親友をようやく弔うことができた。従妹さんから太宰府の筑前国分寺に納骨されていることを教えていただき、1日、相方とお参りした。親友の死から7ヵ月経っていた。(今年亡くなったことを知ってから従妹さんに辿り着くまで時間を要した)
筑前国分寺は四王寺山(しおうじやま)の麓にあり、聖武天皇の詔によって全国に建立された国分寺の一つである。これまで金堂、経典を納めるための七重塔、講堂などの建物跡が見つかっており、現在、その一部を見ることができる。また、国分寺の本尊は薬師如来であり、今から1300年前、奈良時代の名僧・行基菩薩によって作られたもので、国の重要文化財に指定されている。
太宰府天満宮にはよく行っていたが、ここを訪れたのは初めてだった。友を弔った後、本堂(かつての金堂)そばの国分寺跡(七重塔跡)にしばし佇んでいた。目の前には四王寺山があり、見晴らしも良い。いつしか涙は消えて、不思議に心穏やかになっていた。人はいつかは死ぬ。歴史がそう諭してくれているように感じた。近くには、国分寺の屋根瓦を焼くために造られた国分瓦窯跡など史跡がいくつもある。またいつかお参りを兼ねて散策してみようと思う。友も「そうしたらいいよ」と言っているような気がする。
撮影日:2024.3.1
筑前国分寺
※国分寺の総本山は奈良の東大寺。筑前国分寺は大宰府が管轄した西海道(九州)の中では最も早く、756年までに完成したとみられています。
本堂(ここに金堂があった)
外門
筑前国分寺跡(ここに七重塔があった)
これまで金堂、講堂、七重塔、回廊など堂塔跡の遺跡調査が行われ、整備されている
史跡とロマンのまち、散策してみよう
《参考資料》
・日本遺産太宰府~古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点