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今戸焼の人形にニスを塗らないのは今戸人形の王道だと思うのですが、明治から昭和戦前にかけてニスを塗った例外的作例もあって、それらについては原作に基づきそのように仕上げています。
寺島町で今戸焼の雑器を主に貯金の玉を作っていたという、高野安次郎という人(生没年不明)による招き猫の貯金玉は招き猫の形をした貯金玉の魁だったとして有坂与太郎の著述に記されています。この招き猫の場合、地の胡粉は残して墨や泥絵具の部分にニスを塗ってツヤを出しています。
今戸長昌寺のそばで焼き芋渡世の傍ら、口入稲荷の狐や鉄砲狐、おはらごもり、寒紅の丑などを作っていたという鈴木タツ(生没年不明)は各種貯金玉も作っていたと記されていたのですが、文献などにその貯金玉の画像がみられないので(或いは一部希少な文献に掲載されていたものかどうか?)どういう作行のものであったのか見当がつきませんでしたが、画像のようであったろうと最近思うようになりました。型は寺島からの抜き型でしょうか。全体をニスで塗ってあります。あぶ惣は今戸人形制作の旧家で「するがや惣三郎」という名前と「虻惣」という屋号が伝わっていたそうで、鈴木タツはその末裔だとか記されているのであぶ惣風と呼んでいます。型としては寺島の招き猫からの型取りのような感じに見えますが、寺島より彩色の手はより簡略化して、全体がニス塗りになっています。
いずれにしても、正面向きの招き猫は今戸としては明治以降、関西、中京地域の招き猫の東への進出の影響下で始まったものと思われます。今戸の古い招き猫は、丸〆猫(まるしめのねこ)のように横座りで顔だけ正面に向い招いているのが本来の姿のものです。