東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

撫牛と金縛り

2015-03-16 11:07:26 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

この撫牛はおそらく今戸のものではなくて、伏見、深草の辺りの産のものではないかと思っています。瓦質でできています。
日本全国に瓦質、土焼きに彩色、木彫りなどさまざまな撫牛がかつては作られていたと思います。お寺によくある「おびんづる様」「撫仏」などと同様神社の境内にもおおきな「撫牛」があり、願いを込めて撫でる(自分の体の問題のある部位を)と平癒するとか、牛であれば眉間に「梅鉢」だの「宝珠」だの「大黒様のレリーフ」があってそこを撫で擦りながら心願すれば幸せになれる。最近どこかの神社で付け焼刃のようなエイリアン風の招き猫が雨後の毒キノコのように出現していますが、上記の先例をぱくったものではないでしょうか。

撫牛も記録などでは大流行し、京都の伏見をはじめ各地で作られ、家内にお祀りして心願する。ということが各地にあったようです。
中でも有名なのは延享年間に伏見で起こったという撫牛製造者どうしの「本家争い」です。「保寿軒」という窯元と「木村虎悦」という製作者の間で争われ、それぞれ本物はうちのだ、まがい物に注意しろ、といったビラも配られていたとか、、。これに似ているのが嘉永5年の浅草寺境内(三社権現鳥居横)での「丸〆猫」の本家争い。近世遺跡から「丸〆」の陽刻のある招き猫と「本丸〆」のものとが出土されています。

さて、画像の撫牛に出会ったのは、まだ20代の頃、谷中、根津、千駄木界隈をときどき歩いていたある日、昔流れていた「藍染川」の跡である「へび道」から曲がって入っていったところに「古道具屋」があり中古の湯呑み茶碗だとかコップや花瓶、行火とかガラクタに混ざってこの牛があったのです。

お牛さまの鼻の部分穴が通っていますが、当時穴に凧糸のようなものが通してあり、その店の中では壁のフックに紐でぶる下げてあったんです。
面白いな、と思って値段を聞いたら「安い!」当時の物価でマックのチーズバーガーセットより安かったのですぐさま買い求めて帰りました。
偶然に手に入れたものでも新しく買った本とか、寝しなに枕元で読んだり、眺めたりしませんか?そうしていつの間にか眠りに入ったのです。
夜中に息苦しくで目を覚ますと、目は見えるが体が金縛り状態で身動きできない、声も出せない。すごく重いものの下敷きになっているように苦しい、、、、自分の布団の真上に大きな黒い牛が蹲っていて、私の顔を見つめているんです。牛さんの瞳って純粋で穢れのない澄んだ目ですよね。
その眼で私を見ているんですが、「モー」とも何も言わない、、。予期せぬことなんでびっくりして、、。そういう金縛り状態がその夜何度もありました。牛さんの背後にはエメラルドグリーンとバイオレット色の煙のようなものが渦巻いていました。

そういうことが何日かあって、牛さんが何か訴えているのではないか、、、そうだ鼻の穴に通してある凧糸が嫌なのかと思い、はさみで切りました。
それ以降夜中に姿を見せなくなりました。その後部屋の状況によっていろんな場所に移動させていましたが、ひどいことに一時、アトリエのイーゼルの横に置いていたこともあり、飛び散ったウルトラマリンの油絵の具が背中にくっついてしまったままでした。でも絵の具がくっついたと言って夜中に出てくることがありませんでした。固まった油絵の具は「ストリッパー」、という溶剤を塗って暫く置いてから拭き取ることはできるんですが、せっかく時代を経た質感をダメにしてしまうのも嫌だし、「痛い」といってまた布団の上に出てきやしないかと二の足を踏んでいました。(ストリッパーが肌につくとひりひり痛くなるんです。)
今のところ夜中に出てきません。もしかすると十五夜さんが一緒にいるから遠慮しているのかもしれません。





落語「今戸焼」より★

2015-03-16 10:04:18 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

以前、落語「今戸の狐」について採り上げましたが、もうひとつの演目である「今戸焼」についても触れてみたいと思います。

落語そのものについては、ただ笑って聴いているだけの私ですので、うんちくを披露するだけの知識もありません。話に登場する言葉の端だけについてだけ触れます。



この演目は八代目三笑亭可楽師匠所演のCDを聞いたのみですが、さらさらと実に淡々と噺されていますね。



タイトルの「今戸焼」は噺のサゲの「今戸焼の福助」に由来するばかりなのですが、そのひとことで通用するだけ、今戸の福助というものが聴き手に周知されていたのですね。それだけ身近なものとして知られていたのでしょう。



「役者の福助」は成駒屋・中村歌右衛門家の大切な名跡である「中村福助」です。歌右衛門家では福助の名跡を空けてはいけない、と言われているそうなので、5代目歌右衛門(4代目福助として明治の劇界で絶大な人気を得た)以来常に名跡を継いでいる人があったようです。 歌右衛門家では児太郎→福助→芝翫→歌右衛門という順繰りに襲名していきます。では噺に登場するのはどの福助さんか?



この噺には「吉右衛門」「宗十郎」という名前も出てきます。播磨屋・初代中村吉右衛門紀伊国屋・沢村宗十郎です。吉右衛門は六代目尾上菊五郎とともに下谷二長町の市村座で人気をあげた人なので時代は大正以降です。この時代の沢村宗十郎は帝国劇場の専属として売っていた7代目と考えられます。この人は今戸にあった料亭「有明楼」を経営していたことでも知られています。この七代目宗十郎が亡くなるのは昭和24年なので、大正~昭和24年の間の中村福助さん。2人います。



先年お亡くなりになられた6代目中村歌右衛門さんも昭和8年に福助を襲名されていますが、まだ年少でした。そのお兄さんの「慶ちゃん福助」と呼ばれて美貌で人気のあった5代目中村福助(本名を慶次郎といった)こそが、この噺に出てくる「役者の福助」でしょう。現在の中村芝翫さんのお父上です。



今戸焼の土人形の福助ですが、いろいろな種類がありました。「叶福助」という人形もあったのですが、一番ポピュラーだったのではないかと思われるのが、画像のようなお福さんと夫婦の福助さんです。長年神棚にお祀りされていたのでしょう。煤けて色や絵付けがわかりません。この夫婦のタイプは両手を膝に置いたポーズのものもあります。画像の福助さんは扇、お福さんは宝珠を手にしています。



落語の「今戸焼」はYouTubeに八代目三笑亭可楽師匠所演の映像があります。まだご覧になられていない方はどうぞ。



YouTube 八代目 三笑亭可楽「今戸焼」→

 




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