東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸 縁結びエイリアン招き猫のデザイン

2015-03-06 10:02:21 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)




上3枚の画像は昨日アップした記事からのものです。ここ今戸町内にある神社の境内に点在するオブジェやポスターが1枚目の画像の¥3000のエイリアン招き猫のプロモーションとしてリンクするよう導線が用意されていた、と考えたのですが、時間を置いてみて、どうしてこういう姿が生まれたのかな?という疑問が湧いてきました。

そのルーツは常滑の招き猫にあり、常滑の招き猫から生まれた2匹の兄弟。戦後型の豪徳寺の招き猫と戦後昭和30~40年代から「今戸焼」として作りはじめられた招き猫。人呼んで「常滑亜系今戸焼招き猫」。

戦後型常滑亜系「今戸焼」の招き猫は神社からの注文により2匹を合体させたものを白山さまの「縁結び」に引っ掛けて「縁結び猫」として昭和60年代から平成はじめにかけて売り出した。(昭和12年「今戸八幡」と亀岡町「白山神社」が合祀され「今戸神社」となる以前は「招き猫」も「縁結び」についても記録されたものは確認されていない。)2連にするという発想も焼き物の先進地である常滑の2連、3連の招き猫からインスピレート?(ぱくレート?)されたものとも考えられる。目の描き方は常滑を意識したものの十分似せて描ことができなかったのが、その後「今戸焼招き猫の特徴」となり、以後今戸町S家で産する招き猫にはすべてこの「常滑をもととする」目が描かれている。

しかし土人形の家内生産では、ご神職の望み通りの大量生産ができず絵馬や看板などは別に発注しなければならないので身内でデザインし直し(身内にお絵かきが好きな人間がいた。)ついでの授与用のの招き猫自体も品切れることのないように瀬戸(または中国)へ発注させた。しかし、鈴をリリアンで通して結ぶのは手間がかかり仕込みのコストが嵩むので型の彫りに戻した。新デザイン「エイリアン招き猫」が登場したのはいつごろからであろうか平成7~8年頃出版の招き猫関係図書には見当たらないので、その後「常滑亜系今戸焼縁結び招き猫」が地下鉄の中刷り広告で世間一般に知られるようになってからのことと推定される。新デザインのためにインスピレート?(ぱくレート?)されるソースとなった人気キャラクターがいくつか考えられる。

↑「ミッフィーちゃん。」(原作 ディック ブルーノ さん)(口鼻の×と両目の間隔に注目)

↑サンリオさんの大看板「ハロー キティーちゃん」(ヒゲに注目、両目の間隔にも)※なお、神社の縁結び円形絵馬のデザインには「おひなさま風」のもあり、画像の「キティーちゃんのおひなさま」からのインスピレート?(ぱくレート?)は少なからずあるように考えられる「他人のそら似」だろうか。なおキティーちゃんの仲間には黒い瞳の中に白ぬきのある子もいるようである。


↑そして「ニャース」(「ポケットモンスター」(株)ポケモンさん、(株)任天堂さん。(特に目)

↑そして「縞野はな」(ベネッセコーポレーションさん)(瞳の中の白抜き)

かくの如く、今戸の縁結び招き猫(エイリアン招き猫)はさまざまな品種の交配による莫大な労力と苦労の末生みだされた血と汗と涙の結晶であるということがわかり、感慨深いものがあります。

♪風の中のすーばるう~ 砂の中の銀河あ~ みんな何処へ行ったあ~ 見送られることもなくう~ ♪「プロジェクトX・挑戦者たち」

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