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手榴弾の安全ピンを抜いた母…佐藤優が「沖縄戦」を語る 生き残った指揮官が戦死した兵士の遺族と交わした鎮魂の物語(レビュー)

2024-03-26 | ウチナー・沖縄

ブックバン3/26(火) 6:00

写真/浜田哲二

 沖縄県で20年以上、戦没者の遺骨収集と遺留品や遺族の手紙返還を続けている浜田夫妻が綴った『ずっと、ずっと帰りを待っていました―「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡―』(新潮社)が刊行された。

 終戦直後、生き残った24歳の指揮官・伊東孝一は部下の遺族に充てておよそ600通の「詫び状」を送る。そして伊東の手元には遺族からの返信が356通残されており、その手紙を託されたのが浜田夫妻だった。

 米軍の空襲や艦砲射撃は、地形が変わるほどの激しさから「鉄の暴風」とも呼ばれた。そんな沖縄の地で亡くなった兵士遺族に向けた指揮官の想い、そして伊東の元に届いた返信を返還するなかで遺族と接したエピソードを綴った本作から見いだせるものとは? 

 母親が沖縄戦を生き延びた一人である作家の佐藤優さんが寄せた書評を紹介する。

佐藤優・評「手榴弾の安全ピンを抜いた、私の母」

 沖縄戦を戦った陸軍第24師団(通称「山部隊」)の歩兵第32連隊・第1大隊を率いた伊東孝一大隊長(最終階級は陸軍大尉、1920年9月28日~2020年2月19日)と隊員、戦死した兵士の遺族たちの物語だ。当時24歳で伊東氏は1000人もの部下を率いたが、その約9割が戦死した。戦争直後、伊東氏は戦死した部下の遺族に宛てておよそ600通の手紙を書く。遺族からの返信が伊東氏のもとに356通残されていた。取材で伊東氏を知った浜田夫妻の情理ある説得に応じ、伊東氏は手紙を2人に託すことにした。伊東氏から預かった手紙を差出人に返還することを浜田夫妻は決め、その作業を行うNPO法人「みらいを紡ぐボランティア」を組織した。本書はこの手紙を返還する活動を通してみたユニークな沖縄戦記だ。

 評者の母親は、昭和高等女学校2年生だった1944年10月、偶然が重なり、陸軍第62師団(通称「石部隊」)の軍属になった。14歳の軍属は異例だった。本書でも説明されているが、沖縄戦では「石部隊」が当初、米軍と戦いほぼ戦力を失った。母は前田高地(ハクソーリッジ)の戦いで奇跡的に生き残った。〈軍司令部から、敢闘してきた第一線の第62師団が、独力では対抗できないほど戦力が低下し〉たので伊東大隊が支援に向かった。母の部隊と伊東大隊はすぐ隣で戦ったのだ。

 第62師団も第24師団もその後、転進(撤退)し、首里攻防戦を経て南部の摩文仁への結集を命じられた。そこから反転攻勢の機会を掴むというのだ。しかし、摩文仁で日本軍は壊滅状態に陥り、45年6月23日、沖縄戦の最高指導部である陸軍第32軍の牛島満軍司令官と長勇参謀長が自決し、日本軍は組織的抵抗ができなくなる。ただし、司令部の残党は、「各部隊は現陣地を死守し、最後の一兵まで敵に出血を強要せよ」という命令を出した。そのため伊東大隊の悲劇は続いた。

〈ただ生き延びるだけの日々の中、壕口で歩哨をしていた兵が突然、叫び声を上げながら小銃を発射する。/「敵が来た、敵が来た! 後ろにいる、寝台の下からも来た!」/大声で喚き立てるので、とっさに敵が侵入してきたかと身構えた。/だが、何も起きていない。日々の恐怖が嵩じて精神が錯乱したのだ。小銃と手榴弾を取り上げて、壕の奥へ追いやる。肌身離さず持っていた自決用の手榴弾は返してくれ、と申し出るが、聞き入れられない。時には正気で、時には狂っているのだ。/この沖縄の戦場は、忍耐強い日本兵をも錯乱させるほど、激しくつらい戦いであった。我が大隊の将兵たちは日が経つにつれ、一歩また一歩と地獄への道を歩み始めていた〉。

 評者の母はおそらく、45年7月末か8月初めに米軍の捕虜になった。ガマ(自然洞窟を使った天然壕)に潜んでいるところを米兵に見つかった。母は手榴弾の安全ピンを抜いて、自決の準備をしたところを、隣にいた「山部隊」の伍長に「死ぬのは捕虜になってからでもできる」と言われて手を挙げた。

 実は2023年、あるジャーナリストが、珍しい名字であったこの伍長の人定をした。ただし、この人は自らの主導で捕虜になったことは秘匿し、沖縄戦について別の物語を語っていた。遺族はこの人のその物語に固執しているので、心の平穏を乱してはいけないと思い、評者はこの問題に関する調査を打ち切った。沖縄戦に参加した人々にはそれぞれの物語があるのだ。本書に記された戦没者の遺族もそれぞれの物語を持っており、事実よりも物語を尊重することが鎮魂に繋がると評者は考えている。

 評者には、糸満市照屋で戦死した多原春雄伍長(戦死日は1945年3~4月、あるいは6月という証言がある。享年25、推定)のエピソードが最も興味深かった。春雄氏の母・多原サヨさんの書いた手紙がサヨさんの孫の妻・多原良子氏に戻る。〈「ババちゃんの書いた手紙で、春雄叔父さんのことを知ることができるなんて……」/思わず涙ぐむ良子さん〉。応接間にはアイヌ関連の書物、民族衣装、装飾品がある。〈「実は私はアイヌ民族なのです」〉。

 評者は多原良子氏と面識があり、アイヌ差別、沖縄差別について踏み込んで話したこともある。ある政治家のアイヌ民族等に対する差別表現に関連し、多原良子氏が人権救済の申し立てをし、それが2023年9月に新聞やテレビで報じられた。多原良子氏は、23年2月に義理の叔父が死亡した地を訪れ慰霊をした。詳しくは本書を読んでほしいが、そこには沖縄、日本、アイヌを貫く人間の物語がある。伊東氏の手記、隊員の手紙、取材により伝えられる遺族の声から、人間は信頼できる存在なのであるというメッセージが伝わってくる。

[レビュアー]佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

1960(昭和35)年生れ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英日本国大使館、ロシア連邦日本国大使館などを経て、1995(平成7)年から外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年5月、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受けた。同年『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した。主な著書に『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞)、『日米開戦の真実―大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く』『獄中記』『国家の謀略』『インテリジェンス人間論』『交渉術』『功利主義者の読書術』『外務省に告ぐ』『紳士協定―私のイギリス物語』『いま生きる「資本論」』などがある。

協力:新潮社 新潮社 波

 Book Bang編集部

 新潮社

https://news.yahoo.co.jp/articles/71ef4e38d13aa4941878656948105f1ef9556a96


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《ブラジル》記者コラム=恩赦委員会が再検討始めるか=大戦での日本移民迫害への謝罪

2024-03-26 | ウチナー・沖縄

ブラジル日報3/26(火) 5:38

1943年7月9日付エスタード紙。サントスから強制立ち退きさせられた6500人の一部。サンパウロ移民収容所に着いたところ

奥原マリオさんと沖縄県人会が政府に謝罪請求

 「日本人コミュニティに対する国家的暴力を認める見直し請求が、好意的に判断されるのに十分な要素がある」――本紙が同委員会の元法律補佐官チアゴ・ヴィアナ弁護士(35歳)にメール取材したところ、そんな回答が返ってきた。「恩赦」とは、政治的な判断により、国家や司法が下した刑罰を免除すること。

 この「日本人コミュニティの申請」とは、「大戦中に起きた6500人の日本移民サントス強制立ち退き」や、「終戦直後の勝ち組幹部172人のアンシャッタ島監獄収監」などに代表される、政府による日本移民迫害を巡り、奥原マリオさんとブラジル沖縄県人会が連邦政府の恩赦委員会に請求していた「損害賠償を伴わない謝罪請求」(件名番号08000.039749/2015-43)のこと。それに関して、今年再検討される可能性が高まってきたとヴィアナ弁護士は明言した。その一問一答は本文後半で公開する。

 前者はサントス強制退去事件を特集した『群星別冊』(日ポ両語、ブラジル沖縄県人移民研究塾、2022年)や、ドキュメンタリー映画『オキナワ サントス』(松林要樹監督、2020年)に詳しい。この映画はアマゾン・プライム・ビデオで視聴可だ。

 後者は『闇の一日』(奥原マリオ純監督、2012年)が詳しく、Youtubeで無料公開されている。戦中の日本移民迫害を記した書籍を刊行した勝ち組系ジャーナリストの岸本昂一氏が政治警察に逮捕されて国外追放裁判にかけられるという迫害を受けた件を描いた連載《『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ》にも詳しい。

 今回の謝罪請求の前に奥原さんは、2013年10月10日のサンパウロ州真相究明委員会でも連邦レベルの同元委員長ローザ・カルドーゾ弁護士から「真相究明委員会の名において日系コロニアに謝罪する」との声明を引き出していた。その後、奥原さんが恩赦委員会にも2015年12月に提起した。沖縄県人会は2018年4月の定例役員会で支援することを全会一致で決めた。

 恩赦委員会は、1946年9月から1988年までの間に迫害された国民への賠償を促進するために、FHC政権が2002年に設立した。主に独裁政権や軍事政権による迫害を検証するもの。

 本来なら戦中は対象期間ではないが、ヴァルガス独裁政権と軍事政権をつなぐ期間を「移行期司法」と呼び、政権は変わっても警察などの司法機関からの迫害は変わらなかった実態を調べる研究者が出てきた流れから、特別に奥原さんの申請は認められた。

 しかし2019年1月に始まった保守派ボルソナロ政権は軍人を閣僚や官僚に多用することで知られ、移民迫害は軍や官憲が実行機関なので謝罪することに抵抗が強く、却下されることは予想されていた。事実、同委員会は前政権中に法務省から人権・家族・女性省へと移管され、委員長はフラビオ・ボルソナロ上議の政治補佐官になり、委員の多くが軍関係者に入れ替わっていた。

前政権中に7対2で否決された謝罪請求

 だが県人会の上原ミウトン定雄会長(当時)、島袋栄喜元会長、宮城あきらブラジル沖縄県人移民塾代表は、奥原さんと共に2019年12月11日にブラジリアに赴き、恩赦委員会の担当弁護士2人に請願書を渡して説明した。通常は15分で終わるはずの面談が2時間も長引くなどの手ごたえを感じていた。

 その時に手渡した文書には、《連邦政府は「スパイ通報」という無実の罪を着せられた私たちの先人たちに対し、今日に至るまで謝罪の言葉もなく、無言のままであります。連邦政府は、過去の幾多の困難を克服して、民主主義を標榜する新しい国家建設を目指している今日、過去の歴史を振り返り、汚名を着せられ差別的な人権抑圧を強いられてきた全ての日本人移民・沖縄県移民に対し、その名誉回復に真摯に向き合うべきことを切に思うのであります。私たちは、連邦政府が2度とあのような忌まわしい過ちを繰り返さないために、退去を命じられた沖縄県人移民を含むすべての日本人移民の名誉回復のために政府としての謝罪を強く願い訴えるものであります》と書かれていた。

 ところが2022年6月に同委員会では7対2で却下された。奥原さんはその時「普通なら判断が下る前に、委員の前で直接に主張をする機会が設けられるのに何もなかった。いきなり『却下された』と連絡が来た」と悔しそうに語った。

 それが2023年1月から始まった第3次ルーラ政権によって、恩赦委員会メンバーの入れ替えが行われ、見直し機運が高まっている。23年1月17日付G1サイト記事によれば、ブラジリア大学(UnB)法学部のエネア・デ・ストゥッツ・エ・アルメイダ教授を新委員長に新メンバー14人が任命され、《その使命は2019年以降の事業における「政治的介入を撤回」し、包括的見直し(reparação integral)の概念を復活させること》と報じられた。

 つまり、ボルソナロ政権中に否定された案件の再検討を始める。前政権中の2019年から2022年にかけて恩赦委員会が討議した賠償訴訟4285件の内、4081件(95%)が拒否された。そのうちの一つが日本移民への謝罪請求だ。

ルーラ政権が委員会メンバーと規約を刷新

 今政権から復活した「包括的見直し」という方向性とは「独裁政権の暴力などによって被害を受けた集団の精神衛生にも配慮することを重要視し、被害者や家族への金銭的賠償、もしくは政府謝罪」を意味するとされ、ここに日本移民迫害への政府謝罪が含まれるとの期待がある。

 2023年3月から恩赦委員会は、特にボルソナロ政権時代に係争中あるいは申請が却下された件に関する再検討を実際に始めた。さらに手続き規則にも重要な変更があり、それまでは個人からの申請しか受け付けなかったが、集団からの申請が可能になった。ただし、集団的申請では経済的賠償はできない。

 このメンバー変更と方針転換を受けて昨年9月、奥原マリオさん、沖縄県人会の上原ミルトン定雄元会長、島袋栄喜元会長が、首都ブラジリアで恩赦委員会元法律補佐官のチアゴ・ヴィアナ弁護士と懇談した。

 法科修士研究国家評議会(CONPEDI)23年論文集に収録された、アルメイダ教授(委員長)とヴィアナ弁護士らが連名で執筆した「集団的政治的恩赦-ブラジルにおける移行期司法の新たな視点に関する考察」の中では、《集団への政治的恩赦の可能性が(恩赦委員会の)新手続規則に明示されたことで、その実施と司法論議への影響について考える必要が出てきた》と書かれている。

 つまり、前政権時代の日本移民迫害に謝罪する審議で否決に賛成が7人、反対が2人いたことに関して、当時は「集団に対する恩赦」には検討対象外であったにも関わらず、謝罪すべき派が2人いたことは、それが新規約として対象に入った現在なおさら再検討に値すると示唆している。

 これに関して、奥原マリオさんは「この論文を読んで鳥肌が立った」と語っている。

ヴィアナ弁護士との単独インタビュー

 今月から恩赦委員会が毎月開かれるのを受け、ヴィアナ弁護士は今後の見通しを次のように説明した。彼は人権分野で12年の経験を持ち、現在ブラジリア大学で法学博士号を取得するために研究中だ。

記者《恩赦委員会におけるあなたの役割は?》

 まず重要なのは、恩赦委員会の任務は恩赦申請を審査し、最終的な意見を発表し、判決を下すこと。またその決定について人権・市民権大臣に助言することである。

 私は1年余りの間、恩赦委員会の司法補佐官として、判定会議の開催や事件分析後の手続きを担当する部門にいた。私は2023年の初めに、人権・市民権省が任命した新しい委員会メンバーとともに、連邦政府の前政権において、この委員会を率いた前大臣が恩赦委員会に深刻な攻撃を与えて解体したのを再建する任務を引き継いだ。

《記者》前政権が却下したケースを見直すための内規が、なぜ変更されたのですか?

 恩赦委員会は移行期司法も対象にする。これは、権威主義的国家を克服するために、社会が記憶、事実、司法の分野でとるべき措置を見直すためだ。

 恩赦委員会の内規に政治的恩赦の概念が盛り込まれたことは、ブラジルでは前例のない措置である。この内規によれば、政治的恩赦の申請は、1946年9月18日から1988年10月5日(法律10.559/2002によって定められた期間)の間に、ブラジル国家側の例外的、制度的、補完的な行為によって、専ら政治的動機の結果として影響を受けた労働者、学生、農民、先住民、LGBTQIA+の人々、キロンボラ・コミュニティ、その他のセグメント、グループ、社会運動を代表する団体、市民社会組織、労働組合によって集団的に行うことができる。

 集団的要請は、ブラジル国家による公式謝罪とともに、当該セグメントに対する集団的政治的恩赦を宣言することであるが、これに関する法的規定がないため経済的賠償はない。理想的には、迫害された人々のために経済的な賠償も行われるべきだが、これは法律の改正と、そのような賠償に資金を提供する公的資源の割り当て次第である。

 これまで伝統的な司法政策は、農民、先住民、LGBTQIA+の人々、キロンボラのコミュニティなどの社会的セグメントに対する企業と軍事独裁政権の抑圧的な力による迫害を、国家真相究明委員会の最終報告書で、そのような迫害が行われたことを公式に認めてきたにもかかわらず、非常に弱腰な姿勢で扱ってきた。

記者《手続規則の変更において、経済的救済のない集団的訴訟はより重視されるようになったのか? これはどのように決定されたのか?》

 集団的政治的恩赦の最初の要請は、2015年6月24日に連邦検察庁(MPF)がクレナク先住民の権利を擁護するために提出した。2015年8月31日、MPFはギラロカ先住民族の権利を擁護するため、政治的恩赦を求める別の要請書を提出した。最後に、2015年11月、映画監督の奥原純氏は、ゼッツリオ・ヴァルガス大統領(1937-1945)およびエウリコ・ドゥトラ大統領(1946-1951年)時代に日系社会が受けた迫害を認識し、象徴的な賠償請求を提出した。これら3件の請求は2021年から2022年にかけて審査されたが、手続き規則にも法律にも規定がなかったため全て却下された。

 集団的政治的恩赦という概念を挿入するというアイデアは、これらの事例から生まれた。

記者《あなたは論文の中で日本人コミュニティも取り上げていたが、恩赦委員会は日本移民の主張をどのように見ているのでしょうか、また歴史的公正の追求においてどの程度重要なのか?》

 私は、アンシェッタ島矯正院に収監されていた日本人移民に対して、ヴァルガス大統領とドゥトラ大統領という権威主義政府が行った暴力について書いた。これらの囚人たちは虐待、拷問、人種差別を受け、国外追放命令を受けた。これらの残忍な人権侵害は、日本移民がブラジルにとって「黄色い危険」であるという人種差別的イデオロギーに基づいていた。

 しかし、当時のアエシオ・デ・ソウザ・メロ・フィーリョ委員は迫害を証明する十分な資料に基づき、これは特別なケースであると主張し、謝罪をすべきとの意見を提出した。採決では、ジョゼ・アウグスト・ダ・ロサ・ヴァレ・マチャド委員も同調したが、少数派であった。

 委員会は、申請者である奥原マリオ純氏と沖縄県人会が提出したこの不服申し立てを審査する際に、こうした深刻な人権侵害について裁定を下す機会を持つことになる。研究者であり弁護士である私は、日本人コミュニティに対するこの国家的暴力を認める見直し請求が、好意的に判断されるのに十分な要素があると思う。ブラジル国家による謝罪は、この暴力を象徴的に償うものであり、この事実をブラジル社会に知らしめることで歴史を清算することができるだろう。

記者《3月から集団訴訟の審理が始まる。日本人コミュニティの申請は今年審査されるの?》

 審議する事件数の定義は、恩赦委員会の内部で議論され、さまざまな要素が考慮される。4月には、クレナックとギラロカ先住民の事件の控訴審が行われるので、2024年の恩赦委員会本会議で、日本人コミュニティの申請が審査される可能性はあると思う。

   ◎

 恩赦委員会の方は確実に歩みを進めている印象だ。むしろ、日系社会側で大戦に関わる日本移民迫害について、今でも知らない人がいる。もっと日系子孫に向けて積極的に移民史への関心を高める必要性がありそうだ。(深)

https://news.yahoo.co.jp/articles/6551ffb87b54fccbd45eb17d555624c169c24320


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救済的分離 政策 意見反映されず 沖縄の状況検証を 阿部藹<託されたバトン 再考・沖縄の自己決定権>14

2024-03-23 | ウチナー・沖縄

琉球新報公開日時 2024年03月22日 12:20

更新日時 2024年03月22日 12:20

飛行が再開され、米軍普天間飛行場を離陸する垂直離着陸輸送機オスプレイ=14日、宜野湾市(小川昌宏撮影)

この記事を書いた人

 ここ数カ月、沖縄の自治や自己決定権について強く意識させられる出来事が立て続けに起こっている。

 その一つが、うるま市石川のゴルフ場跡地での陸上自衛隊の訓練場整備計画に対して強まる抗議の動きだ。地元の自治会が声を揃(そろ)えて計画に反対の声をあげ、旧石川市の元市議が保革の立場を超えて計画断念を求めて結集し、さらに自民党県連幹事長の島袋大県議が計画の白紙撤回を政府に求める考えを表明し、沖縄県議会は白紙撤回を求める意見書を今月7日に全会一致で可決した。保革を超え、地元住民から県議会までが一致して「白紙撤回」を求めている。さらに20日には「住宅地への自衛隊訓練場計画の断念を求める市民集会」が開催され、地元のダンスグループから自治会代表者、そして中村正人うるま市長を含む1200人が集まった。

 もう一つは昨年の墜落事故以来、世界的に運用を停止していた米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイの今月14日からの運用再開だ。運用停止解除は全国的なものであり、飛行ルートにあたるなど関係する11の都県に防衛省が13日に運用再開について説明を行ったが、真っ先に飛行が再開されたのは沖縄県の普天間基地だった。「米国内法の制限」を理由に事故の原因である「特定の部品の不具合」の詳細を公表しないという対応に、国民の知る権利や安全よりも米国との関係を重視するという日本政府の情けない姿勢を見ることができるが、またしてもその影響を最も強く受けるのが米軍基地の集中している沖縄であるという事実に、日本政府が沖縄の人々の怒りを他府県の人々のそれよりも「軽く」扱っているのではないかという疑念を強く感じざるをえない。

 先月の本連載の最後に「現在の沖縄の状況、そして日本政府の沖縄に対する扱いを見ていると、近年議論されるようになっている国際法上の『救済的分離』という理論が、今後沖縄に当てはまりうることもあるのではないかとさえ思えてくる」と書いたが、まさにそれを強化するような事例がこの1カ月でも積み重なっているのだ。

 「救済的分離」とは、近年議論されている国際法上の理論である。本来、国際法は国際社会の領土的安定性を非常に重視する。そのため植民地の独立などの特定のケース以外で、国境線の変更を伴うような独立や一方的な分離を認めることはほとんどなかった。しかし、救済的分離の理論では、特定の集団(People)が自国政府によって(1)差別的に扱われ、(2)アパルトヘイトやジェノサイドなどのような継続的で重大な人権侵害があり、(3)国家の意思決定過程にその意見を反映されず、(4)あらゆる手段を尽くしたが、内的自決が達成されない場合に救済としての分離が認められるべきだ、とされる。

 この理論の礎は、1970年に国連総会で採択された「友好関係原則宣言」の次の一文にある。

“人民の同権及び自決の原則に従って行動し、それゆえ人種、信条又は皮膚の色による差別なくその領域に属する人民全体を代表する政府を有する主権独立国の領土保全又は政治的統一を、全部又は一部、分割又は毀損(きそん)しうるいかなる行動をも承認し又は奨励するものと解釈してはならない”

 この文章の前半部分では、「自決の原則に従い」「差別なくその領域に属する人民全体を代表する政府を有する主権独立国の領土保全」は脅かしてはいけないと記されている。ということは、逆に言えば「当該政府が自決の原則を尊重せず、領域に属する一部の人民を差別し、抑圧している場合、その抑圧された人々、つまり代表されていない人民には分離が認められるのではないか」と解釈することができる。この解釈が、バングラデシュのパキスタンからの独立をはじめ、コソボや東ティモールの独立など、単純な「植民地からの独立」という文脈では説明ができない国家の誕生をめぐって、救済的分離の理論として深まってきた。

 救済的分離は、植民地の人々が独立する権利や、先住民族の人々の自治の権利のように、国際法において確立した権利ではない。しかし、例えばカナダの最高裁判所のように救済的分離という権利の存在を実質的に認め、「植民地帝国の一部として支配されていたり、外国人による征服、支配または抑圧の下におかれたりする人民であり、国内において自決権の意味ある行使を否定されている人民」に分離が認められうるとする判断を示したケースもある(Reference re Secession of Quebec, 1998)。そういう意味では、今後さらに議論が深まれば権利として発展する可能性もある、と言えるだろう。

 琉球処分によって沖縄が日本に組み込まれて以来、構造的差別や人権の抑圧、そして日本政府の政策決定に意味ある参加ができないという状況が続いていることを鑑みれば、沖縄のこの状況を救済的分離という理論の観点から検証することに意味があるのではないかと思う。というのも、近年の日本政府の沖縄に対する政策は、まるで日本政府が自らの手で、小さな石を一つ一つ積んでいるように見えるからだ。その石とは、将来的にもし沖縄の人びとが救済的分離を主張した場合に、正当性の根拠となりうる具体的な事実のことである。一つ一つの事実は小さな石かもしれない。しかし、それらが積み重なって礎石となる可能性がある、と筆者は考えている。

 (琉球大学客員研究員)
 (第4金曜掲載)

https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-2920059.html


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土地を奪われ、言葉を禁じられ…似た歴史を持つ沖縄とマオリ 「民主主義ではない」マオリが見た沖縄の現状

2024-03-06 | ウチナー・沖縄

琉球放送2024年3月5日 

土地を奪われ、言葉を禁じられ…似た歴史を持つ沖縄とマオリ 「民主主義ではない」マオリが見た沖縄の現状© 琉球放送

先月、ニュージーランドの先住民・マオリが、ニュージーランド政府の事業で沖縄を訪れました。かつて、土地を奪われ独自の言葉を禁じられるなどヨーロッパ系への同化政策を強いられたマオリ。その歩みは沖縄の歴史と重なる点があります。彼らが沖縄の歴史や自然に触れて、感じたこととは。

マオリ語禁止、独自の文化を否定されてきた歴史

♪「Kamate kamate Kaora Kaora」

ニュージーランドの伝統的な踊り・ハカ。披露しているのは先住民のマオリです。ニュージーランド政府の事業で日本を訪れ、沖縄の子どもたちと交流しました。

ハカを見た子ども

「めっちゃ大きい声!」

初めて目にするハカに子どもたちも大興奮。目を見開いたり舌を出したり、醜ければ醜いほどよいとされる表情に、見よう見まねで挑戦しました。

交流した子どもたち

「踊るところが楽しかったです。不細工なのが面白くていいなと思いました」

「べろ出すのは嫌だったけど、ゲストが来てよかった」

「恥ずかしくなってテンション上がりすぎました」

「おじいちゃんおばあちゃんにもこのダンス教えたいです」

マオリのファカロンゴタイさん

「特に私たちが沖縄の文化を学んで知識を広げることはとても大事だと思っています。今回のように沖縄の子どもたちに、マオリの文化を伝えられたのはよかったです」

ニュージーランドの人口のおよそ15%を占めるマオリ。かつてはイギリスの支配を受けていました。マオリ語を話すことを禁じられるなど、独自の文化が否定された歴史を持ちます。

1970年代からマオリ文化の復興が始まりましたが、その権利と地位は回復の途上にあります。その歴史や文化を発信しながら、アジア各地でつながりをもとうと、研修先の1つに選ばれたのが沖縄でした。

「民主主義ではない」マオリが見た沖縄の現状

滞在2日目、平和祈念公園を訪れた一行。79年前、この地が戦場だったことに初めて触れ、沖縄の若者から戦争について学びました。

20万人あまりが犠牲になった沖縄戦。およそ12万人の県出身者が犠牲になりました。自ら命を絶つことを強いられ、ウチナーグチを話すとスパイとみなされ、殺される者もいました。

マオリのジェームズさん

「本当に悲しかったです。なぜなら私たちはマオリですが、英語で話すよう強要されてきました。撃たれはしませんでしたが、でもその苦しみはすごく理解できます。沖縄は沖縄の言葉を話せず苦しんだし、マオリはマオリの言葉を話せず苦しみました」

マオリのタイラーさん

「植民地主義とはどういうことか、沖縄戦の場合、犠牲になったのは沖縄の人たちで、激しい暴力に民間の人たちがさらされたということだと思う」

沖縄の歴史とマオリの歩みを重ね、思いを寄せるメンバーたち。自然や文化に触れながら向かった先は、アメリカ軍普天間基地の移設先、名護市の大浦湾でした。

出港から間もなく、希少なサンゴが生息する海域に到着。グラスボートから海中を覗くと世界最大級のアオサンゴをはじめ、500年かけて成長したとされるコブハマサンゴなど、そこには多種多様な生き物たちが生息しています。

移設工事のため、国がサンゴを別の場所に移植したという話を耳にすると、驚きの声があがりました。

ジェームズさん

「ニュージーランドだったらこういう場所を自然保護区にして、海の生き物を絶対にとってはいけない、採取を禁止するといった保全策をとると思う。ここはそういう場所には指定されていないんですか?」

まなざしの先には、無数の作業船。埋め立て反対の民意をよそに、工事が続く現状を目の当たりにすると―

ファカロンゴタイさん

「民主主義ではない。間違いなく、私たちは似たような問題を抱えています。私たちも闘ってきたからあなたたちの悲しみ・不満・怒りを共感できます。だけど沖縄の問題は、アメリカ軍が関わっているからより複雑だと思います」

「沖縄とマオリが手を取り合うことは始まっている」

マオリが捉えた沖縄の歴史と現状。歩んできた道に重なる点があるからこそ、沖縄の人達に深く共感しています。

ファカロンゴタイさん

「友達とも話してたけど沖縄とマオリが手を取り合う、それはもう始まっていると思います」

タイラーさん

「ニュージーランドでマオリが経験した戦いの歴史と沖縄の歴史は似ている。帰国したら、私たちに通する問題について話していきたい」

1週間の滞在で沖縄とのつながりを築いたマオリ。遠く離れたニュージーランドから、沖縄へ思いを寄せ続けます。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/土地を奪われ-言葉を禁じられ-似た歴史を持つ沖縄とマオリ-民主主義ではない-マオリが見た沖縄の現状/ar-BB1jlN9n


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三つの可能性 道州制論の時は一致 立場超え開かれた議論を 阿部藹<託されたバトン 再考・沖縄の自己決定権>13

2024-02-24 | ウチナー・沖縄

琉球新報 2024年02月23日 15:20更新日時 2024年02月23日 15:21

辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票の開票速報を受けて報道陣の取材に答える「辺野古」県民投票の会の元山仁士郎代表=2019年2月24日、那覇市の教育福祉会館

 この連載は、2022年に2期目に入った玉城デニー知事が国連訪問に意欲を見せていることを受けて、15年に当時の翁長雄志知事が国連人権理事会で「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」と述べた経緯や意義を振り返りながら、あらためて「沖縄の人々の自己決定権」を検証するために始まった。これまで1年にわたり、自己決定権の国際法上の発展に呼応する形で、琉球・沖縄の人々について、(1)植民地またはそれに類する地域の人民として、(2)先住民族として、そして(3)人民として、という自己決定権の三つの可能性を論じてきた。

 その議論をもとに私が主張してきたことをまとめると、米国による軍事統治と“返還”の過程を国連の諸文書に照らして考えれば、(1)の観点から少なくとも1972年に“返還”されるまで、沖縄(琉球)は外的な自己決定権、つまり独立する権利としての自己決定権を有していたと考えられるということ。そして、そのような権利を有していた人民であるという事実が、現在において沖縄の人々の人民として、あるいは先住民族としての内的な自己決定権の主張を補強するということ2)または(3)の可能性)だ。

 つまり、もともと琉球国として独立した国だったにもかかわらず日本に併合され、戦後、実質的に米国の軍事的植民地であったという歴史から、人民、あるいは先住民族として自己決定権を主張することには国際人権法の観点から正当性がある。そしてその自己決定権とは、社会的、文化的、経済的、政治的にどのような発展をするかを集団として決める権利である。

 明日2月24日で、名護市辺野古の埋め立てについて72%という圧倒的多数が「反対」の意思を示した県民投票からちょうど5年となる。残念ながら民意を示した県民投票の翌日も工事は継続し、昨年末にはとうとう国土交通相が「代執行」という強行的な手段まで使い、今年に入って軟弱地盤がある大浦湾側の工事も開始した。

 その背景には、沖縄県が「地盤の安定性の検討が不十分」であり「何が沖縄県民にとっての公益であるかの判断は国が押し付けるものでなく、沖縄県民が示す明確な民意こそが公益とされなければならない」として最後まで反対した設計変更について、国が代わりに承認することを認めたこの国の司法のお墨付きがある。

 故安倍晋三元首相や菅義偉前首相、そして歴代の国土交通相の発言からは、日本政府が1996年の日米合意を根拠に海を埋め立てて辺野古の新基地を造る、という非常に短期的な視野で眺めていることが伝わってくる。しかしこの辺野古の埋め立てをめぐる沖縄の人々の問題意識は、武力による併合を行った日本政府が敗戦後に軍事的植民地として沖縄をアメリカに差し出し、返還後もその構造を沖縄に強いてきた上で、沖縄の人々の反対の意思を踏みにじろうとするその姿勢にいかに対峙(たいじ)するか、という琉球・沖縄の歴史の延長線にあるのだと感じる。

 自らの土地や周辺海域をどう保全し、どう活用するか。それはまさに自分たちの社会の政治的、文化的、経済的、社会的発展を自らが決める権利と深く関わる。だからこそ、辺野古埋め立てについてNOという「民意」が反映されず、国によって強権的に工事が進められている現状は、9年前に翁長氏が指摘した「沖縄の人々の自己決定権の侵害」が続いていることにほかならない。

 玉城知事は昨年9月に国連訪問を果たしたが、自己決定権については「十分な議論ができていない」として触れるのを回避した。しかし、民意に反する工事が強行され、司法での救済も得られないという現状において、自己決定権に関する議論にしっかりと目を向ける必要があるのではないだろうか。

 自己決定権について、県議会では「先住民族だという誤った認識を広げる」という否定的な議論を繰り広げる会派「沖縄・自民党」の議員が少なくない。だが、2000年代初めに活発だった道州制の議論の中では、自民党の國場幸之助氏が「県民の民意や尊厳、自己決定権を求める心なくして日本の発展はあり得ない」などと述べるほど、自己決定権は“当たり前のもの”として保革を超えて認識されていた言葉だったのだ。

 腫れ物のように扱うのではなく、子どもたちや孫の世代にどんな沖縄を渡したいのか、そのバトンをつなぐためにあらゆる可能性を否定せず、立場を超えて開かれた議論が行われるべきだと考える。

 一方で、現在の沖縄の状況、そして日本政府の沖縄に対する扱いを見ていると、近年議論されるようになっている国際法上の「救済的分離」という理論が、今後沖縄に当てはまりうることもあるのではないかとさえ思えてくる。「救済的分離」とは、自己決定権のように確立した権利ではないが、主権国家の政府が国内の特定の集団を差別的に扱い、民主的な意思決定への参加を絶えず拒否し、これらの集団の権利を大規模に、組織的に踏みにじり、そして国家構造の中で平和的な解決の可能性が見い出せない場合に、そうした集団を救済する目的での分離であれば認められうるという説だ。

 次回は、沖縄の現状をこの「救済的分離」の観点から考察し、自己決定権に関する議論にどのように関わるのかを論じたい。

 (琉球大学客員研究員)
 (第4金曜掲載)

https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-2834229.html


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方言を使うと、罰として木札を首からぶら下げさせられる…

2024-02-21 | ウチナー・沖縄

毎日新聞2024/2/21 東京朝刊630文字

https://mainichi.jp/articles/20240221/ddm/001/070/082000c

身を縮めて伏す老住民(左)に水を請われ、自分の水筒から分け与える米海兵隊員。米軍の沖縄上陸初日の撮影という。日本軍は方言を使用すれば、スパイとみなすと命じた

 方言を使うと、罰として木札を首からぶら下げさせられる。誰かが方言を話すのを見つけるまで解放されない。同級生の背中を蹴って「あがー(痛い)」と方言を使わせる子もいれば、つまはじきにされ、じっと耐える子もいたという▲罪深い制度は戦前の沖縄の学校で標準語励行のために使われた「方言札(ほうげんふだ)」である。罰札とも言う。先日、テレビのバラエティー番組で沖縄出身の俳優が「方言禁止記者会見」の企画に参加し、過去の歴史を連想させると議論になった▲源流はフランスという。革命後に中央集権的な仏語教育が進み、学校でブルトン語など方言の使用が禁じられた。違反者は「シンボル」と呼ばれた罰札を首からぶら下げた▲しかし、言語の強制は時に紛争を生む。1952年2月21日、パキスタンの一部だった今のバングラデシュでベンガル語の公用語化を求める学生デモに警官隊が発砲した。きょうは独立につながった事件に由来する「国際母語デー」だ▲母語は母国語とイコールではない。多民族国家には多くの母語がある。多様性尊重の時代に罰札は必要ないはずだが、世界的には消滅の危機にある母語も少なくない。ロシア系住民が多いウクライナ東部では母語の違いが紛争激化の一因になったという▲日本にもアイヌ語があり、沖縄方言は琉球語と呼ばれる。「沖縄語を以(もっ)て談話しある者は間(かん)諜(ちょう)(スパイ)とみなし処分す」。米軍の沖縄上陸後に旧日本軍が出した命令だ。そんな言葉の複雑な歴史は踏まえておきたい。


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TBS「沖縄方言」問題、バラエティ番組制作者こそ歴史を学ぶ必要性が高い

2024-01-25 | ウチナー・沖縄

ビジネスジャーナル2024.01.24 16:04

協力=水島宏明/上智大学文学部新聞学科教授

 1月18日に全国放送されたTBSのバラエティ番組『櫻井・有吉THE夜会』が批判を浴びている。沖縄県出身の俳優・二階堂ふみに対して、標準語で答えなければいけないという縛りのなかで、取り囲んだ記者団が沖縄弁で次々に質問攻めにするというゲームだった。二階堂がつられて沖縄弁を口にしてしまい、人気俳優の「素」の姿が伝わってくる微笑ましいコーナーではあった。ところが、沖縄の人々に標準語の使用を強制したかつての日本帝国主義時代の差別を彷彿とさせるという批判がSNSなどで広がった。実際、沖縄の学校では戦後しばらくの間、沖縄弁を話すとペナルティとして「私は方言を使いました」という札(「方言札」と呼ばれた)を首から下げさせられ、「みせしめ」になっていた時代も長かった。こうした歴史についてあまりに無知だという批判があがっている。かつて日本テレビで解説委員やドキュメンタリー番組のディレクターを務め、放送局の現場に詳しいジャーナストで上智大学教授の水島宏明氏にこの問題をどう考えるべきか聞いた。

沖縄の歴史について

 こうした問題を考える時には、沖縄という地域の独特の歴史をきちんと知る必要があります。本土と比べて、沖縄という地域は差別される歴史を積み重ねてきました。明治時代の1879年に「琉球処分」として日本に強引に併合されて、それまで持っていた独特の琉球文化を奪われてから日本への統合が一気に進められた歴史があります。1903年には大阪で開かれた博覧会でアイヌ民族や台湾高山族らとともに沖縄人が「人類館」に民族衣装姿で“展示される”という出来事も起きています。沖縄の人たちは本州の人々から長い間、差別され、「土人」などと蔑まされてきました。

 さらに沖縄は太平洋戦争で国内唯一の地上戦が行われ、住人の4分の1が犠牲になっています。軍によって集団自決を迫られるケースもありました。本土の捨て石として住民が犠牲になり、現在も沖縄には本土に比べて圧倒的に多くの米軍基地があることも差別と言う人も少なくありません。

「方言札」については諸説ありますが、戦後も一部の学校では続き、1960年代まで行われていたという研究もあります。標準語を強制していた方言札などの歴史に照らしてみると、今回の番組での扱いは、制作者がこうした歴史を顧みずにデリカシーがなかったケースだといえます。沖縄の人に標準語を強制することはどんな過去と結びついているのかという点について、バラエティ番組であっても想像力を働かせてほしかったところです。今でもそういう過去を思い起こして傷つく人たちが沖縄にはいるかもしれない。そのことにテレビの制作者は神経を働かせるべきだという問題です。

場合によっては深刻な問題になるケースも

 こういう歴史がからむ問題は時間が経つにつれて風化していきます。おそらく制作者側には「悪気はなかった」のでしょうし、こうした沖縄の歴史についても「よく知らなかった」という可能性が大きいと思います。ただ、放送というマス・メディアで情報発信する立場にいる以上は、「知らなかった」というのは言い訳にはなりません。

 番組制作者に「悪気はなかった」ものの、過去の歴史に無知で放送局の会長や社長らトップが謝罪した問題が2021年に起きました。日本テレビの『スッキリ』でのアイヌ差別事件です。アイヌ民族に対する典型的な差別表現を、番組内の「謎かけ」として披露してしまったのです。この時は、あまりに典型的なアイヌ差別がテレビで放送されたため、北海道アイヌ協会などが日本テレビに正式に抗議して大きな問題になりました。

 このように即アウトといえるケースと比べると、今回のTBSの放送は人によって問題ないという意見もあり、やや議論が分かれるケースといえるかもしれません。ただ、やはり番組を放送する立場にいる人間には、歴史をきちんと学んだ上で人を傷つけない放送に努めてほしいと思います。

報道の記者であれば回避できたのか…歴史を学ぼう

 今回のようなケースでは、制作者はどうすればよかったのでしょうか。沖縄でかつて国によって標準語が強制された過去があったという歴史を重視すれば、沖縄弁を使わせないで標準語だけで縛るという一種の“強制”を番組のゲームとして採用するのは、沖縄の視聴者につらい過去を思い起こさせることになるかもしれないと想像すべきでした。

 テレビというマス・メディアで情報を発信する以上は、前述したように「知らなかった」は言い訳になりません。日本では過去の負の歴史を伝えようとしない傾向があり、過去のリアルな歴史を細かく伝えません。そのために歴史から学ぶ、ということに欧米諸国に比べると社会全体があまり熱心とはいえない現状があります。だからこそメディアに関係する人には「歴史」に敏感になってほしいと思います。こういう企画を考える人や番組制作に携わる人は、沖縄において標準語の強制の歴史があったのかどうかを慎重にチェックした上で企画を立ててほしいと思います。少なくともニュース番組をはじめ報道番組であれば、こうした歴史を調べてから放送しただろうと思います。報道番組は「事実」を徹底的に調べてから制作するジャンルだからです。

 一方でバラエティ番組でもあっても、いやバラエティ番組こそ、結果的に誰かを笑ってしまうジャンルだからこそ、悲しい歴史を体験した人たちを笑うような行為は絶対にしないでほしいと思います。それは、気がつかないうちに誰かを差別する笑いにつながってしまいます。どうか「歴史」をよく調べてから企画をつくってほしいと思います。

(協力=水島宏明/上智大学文学部新聞学科教授)

水島宏明/上智大学文学部新聞学科教授

1957年生まれ。東大卒。札幌テレビで生活保護の矛盾を突くドキュメンタリー「母さんが死んだ」や准看護婦制度の問題点を問う「天使の矛盾」を制作。ロンドン、ベルリン特派員を歴任。日本テレビで「NNNドキュメント」ディレクターと「ズームイン!」解説キャスターを兼務。「ネットカフェ難民」の名づけ親として貧困問題や環境・原子力のドキュメンタリーを制作。芸術選奨・文部科学大臣賞受賞。2012年から法政大学社会学部教授。2016年から上智大学文学部新聞学科教授(報道論)。著書に『内側から見たテレビ やらせ・捏造・情報操作の構造』(朝日新書)、『想像力欠如社会』(弘文堂)、『メディアは「貧困」をどう伝えたか:現場からの証言:年越し派遣村からコロナ貧困まで』(同時代社)など多数。

上智大学 水島宏明教授プロフィールページ

Twitter:@hiroakimizushim

https://biz-journal.jp/2024/01/post_369993.html


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ガマフヤー具志堅さん、きょうからハンスト 辺野古「南部土砂」の撤回求め

2024-01-11 | ウチナー・沖縄

琉球新報 2024年01月10日 05:00

更新日時 2024年01月10日 11:19

辺野古新基地建設をめぐり、日からハンガーストライキを行うと表明した遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さん(右)=9日、県庁

 遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さん=写真=は9日、県庁で記者会見を開き、10日から県庁前でハンガーストライキを行うことを表明した。沖縄戦戦没者の遺骨が混じる南部の土砂を名護市辺野古の基地建設に使う計画の撤回を防衛局と県に求める。
 防衛局はこれまでの撤回要請に対し、「工事の実施段階で受注業者が決める」と責任をあいまいにしてきた。
 代執行による着工が迫る中、具志堅さんが着目するのは、仲井真弘多知事(当時)が2013年12月に埋め立て申請を承認した際に付けた「留意事項」だ。その中に、実施設計の事前協議を行うことや、土砂採取場所を変更する場合は知事の承認を受けることが書かれている。
 具志堅さんはこれらの規定を使って、土砂採取地から南部を外すよう国に迫り、撤回させる「県の覚悟」を特に訴えている。具志堅さんは「代執行によって国に主導権が移って、ウチナーンチュは基地建設を止めることができなくなったという声を一部で聞くが、そうではないよということを県民にも示していきたい」と語った。(南彰)

https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-2673510.html


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浅田政志、やんツーらが参加「やんばるアートフェスティバル 2023-2024」1月20日より開催

2024-01-10 | ウチナー・沖縄

ぴあ1/9(火) 11:31配信

メイン会場

沖縄本島北部の山原(やんばる)地域で繰り広げられる「やんばるアートフェスティバル」が、1月20日(土)~2月25日(日)に開催される。

【全ての画像】「やんばるアートフェスティバル 2023-2024」広報用画像(全4枚)

沖縄島の始まりの地であり、水源地でもある山原(やんばる)。「やんばるアートフェスティバル」は、美しい自然と豊かな文化を誇るこの地を新たなアートの源にしようと2017年にスタートし、今回で7年目を迎える。総合ディレクターを仲程長治が務め、現代アートとクラフトを共存。クラフト部門では沖縄の工芸品が購入できる「YAF CRAFT MARKET」も開催される。

現代アートでは、メイン会場となる大宜味村立旧塩屋小学校で、「北/南」と題して、北海道から進藤冬華、地元沖縄から伊波リンダを紹介。自身の祖母をはじめ、北海道やサハリンなどで年配女性に手仕事を教わりながらアイヌや開拓の歴史などをリサーチしてきた進藤は、布を用いた作品を展示。伊波は、沖縄本島北部が撮影地となる写真シリーズ「Nowhere」で空間を構成する。また、写真家浅田政志は、やんばるの人々15人と、これまでに撮った膨大な写真から1枚だけ大切な写真を選んで展示するプロジェクトを展開する。

2019年に閉園となった「大宜味村喜如嘉保育所」では、金サジが、戦時中に失うも戦後に復興し国の重要無形文化財となった芭蕉布をリサーチし、人々の記憶を未来へと紡ぐ。また、オクマプライベートビーチ&リゾートでは、永井英男が、オクマビーチへの着地に失敗してガジュマルの木に引っかかった架空のスーパーヒーローの大型彫刻を出現させる。

さらに、八重山の創作や美術工芸を紐解くユニット「五風十雨」は、上勢頭亨が半世紀以上かけて蒐集した文物を収蔵する竹富島「喜宝院蒐集館」の資料を展示。日本列島本土および沖縄本島の西端に位置する八重山固有の文化に触れることができる。他に大小島真木、やんツーら多彩なアーティストが参加。多面的な沖縄を楽しむ旅に出たい。

<開催概要>

「やんばるアートフェスティバル 2023-2024」

会期:2024年1月20日(土)~ 2月25日(日)

メイン会場:大宜味村立旧塩屋小学校

時間:11:00~17:00

休館日:火水

https://news.yahoo.co.jp/articles/c74ffe07769a949c266c10026250feee3274640d


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【全文・主な署名者】世界の識者「辺野古ノー」 ストーン監督ら400人が声明

2024-01-08 | ウチナー・沖縄

琉球新報社公開日時 2024年01月07日 11:59

更新日時 2024年01月07日 14:06

辺野古の新基地建設予定地近くの海を視察するオリバー・ストーン氏(2013年8月撮影)

 映画監督のオリバー・ストーン氏ら、世界の識者400人超が沖縄での米軍辺野古新基地建設を中止するよう求める声明全文(日本語訳)と、主な賛同者一覧は次の通りです。

国際声明 米国と日本は沖縄の軍事植民地支配をやめよ(日本語訳)

2024年1月

ジョー・バイデン大統領および米国市民へ

岸田文雄首相および日本国市民へ

10年前、言語学者のノーム・チョムスキー氏や元米陸軍大佐・元外交官のアン・ライト氏を含む103人の世界の学者、ジャーナリスト、芸術家、平和活動家が、沖縄本島北部の辺野古に、さらなる米海兵隊基地を建設することに反対する声明を発表した。しかし現在もなお、日米両政府は沖縄県民の大多数が反対しているにもかかわらず、この高価な埋め立てプロジェクトにこだわり続け、かけがえのない生態系を無謀にも破壊している。 残念ながら、埋め立て予定総面積の約4分の1を占める辺野古側の工事はほぼ完了している。そして今、北側の、より深く、貴重な生物多様性をもつ大浦湾の埋め立てに着手しようとしている。

辺野古への基地建設計画は1960年代から存在していた。そして1996年の日米合意(SACO合意)により、混雑する宜野湾市のど真ん中に危険な状態で位置する米海兵隊普天間航空基地の「代替施設」として復活した。それから四半世紀以上たった今でも、日米両政府は普天間基地によって占領されている土地を本来の所有者に返還しておらず、米国は新基地建設後も両方の基地の維持を目指しているとの報道さえある。

沖縄の自己決定権、民主主義、自治権を支持する私たち署名者は、第二次世界大戦以来、米日の事実上の軍事植民地とされている沖縄の、さらなる軍事化を拒否する沖縄の人々への支持を、ここに新たに表明する。

かつては独立した琉球王国であった沖縄は、戦国日本による3世紀にわたる支配の後、1879年に大日本帝国に強制併合された。琉球列島の人々は、欧米列強に植民地支配された世界中の多くの先住民族と同様に、強制的に日本に同化させられ、言語、名前、伝統、そして主権と自治を持つ民族としての尊厳を奪われた。 

アジア太平洋戦争末期、日本は沖縄を「捨て石」とし、「皇土」を守るために沖縄で持久戦を行い、島々の住民を総動員した。日米間の戦争で、沖縄県民は人口の4分の1以上、12万人以上が死亡した。アメリカは戦争の戦利品として島々を支配下に置き、80年近く経った今でも沖縄の陸・空・海を占領し、性暴力や殺人を含む甚大な人権侵害、航空機や車両の重大事故、PFAS水汚染などの環境破壊を引き起こしている。

2023年12月20日、福岡高裁那覇支部は沖縄県に対し、新基地の大浦湾側の埋め立てを可能にするのに必要な、「マヨネーズ状」の軟弱地盤に対処するための政府の工法変更を承認するよう命じた。この地盤強化は多大な費用と年月がかかることが予想されており、専門家によれば「不可能」と言われている。2018年と2022年の知事選で辺野古基地反対を掲げて当選した玉城デニー沖縄県知事は、12月25日に裁判所の命令を拒否し、12月27日に最高裁に上告した。

12月28日、日本政府は沖縄県に代わって、計画変更を承認した。1999年に改正された地方自治法に基づく「代執行」の異例であり初めての行使であった。

要するに、裁判所は、国が法律を私物化し、地方自治体の自治権を踏みにじることを事実上認めたのである。日本政府は2024年1月12日に大浦湾の埋め立て工事を開始する予定である。

『沖縄タイムス』の12月28日の社説はこう主張した:

地方自治法による代執行は全国どこにも例がない。国は「普天間飛行場の一日も早い危険性の除去」を理由に、自治を侵害する強行手段に出た。

『琉球新報』は12月27日の社説でこう問うた:

他県に住む方々は、自らの地域にこのような事態が降りかかることを是認できるだろうか。… 沖縄が初のケースで、今後沖縄以外にあり得ないという認識の下の無関心であろうか。

これは植民地主義的無関心である。県外の人々は気にもかけないし、米国市民の圧倒的多数は自国政府が沖縄で何をしているかさえ知らない。

バイデン大統領、岸田首相、そして米国と日本の市民へ、私たちは沖縄差別を止め、沖縄の軍事植民地化に終止符を打たなければならない。その第一歩は、総工費65億米ドル以上、完成までに10年以上かかると予想されている辺野古・大浦湾での新基地建設を中止することである。

今こそ正しいことをしよう。

主な署名者(123人)

1

マリコ・アベ

日本自然保護協会 保護・教育部主任

日本

2

エイミー・アントヌッチ

小規模農業家・活動家

米国

3

エレン・バーフィールド

ベテランズ・フォー・ピース、ミリタリーファミリーズ・スピークアウト、ウォー・レジスターズ・リーグ

米国

4

ウォルデン・ベロ

フォーカス・オン・ザ・グローバルサウス共同代表

フィリピン/タイ

5

マックス・ブルーメンソール

『ザ・グレイゾーン』

米国

6

ジャクリン・カバッソ

西部諸州法律財団事務局長

米国

7

ヘレン・カルディコット

1985年ノーベル平和賞受賞「社会的責任を担う医師」(PSR)創設者

オーストラリア

8

マリリン・カーリスル

ピースアクション

米国

9

ソンヒ・チェ

カンジョン平和活動家

韓国

10

レイチェル・クラーク

ベテランズ・フォー・ピース アソシエート会員、通訳、グローバルコーディネーター

米国

11

ジェリー・コンドン

ベテランズ・フォー・ピース理事

米国

12

マリー・クルーズ・ソト

プエルトリコ・ビエケスと米国の歴史研究家

プエルトリコ/米国

13

ルド・デ・ブラバンダー

ブレデVZW広報担当

ベルギー

14

アリエル・ドーフマン

著述家

米国

15

アレクシス・ダデン

コネチカット大学歴史学教授

米国

16

マーク・イーリ

翻訳家

ニュージーランド

17

パット・エルダー

「ミリタリー・ポイズンズ」プロジェクト

米国

18

ジョセフ・エサティエ

ワールド・ビヨンド・ウォー 日本支部長

日本

19

コラソン・ファブロス

国際平和ビューロー 共同代表

フィリピン

20

トーマス・ファーツィ

ジャーナリスト、著述家

イタリア

21

ジョン・フェファー

フォーリン・ポリシー・イン・フォーカス ディレクター

米国

22

ノーマ・フィールド

シカゴ大学 東アジア言語と文明 名誉教授

米国

23

マーガレット・フラワーズ

ポピュラー・レジスタンス ディレクター

米国

24

タカシ・フジタニ

トロント大学教授

カナダ

25

ブルース・ギャグノン

「宇宙の兵器と原子力に反対するグローバル・ネットワーク」コーディネーター

米国

26

ジョセフ・ガーソン

「平和、軍縮と共通の安全保障」キャンペーン代表

米国

27

アーロン・グッド

政治学者および歴史学者

米国

28

デイビッド・ハーツォー

サンフランシスコ・フレンズ・ミーティング

米国

29

クリス・ヘッジズ

ピュリッツァー賞受賞ジャーナリスト、著述家

米国

30

ローラ・ハイン

ノースウェスタン大学歴史学教授

米国

31

マーサ・ヘネシー

カソリック・ワーカー

米国

32

ミホ・ヒキ

幼児教育従事者

日本

33

ユンシン・ホン

沖縄大学助教授

日本

34

ピーター・ハルム

『グローバル・インサイツ』副編集長

スイス

35

マサミチ(マロ)・イノウエ

ケンタッキー大学教授

米国

36

アケミ・ジョンソン

著述家

米国

37

エリン・ジョーンズ

翻訳家・研究者

米国

38

ジャン・ユンカーマン

ドキュメンタリー映画監督

日本

39

マリコ・カゲ

リルイット・フレンドシップセンター

カナダ

40

カイル・カジヒロ

ハワイ大学マノア校助教授

ハワイ

41

クリスティン・カーチ

インターナショナル「NATOにノー」

ドイツ

42

ローズマリー・キーン

マサチューセッツ・ピース・アクション 人種的正義ワーキング・グループ

米国

43

クラウディア・ジョンヒュン・キム

香港市立大学

香港

44

ヨンファン・キム

民族問題研究会

韓国

45

ウラ・クロッツァー

ウィメン・フォー・ピース フィンランド

フィンランド

46

ジョイ・コガワ

著述家

カナダ

47

リュウコ・クボタ

ブリティッシュコロンビア大学

カナダ

48

ジェレミー・カズマロフ

『コバートアクション・マガジン』編集長

米国

49

ピーター・カズニック

アメリカン大学歴史学教授

米国

50

ヒョクテ・クォン

聖公会大学

韓国

51

ジュディス・ラング

科学アドバイザー/Aid-Team

米国

52

ドナルド・ラスロップ

平和と正義のためのバークシャー市民

米国

53

ニディア・リーフ

退職教員

米国

54

アンドレア・ルブラン

平和な明日のための911ファミリーズ

米国

55

スティーブン・リーパー

ピース・カルチャー・ビレッジ

日本

56

ジョン・レットマン

フリージャーナリスト

米国

57

マデリン・ルイス

アーティスト

米国

58

チャールズ・ダグラス・ラミス

津田塾大学元教授、ベテラン・フォー・ピース琉球沖縄支部国際(VFP-ROCK)

日本

59

キャサリン・ルッツ

ブラウン大学

米国

60

キョー・マクレアー

作家、インストラクター

カナダ

61

キャシー・マリー=モリソン

ボストン大学名誉教授、マサチューセッツ・ピースアクション会員

米国

62

カズミ・マーシエンセン

アーティスト

カナダ

63

アビー・マーティン

『ザ・エンパイア・ファイルズ』ジャーナリスト

米国

64

ケビン・マーティン

ピースアクション代表

米国

65

ウェンディ・マツムラ

カリフォルニア大学サンディエゴ校准教授

米国

66

ガバン・マコーマック

オーストラリア国立大学名誉教授

オーストラリア

67

マイレード・マグワイア

ノーベル平和賞受賞者、ピース・ピープル・アイルランド共同創立者

北アイルランド

68

ニッキ・メイス

動物学者、自然保護論者、環境ライター、編集者、デザイナー

スイス

69

マーティン・メルコニアン

経済学教授

米国

70

スーザン・マースキー

ニュートン・ダイアログ・オン・ピース・アンド・ウォー

米国

71

ユキ・ミヤモト

デポール大学教授

米国

72

ハルコ・モリタキ

核兵器廃絶を目指す広島の会(HANWA)

日本

73

テッサ・モリス=スズキ

オーストラリア国立大学名誉教授

オーストラリア

74

キャサリン・ミュージック

海洋生物学者/著述家

米国

75

クリストファー・ネルソン

ノースキャロライナ大学チャペルヒル校

米国

76

ケイジェイ・ノー

ピボット・フォー・ピース

米国

77

リチャード・オクス

メリーランド・ピースアクション理事

米国

78

ミドリ・オガサワラ

ビクトリア大学社会学部助教授

カナダ

79

サトコ・オカ・ノリマツ

ピース・フィロフィーセンター代表

カナダ/日本

80

ナツ・オノダ・パワー

ジョージタウン大学

米国

81

アキノ・オーシロ

エアランゲン=ニュルンベルク大学

韓国

82

ショーコ・オーシロ

大学講師

沖縄

83

ヒデコ・オータケ

スタンド・ウィズ・オキナワNYコーディネーター

米国

84

シナコ・オヤカワ

琉球民族独立総合研究学会

琉球

85

ノリコ・オーヤマ

沖縄ピースアピール、VFP Rock

米国

86

ローズマリー・ペース

パックス・クリスティ

米国

87

クーハン・パク=マンダー

著述家

米国

88

トニー・パロンバ

ウォータータウン平和、正義、環境のための市民実行委員会

米国

89

テア・パネス

アーリントン正義と平和のための連合(MA)

米国

90

マシュー・ペニー

コンコーディア大学准教授

カナダ

91

マーガレット・パワー

平和と民主主義のための歴史学者共同代表

米国

92

ジョン・プライス

ビクトリア大学グローバル・スタディーズセンター研究員

カナダ

93

マジン・クムシア

パレスチナ生物多様性と持続可能性のための研究所教授およびディレクター

パレスチナ

94

スティーブ・ラブソン

ブラウン大学

米国

95

ジョン・ラビー

ピースアクションメイン支部共同代表

米国

96

ウィリアム・ラムジー

著述家

米国

97

ワイアット・リード

『ザ・グレイゾーン』編集長

米国

98

ジョン・ラインチ

著述家

米国

99

デニス・リッチズ

成城大学教授

日本

100

ジュン・ササモト

弁護士

日本

101

スーザン・シュノール

ベテラン・フォー・ピース理事長

米国

102

マーク・セルダン

コーネル大学

米国

103

ティム・ショロック

フリージャーナリスト

米国

104

スティーブン・スレイナー

マサチューセッツ・ピースアクションサポート

米国

105

スティーブン・スター

ミズーリ大学助教授

米国

106

ビッキー・スタイニッツ

マサチューセッツ大学ボストン校退職教員

米国

107

オリバー・ストーン

映画監督

米国

108

ダグ・ストラブル

学習テクノロジー技術者

日本

109

デイビッド・スワンソン

ワールド・ビヨンド・ウォー事務局長

米国

110

ヒロコ・タカハシ

奈良大学歴史学教授

日本

111

ロイ・タマシロ

ウェブスター大学名誉教授

米国

112

ユキ・タナカ

歴史家

オーストラリア

113

カイア・ベレイデ

平和の海のための島々の連帯行動 済州委員会

韓国/米国

114

パキ・ウィーランド

コードピンク

米国

115

シャーメイン・ウィリス

スキッドモア大学客員助教授

米国

116

ローレンス・ウィットナー

ニューヨーク大学アルバニー校歴史学名誉教授

米国

117

エレン・ウッズワース

WILPFカナダ共同代表・元バンクーバー市議会議員など

カナダ

118

アン・ライト

元米陸軍大佐・元米国外交官/ベテランズ・フォー・ピース

米国

119

ショー・ヤマグスク

著述家

カナダ

120

リサ・ヨネヤマ

トロント大学教授

カナダ

121

ヒデキ・ヨシカワ

沖縄環境正義プロジェクト代表

日本

122

アヤカ・ヨシミズ

ブリティッシュコロンビア大学ティーチング助教授

カナダ

123

ジェフリー・ヤング

米国上院議員候補

米国

1月5日15:37(太平洋標準時)時点での400以上集まっている署名の一覧はここです(英語のみ)

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-2665129.html


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国民として人権主張 「先住民族」「独立」触れず 翁長氏の国連発言 阿部藹<託されたバトン 再考・沖縄の自己決定権>11

2023-12-23 | ウチナー・沖縄

琉球新報 2023年12月22日 12:23

更新日時 2023年12月22日 12:23

2015年、国連の人権理事会で沖縄の状況を「人権がないがしろにされている」と訴える翁長雄志知事=2015年9月21日午後5時すぎ、スイスの国連人権理事会総会 先日、ジェンダー平等や平和な社会のために活動するアイ女性会議・沖縄県本部が主催する女性・政治スクールの集まりに招かれ、国際人権法と沖縄について講演する機会があった。沖縄の人々が直面している諸問題について国際人権法の観点から見ることの利点などとともに、2015年の翁長雄志知事(当時)の国連での口頭声明について話す中で「自己決定権」のことにも少し触れた。 

 質疑応答の際に多くの質問を受けたのだが、そのうちの一つが「沖縄の人が先住民族というと少し違和感があるのだが、改めて先住民族の定義とは何か?」という問いだった。そこで「先住民族という言葉を聞くと、経済的発展をしていない地域で昔と変わらない狩猟生活を送っているような民族集団を思い浮かべるのではないか?」と会場に投げかけたところ、うなずく人が多かった。

 そこで、前回この紙面でも紹介したように、国際人権法上の先住民族は社会的、経済的発展の度合いで定義されるものではなく、むしろ近代国家が成立する過程で元々住んでいた場所や生活様式、言語などを奪われた人のことを指し、明治になって日本という国を作る際に元々琉球国だったこの場所が明治政府によって日本に併合され、言語や土地、統治機構、文化などが奪われたという経緯を踏まえれば、琉球・沖縄の人々は国際人権法上の先住民族という定義に当てはまると考えられるということをお伝えした。一般的に使われている「先住民族」と国際人権法における「indigenous peoples(先住民族)」の意味合いが異なることは理解してもらえたように感じた。

 実はこれまでにも、例えば大学で自己決定権に関する講義をする中で、県内出身の学生であっても「沖縄の人々が先住民族だとは言えないと思う」という意見を持つ人のほうが多いのではないかという感覚を持っていた。国際人権法上の「先住民族」という言葉の理解がまだ浸透していないこと、そして歴史に照らし合わせた人権教育が不足していることが原因で、沖縄の人々を先住民族と認識することに違和感が生じてしまうのではないかと思う。

 これまでこの連載では、琉球処分や沖縄返還の過程から考えれば琉球・沖縄は植民地に類似する扱いを受けており、人々は「非自治地域」の住民として独立を含む自己決定権を有していたと考えられることと、一方で現在においても先住民族として高度な自治を求める自己決定権を主張することが可能だと述べてきた。

  しかし繰り返し述べてきたように琉球・沖縄の人々が先住民族としてより強く自己決定権を主張していくためには、先住民族としての自己認識が広く共有されることが重要なカギになってくる。その意味では、先住民族と認識することに違和感を持つ人が多いということは、真摯(しんし)に受け止められるべき現状と言えるだろう。

 しかしそれは、「自己認識が共有されていないから権利主張ができない」という結論につながるわけではない。国際人権法上の「先住民族」という言葉の意味について理解を広げ議論を続けていく努力とともに、その結論を待たずとも沖縄の人々が違和感なく自己認識を持つことができ、国際人権法に基づき権利を主張することができる「集団」が他にも考えられないか、という可能性を広げる問いにつながるべきだと考える。

 その問いを考えるにあたり、重要な示唆を含んでいるのが15年の翁長知事の国連人権理事会での口頭声明やサイドイベントでの講演の内容だ。知事は口頭声明の中で日本政府に対し、沖縄の人々の民意や人権が蔑(ないがし)ろにされているとして「自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できるのでしょうか」と問いを突きつけている。また講演においては600年前の琉球王国の誕生から沖縄の歴史を振り返り、「時代の変化の中で自己決定権というものを、ある意味蹂躙(じゅうりん)されてきた」と語った。

 翁長氏が史上初めて沖縄県知事として国連の場で沖縄の自己決定権に触れたために、この時の発言は「沖縄県民が先住民族だというメッセージを伝えた」とか「沖縄の独立を主張した」などの批判にさらされることが多かったが、詳細を見れば翁長氏は先住民族という言葉を一度も使っておらず、独立にも触れていない。むしろ「日本国の沖縄県知事」という立場を明確にし、日本政府に対し、日本国民たる沖縄の人々の民主主義や人権、そして自己決定権を保障するように求めている。

 これらの事実を踏まえれば、翁長氏が語った自己決定権は、(独立の権利を含む)植民地や非自治地域の人民としての自己決定権にも、先住民族としての自己決定権にも当てはまらない「自己決定権」を想定していたのではないかと考えざるをえない。

 帰国後に前述したような批判を受けたためにその後翁長氏は「自己決定権」について言及することがなくなり、病に斃(たお)れてしまったため、その真意は確かめることができなくなってしまった。しかし、翁長氏の主張を国際人権法の観点に照らし合わせて分析をしたところ、近年、より公正な民主主義を重視する立場から発展しつつある「人民(people)」としての自己決定権の議論に多くの共通点があると筆者は考えるようになった。次回は琉球・沖縄の人々について、この「人民」としての自己決定権の可能性について議論する。

 (琉球大学客員研究員)
 (第4金曜掲載)

https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-2609641.html


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杉田水脈氏、人権侵犯認定に「具体的に何が起きるわけではない」 月刊誌に寄稿「まだまだ戦う」 別の対談では沖縄の運動を中傷

2023-12-12 | ウチナー・沖縄

琉球新報2023年12月12日 05:00

 アイヌの人々などに向けた差別的言動を繰り返している自民党の杉田水脈衆院議員は、月刊誌「Hanada」2024年1月号への寄稿で「私は潰れません。これからも、まだまだ戦っていきます」と宣言した。別の月刊誌の対談では、「琉球民族を先住民族として認めろという動き」に触れ、沖縄などの運動を中傷した。杉田氏の言動を放置している自民党の責任が問われている。

 杉田氏は寄稿で、アイヌや在日コリアンに関する差別的言動を巡り、法務局から人権侵犯と認定されたことについて、「行政処分ではありませんから、具体的に何が起きるわけではない」と主張。「私が叩たたかれれば叩かれるほど、様々な問題があらわになっていく」と、国会議員の職を続ける自身の対応を正当化した。

 さらに杉田氏は、月刊誌「WiLL」24年1月号の対談で、「今、琉球民族を先住民族として認めろという動きも活発化しています」と言及。対談相手の元産経新聞記者が「そうして莫大な補助金チューチュー構造をつくろうとしている」と応じると、杉田氏は「公金を得た左翼活動家が、さらに反日活動を世界中で展開する」と語り、沖縄の運動などを中傷した。

 杉田氏は過去にも沖縄に関して、「(沖縄に対する)差別なんてない。優遇されている。大阪の議員仲間も『ゴネればゴネるだけお金が来るんですよ』って」(17年の月刊誌「JAPANISM」の対談)と根拠のない発言を拡散。東京MXテレビの「ニュース女子」が、基地建設に反対する市民をテロリストにたとえる番組を放送して問題になった際も、「事実を報道したテレビ局に対し、『デマ』というレッテル貼りをし、デモなどで圧力をかける。いつもの左翼活動家の手法」(17年2月、産経新聞)と番組側を擁護していた。同番組はその後、放送倫理・番組向上機構(BPO)から人権侵害と認定されている。

 杉田氏の一連の言動は国会でも再三問題になっているが、自民党の岸田文雄首相は11月27日の参院予算委員会で、「議員の発言に一つ一つコメントすることは控える」と論評を避けている。(南彰)

https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-2571977.html


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ブルーインパルス、那覇基地で曲技飛行 ゲート近くでは自衛隊増強に抗議活動も 沖縄

2023-12-11 | ウチナー・沖縄

琉球新報12/10(日) 14:09配信

飛行する自衛隊のブルーインパルス=10日午前11時4分、那覇

 沖縄の航空自衛隊那覇基地で行われる「美ら島エアーフェスタ2023」にあわせ、空自の曲技飛行隊「ブルーインパルス」が10日、曲技飛行を展示した。那覇基地に近い国道沿いの交差点では、「台湾有事」への対処を名目とした自衛隊増強に反対する市民が抗議のスタンディング活動を行った。

【動画を見る】那覇での曲技飛行

 ブルーインパルスのT4練習機6機は午前11時に那覇基地を次々に離陸した。白煙を噴射しながら約40分間にわたって展示飛行を行った。航空ファンらが歓声を上げて見守った。

 三重県から訪れた親子連れは「地元では見られなかったので、きょうこのために来た」と話し、小学5年の男の子は「急上昇しているところが格好良かった」と目を輝かせた。

 一方、那覇基地に近い安次嶺交差点や大勢の観客が入っていく正門ゲート近くでは「自衛隊・米軍基地の全面撤去を実現させる有志の会」が即時全面撤去の横断幕を掲げて訴えた。

 遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表は「私たちが抗議するのは自衛隊が嫌いだからではなく、自衛隊員の命が犠牲になってほしくないから。沖縄が戦場になれば自衛隊員、県民、国民の命が奪われる。中国軍にミサイルを発射すれば戦争の引き金になる。攻撃の標的になりたくない。自衛隊は出て行ってほしい」と訴えた。

 「琉球先住民族まぶいぐみぬ会」の與那嶺貞子さんは、通行人から侮辱のようなジェスチャーを受けることもあったといい、ミサイル配備などが進む中でのフェスタに「県民を懐柔する目的だろうが、日本政府は沖縄に対する歴史認識や植民者という認識が足りない。二度と戦争にさせないため、県民は声を上げないといけない」と話した。

 ブルーインパルスを巡っては、過去に重大事故も起きた例があり、県は安全な飛行を求め、空自側は機体整備に万全を期す考えを示していた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/659519f9b7226bdfb62648861a5a1dabcf01f16f


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琉球遺骨、研究材料へ懸念「埋葬必要」 今帰仁村教委に働きかけへ 原告、弁護団が報告集会

2023-12-05 | ウチナー・沖縄

琉球新報2023年12月04日 05:00

大阪高裁判決など2件の裁判の意義と今後の展望を探った琉球民族遺骨返還請求訴訟判決の報告集会=3日、那覇市の県立博物館・美術館

 琉球民族遺骨返還請求訴訟判決の報告集会が3日、那覇市の県立博物館・美術館で開かれた。昭和初期に旧京都帝国大学(京都大)の研究者によって、今帰仁村の風葬墓「百按司(むむじゃな)墓」から持ち出された琉球遺骨の返還を求める同訴訟の控訴審判決と、県教育委員会に関連文書の開示を求めた訴訟の計2件を踏まえ、今後の活動の方向性を探った。

 台湾大から県教委を介して今帰仁村教育委員会に移管された、同村由来とされる人骨21体について、弁護団や来場者から「研究材料」として扱われる懸念が提起され、人骨を埋葬するよう今帰仁村教委へ働きかける必要性を確認した。

 集会は同訴訟全国連絡会が主催した。約50人が参加し、原告と弁護団が一連の訴訟の意義を語った。原告は松島泰勝さん、亀谷正子さん、金城実さんが登壇した。

 弁護団の丹羽雅雄弁護士は控訴審判決の付言で、日本人類学会から提出された書面について「重きを置くことが相当とは思われない」とした記述に着目。丹羽弁護士は「人類学会は(この案件の)利害関係者ではない。遺骨を研究(材料)から外せと言っている」と指摘した。

 原告の金城さんは控訴審の事実認定で、琉球民族が「先住民族」と言及された点について「今後、われわれは堂々と先住民族だと使える。大変喜ばしい」と話した。 (高江洲洋子)

https://ryukyushimpo.jp/news/living/entry-2541735.html


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#IMAGINEおきなわ vol.46 「消滅危機言語をつなぐ」

2023-11-30 | ウチナー・沖縄

琉球朝日放送 報道制作局 20231129

今を生きる私たちが沖縄の未来を見ていくシリーズ「IMAGINEおきなわ」です。こちらをご覧ください。世界にはおよそ6000~8000の言語があるとされていてその大半が「今何もしなければ」今世紀の間になくなってしまう「消滅危機言語」と言われています。

日本では、8つの言葉が消滅の危機にあり、そのうちの6つが沖縄で話されている言葉です。(2009年ユネスコ発表)年々話す人が減り続け、消滅の危機にある島の言葉をどのように繋いでいくか考えます。

危機的な状況にある地域の言葉について広く知ってもらおうと毎年全国各地で開催されている「方言サミット」。8回目となったことしは、与那国島が開催地となり各地で言葉の保存・継承に取り組む人たちが集まって文化を彩る言葉の役割やその大切さについて考えました。

与那国中学校3年 土屋りらさん「あぬや ににんまえがら よなぐにごこーすし どぅなんむぬい ならいぶる(私は与那国語コースでどぅなんむぬいを習っています)」

そこで与那国の言葉=どぅなんむぬいを披露したのは地元の中学生たちです。

与那国中学校2年 野底優琳さん「あぬや ぬっかぬ ひできとぅ たかこぬ なぶだてぃ ぬっかぬ ゆうりんどぅぬ たんでぃ ちーとぅらしわり(私は野底秀樹と貴子の三男 野底優琳と申しますどうぞよろしくお願いします。)」

今後、数十年のうちに流ちょうに話せる人がいなくなる可能性があるなかで保存・継承に向けて動き出した地域と、そうでない地域がありいま、状況は二分されてきているといいます。

国立国語研究所 山田真寛 准教授「残すと決めて手を動かす人がいる地域は残る。そうじゃないところは残らないんじゃないですか」「最近は記録を残すだけではなくて生きた言語を残そうという意識を持っている人たちが増えてきている気がしますよ」

生活の中で話され、親から子へ、そのまた子どもへと受け継がれ、地域と共に生きてきた言葉。その響きには、それぞれに味わいがあります。さまざまな言葉があるなかでユネスコが日本国内で最も危機レベルが高い「極めて深刻」としているのが、アイヌの言葉です。

北海道などでアイヌ民族が話してきたアイヌ語は明治以降の近代化などを経て、話せる人が減り幼少期のころから言葉を聞いて習得してきた人はもうほとんどいません。

アイヌ語講座「イランカラプテ(こんにちは)~ イヤイライケレ(ありがとう)~」

しかし、残された記録や音声などを通してアイヌ語を学び、話し、つなごうとする人たちがいました。北海道の関根さん家族です。

関根健司さん「僕たちはかなり時間を割いてトレーニングというかアイヌ語だけを使う時間を作ったりしてニュースピーカーという感じ」

アイヌ語を生活の中で使ってきた人が周りにいない今、一から言葉を身につけることは、たやすいことではありません。

関根健司さん「実際はネイティブではないので年配の方とかにチェックとかをしていただくことができないような状況。分かる限りのデータを一生懸命調べて、なるべく正確なアイヌ語を使っていこうという努力を続けています」

必死に学び、広げる活動を続ける関根さんたちの目に、私たちの沖縄の言葉は、どう映っているのでしょうか。

関根健司さん「なるべくいろんなお話を聞いたり、記録を取ったり、保育所とか小学校から、今始めればまだたくさんの人が使う状況にできると思います。それをするにはアイヌ語よりもやりやすい状況があるのではないかと思います」

関根摩耶さん「(他の地域と)交流することで気付く場や表現する場が増えていったらお互いがもっとパワーを持って活動できるようになるのかなと思います」

アイヌ語の次に危機的な段階「重大な危険」とされているのが、ここ与那国の言葉=「どぅなんむぬい」です。過去の調査によると話せる人は390人程度。(2010~2013年)現在はそれよりも少なくなっていると考えられています。

ゆっくりと、確実に消えゆこうとしている言葉を教育の現場から考えようと与那国中学校では2002年から総合学習の時間に島の文化や言葉を学ぶコースを作りました。2010年頃からは、本格的にどぅなんむぬいを学ぶ「与那国語コース」がスタートしています。

どぅなんむぬいで、簡単な日常会話を練習したり自分の意見を話してみたり…毎週2時間、どぅなんむぬいの辞書作りに携わる人たちなどから学んでいます。

講師 村松稔さん「与那国らしい表現というのは人と関わらないとできないので。僕がよく言われたのは”っかい ならえ”って。”使って習え”って」

2年生の野底優琳(のそこ・ゆうり)さんは、言葉を聞いても最初はさっぱりわかりませんでしたが”使って習う”を実践し少しずつ話せるようになってきました。

先生とのやりとり「うやんた(みなさん)”あ”をもうちょっとしっかり」「うやんた」

野底優琳さん「同じ言葉が連続で来ると噛んだりとか途中で詰まったりするのでなめらかにスラスラ言えるようにしたい」

会場は席が埋まり立ち見の人も大勢。今回初めて与那国島が方言サミットの開催地になったとあって多くの島民がつめかけました。地元の人々が見守るなか与那国中学校のメンバーはどぅなんむぬいで自由に自分の考えを語ります。

与那国中学校3年 土屋りらさん「あった とぅいっくんか゜ とぅむてぃぬ いいや パンか゜まちかや? まいぬ いいか゜まちかや? パンや まぁんか゜あぬや まいぬ いいか゜どぅ まち(突然の質問ですが 朝食はパン派ですか?お米派ですか?私はお米派です。)」

与那国中学校3年 金城ゆいさん「あぶたや とぅむてぃ つま どぅー まーるむぬ っくい どぅふるぬ すでぃ ふるやぬ すでぃ んなにあらい ふがんき しかまんき ひるんんた いしわるん くゆ いっちん いしわるんすや いまさらどぅ あか゜でゃーでぃな くとぅんでぃ うむん(母は朝昼晩、料理を作ったりお風呂の掃除トイレ掃除をしたり洗濯をしたり 仕事に行ったりしています。これを毎日やっているのは今更ながらすごいなと思いました)」

野底さんが語るのは「将来の夢」についてです。

野底さん「あか゜しょーらいぬ いみや うやたいぬ しかま ちんぎるきとぅ あか゜うやたいや だどぅやぬ しかま きーぶる(私の将来の夢は両親の仕事を継ぐことです。私の親は民宿をしています。」

「どぅなんや ちゅーがっこーぬか゜いか゜しや こーこーんき ひるたみ どぅなんちま とぅんでぃらぬとぅ ならぬんがら ない いやや あぶたがら しかーとぅ ってぃ うとぅぐくとぅか゜いてぃん あたらぎーぬくとぅんでぃ うむん(与那国島は中学校を卒業すると高校に入学するために島から出ないとならないから 今のうちにお父さんお母さんから(民宿のことを)しっかりと聞いておくことが一番大切なことだと思います。」

「まーびん どぅなんちまぬくとぅ つぁぬとぅ ならぬんでぃ うむんがらんーまんきん くまんきん ひーぶさどぅ ある(もっと与那国のことを知らないとならないと思うからいろいろなところに行きたいです)」

祖父・武則さん(75歳)「じいちゃんびっくりしたよ。イントネーションとかが一番難しいけど非常に良かった」

島の人たち「君らが与那国語を使っている姿に感動した」「すごいの連発です」「先生より上手くならないでね」

野底さん「いつもより人が多くて緊張した。与那国の方言で書いた本を辞書を使わずに読めたり、いちから方言で考えて文章を書いたりしてみたいです」

今、生きている言葉を生かし続けていくために若者たちは「使って習う」でどぅなんむぬいを未来へつなげます。

「ぶーるし どぅなんむぬい っかいんだぎ!(みんなで与那国の言葉を使おう)」

辞書、文法書を作ったり実際に話している様子の動画とかを記録するのも大事だし実際に地域の言葉をたくさん話すことも大事。国立国語研究所の山田准教授は「話すのがなるべく心地よい場所を見つけるといい」と話していました。

家族でだけでもいいし、職場で友達同士だけでもいいしつらい環境ではなくて楽に話し続けられる環境を見つけることが生きた言葉をつなぐ第一歩になるのかなと思います。

https://www.qab.co.jp/news/20231129194215.html


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