新聞・雑誌の掲載用や講習会のレジュメに用いる
ふろしきの結び方のイラストは、
たいてい、その都度1から手描きで
作成しています。
使いまわしをすれば
どれだけ時間の節約になるか
知れませんが、
今日こそが自分史上もっとも
進化していてほしいという
願いもあるのか、苦労性かも
しれないけれど、
直線や説明文までほぼ直筆です。
パソコンのラインやフォントを使えば
確かにもっと綺麗に見やすくは
なるでしょう。でも、
つかい方を分かりやすく説明する
=つかいたくなる、ってわけでも
ありません。
伝えたものを受けとる相手が、
受けとりたい!とつよく思うかどうか。
それには、どこか胸うつところが必要です。
表面的な完成度とは違う、ちょっとした
さじ加減に宿る、真の思い。
微妙な加減は、テーマやコンセプトによる
大ざっぱな間に合わせ編集では
削ぎ落とされる部分。
いきものとして、手脚の勝手に
うごいた結果に表出される、
言葉にしづらいまなざしとか
偶然に発生したたたずまい。
さように四の五の言いながらも、
今つくり中の、あたらしい本のために
よりいっそう心して描くイラストが完成したら、
その原画を使いまわしながら、目的に
あわせてアレンジするような
効率化くらいはするかもしれない。
さて、きょうは日系人向けの動画教材の
撮影へ出かけます。
8時に家を出るのに、ただ今(7:40現在)は
海ぱん一丁(部屋着)で、着物も風呂敷もこれから準備。
ふろしきは、事前の準備がなくてもその場でむすんで解決
できるので、生き方もそうなりました。
否、もともとそういう生き方だから、風呂敷と共鳴したのでしょう。
最近出会ったことば。
「私は、スランプと言う現象は有り得ないと
思う。スランプと言うのは、過去の自分を肯定
するから起きるのだ。今の自分に満足して
いなければ、スランプは起きない」
甲野善紀
過去の成功体験を再現しようとし、
方法論や表層を真似ると微細なるさじ加減が
喪失することで再現だに不能となるのが、
一般的なスランプなのだろう。
自分の場合、上手くやれなかったあの時も、
絵にならない日常も、未来への自然な変化も、
その時時の必然として起こると捉え、
自分とともに、答えも日々変わってゆくと
考えている。
前もって目指すべき答えを知らないから、
スランプは存在できない。
悩む人がいるなら、
「スランプは、過去の成功など偶然のゴミで、
きみならもっと上をめざせるというエール」
と捉えてほしい。