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「盗んだものは謝って返す、なぜできない」琉球人の遺骨や厨子甕、返還手続きに透ける学者の低い倫理観

2024-07-07 | ウチナー・沖縄

東京新聞 2024年7月6日 12時00分

 琉球人の祖先祭祀(さいし)にとって重要な沖縄伝統の骨つぼ「厨子甕(ずしがめ)」を所蔵する国立民族学博物館(民博、大阪府)が、本来あるべき場所に戻すための手続きに入った。返還先の募集を始めるなど一歩前進したが、墓から奪い取ったことへの謝罪はなく、誰に返すかの決定権は琉球人側にない。アイヌ民族への対応を含め、今なお影を落とす植民地主義史観について改めて考えた。(木原育子)

◆「盗掘品は元の場所に戻すのが世界の潮流」

「琉球人は遺骨や厨子甕を大切にしてきた。研究者が墓を荒らし、墓から引き離した暴挙は許されない。まずは謝罪があって然るべきだ」。龍谷大の松島泰勝教授(琉球先住民族論)が語気を強めた。松島氏は世界に散逸した琉球人の遺骨や副葬品の返還運動をしており、京都大で保管中の遺骨26体の返還を求めた訴訟の原告団長でもある。

 昨年4月、松島氏が日本文化人類学会のシンポジウムで、人類学者らによる琉球人の遺骨や副葬品の盗掘について話したところ、講演後、民博の職員が、厨子甕などを保管していると告白。計15点ほどの所蔵が表面化した。

 同7月には、松島氏が民博の収蔵庫に入り、「ウートゥウートゥした(祈りをささげた)」。「あまりに低い倫理観に怒りが込み上げたが、返還運動は脱植民地化の実践につながる。世界の大きな潮流で、盗掘品は元の場所に戻されなければならない」と憤る松島氏。同8月、松島氏が共同代表を務め、遺骨の返還運動をする市民団体「ニライ・カナイぬ会」名で民博に返還の要請文を出した。

◆正当な祭祀承継者か、判断するのは博物館側

 これを受け民博が今年5月、返還プロセスを公表。ただ「正当な権利を有する祭祀承継者であることを確認できる書類の提出」が必要で、民博が正当か否かを判断する仕組みだった。

国立民族学博物館の収蔵庫にあった厨子甕など=松島泰勝教授提供

 「ニライ・カナイぬ会」共同代表の仲村涼子氏は「関係性を証明できる家譜などの書類は沖縄戦で焼けて失われた場合もある。正当な子孫や祭祀継承者かどうかをジャッジするのがヤマトンチュ側というのは解せない」としつつ、「ただ、返還訴訟で遺骨返還を突っぱねた京都大の姿勢よりはまだいい。博物館側が真摯(しんし)に対応する機会になる」と指摘する。

 民博は「こちら特報部」の取材に「祭祀承継者であるかどうかを判断するのは祭祀承継者とその関係者の方々で、本館はその正当性の確認を行うことになる」と批判をかわしつつ、「(文書消失の場合は)口承による伝承を重要な資料として調査対象にする」とコメントした。

 本来の所有者である琉球人側に最終的な意思決定を委ねず、謝罪もしない手法は、国が決めたアイヌ民族の遺骨返還の方針に重なる。アイヌ民族の遺骨返還運動に取り組む木村二三夫氏(75)=北海道平取町=は「盗んだものは謝って返す。実にシンプルなことがなぜできないのか。アイヌ民族や琉球人の問題ではなく、和人やヤマトンチュこそ問題にしなければならない話だ」と訴える。

◆植民地主義史観から脱却できていない

 民博の「標本資料目録データベース」で検索すると「厨子甕」が11件、「骨つぼ」が3件出てくる。「民族」分類項目はいずれも「琉球」ではなく「日本」と記載されていた点も、松島氏らは問題視する。民博は「データベース更新作業と合わせ、年度内の更新を予定」と説明するが、この点でも謝罪はない。

 昨年7月、世界最大の米国人類学会の遺骨に関する委員会が日本を訪れ、琉球人やアイヌ民族への聞き取りを実施。同会は「日本の人類学者は非常に低い倫理規範で研究してきたのではないか」と批判した。

 松島氏は言う。「謝罪もなく形だけ返還する姿勢は、植民地主義史観から脱却できていないことを意味する。世界の笑いものだ」

https://www.tokyo-np.co.jp/article/338159


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民博、盗掘市場を担う 返還は脱植民地化の実践 松島泰勝<奪われた遺骨、副葬品 今も続く植民地主義>中

2024-06-20 | ウチナー・沖縄

琉球新報公開日時 2024年06月19日 11:22

更新日時 2024年06月19日 11:23

国立民族学博物館が保管している厨子甕のひとつ

 大阪府吹田市にある国立民族学博物館(民博)「標本資料目録データベース」で「沖縄」を入力すると1327件がヒットした。標本名「遺骨入れ容器」14件中、「厨子甕(ずしがめ)」(全て蓋(ふた)付き)が11件、「骨壷」が3件であり、その全てが1975年に受け入れと記載されている。また「民族」分類項目には、他の「沖縄県」の標本と同じく「日本・Japan」と記載されている。アイヌの「民族」分類項目は「アイヌ・Ainu」と書かれている。

 通常、厨子甕の蓋には、次のように死者に関する記憶、歴史が記されている。「調べると若い女性骨と当歳位の小児骨とを合葬せるものである。骨質はやや脆いが、形は完全である。蓋の裏面には『道光三(1823年※松島注)、十一月、父比嘉』等の墨書が見える。骨を行嚢(こうのう)に納めて進む。その祟(たた)りであろうか、これより雨はようやく激しく、山道は滑りがちでなかなかの難路となる」(金関丈夫『琉球民俗誌』法政大学出版局、1978年)。

 これは1929年に京都帝国大学の金関丈夫が、中城城の近傍で葬られた厨子甕から比嘉さん母子の遺骨を盗んだ時の模様である。厨子甕蓋の墨書により遺骨の身元が確定される。厨子甕から切り離された遺骨は、誰で、いつ、どこで死亡したのかが分からなくなる。遺骨と厨子甕とは一体として琉球人の存在、記憶を次世代に引き継ぎ、死後も清明祭等を通じて先祖と子孫との関係が継続される。厨子甕と遺骨とが切り離されることは、琉球人のジェネアロジー(系譜)が切断されることを意味する。

盗掘物の可能性

 琉球人は墓、遺骨、厨子甕を大切にするため、その収集は非常に困難である。盗掘や、窃盗物の購入を通じてそれらが入手されてきた。民博は、厨子甕や骨壺を「復帰」直後に「文化財コレクター」から購入したが、その収集プロセス、遺族の同意を得たのかどうかについては把握していないと私に説明した。「墓荒らし」が横行した時期に厨子甕等を民博が収蔵したことを考えると、これらは盗掘物である可能性が高い。民博は窃盗物の購入により、盗掘行為に加担したことになる。なぜなら盗掘品の市場が形成され、その需要者側に大学や博物館が存在するという「文化収奪の構造」の一角を民博が占めているからである。

 また民博は、琉球人を「日本民族」として分類、定義しており、これは「アイデンティティ搾取」の問題である。琉球人の民族的属性を国立の研究機関が決定することは、植民地主義的な政治介入である。国際法のILO169号条約のように、民族的アイデンティティは他者によってではなく、当事者自身の自覚に基づいて形成されるという国際的な了解がある。どのような文化人類学的研究に基づいて琉球人を「日本民族」として分類、定義したのかを説明する社会的責任が民博にはある。民族の定義を他律的に人類学者が決定できるとする学術的な根拠とは何であろうか。私はこれらの疑問への回答を民博に求めたが、無視されたままである。

 2023年9月、「琉球民族遺骨返還請求訴訟」の大阪高裁判決が出された。日本の国家機関として初めて「琉球民族が先住民族であること」、「日本帝国による琉球の植民地支配の歴史」を事実認定した。これには法的拘束力がある。22年7月、国連欧州本部で開催された「先住民族の権利に関する専門家機構」の会議において、日本政府代表は、琉球の「PFAS(有機フッ素化合物)問題について政府として適切な措置をとっている」と虚偽の発言をした。また政府が認める国内に居住する先住民族はアイヌ民族だけであると強弁した。しかし今後、同様な見解を述べたら、日本政府は国際法だけでなく国内法にも違反することになる。

 23年1月、国連人権理事会において日本の人権状況に関する「普遍的定期的審査」が行われた。同会議においてロシア連邦政府の代表は、日本の北部や南部に住むアイヌ、琉球民族などの民族的マイノリティが受けている広範な差別を含む、民族的少数者の権利に関わる多くの問題に関して日本政府に次のような提案を行った。民族的マイノリティに対するあらゆる形態の差別を駆逐するための広範な立法的、具体的措置を実施すること。そして自由を奪われた人々の権利を擁護する制度を引き続き擁護すること。

 1996年以来現在まで琉球人は国連の先住民族関連の会議に参加し、国連の人種差別撤廃委員会や自由権規約委員会は、日本政府に対して琉球人を先住民族として認めるよう何度も勧告をしてきた。同様に、ロシア連邦政府も琉球人が先住民族であることを認めているのである。琉球併合以来、日本政府は琉球を145年間も植民地支配し、今でも米軍基地を強制するなどして琉球人の人権を蹂躙(じゅうりん)している。日本政府は琉球併合を未だに謝罪、賠償せず、植民地支配をしており、「ロシアのウクライナ侵攻」は「他人事」ではないのである。

大きな潮流

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https://ryukyushimpo.jp/news/culture/entry-3210868.html


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研究者が「墓荒らし」 謝罪と盗掘品の返還を 松島泰勝<奪われた遺骨、副葬品 今も続く植民地主義>上

2024-06-19 | ウチナー・沖縄

琉球新報 公開日時 2024年06月18日 14:09

浦添ようどれ近くにある伊波普猷の墓。

 2024年4月、日本文化人類学会はアイヌ民族に対する過去の研究姿勢を反省する「謝罪声明」を発表した。しかし謝罪すべきなのは、アイヌ民族だけでなく、琉球民族もその対象になるのではないか。「復帰」(1972年)前後、日本資本による琉球の土地や経済の収奪が広く見られた。同時に次のような「研究者による墓荒らし」が島々で問題になっていた。

伊波普猷の墓も

 「最近、墓荒らしの被害がつづいているのは、宮古島、石垣島、久高島、西表島などの、いわゆる民俗学資料の宝庫といわれる島々(中略)およそ三年ばかり前から、本土の大学や民間の研究者が、沖縄の島々にどっと乗込んだ。珍しい生活様式、文化遺産は、一つ一つが貴重な研究資料になった。(中略)つい八月にも、沖縄民俗学の父といわれる故伊波普猷の浦添城跡にある墓があばかれる事件があったが、故伊波も最近のとんでもない民芸、民具ブームを嘆いておられることだろう。(中略)(伊波普猷の※松島注)お骨は草むらに捨てられツボが盗まれた」(「横行する墓荒らし」『サンデーおきなわ』1971年11月20日号)遺骨は別の厨子甕(ずしがめ)に入れられ現在は墓の中にある。

 琉球人は遺骨、厨子甕を大切にするため、それを研究者が収集することは非常に困難である。それらを入手するため、盗掘や窃盗物の購入が行われた。遺骨、厨子甕を墓から引き離し、遺骨と厨子甕を分離し、博物館で保管、展示、研究するという行為は、「生まれ島」と琉球人との繋(つな)がりを切断することになる。「沖縄学の父」と呼ばれた伊波普猷の骨壺も盗掘の対象になった。1904年に東京帝国大学の鳥居龍蔵が中城城から琉球人遺骨を盗掘した際、伊波が鳥居の案内役となった。

先島、与那国も

 宮古島でも墓から副葬品が奪われた。「四百年も前に宮古を統一した仲宗根豊見親の墓と隣接する仲宗根家の一族を葬った門中墓(いずれも県重要文化財)が、今年二月から三月にかけて、また久松の松原ブサギ、池間島の島主の墓など、いずれも古いものがつぎつぎに荒らされ、多くの副葬品が盗まれているという。最近の傾向だと、この墓荒らしは平良市だけでなく、城辺町や下地町の来間島、伊良部村、多良間村など宮古全域にわたってひん発。新しいコンクリートの強固なものを除く古い墓という墓はかたっぱしから掘りかえされて被害にあっている。ネライはもちろん中にある副葬品とツボなどの焼き物、南方や中国渡来の古い物、地元独特の焼き物などが多く、ほとんどが島外に持ち出され、鹿児島県でも売りに出されているともいわれる」(『琉球新報』1974年7月15日)

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https://ryukyushimpo.jp/news/culture/entry-3207257.html


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<言葉の現在地2024>市井の営み、沖縄映す鏡 県民の半生を編んだ「沖縄の生活史」

2024-06-18 | ウチナー・沖縄

会員限定記事

北海道新聞2024年6月17日 10:42(6月17日 10:44更新)

「沖縄の生活史」みすず書房刊4950円

 その本は、ずしりと重い。上下2段組みで880ページ。5.5センチの厚みがある。昨年5月にみすず書房から出た「沖縄の生活史」。地元紙・沖縄タイムスの2022年の連載企画を1冊の本に仕上げた。100人の聞き手が聞いた100人の語り手の聞き書き集だ。県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦とその後27年間続く米国による統治、日本復帰後も続く米軍基地と隣り合う暮らし…。そんな沖縄ならではの歴史を背景にしつつも、記録されたのは百人百様の生活のきめ細やかでみずみずしい言葉の数々だ。沖縄を訪れ、何人かに会いに行った。(編集委員 関口裕士)

■100人が語り100人が聞いた 

 1972年の復帰から50年に合わせた企画。一般公募に手を挙げた100人が両親や祖父母、親戚、友人、知人から話し手を選び、半生を聞き取った。聞き手が約1万字にまとめた原稿は22年5~12月、1人分を上下2回で連載した。現・政経部長の福元大輔記者(46)が企画し、岸政彦・京大教授(56)=社会学=と石原昌家・沖縄国際大名誉教授(83)=平和学=が監修した。

■それぞれの「復帰」

 名護市在住の比嘉(ひが)チハルさん(45)は父親に話を聞いた。テレビディレクターで普段は「物語のある人」を取材することが多い。口数が少なく趣味もなく、建築関係やタクシー運転手など仕事を転々とし、ただ家族のために働いてきたように見える父は「普通すぎて、語るものがないみたいに自分の中で決めつけていた」。でも、父の子ども時代の話などを聞いて「父の人生に、こんな豊かな物語があったんだと発見がありました」。

 掲載後、父は今の勤務先の警備会社の同僚から見たよと声をかけられたという。親戚は大量に新聞を買ってみんなに配った。「脚光を浴びるとかって、人生の中でそんなになかったと思う。うれしそうな父を見て、やって良かったなと思いました」

・・・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1025625/


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[社説]民博 厨子甕返還 「本来の地」への契機に

2024-06-13 | ウチナー・沖縄

沖縄タイムス2024/06/13

大阪の国立民族学博物館(民博)が、保管する沖縄の厨子甕(ずしがめ)や骨つぼ計15点について、求めに応じて返還することを決めた。

 ガイドラインを策定し「厨子甕等の承継者は、祖先の祭祀(さいし)を主宰すべき者に帰属する」との考え方を示したのだ。

 収集した文化財や副葬品を故郷へ、との動きが世界中で広がっている。一つでも多く、本来の所有者の元に返ることを願う。

 民博が保管するのは、洗骨後の遺骨を納める厨子甕9点と骨つぼ6点。学術研究を目的に1970年代半ばに購入、または寄贈を受けたものだ。沖縄での人生儀礼に関係する貴重な文化遺産として保管してきたという。

 厨子甕には被葬者の名や死去・洗骨の年月日が記された「銘書」があり、主に近世琉球から明治期にかけてのものであることが分かる。

 ただどのような経緯をたどって、沖縄から本土に渡ったのかは定かではない。

 市民団体ニライ・カナイぬ会は「果たして子孫や遺族の許可を取ったものなのか」と疑問を呈し、これまで返還要請を続けてきた。

 民博ではガイドラインに従い調査を実施するとともに、返還希望者が正当な「祭祀承継者」と確認できた場合、返還に同意する。既に調査によって厨子甕1点の所有者が判明している。

 沖縄独特の葬法や文化を示す大切なものだが、今となっては、その存在さえ知らない子孫が多いのではないか。

 調査に当たっては沖縄側に積極的に情報を発信し、返還促進に努めてもらいたい。

 沖縄から県外・海外に持ち出された美術工芸品や歴史的史料などの文化財は相当な数に上るとみられている。

 つい最近、79年の時を経て沖縄に帰ってきた琉球国王の肖像画「御後絵(おごえ)」もその一つ。

 沖縄戦の混乱で行方が分からなくなっていたが、米ボストン近郊の住宅で見つかった。

 戦利品だったのだろうか。退役軍人の家の屋根裏部屋に隠されていたという。

 県内に実物が1点も残っていなかっただけに、文化史的意義の大きい発見だった。

 戦利品として持ち帰った文化財を元の場所に返還するのも国際的な流れである。

 他方、昭和初期に旧京都帝国大学(京都大)の研究者が、今帰仁村の「百按司墓(むむじゃなばか)」から持ち出した遺骨の返還はいまだ進まない。 

■    ■

 それぞれ中身も性格も違うが、共通するのは植民地主義や帝国主義を背景に持ち去られたものが多いということだ。差別意識も深く関わっている。

 県内では琉球王国が19世紀半ばに締結した琉米、琉仏、琉蘭の3修好条約の原本返還を求める声も強い。

琉球処分の後、明治政府に取り上げられ、今は東京の外交史料館にある。

 文化財は誰のものなのか。本来、あるべき場所へ返すのが道理である。

 来年は戦後80年。民博の動きを契機に、散逸した文化財の返還運動を加速させたい。

https://nordot.app/1173700699490762948?c=768367547562557440


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沖縄戦など犠牲者の名を刻む「平和の礎」 181人を追加刻銘へ 総数24万2225人に 糸満市摩文仁

2024-06-01 | ウチナー・沖縄

沖縄タイムス2024/05/31

 沖縄県は31日、沖縄戦などで犠牲になった人たちの名前を刻む糸満市摩文仁の「平和の礎」に、ことしは181人を追加刻銘すると発表した。刻銘者の総数は二重刻銘などに伴う削除2人を除き、24万2225人となる。

 沖縄県平和・地域外交推進課によると、ことしの追加刻銘者の内訳は県内24人、県外157人。県内は金武町4人が最多で、名護市、糸満市がそれぞれ3人と続く。県外は東京都50人が最多で、広島県32人、宮城県28人など14都道県だった。

 県によると、県外の追加刻銘者は太平洋戦争中に撃沈された日本軍の戦艦の乗組員が大半を占めるという。

 追加刻銘者数は、205人だった2011年以降2桁で推移していたが、23年は3桁の365人で、戦艦大和の乗組員が多数含まれた。

 今回の追加により、全刻銘者の内訳は県内14万9658人、県外7万7978人、海外1万4589人となる。刻銘作業の時期は調整中という。

https://nordot.app/1169135613781115131?c=768367547562557440


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「レガシーとして残したい」フランス人男性が沖縄の“うちなーぐち”を学ぶ理由

2024-05-25 | ウチナー・沖縄

ABEMA TIMES 5/24(金) 8:02

 「なんくるないさ」や「めんそ~れ」などの沖縄の方言。「うちなーぐち」と呼ばれるこの言葉を守りたいとの思いから、一人のフランス人男性が立ち上がった。

「はいさい ぐすーよー ちゅーうがなびら わんねーダヴィッドやいびーん ゆたしくうにげーさびら」(どうもみなさんこんにちは、私はダヴィッドと申します。よろしくお願い致します)

 沖縄の言葉、「うちなーぐち」で流暢に話すこの男性。フランス人のコポス・ダヴィッドさんだ。

 2000年に国際交流員として沖縄に来て以来、24年間、沖縄で暮らしている。

 「当時私は学生で、日本語学と英語を専攻していて、3年生の時に日本で仕事ができるプログラムがあり、長野か北海道、寒い所行きたかった。だが最終的には沖縄に派遣されて国際交流員としては3年間、西原町の教育委員会で仕事をした」(コポスさん、以下同)

 日本語だけでなく、英語やスペイン語など、5カ国語を話せるというコポスさん。現在は米軍基地の子どもたちに日本語を教えたり、語学専門のYouTubeチャンネルを運営するほか、スポーツイベントのコーディネーションなど幅広い事業を手掛けている。

 そんなコポスさんが、新たに注目しているのが「うちなーぐち」。

 うちなーぐちとは、「はいさい(こんにちは)」や「めんそーれ(いらっしゃいませ)」など、沖縄で古くから話されてきた言葉のこと。

 コポスさんは、この「うちなーぐち」の保存、継承に取り組む「うちなーぐち会」に先月、入会した。沖縄の方言に興味を持ったきっかけは、地名に関するふとした疑問だ。

 「西原町は、東海岸なのになぜ『西』という字を使うのか?と思った。うちなーぐちを知るおじいさんに『(うちなーぐちでは)西は(今の)北のこと』と言われた」

 うちなーぐちの表現の面白さに惹かれ、沖縄の方言について調べるうちに、悲しい現状に気付いたと言う。

 「当時うちなーぐちを喋ると、方言に札かけられて、恥ずかしい思いさせられたという。それを知った時はすごく悲しくて、自分の(住んでいた)地域を連想して」

 地元でもあまり使われなくなってしまった、うちなーぐち。この状況が、コポスさんの出身地、フランス南部のボルドーで使われていたガスコーニュ語を想起させたそう。

 「フランス革命の後、それらの地域の言葉が、言葉としては認められなかった。当時はガスコーニュ語などの地域の言葉を話したら学校で『動物の言葉』と言われた。なので若い世代、当時の世代のフランス人たちはフランス語だけで、方言と呼ばれている言葉を話すのが恥ずかしかった。それが沖縄のシチュエーションとすごく似てると思って」

 ユネスコ(国連教育科学文化機構)のWorld’s Languages in Danger(2009年)によると、消滅の危機にある言語は 世界で約2500あり、日本では「極めて深刻」がアイヌ語。「重大な危機」が八重山語、与那国語。「危険」は八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語である。

(※ユネスコでは「言語」と「方言」を区別せず全て「言語」で統一)

 標準語の使用を求められた歴史から、失われつつあるガスコーニュ語とうちなーぐち。

 「文化を守り、海外にも伝えたい」という思いを胸に、コポスさんはパートナーの女性とともに、活動を続けている。

 「沖縄で三線をやっていた時に、すごく思いを寄せた女の方がいて、うちなんちゅ(沖縄生まれの人)だった。今は2人でアメリカ人のコミュニティーに琉球舞踊とエイサーと獅子舞を教えたりしている。彼女と一緒にやっている授業も、できるだけうちなーぐちを使っている。踊りの動きの名前や歌の歌詞は必ずうちなーぐちで、子どもたちに教えている。失われつつある言葉をレガシーとして残したい」

(『ABEMAヒルズ』より)

ABEMA TIMES編集部

https://news.yahoo.co.jp/articles/1d52d2a6d9d824d2d8496a1da13b9e59c7c5e48d


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玉城知事「保護の観点で」サンゴ採捕を許可 辺野古新基地建設を巡り 防衛局、埋め立て準備

2024-05-24 | ウチナー・沖縄

沖縄タイムス2024年5月24日 5:07

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、玉城デニー知事は23日、大浦湾側のサンゴ類の移植に向けた沖縄防衛局の特別採捕許可申請を許可した。申請は全ての審査基準に適合し「サンゴ類の保護の観点から許可せざるを得ない」と判断。夏場の高水温期の移植は不適とされており、防衛局は準備を整え、移植作業に着手する考えだ。大浦湾側の本格的な埋め立てに向けた作業が進むことになる。(政経部・嘉良謙太朗)

 坂本哲志農林水産相が23日までに許可するよう玉城知事に地方自治法245条8の2に基づく「指示」を出していた。知事が従わなかった場合、訴訟を経て、国が代わりに許可する「代執行」に発展する可能性があった。

 玉城知事は同日、県の事務...

この記事は有料会員限定です。残り561文字

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1365070


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闘ったバトンを託された 有銘政夫さんの孫の親川志奈子さん(43) 平和を希求する心を受け継ぎたい

2024-05-20 | ウチナー・沖縄

沖縄タイムス5/17(金) 9:07

有銘政夫さん(右)と沖縄こどもの国を訪れた孫の親川志奈子さん。「難しい話でもユーモアを交える、キュートなおじいちゃんだった」と思い返した=1983年3月(提供)(沖縄タイムス)

[孫と「復帰」53年目の5・15](4)

 「この子は運動仲間だよ」

 名護市辺野古の座り込みや抗議集会で一緒になると、故有銘政夫さんが周囲にこう紹介してくれた。孫の親川志奈子さん(43)は「おじいちゃんに仲間として見られていることがおもしろかったし、うれしかった」と笑う。

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 祖父と同じ沖縄市に住んでいた小学5年までは会う機会が多く、その後に那覇市へ移っても親族の行事などで交流した。嘉手納爆音訴訟の原告団や沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議(違憲共闘会議)のメンバーとしてニュースに出たり新聞に載ったりする祖父を探すのが好きだった。「基地に反対する何かをしている」姿を目にする機会は多かった。

 高校2年だった1998年、沖縄振興の一環でできた国費留学制度で米国に渡った。95年には米兵3人による暴行事件が発生したばかりで、沖縄で起きる問題に意識が向き始めていた。

 米国では「聞かれたら沖縄について話すぞ。基地問題も話すんだ」と意気込んでいたが、沖縄は全くと言っていいほど知られておらず、関心が薄かった。「沖縄では米軍相手に一喜一憂しているのに」。より沖縄について学びを深めようと思った。

 大学ではウチナーンチュのコミュニティーがあるハワイ、大学院ではスコットランド人らが熱っぽく独立を論じるロンドンに留学した。アイデンティティーを考えるきっかけになった。

 市民による抗議デモは当たり前。「本当に気軽に参加できるデモで、自分の中の敷居が下がった」。辺野古や抗議集会に行ってみようか、と足を向け出したのはこの頃からだ。

 沖縄を知ろうと動き出した時、頼りにしたのはやはり祖父だった。普段はしない政治の話も、質問すれば意見や感想を言ってくれた。

 「何で復帰したの?  と聞いたら、おじいちゃんは『ね』って。当時は基地問題を解決しなければならない、何も保障されていない状況があった。復帰は一つの選択肢ではあったと思うけど…」。復帰前に人々が求めた「基地撤去」「核抜き本土並み」が遠い現状を見ると、「だまされた感じ」が募る。

 琉球民族独立総合研究学会に設立から携わっている。国連の先住民族会議に参加するなどして、祖父とは違うやり方で基地から派生する人権侵害を世界に訴えてきた。「おじいちゃんは次世代のために闘ってバトンを渡した。孫としては託されたと思っている。平和を求める気持ちを受け継いでいきたい」と力を込めた。(社会部・勝浦大輔)=おわり

 メモ 有銘政夫さん

 小学校教諭を経て中頭地区教職員会専従職員。沖教組中頭支部委員長や中部地区労議長などを歴任した。1994~2012年は違憲共闘会議の議長を務めるなど、日本復帰後は、反戦地主として裁判闘争を引っ張った。2021年に90歳で死去。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5ef518e357784a79da58504f076b7cd4bea8234d


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【永田町365~今日は何の日】沖縄返還「本日祖国に復帰いたしました」 (1972年5月15日)

2024-05-16 | ウチナー・沖縄

日テレ2024/05/15

■1972年5月15日

沖縄県が27年ぶりにアメリカから日本に返還され、沖縄復帰記念式典が日本武道館で開催されました。約1万人が集まり、佐藤首相は歴史的な演説を行いました。

https://nordot.app/1163224560551625315?c=768367547562557440


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伝統の琉球芸能「種まきに力」 琉球芸能専攻OB会が20記念 5月3・4日に記念公演

2024-04-30 | ウチナー・沖縄

沖縄タイムス2024/04/29

来場を呼びかける(左から)金城佳子、玉城和樹、嘉数道彦=浦添市・国立劇場おきなわ

 沖縄県立芸大琉球芸能専攻修了生と在学生でつくる「沖芸大琉球芸能専攻OB会」の「創立20周年記念公演~だんじゅかりゆし~」が5月3、4両日午後2時から、浦添市の国立劇場おきなわである。3日は組踊版「ももたろう」や伝統的な琉球舞踊、4日は創作組踊「十六夜朝顔」とOB会創作の舞踊などが上演される。

 おなじみの昔話を組踊仕立てにした組踊版「ももたろう」は、子どもたちや初心者にも親しみやすい作品だ。夫婦や親子の情愛を描く創作組踊「十六夜朝顔」は、東京や沖縄の国立劇場の主催公演にも採用されるなど評価が高い。いずれも同会員の嘉数道彦作。

 2004年結成の同会は、沖縄の伝統芸能の継承や会員の技術の向上などを目的に活動している。玉城和樹会長と金城佳子事務局長は、伝統芸能の普及のため、子どもたちへの「種まき」にも力を入れる考えだ。

 入場料は一般3千円、高校生以下2千円など。問い合わせは事務局(金城)、電話090(1368)6999。

https://nordot.app/1157453667296641296?c=768367547562557440


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奄美とアイヌのコラボで観客魅了

2024-04-11 | ウチナー・沖縄

奄美新聞2024年4月10日

重厚なコットン倶楽部の会場に、奄美のシマ唄とアイヌの歌が流れた。歌の解説も加えた朝崎さんのトークは会場を沸かせた

悠久の歌に思いを乗せて

朝崎さん声掛けで実現

 【東京】シマウタ唄者の朝崎郁恵さんとアイヌの歌を歌うグループがコラボしたAmamiaynu(アマミアイヌ)のライブが6日、東京丸の内のコットン倶楽部で開催された。暮らしに寄り添い、その土地に代々受け継がれてきた歌を互いに歌い合うライブは、現代社会が置き忘れてきた何かを見せてくれた。

 2003年アイヌの伝統的歌手・安東ウメ子さんと同じステージに立った朝崎さんは、アイヌの歌にシマ唄に共通のものを感じた。朝崎さんの声掛けで2018年、コラボレーション・プロジェクトがスタート、CDが制作された。

 4回目のライブとなった今回は、1部に子どもたちも参加し、アイヌの楽器ムックリを一緒に奏でるワークショップも開催された。

 2部ではお互いの歌を重ね合わせて歌い合った。シマ唄でイキャビキを、アイヌ歌はヤイサマ(脱穀の歌)を。チジュリャハマにはカピウポポ(ホオジロカモメの歌)を合わせて。チジュリャハマは親が子の独り立ちを促す歌、カピウポポは2羽の鳥の会話で、母親鳥がどんなことをしても子どもを育てるという内容の歌。

 この企画をプロデュースしたOKIさんの奏でるトンコリが、シマ唄に寄り添い、輪唱が多用されるアイヌの歌がシマ唄に重なり歌われた。楽器はチヂンと、トンコリと、ムックリと皮を張ったシンプルなドラムと手拍子のみ。

 「楽器のない頃の音、雨音、川の流れる音で歌っていた。そして、どちらも神様に向かって歌っている」と朝崎さんからの話があった。詰めかけた観客らは次々と繰り出される歌に耳を傾け、悠久の時に身を委ね楽しんでいた。

 アイヌからは、カラフト・アイヌの伝統弦楽器トンコリ奏者でプロデューサーのOKIさん、アイヌの伝統歌ウポポの再生と伝承をテーマに活動するMAREWREWのメンバーRekpoさん、アイヌの姉妹ユニットKapiw&Apappoさんら4人が参加している。

 アンコールに応えて、朝崎さんが「いきゅんな加那」を歌い、会場から盛大な拍手が送られた。

https://amamishimbun.co.jp/2024/04/10/49565/


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奄美とアイヌの歌合戦、COTTON CLUBで3度目の開催

2024-04-05 | ウチナー・沖縄

音楽ナタリー2024年4月4日 12:28

Amamiaynuの新規公演が4月6日に東京・COTTON CLUBにて昼夜2部制で開催される。

Amamiaynu

大きなサイズで見る(全2件)

Amamiaynuは奄美生まれの朝崎郁恵の呼びかけで始まった、奄美民謡とアイヌ音楽のコラボレーションプロジェクト。朝崎のほか、OKI DUB AINU BANDのOKI、アイヌの伝統歌ウポポの伝承をテーマに活動するMAREWREWのメンバー・Rekpo、同じくウポポを歌う姉妹ユニット・Kapiw & Apappoで構成され、ミキサーとしてDUBエンジニアの内田直之が参加している。

AmamiaynuがCOTTON CLUBのステージに立つのは3度目。第1部は「JAZZ for CHILDREN」というサブタイトルのもと、4歳以上、18歳未満および高校生はミュージックチャージが半額で、子供から大人まで家族一緒に楽しめるプログラムとなる。

Amamiaynu 奄美とアイヌの歌合戦 vol.3

2024年4月6日(土)東京都 COTTON CLUB
[1st] OPEN 15:00 / START 16:00 <JAZZ for CHILDREN>
[2nd] OPEN 17:30 / START 18:30
<出演者>
Amamiaynu
メンバー:朝崎郁恵(Vo) / OKI(Tonkori) / Rekpo(Vo) / Kapiw(Vo, Mukkuri, Tonkori) / Apappo(Vo, Mukkuri, Tonkori) / 内田直之(Mixing)

https://natalie.mu/music/news/567946


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東京で伝え続ける沖縄 住宅街に「資料館」写真など5000点 /新潟

2024-03-31 | ウチナー・沖縄

毎日新聞2024/3/28 地方版 有料記事1795文字

「狛江の小さな沖縄資料館」を営む高山正樹さん(右)と宇夫方路さん。紙で作ったガジュマルの木の枝が天井まで広がる=東京都狛江市で2024年1月30日、鈴木玲子撮影

 入り口のドアを開けると、そこに突然、「沖縄」が広がっていた。東京都狛江市の住宅街。建物2階に「狛江の小さな沖縄資料館」があった。金網をくぐって中に入る。沖縄の在日米軍基地を囲む有刺鉄線付きのフェンスをイメージした。「フェンス、よくできているでしょ」。資料館を営む高山正樹さん(66)が、一緒に運営する宇夫方路(うぶかたみち)さん(65)と出迎えてくれた。【鈴木玲子】

 資料館は、沖縄の日本復帰から50年の2022年7月、沖縄の報道カメラマン、大城弘明さんの写真展を始めたのがきっかけだ。高山さんは、自身が手掛けるイベントや地図製作関連の会社事務所を改装した。

 大城さんから託された写真は、タイトル「ベトコン村」(1968年)など、激動の沖縄戦後史を写し出していた。ベトコンとは南ベトナム解放民族戦線のことで、60年代のベトナム戦争で、ゲリラ戦によって米軍に対抗した。米軍は沖縄北部・東村高江にゲリラ戦訓練施設を設置した。通称「ベトナム村」とも呼ばれ、戦闘訓練には高江の住民がベトコン役として動員された。高山さんは、沖縄を取り巻く状況を伝える説明文や年表を作って一緒に展示した。

 すると、沖縄の報道カメラマンの山城博明さんからも写真が届いた。かつて沖縄の女性たちが手の甲や指に施した入れ墨「ハジチ(針突)」の風習や、北部・山原(やんばる)の豊かな自然が写っていた。

 最近、戯曲「人類館」の舞台の写真が加わった。人類館とは、明治時代に大阪市であった政府主催の内国勧業博覧会に合わせて、会場の外に設置された「学術人類館」という民間パビリオンのこと。琉球人やアイヌ、台湾先住民らが見せ物として展示された。沖縄の劇作家、知念正真(せいしん)さんが76年、その出来事を題材に戯曲を発表し、沖縄で初演された。展示した写真は、大城さんがその初演を撮影したものだ。資料館には、こうした貴重な写真や年表、書籍など、集めに集めた沖縄関連の資料約5000点が並ぶ。

 そして目をひくのが、館内の真ん中にそびえるガジュマルの木の紙製オブジェだ。「ここにはアートが足りない」と感じて自ら作った。天井まで伸びた枝が展示と展示をつなぐように広がり、まるで高山さんの頭の中を表しているかのようだ。

・・・・・・・

https://mainichi.jp/articles/20240328/ddl/k15/040/173000c


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沖縄、伝えたい思い 映画「戦雲」三上監督、軍事拠点化進む先島諸島を追って

2024-03-27 | ウチナー・沖縄

中日新聞2024年3月26日 16時00分 (3月26日 16時00分更新)

 自衛隊基地が次々と整備され、軍事拠点化が進む沖縄県の先島諸島を追ったドキュメンタリー映画「戦雲(いくさふむ)」の公開が始まった。沖縄を追い続ける三上智恵監督が向き合ったのは、基地や自衛隊の是非ではなく「軽んじられている命があるのでは」というシンプルな問いだ。 (石原真樹)

「祈りのような映画になった」と語る三上智恵監督=東京都新宿区で

 沖縄の民意がNoを示しても米軍の基地建設が止められない無力感などから、「標的の島 風(かじ)かたか」(2017年)以降、現場で取材しても映画にまとめられずにいた三上監督。昨年3月、撮りためた映像の一部をつないだ「スピンオフ」の無料貸し出しを試みたところ、10月末までに全国1300カ所で上映会が開かれた。全国に生まれた「平和...

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https://www.chunichi.co.jp/article/874200


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