東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸焼⑤ 真塗りの土風炉(橋本三治郎作)

2010-04-11 12:31:17 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010280 私は茶道のことは全然わかりませんので、正直茶道具に関して書く資格はありません。しかし、今戸焼の製品を知る上で紹介させていただきます。

画像「は「紅鉢型土風炉」と呼ばれるもの。内側底に「對�貎斎」「橋本三治郎」という陶印があります。今戸神社(旧・今戸八幡)に残されている文政5年再建とある古い狛犬一対の基壇に奉納した今戸焼職人の名前がありますが、向かって右側の阿型の狛犬のほうに「當町火鉢屋中」の連名の中に「橋本三次郎」という名前があり、同じ家系なのではと思います。明治12年東京府勧業課発行「東京名工鑑」という本があり、その中にも「橋本三次郎」の名があります。「浅草区今戸町四十六番地  今戸焼工 橋本三次郎 三十三歳 / 所長 村雲焼 / 製造種類磨キ焼茶器 手爐 火鉢 七輪 火入 / 助工工人  弟子一人 /博覧会出品  内国博覧会へ村雲焼手爐火入及ヒ手焙 共ニ村雲焼 ヲ出シテ花紋賞牌ヲ受タリ /  開業及沿革  父三次郎ヨリ傳習シ二十一歳ノトキ相續シ 以来 風爐地板等ノ茶器ニ属スルモノハ逐年衰勢ニ傾クト雖モ其他ハ益盛況ニシテ維新前ニ比スレバ其製造高凡ソ五割ヲ増加セリ」 とあり、同じページに同じ住所に「今戸焼工 橋本徳次郎 五十二歳」「父三次郎ヨリ傳習シ二十八歳ニシテ父ノ業を續キ」とあるので兄弟のようです。 また「今戸町三十八番地」「今戸焼工  橋本松五郎 二十六歳」「村雲焼」とあり「父榮太郎ニ就テ十五歳ヨリ修シ」とあるので親戚でしょうか?

「橋本三次郎」という名前は世襲されていたようですが、今戸神社文政5年の狛犬の「三次郎」と明治12年に33歳の「三次郎」は親子でしょうか?記述では「21歳のとき三次郎を襲名した」とあるので襲名は明治元年ということになります。代々の三次郎の何代目かが、この土風炉の作者ということかと思うのですが、、。「今戸焼の村雲焼」とはどういうものか?

この土風炉には黒漆が施してあり、素焼き生地を那智石で磨いてから施漆したのか、或いは「黒磨き」にしてから施漆したものか、どうなのでしょう?漆の定着にはどちらが適するのかわかりません。もっとも今戸焼での土風炉製造の起源は京都の御用土風炉師「天下一宗四郎」が2代将軍秀忠に招かれて江戸に入って作ったものであり、真塗りの土風炉は京都が本場なのでしょうから、京都にまだ伝統が残っているのでしょう。

中に灰をならして、その上に炭火を入れるのでしょうが、表面に塗られた黒漆は焦げたりしないものなのか、、、。実際この品物には底や側面にヒビが入っているものの、焦げた形跡は観られません。不思議です。

土風炉の生地の製作者は「橋本三治郎」ではありますが、漆の仕上げまで一貫してひとりで行えるものなのか、別に漆工に仕上げを任せたものなのか。漆塗りって埃が禁物って言いますね。土いじりの工房って埃っぽいはずですよね、、、経験上鼻毛が伸びます。風炉師というのは、漆まで一貫した技術を持つ職人さんなのか?

こうした疑問も茶道について全くわからない私ゆえの事なだけ??? 

 

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今戸焼④ 胞衣(えな)器 

2010-04-11 10:42:47 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010275  胞衣壺とか胞衣桶など、出産の際に出た胎内の膜などを後産として収めて縁の下など土中に埋める風習があります。今戸焼で作られたものは画像のように皿形で成形後、中心に「壽」の印をキラ(雲母)で押します。皿型2枚を合わせて土中に埋めるそうです。東京都内の近世遺跡からもこうしたものは出土しています。昭和に入って、完全な壺型の器も登場して焼かれていたということです。昭和3年発行の「東京今戸焼同業組合」の「仲買渡シ相場表」にも「納器 一個 五銭五厘」と表示されています。

画像は光のため白っぽい土色に見えますが、実物はもう少し赤みを帯びています。


今戸焼③ 縁日鉢

2010-04-11 10:24:51 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010276 今戸焼の主力製品のひとつは植木鉢でした。植える植物の種類や用途によってさまざまな形状のものがあり、素焼きのもの、燻した瓦質のもの、ろくろによる爪挽きのもの、機械ろくろにシッタ、石膏型で成形するもの、板作りで作る四角いものなどさまざまです。画像は「縁日鉢」と呼ばれるもので、焙烙を少しだけ深くしたような、ごく平べったい形です。新年向けの植物、福寿草、などを植えて縁日の露店で売られたといいます。

これは機械ろくろによる成形でしょうか?撮影の光線のため、白っぽく見えますが、実物の土色はもっと赤みを帯びています。

縁日といえば、入谷の朝顔市、浅草観音様の四万六千日のほおずき市の植木鉢も今戸焼で作られていたようですが、時代の波で、プラスチック製のものに変わってしまいました。

菊の栽培用の鉢は、黒くいぶした瓦質のもの、蘭の栽培用のものは、根の通期性をよくするため、たくさんの空気穴をあけたものが作られたそうです。