
  ああ 長崎の鐘が鳴る

4、こころの罪をうちあけて
  更け行く夜の月すみぬ
  貧しき家の柱にも
  気高く白きマリア様
  なぐさめ はげまし 長崎の
  ああ 長崎の鐘が鳴る