3月に入りました。日々の雑事の追われて気がつかないことが多い中、春は着実に近づいています。昨日のご墓所参りで隅田公園には既に盛りの過ぎた紅白の梅の木々が見られたり、うちの町内の比較的人通りの少ない細道の梅の木や椿の木の間をたくさんの「めじろ」が飛び交っていました。まだグレイな地面にもぎざぎざのタンポポやタネツケバナの小さな葉っぱが放射線状に貼りついていました。雛まつり目前。これまでいくつかの今戸人形のお雛様やその周辺のお人形をとりあげてきましたが、ちょっと不思議な感じのものがしまってあったのに気がついてアップしてみました。
今戸焼の土人形のお雛様といえば、一番ポピュラーなものであったであろう「裃雛」です。伝世品として残っているもの、近世の遺跡から大量に出土する遺物の量から見ても、今戸人形のお雛さまを代表するものだと思います。以前にもスタンダードな裃雛をアップしていますが、今回のは感覚的にちょっと違う?ような気もするのです。構図としては裃雛そのものですがモデリングとしては前後の肉付けが厚く、ぼってりとした印象。男雛の顔がややたて長で首が埋まっているように太い。女雛のあご周りは特に丸みを帯びて「肝っ玉母さん」の故・京塚昌子さんをイメージしました。ガラ(土玉)は入っておらず振っても鳴りません。面描きの筆があまり延ばさずちょこっとしたタッチですが筆の穂先は鋭く、慣れた筆使いではあります。(尾張屋春吉翁のタッチにも似てはいるような、、。)でもこんな感じの面描きの裃雛は我が家にはこれ以外ありません。
ひとつ気がつくのは帯紐と櫛?の部分に使われている銀(アルミニウム粉)です。銀で思い出すのは今戸人形の流れを汲む千葉県飯岡の土人形。あまり見たり触れる機会の少ない人形ですが、かなり末期に近い飯岡人形の裃雛の図版では着物の群青色の上に、粒子のかなり細かい銀色の粉を叩きつけてあるのを記憶しています。飯岡の人形といえば、かなりダイナミックな筆使いで子供の描画にも通じる野趣にあふれた作風というイメージがありますが、実際のところ画像の裃雛は「飯岡人形」の初期に近いものなの?」「今戸人形」なのか?頭をひねっているところです。
また男雛の底には古い三越の値札(たて書き)が貼りついていて「♯9 壱號 拾参銭」と記されているので、土雛が大人の趣味家の収集対象となり、三越呉服店(または百貨店)の陳列会場で即売されていたものではないかと想像しています。お詳しい方にお教えいただきたいところです。
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