ふろしき王子のブログ◎
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「持っていないように持ち、背負っていないように背負う」

肩が力んでいて、緊張し、しんどそうに頑張っているような
荷物の持ち方や背負い方では、長つづきしないし、無理をかけて
不調やからだの歪みを起こしたり、風呂敷は不便という認識に
つながったりしてしまいます。

肩の力を抜いて、土台(重心)が低く安定すれば
何事も全身運動的に負荷が分散され、単に
自分の体重がふえただけの状態になります。
そのように持ち、背負うことができれば、
実際の荷物を見ない限り、他のからだの部分や
顔の表情を見ても何も持っていないように見えます。

こういう状態で風呂敷をつかえれば、
風呂敷を通して自分の身体のつかい方も
向上し、それは、風呂敷をつかうときに限らず、
暮らしのあらゆる場面における心地よさに
つながっていきます。
きっと、これはどんなことでも、身体の声を
聴きながら向き合っていけば、
自分のやっていることを通して身体を知り、
それは一生かけて探究できる際限のない深さを
もっているものでしょう。

疲れない身体のつかい方をめざしてゆくことは、
宝物としてのからだを大切にすることにもなります。
逆に、疲れるということは、間違っているともいえます。
つかれない身体のつかい方に、こころを尽くす。

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「包みや袋は、無闇にゆらさずに持ちあるく」

ようやく、真に作法ぽくなってきたような。

ウォーキングのように腕を振っては、包みや袋も揺さぶられて、
中身がずれたり動いたりぶつかってしまい、お菓子はひっくり返ってつぶれ、
寝ていたハムスターは目覚めて激怒しますので、
柳腰でするすると、摺り足のごとく歩くのが向いています。

日本人の古来からのナンバ歩きや忍者走りが、まさに
腕を振らず腰をひねらない、身体にも荷物にもやさしい
身のこなしとなります。

ナンバ歩きは、右手と右足を一緒に出すというのは
誤った認識です。盆踊りのように右手を突き出すなら、
腰をひねらないために右足も出すようにはなりますが、
単に歩くならば、そもそも腕を振る必要はなく、
下半身だけで歩くようなものなので、
上半身は停まっていてもよいし、剣を振ったり
手裏剣を打つなど、好きに動かすことができます。

そういうわけで、自然体ながら手を停めておけるので、
持った荷物も縦揺れせず、慣れればケーキの入った紙袋を持って
突っ走っても中身は安泰ということもできます。

風呂敷は、羽織や帽子、ウエストポーチに巻きスカートなど
身につける技もたくさんありますが、元々は
物をつつみ、運ぶ用途が多かったでしょうから、
その役目をきちんと果たすためにも、つきづきしき
持ち方、歩き方、走り方をして、確実に丁寧に
物をつつみはこびましょう。

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「限られた枚数を使い回す」

コレクションのようにずっと保存しておくのも
もちろんありでしょうが、
やはり使いながらの風合いの変化や修繕による
時間の厚みのようなものも、たのしめたらと思います。
風呂敷は、使い方を限定するものではないので、
さっきまで買いもの袋だったものを肌寒いので
羽織に結び変えたり、その後は大荷物を背負い、
帰宅したら布団の足しの肌掛けにするような
多目的な七変化も醍醐味です。

大(約100cm幅)1枚、
小(約50cm幅)1枚の合計2枚あるだけで、
お出かけでも旅でも無敵度が35%。
大2枚、中(約70cm幅)1枚、小3枚もあったら
無敵度合い85%になるでしょう。

大と小による合わせ技や、足りないときに小を斜め折りして
つなぐということもあるので、
両サイズを携えてあると鬼に金棒、人に風呂敷です。

洗っている間に使う予備も要るかとは思いますが、
ふろしきは、水で手洗いすればだいたい綺麗になりますので、
それを絞って干しておけば、寝ているうちに乾きますし、
大きく汚れなければ、あまり頻繁に洗いすぎると生地が傷みます。
強い洗剤は厳禁。素手で触れないようなものは
はじめから使うべきではありません。

ともあれ、サイズ違いで数枚あれば、その使い回しや
合わせ技コンボにより、あらゆる機能をすずやかに
果たすことができます。
タンスの肥やしにするよりは、いつもよく使って、
使いながらコレクションでよいと思います。

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「触りここち(皮膚感覚)を大切にする」

たしかに風呂敷は、結び方以上に見た目の色や柄によって
印象が左右されるので、
可愛い布であればシンプルなお弁当包みでもかわいいと思われるし、
どんなに凝った結び方でも、唐草模様だと泥棒といわれたりします、笑。
でも、本当に長く愛用されていく風呂敷は、見た目の好きも大きいですが、
もっと影響するのは皮膚感覚、さわり心地、テクスチャーの部分です。

生きものとしての皮膚にとって、蒸れないというのは重要なので、
麻>絹>綿>化繊 のように、からだにとっての喜び度が変わります。
また、天然素材であっても、加工が少ないほど隙間が多く多孔質で、
片付いた部屋や洗い立てのタオルのような心地よさにつながるので、
見た目ばかり重視して華やかなプリント柄に一喜一憂しすぎることなく、
自分の肌にとってどうなのかを、感じてえらんでゆくと、
たとえ汚れたり穴があいたりしても直してずっと使いつづけたくなるような
すてきな風呂敷になります。

めをとじて、指先でなぞることで生地を選んでみるという視点も取り入れ、
手が放したくない、ずっと持っていたいと感じるものが運命のいちまいになるでしょう。

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「都度、こまめに、使いここちよい形に調整をする」

レシピ通りに結んだからそのまま役立つ、とは限りません。
たとえば、袋状にしたときの持ち手の長さが、ちょっと長い/短いというときに
結び目の大きさを変えることで取っ手を伸ばしたり縮めたりできるので、
そうやって自分自身のからだにとって使いやすい状態に整えることができます。

また、使いはじめはちょうどよくても、だんだん中身の重さなどで
持ち手の布が伸びて、長すぎに変化することもあります。
結び目が緩むこともあります。
行きはげんきだから片手で持って行けたが、帰りは疲れたから
背負ったり斜めがけにしよう、ということもできます。

風呂敷は、使い方の決まった道具ではなく、いちからいかようにも
生み出せる材料なので、ちっとも我慢が要りません。
少しでも不便を感じたら、改良すべく結び直すことで、
ずっといい感じでいくことができます。

ちょっとしたさじ加減が天地の差を生みますし、
見映えのよい結び方でも、自分にとって使いやすいかどうかは
別の話です。
同じ重さでも、持つ人の体力や持ち方、身体のつかい方によって
しんどかったり軽快だったりと、千差万別です。
それでも、いつも風呂敷をつかっていると、それに合った
からだの使い方なり筋肉ができてくるので、
だんだん身体化してきます。そうなれば、
別段凝った結び方をせずにシンプルなお弁当の結び方だけでも、
自分のからだとの組み合わせによって、まことに結構な
存在となります。

この時代、テンポよく分かりやすいハウツー動画を簡単に
検索できますが、誰かがたまたま紹介したかった結びを
再現しようととらわれることなく、
愚直な独習で、布とコミュニケーションをとりながら
自己流にひも解いていく、そういう人がふえたほうが
世の中たのしくなるし、文化や技術としての深さが生まれるでしょう。

風呂敷をつかうのが目的ではなく、
自分のからだをより便利につかいこなすための
拡張&形状記憶オプションですので、
必要がなければ、ただ手でつかんで運べばよいし、
荷物が多ければ、誰かと手分けすればよい。
とにかく、無駄な無理や我慢をせず、ここちよく物事を
はこんでゆくために、自分の手足の分身として
風呂敷を役立てたらよいと思っています。

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