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オバマが語る最後の挑戦(前編):気候変動に立ち向かう

2016-04-03 | 先住民族関連
http://rollingstonejapan.com/-2016/04/02 11:30 By JEFF GOODELL
統領選をめぐる騒動もかまびすしい中、オバマ大統領はレガシー作りに勤しんでいた。これまでも数々の重要な改革を成し遂げたオバマ、最後の総仕上げは環境問題だ。
アラスカ滞在中、オバマ大統領は終始上機嫌だった。2015年の夏の終わり(8月の終わりから9月頭にかけて)にこの米国最北の州を訪れたのは、世界が直面しつつある気候変動の問題への関心を高めるためだった。しかし、この世の終わりが迫っているかのように危機を訴えた公式スピーチを除けば、笑顔を絶やさずに3日間のほとんどを過ごした。「オリから出されてご機嫌のようだ」と、側近のひとりはおどけた。アメリカ経済が好調だからと言う者もいれば、腐心したイラン核問題をめぐる最終合意を上院の共和党議員に覆されない見通しがついたからだと言う者もいた。
理由は何であれ、オバマの表情は明るい。この日も、アンカレッジのエルメンドルフ空軍基地で専用の装甲リムジンを降りた瞬間からそうだった。数百万エーカーを焼いた山火事の煙のせいで、大気はかすんでいた。満面の笑みで地元政界の幹部と握手を交わした後、タラップを上ってエアフォースワン(大統領専用機)に乗り込む。ノースーツにノーネクタイ――3日間のツアーの最終日の装いは、ブラックのアウトドアパンツ、グレーのプルオーバーの上にカーハートのジャケットというアドベンチャースタイルだった。
向かう先は北部のコツェブー。北極圏に入って48キロほどの場所にある村で、永久凍土の融解、海面の上昇、高潮の増大という気候変動の三重苦に悩まされている。ホワイトハウスのプレスリリースやビデオブログで指摘されたように、今回の周遊は歴史的なものだった――オバマは在任中に北極圏を訪問した初めての大統領となった。そればかりか、人類文明の終わりについて語る自分の動画を自撮り棒を使って撮影した初の大統領にもなった。
この日の明るい雰囲気は、深刻で切迫したメッセージと好対照を成していた。「気候変動はもはや遠い先の問題ではありません。今ここで起きている問題なのです」。オバマは訪問初日にアンカレッジで開かれた北極に関する国際会議でこう語った。これまでの公式発言にはなかった厳しい言葉で、二酸化炭素の削減努力を加速しなければ「子供たちは修復不可能な地球で生きていくことになります。国は海面下に沈み、都市は荒廃し、田畑の作物は育たなくなるでしょう」と警告した。焦燥感が見てとれた。「我々の取り組みのスピードは不十分です」。このフレーズは、24分間のスピーチの間に4回も繰り返された(のちに側近のひとりに聞いた話では、この繰り返しはアドリブだった)。
このアラスカ訪問を皮切りに、オバマは任期中最後となりそうな大仕事にとりかかった。2015年の年末にパリで開かれる気候変動に関する国際会議(2015年11月30日〜12月11日まで開催された、国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議)で成果を残すため、議論に弾みをつけることだ。「大統領はこの目標を達成することに完全に集中している」。ある側近がアラスカでこう教えてくれた。医療保険制度と経済というふたつの優先事項に加え、同性婚や移民などの重要問題でもレガシー(遺産)を残したオバマにとって、2016年の大統領選をめぐる騒動の中でひっそり任期を終える前にパリで交渉をまとめることができれば、鮮やかな有終の美となる。「気候変動に対する世界的な取り組みへの本気度では、誰もオバマにかなわない」。オバマの元上級顧問で、現在はヒラリー・クリントンの選挙活動に携わっているジョン・ポデスタは言う(最近大統領執務室を訪問した人によると、オバマは「世界中の目をパリに集めようとしている」と語ったという)。
政策面では、オバマはアラスカに大した手みやげを持参できなかった。北米最高峰の正式呼称を先住民がつけた名前であるデナリに戻し、湾岸警備隊の新しい砕氷船の建造を急がせ、アラスカ先住民族が住む村が高台へ移動するにあたり、数百万ドルを提供した。しかし、これらはジェスチャーにすぎず、炎天下のアイスキャンディのごとく州が溶け始めたアラスカの問題の解決にはほとんど役立たない。結局のところ、今回の訪問は計算し尽くした用意周到なパフォーマンスにすぎなかった。そうだとすると、こんな疑問も浮かんでくる。溶けていく氷河の前で世界の危機を叫ぶ大統領を見て、アメリカの人々は関心を払うだろうか?
「私がこの旅をしたかった理由のひとつは、気候変動を人々にとってもう少し身近にするためであり、いつまでも後回しにできる遠い先の問題ではないということを明確に示すためだった」とオバマ。「今すぐに取りかかるべき問題だ」
そういったことを訴えるのに、アラスカ以上の場所はなかっただろう。気候の面では、化石燃料社会の暗部をくっきり映し出している。アラスカ州の気温は全米平均の2倍のペースで上昇しており、氷河は急速に後退している。アンカレッジ行きのデルタ航空の機長が言っていたほどだ。「左の窓をご覧ください。氷河がこうやって見られるのも今のうちでしょう!」。オバマが訪問したちょうど同じ週、アラスカ北部の海岸に3万5千頭ものセイウチが上陸しているのが観測された。獲物の狩りをする際、休憩場所になっていた海氷が溶けてなくなってしまったためだ。アラスカ湾では、科学者たちが水温が異常に高い海域の影響を調べている。カリフォルニア半島まで広がるこの海域は、温度分布図に表れる形から、いみじくもブロブ(ブヨブヨしたもの)と呼ばれている。だがその一方、アラスカ州は収入をほぼ全面的に化石燃料生産に頼っている。生産量は、原油安やノーススロープの油井、ガス井の枯渇によって急減している。2015年度、アラスカ州は37億ドルの歳入不足をどうにか穴埋めしなければならない。ビル・ウォーカー州知事は今回、オバマに同行する形でワシントンD.C.からアンカレッジまで飛んで来た。オバマの側近のひとりによると、ウォーカー州知事は歳入拡大および石油とガスの採掘のため、国有地をもっと解放してほしいと要請した。「アラスカはバナナ共和国(一次産品の輸出に頼る小国)だからね」。アラスカの環境団体クック・インレットキーパーのボブ・シャベルソン事務局長は言う。「この州は石油を掘るか、それとも死ぬかだ」
気候変動の問題について、オバマはいつも口はうまいが行動が伴わないという評価をされてきた。2008年の大統領選挙では、二酸化炭素排出量の削減とキャップ・アンド・トレード方式による排出量取引の立法化を掲げていたが、切迫感はなかった(同年の選挙キャンペーン中、オバマはクリーンコールを支持。石炭の効率的利用を意味するこの言葉は、石炭関連産業の流行語であり、政治的には「中西部の有権者の皆さん、安心してください。気候変動問題なんかに真面目に取り組む気はありません」という意味でもあった)。就任1年目、オバマはコペンハーゲンで開かれた気候変動に関する国際会議の土壇場で合意を取りまとめたが、1期目の最優先課題は気候問題への取り組みの法制化でなく、医療保険制度改革とすることを決めた。しかし経済が失速すると、総額8000億ドルの景気刺激策を打ち出し、これがアメリカのクリーンテクノロジー革命を活性化させ、風力、太陽光などの再生可能エネルギーへの投資に資金が流れ込む結果となった。また自動車業界を救済して作った貸しを乗用車などの燃費基準を2倍に引き上げることに利用した。
とは言え2010年の中間選挙後、共和党が勢力を伸ばした議会では、温暖化否定論者が多数を占めるようになった。オバマは議会と対立して、公権力を用いてまで気候変動に対するアクションをとろうとはせず、問題には積極的に触れないまま1期目の残りを過ごした。
しかしそういった姿勢は2期目に入ると変わった。「2013年の就任演説がターニングポイントだった」と上級顧問のブライアン・ディーズは指摘する。「彼は原稿を政策スタッフに頼らず、ほとんど自分で書いていた。彼の考え方の変化がはっきり表れている」。このスピーチで、オバマは今すぐ行動をとるべきだと訴えた。「我々は我々自身に対してだけでなく、子孫に対してもアメリカ人としての義務を負っています。気候変動の脅威に立ち向かっていきましょう。そうしなければ子供たちや未来の世代を裏切ることになるのですから」
言葉は行動に移された。2013年6月、オバマは75項目にも及ぶ詳細な気候問題アクションプランを発表した。連邦政府はこれを皮切りに態度をガラっと変え、気候変動の問題を真剣に考え始めた。2014年初頭に上級顧問として迎え入れたポデスタの力添えで、オバマも一連の大統領令を出し、これによって議会の承認を回避、同時に国内の二酸化炭素排出量削減に真面目に取り組む姿勢を示した。同じく重要なアクションとして、オバマは排出量削減に関して中国の同意をとりつけ、国際政治上のボトルネックを解消するともに、取り組み強化に対する主な反対論(「中国が何もしてないのに、なぜ自分たちがやるべきなのか?」)の一角を崩した。さらに2015年に入って、クリーンパワープランを導入。これは環境保護庁の主導の下、発電所の二酸化炭素排出量を2030年までに32%削減しようというものだ。
オバマの環境政策はほぼすべて、化石燃料の需要を減らすことに焦点を当ててきた。供給を抑える意欲は、それに比べてはるかに小さい。メキシコ湾での原油生産を拡大し、天然ガス採取の手段として水圧破砕法(フラッキング)を認め、ワイオミング州における石炭鉱業権を格安価格で販売、物議をかもすキーストーン・パイプライン計画も完全にはつぶしていない。これは、米国経済を化石燃料離れさせるには、供給を絞るより需要を減らした方が効果的だという信念に基づいている。結局のところ、グローバルな市場では、他のどこからでも調達可能だからだ。今回の周遊が始まるわずか1カ月前、米内務省はシェルに対し、チュクチ海のアラスカ沿岸から約120キロ沖で試掘を行うことを承認した。ホワイトハウス高官は、試掘を承認してもオバマ大統領が気候変動を真剣に考えていない証拠とは言えないとし、シェルに採掘権を売ったのはブッシュ政権であること、北極圏には既に約30の試掘井があること、内務省は新たな安全規制や環境保護の取り組みを強力に推進した後にこの1件のみを承認したこと、そしてすべてがいい方向に進めば、シェルは新たな石油採掘を少なくとも10年は行わないことを指摘した。それでも気候変動活動家は、大統領は偽善者だとののしる。アル・ゴア元副大統領は北極圏での採掘を「狂気の沙汰」と非難した。
コツェブーへのフライトに際して、空軍部隊は大統領専用機747をアンカレッジの飛行場に停め、一行はそこで小型の757に乗り換えた(大統領が乗る飛行機はすべてエアフォースワンと呼ばれるのだが、スタッフはこの757を特にミニ・エアフォースワンと呼んでいる)。ディーズや国家安全保障問題担当大統領補佐官のスーザン・ライスをはじめ、政府高官数名も同行した。
ライスの帯同は、北極圏の急速な溶融は安全保障問題にもつながっていることを物語っている。氷が溶けるにつれ、全く新しい海が現れ始めている。そこには、世界の確認埋蔵量の30%の天然ガス、13%の石油が眠るとされている。ロシアと違い、アメリカはこの海域で作業を行うための設備に恵まれておらず、保有する砕氷船は2隻のみだ(ロシアは40隻)。その上、北極圏に目をつけているのはロシアだけではない。コツェブーへ向かう途中、飛行機の下の公海には5隻の中国軍艦が確認できた。偶然なのか示威行動なのか? そして東方では、カナダ軍が大規模な年次軍事演習オペレーション・ナヌークを終えたばかりだった。カナダ政府によると、この演習は「最北地域への統治権を明示する」ためのものだった。
北極圏に入る前、飛行機は、サケ漁が盛んなブリストル湾岸の小さな町ディリンガムに着陸した。大統領を運ぶ車列は、まっすぐ海岸へと向かった。そこでは、アラスカ先住民族の女性2人が網で捕まえた銀鮭を手に待っていた。再びソーシャルメディア用の写真を撮る絶好のチャンスが訪れ、同時にアラスカ経済にとってサケ漁がいかに重要性かを語る好機となった(しかし、物議をかもしているペブル鉱山には触れなかった。この巨大金銅鉱山はアラスカ州の裁判所で建設許可を求めているが、建設されればサケ漁場の上流域は破壊される)。今回の旅で最も笑える瞬間がここで訪れた。オレンジのゴム手袋をはめたオバマが、女性から手渡された60センチほどのサケを掲げた。するとオスらしく活きのいいサケは、彼の靴に精液をひっかけた。オバマは笑い、女性に小声で何かを告げられた。すると再び笑い、皆に聞こえるように大きな声で言った。「鮭もあなたに会えて嬉しかったんでしょう、だって」
次の訪問先はコツェブー。途中、オバマはキバリナ島の状況を見るため、島の周りをぐるっと回って飛ぶように指示した。キバリナは、アラスカ先住民の住む沿岸部の村に気候変動が及ぼす破壊的影響を象徴している。そこでは、永久凍土の融解で土壌が不安定になり、住居の崩壊が起きつつある。また、海水面の上昇で島自体が消滅の危機にある。キバリナの約400人の住民は途方に暮れている――村を本土の高台に移すには推定1億ドルがかかるとされており、現時点では州も連邦政府も費用を負担しようとはしていない。だがキバリナは、アラスカ沿岸で差し迫った危機にさらされている十数の集落のひとつにすぎない。
コツェブー(人口3200人)に着陸したのは、午後5時頃だった。オバマは空港の路面でノースウエストアークティック郡のレギー・ジュール郡長の挨拶を受けた。その後、各自が指定の車両に乗り、隊を成して高校へと向かった。風雪に痛み、今にも崩れそうな途中の家々の窓に米国旗が吊るされ、前庭には壊れた犬ぞりが置かれていた。長く暗い冬は気温が摂氏マイナス70度近くまで下がる。大都市につながる最寄りの道路まで720キロという環境は、どれほど過酷だろうか。西へ270キロのベーリング海峡を渡った先は、もうロシアだ。
車列はコツェブー・ハイスクールで停まった。鉄筋の大きな校舎には大統領を歓迎する垂れ幕が掛けられ、屋上には狙撃手がうろついている。バスケットボールチームのコツェブー・ハスキーズの青と金色で彩られた体育館には1000人ほどが集まった。オバマは気候変動や極北の神秘についてリラックスした様子で語り、北極圏を訪れた初めての現職大統領として、歴史に名を刻めたことを明らかに喜んでいるようだった。ウォーレン・ハーディング大統領が1923年の周遊中にアラスカに2週間滞在したことがうらやましいと言い、「そんなに長く議会を留守にはできない」のですぐ帰らなければならないと説明した。
交流が終わると、私は政府のスタッフに連れられ、ガランとした教室に入った。中央には大きな丸テーブルが置かれ、青いプラスチックの椅子が2脚ある。天井からは工作紙で作った雪の結晶が吊るされ、ドア付近ではシークレットサービスが見張りを続けている。オバマが入って来た。握手し、この日のフライトについて少し言葉を交わした後、オバマは片方のイスに座って言った。「さあ始めよう」。それから1時間以上話し合った――今回の旅の間、公の場での発言の多くに見られた明るさは消えていた。口調を抑えながらも、人類文明の運命は自分に委ねられていると(決して見当違いではないが)言わんばかりの真剣さで語ってくれた。感情が垣間見えたのは、インタヴューの終わり近くに、「急速な気候変動の結果、世界が失いつつあるものに悲しみを覚えるか」と尋ねた時だけだった。彼はほんの一瞬目をそらし、遠くを見つめた。今後数十年の間に起こることを想像するのは、とても耐えがたいとでも言うように。
―では最初から振り返りましょう。2008年に大統領候補の指名を獲得した日、あなたは言いました。「私は確信する。これからの世代は今を振り返り、子供たちにこう伝えられるはずだ。海水位の上昇が緩やかになり、惑星が治癒しだしたのはあの時だったと」。もう7年が経ちましたが、成果をどのように感じていますか?
成績表を作るのは他の人に任せるとしよう。私の見解では、総合的に見て小幅ながら前進したと思う。だがゴールはまだ、はるか先だ。
国内では早い時期に敗北があった。キャップ・アンド・トレード法案が議会で可決されなかった時のことだ。それまで法案の一部に関しては支持していた共和党が方針を変えてしまった。そのため、別の策を講じなければならなくなった。
そこでクリーンエネルギー投資から始めた。当初は復興法の枠組みで、自動車業界の協力も得ることができた。率直に言うと、我々が当時彼らを大いに助けていたためでもあるが――燃費基準を2倍に引き上げた。規制基準の面でも、エネルギー効率を高めるために何ができるかを考えた。
コペンハーゲン(国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議)は交渉にまとまりがなく混乱していた。最終日に飛行機で駆けつけ、何ら成果があがらない中、こうした活動や計画そのものを救済しなければならなかった。BRICs諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国)の会合に飛び入りし、少なくとも今後、合意する可能性を残す文書を出すように強引に仕向けた。
我々にできたのは、先進国が行動するだけでは不十分という基本原則を確立することだけだった。中国やインドなどは、国民ひとり当たりの二酸化炭素排出量は先進国に比べてはるかに小さいが、人口の多さや発展スピードを考えると、いずれこのゲームに参加しなければならない。
結果、現在はどうなっているだろうか? 我々は17%という(温室効果ガス排出量削減)目標を定め、その達成へと順調に向かっている。クリーンエネルギーの生産量は倍増した。風力エネルギー生産は3倍、太陽光は20倍になった。深刻な景気後退から経済を成長させ、なおかつ排出量を減らすことができている。乗用車とトラックの規制はうまくいっている。真のクリーンエネルギー経済がイメージできるようになった。達成は可能だ。数百万の雇用を創出して失業率を下げながら、それができている。規制によって起こるとされていた大きな問題はどれも起きていない。
我々はクリーン発電所ルールで効果を倍増させようとしている。このルールは、最も大量に排出している部門の二酸化炭素を30%以上削らすというもので、それにより全体では26~28%削減するというかなり積極的な目標を立てることができた。今や模範となって世界をリードできている。おかげで私は中国と習国家主席を説得し、彼らに初めて目標を立てさせ、インドのモディ首相やブラジルのルセフ大統領らと話し合って計画の提出を求めることもできた。
2015年の年末にパリで集まる時には、初めて責任ある立場につけるはずだ。我々はすべての国がこの問題に取り組み、有意義な目標を定め、貧しい国の努力を支援すべく資金提供しなければならないと考えるよう、促す必要がある。年末までにそれができれば、今後10年に渡り、協調しながら真剣に進めていく枠組みくらいは少なくともまとめられるだろう。用心は必要だが楽観的にみている。
ただその一方で、科学は我々の取り組みのスピードが不十分と示し続けている。しかし私の考えだと、正しい仕組みさえ作ればすべてが動き出し、アメリカだけでなく世界の人々にも改めて教育が施され、問題に対する切迫感が高まって、政治も積極的に行動を起こすはずだ。
―あなたはここアラスカで、二酸化炭素排出量を速やかに削減しない場合、我々が直面し得る未来について語りました。まるでこの世の終わりが迫っているかのような物言いでしたが、同時に最近、アラスカでの新たな石油採掘も承認しています。この決定をどう正当化するおつもりでしょう?
その話は環境保護団体と続けている。大統領という仕事は、何事も一から始めるわけにはいかない。常にさまざまなレガシー(遺産)と向き合わなければならないんだ。もちろん、化石燃料の経済は世界中の人々の生活に深く入り込んでいる。だから初めから、これは一晩で移行できることではないと常々訴えてきた。
科学の示す緊急性を私がどれだけ感じていようと、政治的なコンセンサスを築けないまま吠えてみたところで、何も成し遂げられない。実際、アクションを起こす必要性を認めつつ、同時にそこから利益を得ている支持者らをないがしろにする結果にもなりかねない。
アラスカは興味深い例だと思う。我々が対話してきた先住民族の人々は、気候変動がもたらす生活への悪影響を肌身に感じる一方、困窮した地域での雇用創出や経済発展にとても関心を持っている。気候変動について私に話をしてくれた人が、こんなことも言うんだ。「私たちが心から願っているのは、経済発展を促すようなやり方で自分たちの天然資源を使うことです」。これはアメリカ全体の縮図であり、世界全体の縮図でもある。
私はクリーンエネルギー計画をもっと速やかに前進させるため、使える手段は何でも使うという戦略をとってきた。行動を速めることで、一人一人が負担する移行のコストを減らせる。実は多くの場合、個人も企業も金を節約できる。そうすることで、経済発展と地球保護の間の矛盾は小さくなっていく。
我々自身の化石燃料の生産については、気候のみならず環境にも悪く、またはリスクが高すぎるため、行わない場合があると言ってきた。今日立ち寄ったブリストル湾はその好例だ。アリューシャン列島付近では、湾の環境を脅かすようなやり方で石油やガス採掘をすることはできない。それは州北部についても同じだ。
もし一定のエネルギー生産を続けていくのなら、貴重な生態系を乱す可能性が最も小さい場所を見つけ、生産を完全にやめさせるのでなく、基準を引き上げて生産コストを高めてしまうというやり方もある。それにより、気候変動を否定する人や、資源をいつでもどこでも掘り、探し、採取する権利を強硬に主張する人だけではなく、この問題について態度を決めかねている人などとも話し合うことができる。
また、非常に重要なことがある場合でも、プロセスも考慮すべきだと思う。我々全員を脅かしているものがあるなら、まずはみんなを議論に引き入れなければならない。(天然ガスの採取法である)フラッキングなどについても同じ議論があった。科学の示すところによると、正しく行いさえすれば、フラッキングに伴うリスクは最小化できる。天然ガスは化石燃料だ。アメリカで新しい石炭火力発電所の建設が減ったのは、クリーン発電所ルールが整備されたからというだけではない。天然ガスの方が非常に安価で経済的だからだ。そういう選択をしていく必要がある。
原子力エネルギー――我々は南部で原子力発電所の建設を承認した。この決定について好ましく思っていない環境保護活動家はいる。だが、福島で目にしたリスクを認識する一方、気候変動の問題を解決しようとするなら、多くの国々のためにどこかでエネルギーを作る必要があるということも認めなければならない。
バランスの問題は常に存在する。これは他にも言えることだ。大統領就任時、私はDADT(Don’t Ask, Don’t Tell、軍隊内で同性愛者であるかどうかを“聞くな”“言うな”)法を撤廃する意向を明確に持っていた。多くの人に“今すぐやめにしたらいいじゃないか”と言われたが、私は2年をかけて国防省内でコンセンサスを築いた。実際に撤廃した頃には統合参謀本部議長も支持してくれて、非常にやりやすくなっていた。
―問題はやはり、気候変動は物理的な側面も伴うため、他とは毛色が違うということではないでしょうか? 地球温暖化はコンセンサスが出来上がるのを待ってくれません。
それはわかる。我々はこの問題をしっかり把握しようとしているし、それはできると思う。だが、ある事実も考慮に入れなければならない。今の平均的アメリカ人は、気候変動を否定まではしなくなったものの、依然としてガス料金や、快適に通勤することの方にずっと大きな関心を抱いている。気候変動についてどう語るか、さまざまな利害関係者とどう折り合いをつけていくかを戦略的に考えなければ、煽動に翻弄され、結果的に取り組みは速まるどころか遅くなるだろう。
科学的なデータは変動しない。緊急性は変わらない。私の仕事のひとつは、A地点からB地点に最も速く到達できる道――クリーンエネルギー経済の達成点に達するベストの道を考え出すことだ。政治にかかわっていない人はこう言うかもしれない。2点を結ぶ最短の線は直線だ。まっすぐ突き進もう。残念ながら民主主義社会では、時にはジグザグに進み、不安を抱く人や利害関係を持つ人にも配慮することが必要だ。
1期目の初めにキャップ・アンド・トレード法案でつまずいた理由のひとつは、当時あまりにも多くのことを同時進行させていたためだった。国民の頭を占めていたのは、景気回復や失業者を減らすことだった。気候変動に関心を持っていたかもしれない議員も、大量の失業者を目にしたり、(ダーティエネルギーからクリーンエネルギーへの移行が特に高くつく)工業が盛んな州の出身の場合は、法案に賛成票を投じることが優先すべきものとは思えなかった。我々は、法案を通すために必要なコンセンサスも十分に得られなかった。
―1期目のキャップ・アンド・トレード法案の扱いについて、後悔はありますか? 下院は通過していたので、もう少し強引にいけば上院も通せたのではないかという見方も多いようですが。
民主主義のプロセスは苦痛なくらい遅々としている。民主党が多数派である時でさえそうだ。この問題は、圧倒的に多くの民主党議員が支持してくれているとはいえ、どの党員にとっても簡単ではなく、姿勢は一様ではない。上院で議事妨害を起こされては、乗り越えるのは大変だ。
一番の問題は、(2008年の大統領選に共和党候補として出た)ジョン・マケインのような人々が、当初はキャップ・アンド・トレード方式に賛成だったにもかかわらず、私の提案すべてに反対しようと熱を入れすぎ、逆の立場を取るようになったことだ。結果、必要な票数を確保することがあまりに難しくなった。もっと素早く法制化以外の戦略に移るべきだったかもしれない。共和党の支持を少しも得ずに、上院で法案を通せる魔法のようなやり方があったとは思えない。議事妨害のせいで60票も必要になった。
これはたまに私が進歩派とする議論に似ている。彼らは言う。「なぜ景気刺激策を8000億ドルではなく1兆ドルにしなかったのか?」。それに対して“しかし、ニューディール政策よりははるかに規模が大きい”と説明を試みる。これは史上最大の景気刺激策だが、法案を通すためには共和党から2、3の賛成票が必要だった。オバマケアより単一支払者制度を求める人々の主張についても同じだ。我々には政治的制約がある。
この事例から言えるのは一般に、気候変動を現代の重要問題と真っ当に考えている人は、政治を考慮し、いかに問題へ取り組むかを戦略的に考えなければならないということだ。また、必ず大衆を巻き込まなければならない。公衆教育の面では、この数年間で進歩があった。調査結果を見ると、アメリカ国民は気候変動を差し迫った問題と捉えているように思う。ただし、最重要問題だと考えるような水準には達しておらず、近づいてもいない。
―アル・ゴア元副大統領は、気候変動に大きな関心を持っている人は皆、問題の重大さに気づいて「何てことだ!」と叫ぶ瞬間があると言っていました。あなたの場合はどうでしたか?
私はハワイで育った。それは、ここ北極圏で育つのと驚くほど似ていると思う。土地に密着した伝統があって、生態系がどれほど壊れやすいか肌身で知っている。ハワイにはサンゴ礁があるが、私が育った頃はとても生き生きとして魚がいっぱいいた。でも今帰っても昔とは違う。
だから自分の場合は、とりたててそんな瞬間はなかったと思う。2007年から2008年にかけた初期の演説で、我々は既にこの問題について話していたし、重要問題に位置づけていた。大統領としての任期の間、科学レポートを受け取るたび、思ったより時間がなく進行が速いと思い知らされている。おかげでより大きく速く、警鐘を打ち鳴らさなければならないと気づかされた。だが先ほど触れたように、ほんの2、3年前にあった科学データに対する完全な懐疑はほぼなくなったと思う。そういう見方はある意味、一掃できた。
次になされた主張で、今も多くの共和党議員が続けているのが気候変動は問題としても中国が何もしようとしないのに我々がしても仕方がないというものだ。私が中国を訪問、共同声明を発表したことで、この主張は大打撃を受けたと思う。
科学技術担当補佐官のジョン・ホールドレンは時々最新データを送ってくる。私はそれを自分で読むだけでなく、上級スタッフ全員にも読ませている。最近のレポートを読んで、今すぐ問題に取り組む必要があり、我々が使えてかつ実効性があるものは何かを考えなければならないと思わされた。〜後編へ続く〜
米ローリングストーン誌 2015年10月8日号より
http://www.rollingstonejapan.com/articles/detail/25686

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20年開設「アイヌ文化博物館」 準備室が本格始動

2016-04-03 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/02 07:00

アイヌ文化博物館(仮称)の展示内容について検討を進める「設立準備室」
 国が2020年に胆振管内白老町に開設するアイヌ文化博物館(仮称)の「設立準備室」が1日、札幌市内の事務所で本格始動した。同日付で、佐々木史郎・前国立民族学博物館(大阪府吹田市)教授がリーダーとして着任。具体的にどのような展示内容とするのか、準備を急ぐ。
 博物館は、アイヌ文化復興の拠点「 民族共生の象徴となる空間 」(象徴空間)で核となる施設。8600平方メートルの館内に、アイヌ民族の「世界観」「歴史」「暮らし」などのテーマで展示が行われる方針だ。
 準備室は文化庁の出先組織で、実際に展示する資料や展示方法について検討する。
 国内外に散在しているアイヌ民族に関する資料の情報を集め、企画展などの際に資料の貸し借りができるよう、ネットワークづくりを進める。
 事務所は昨年11月、北大キャンパス内(北区北21西11)に設置された。佐々木氏以外には、アイヌ文化に詳しい学芸員経験者や、白老町とアイヌ文化振興・研究推進機構からの出向者ら、職員計6人が勤務する。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/culture/culture/1-0254601.html

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