東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

乾也雛と○草雛

2015-03-03 21:19:29 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

今晩こそは「ひゐなの宵」ということになりますか。だいぶ前に「乾也雛と浅草雛」という記事をアップしたことがありました。
その続きということで記してみたいと思います。
最初の画像は当然ながら我が家の手持ちの人形ではありません。三浦乾也作の「室町風土雛」です。
モデリングもさることながら彩色の描き込み、、すごすぎます。展示のガラスケース越に撮ったものなのでちょっとぼやけていますが描き込みのすごさはおわかりになるかと思います。底にだったか背面にだったかへら彫りで記してあったかと思いますが、展示の仕方で廻って観ることができません。
これって型つくりなのか、完全に一品ものの手づくねのものなのかも触ってみないとわかりません。

2枚目の画像は手持ちの土雛で供箱。「深草雛」と記されています。上の乾也作の雛とは違いますが、雰囲気としては似た方向性のものではないかと思っています。一番眼につくのは台に描かれた「繧繝縁模様」(うんげんべりもよう=グラデーション風のたて縞模様)です。顔がお団子にちょこっと可愛い鼻をつけた様子も方向性としては近いと思います。今から4年か5年前、これの実物を見たくて、京都府総合資料館の「みかづきコレクション」蔵の同様の作の閲覧申請をして8月の末の京都へ一泊二日の強行軍で出かけたのです。更に遡ること今から30年くらい前だったか、玩具研究家の故・斉藤良輔さん監修だったかの「日本の人形」だったか「雛」だったか、新聞社から出版されたムック本があり、その中で郷土雛の東と西というテーマでカラー図版があって、その中に、この手の人形が「今戸人形」として紹介されていたこと。それが「みかづきコレクション」のものだということは後に藤田順子さんの「母と子のお雛様」だったか「お雛まつり」だったかに同じ画像で紹介されていたことで知りました。また「お人形は顔が命の吉徳さん」の先々代・山田徳兵衛さんの「人形百話」だったかによく似た人形の白黒画像があって「浅草雛」というものであることを知ったのです。京都まで閲覧に行った後、ほとんど同じつくりの現物が我が家に来たわけですが「深草雛」の箱書きがあって、「あれー?」という感じがするのですが、先の「繧繝縁模様」にしても乾也の雛とよく似たパターンなのはまったくの偶然ではないのだろうと考えています。「みかづきコレクション」にはしっかり「浅草雛」として登録されています。「浅」と「深」の一文字の違い。「かはらけは深い浅いの土で出来」という古い川柳がありますね。清水晴風の「雛百種」の中に浅草だったか江戸だったかの雛が含まれていて、この画像のに似た傾向のものだったような。そして以前アップしたことがある今戸人形の「一文雛」もお団子顔系です。
これら地下で何かしらつながっているのかどうかと思っています。せっかく我が家に来てくれたお雛様なので、いずれお手本として作ってみたいとうずうずしています。乾也作の「室町雛」に比べると地味にも見えますが、これでかなり描き込みのあるお雛さまです。

「乾也雛と浅草雛」→
今戸人形「一文雛」→
今戸人形「一文雛」(尾張屋春吉翁 作)→
今戸人形「一文雛と五人囃子」→