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5月に息子が、飯能にあるカフェで 子どもたちと共にカブトの幼虫掘ってきた。

ちょうど、常緑樹の落ち葉が近所に多かったので
それらをわんとかき集めて裏庭に積み、精米で出た米ぬかと混ぜた所に
(炭素の落ち葉は、窒素の米糠と共にあると分解が早い)
幼虫を放しておいた。(放射性物質は安定化させている)

水を撒くくらいで、あとは放置していましたが
昨夜、路地の雨がえるでも見に行こうと玄関を出たら
黒々とひかる、雄かぶと虫がアパートの階段の下あたりに居た。

知らずに踏み潰される位置で、危なかった。
もしかしてどこかから飛んできた個体かもしれないが、
うちの周りには樹液の出る樹も、放り投げたモモの種も無く
今までカブトやくわがたが来たことはない。
また、羽にもうっすら土が付いていたので、
ちょうど羽化して羽も乾いて、外界に出たところかも。
匂いもよい。野性のかぶと虫の、濃い香り。

このカブト虫を、雨がえるの如く、そのまま外に放っておくか、
飼うかは少し迷うところもあるが、
・息子が飼いたがっている
・一応、うちで幼虫から育てたもの
・放しても、近所には雑木林は多くない
・数少ない樹液スポットは、子どもたちが来て結局飼われる
・まず少し飼ってから、放すかどうか決める

という訳で、今ひとつ屋根の下にいますが、

エサはバナナをつぶして水と塩少々を混ぜてビンに入れ、
外に置いたもの。発酵して香りと酸味とアルコールが湧き、
きっとかぶと虫の歓びそうなものになる。

はじめ、地面にいたのを捕ったとき、逃げる風でもなく
ずっとしっかりしがみついていたのも、
何となくうちの庭産のかぶと虫だと感じられた。

きっと、縄文時代から、日本人の子どもはこうやって
かぶと虫を腕にひっつけていたんだろう。

その頃は、かぶと虫の幼虫を食べていたかもしれないし
サナギは珍味、というところだろうか。

こんなこと書くと、読者が激減するおそれがあるが、
成りたてのサナギは、中がとろとろで
あたかも生卵の黄身のようだろうから(想像)、
炊きたてのご飯にサナギをかき混ぜて、醤油をたらしたら
もしかすると、卵より数段うまいかもしれぬ。
やらないけど。
かぶと虫の幼虫は、落ち葉、というかその菌糸のようなものを食べていて
それ自体が森の芳香なので、サナギも臭みは無いだろうが
森のエッセンスは凝縮されて、えもいわれぬ味香をはらんでいよう。
最高のもてなし料理?

雨がえるやメダカは、田んぼがあることで爆発的に殖える、
人の営みとセットのようなところがある。
かぶと虫も同じく、人が落ち葉や残飯を放って積んでおいて
窒素など栄養の多いところを産卵にも選びやすいし、
そこで大きく育つ。

本来は人手の入らない山に住む、熊や鹿、猿やイノシシとは異なり、
アゲハ蝶、かぶと虫、雨がえる、メダカ、どじょうたちは
人の暮らしと共に生きるメンバーといってもよい。
その割りに、現在はそれたちが安心して棲める環境は減っている。

環境は、ソフトではなく、まずハード(かたち、見た目)が大切と思う。

直線で、三面舗装された川の水が、何らかの仕掛けによって
きらきらに透き通った水であろうとも、そこに情緒は少ないが

水質的に汚いとしても、自然に蛇行して、石などの自然物を積んだ護岸や
周りにヨシやガマが生い茂って、木の橋、手漕ぎの木船(または葦舟)が浮かんでいれば
黒澤明の映画にそのまま使えそうな趣きがあるし、
そのかたちが心をすすめて、実際に水質汚染の原因からの見直し、取り組みがはじまり
川は器も中身も、本来の美しいすがたを表すでしょう。

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