沖縄タイムス2024/06/13
大阪の国立民族学博物館(民博)が、保管する沖縄の厨子甕(ずしがめ)や骨つぼ計15点について、求めに応じて返還することを決めた。
ガイドラインを策定し「厨子甕等の承継者は、祖先の祭祀(さいし)を主宰すべき者に帰属する」との考え方を示したのだ。
収集した文化財や副葬品を故郷へ、との動きが世界中で広がっている。一つでも多く、本来の所有者の元に返ることを願う。
民博が保管するのは、洗骨後の遺骨を納める厨子甕9点と骨つぼ6点。学術研究を目的に1970年代半ばに購入、または寄贈を受けたものだ。沖縄での人生儀礼に関係する貴重な文化遺産として保管してきたという。
厨子甕には被葬者の名や死去・洗骨の年月日が記された「銘書」があり、主に近世琉球から明治期にかけてのものであることが分かる。
ただどのような経緯をたどって、沖縄から本土に渡ったのかは定かではない。
市民団体ニライ・カナイぬ会は「果たして子孫や遺族の許可を取ったものなのか」と疑問を呈し、これまで返還要請を続けてきた。
民博ではガイドラインに従い調査を実施するとともに、返還希望者が正当な「祭祀承継者」と確認できた場合、返還に同意する。既に調査によって厨子甕1点の所有者が判明している。
沖縄独特の葬法や文化を示す大切なものだが、今となっては、その存在さえ知らない子孫が多いのではないか。
調査に当たっては沖縄側に積極的に情報を発信し、返還促進に努めてもらいたい。
沖縄から県外・海外に持ち出された美術工芸品や歴史的史料などの文化財は相当な数に上るとみられている。
つい最近、79年の時を経て沖縄に帰ってきた琉球国王の肖像画「御後絵(おごえ)」もその一つ。
沖縄戦の混乱で行方が分からなくなっていたが、米ボストン近郊の住宅で見つかった。
戦利品だったのだろうか。退役軍人の家の屋根裏部屋に隠されていたという。
県内に実物が1点も残っていなかっただけに、文化史的意義の大きい発見だった。
戦利品として持ち帰った文化財を元の場所に返還するのも国際的な流れである。
他方、昭和初期に旧京都帝国大学(京都大)の研究者が、今帰仁村の「百按司墓(むむじゃなばか)」から持ち出した遺骨の返還はいまだ進まない。
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それぞれ中身も性格も違うが、共通するのは植民地主義や帝国主義を背景に持ち去られたものが多いということだ。差別意識も深く関わっている。
県内では琉球王国が19世紀半ばに締結した琉米、琉仏、琉蘭の3修好条約の原本返還を求める声も強い。
琉球処分の後、明治政府に取り上げられ、今は東京の外交史料館にある。
文化財は誰のものなのか。本来、あるべき場所へ返すのが道理である。
来年は戦後80年。民博の動きを契機に、散逸した文化財の返還運動を加速させたい。
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