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ウポポイにコロナの逆風 年間100万人目標、開業1カ月は3.5万人 予防最優先、予約制限で一部混乱

2020-08-14 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/13 11:03 更新
 【白老】国が胆振管内白老町に整備したアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が12日で開業丸1カ月を迎えた。新型コロナウイルスの感染防止策で入場制限する中、10日までの来場者は3万5409人(11日は休館日)と、国が設けた年間100万人の目標達成は困難な厳しい船出となった。背景には感染対策で設けた複雑な予約方法もあり、ウポポイを運営するアイヌ民族文化財団(札幌)はシステムを見直す方針だ。
■手応え強調も
 ウポポイ運営本部の対馬一修本部長は12日、現地で記者会見し、「コロナ対策で制約がある中、多くの方々に来場してもらえた。アイヌの文化と歴史への関心の高さを改めて実感した」と手応えを強調した。
 ただ、来場者数の稼ぎ時とも言える開業1カ月の実績は1日平均1300人余り、最多でも4連休中の7月24日の2129人で、8月の休日は1300~1800人程度。国の年間目標を達成するには1日平均3千人以上、冬季の来場者減少を踏まえると夏季はそれ以上の来場者が必要となるが、感染症対策のために設けた1日の入場制限数(土日祝日2500人、平日2千人程度)を大幅に下回る日が続く。修学旅行の予約は680校6万5千人と好調だが、現状では年間目標の半数に達するかも微妙だ。
 対馬氏は「現状は感染対策の徹底を最優先にしたい」と強調するが、来場者が伸び悩む背景には首都圏などでの感染拡大に加え、コロナ対策で急きょ設けた複雑な予約システムもある。
 ウポポイに入場するにはネットで日付を指定した入場券を事前に購入し、なおかつ博物館は1時間当たり最大100人の入館券を事前に予約する必要がある。その結果、ウポポイに入場したものの、博物館は見学できずに施設を後にせざるを得ない来場者が続出。「ウポポイに入場すれば全ての施設を見られると思っていた。ウポポイ入場料には博物館の料金も含まれているのに納得いかない」などと苦情も相次ぎ、博物館の佐々木史郎館長は12日の会見で「予約方法の見直しを検討したい」と約束した。
■続く慎重判断
 感染対策で楽器演奏やアイヌ料理の食事など一部の体験プログラムを中止したことも足かせとなった。アイヌ文化にじかに触れられるウポポイの売りだっただけに、訪れた人からは「衣装の試着や食の体験ができないのは残念」との声が漏れた。財団は「感染状況を見ながら少しずつ体験を増やし、本来のプログラムに近づけていきたい」とするが、首都圏などで感染拡大が続く中、当面は慎重な判断を強いられる。
 一方、北大や東大などが保管していたアイヌ民族の遺骨と副葬品を収納した慰霊施設は、中核施設の博物館から約1・2キロ離れているため、訪れる人はまばらだ。明治時代以降、アイヌ民族の遺骨が研究名目などで無断で盗掘された差別の歴史を示す重要施設といえるが、国にとって「負の歴史」はウポポイPRで置き去りにされたままだ。
 感染対策に努めつつ、先住民族アイヌの歴史と現状をいかに幅広く伝えていくか、財団は当面、厳しいかじ取りを迫られそうだ。(斎藤佑樹)
■歴史伝え、担い手育成を アイヌ民族ら、期待と提言
 開業1カ月を迎えたウポポイにはアイヌ民族の関係者も文化発信拠点としての役割に期待を高めている。一方、言葉や文化が存立の危機にあることなどその歴史的背景や現状も含め先住民族アイヌへの理解を広げていくよう求める声は根強く、文化を継承・発展させる担い手育成の仕組みづくりも今後の課題だ。
 ウポポイを運営するアイヌ民族文化財団の理事で、旭川市の川村カ子(ね)トアイヌ記念館副館長の川村久恵さん(49)はウポポイの展示やプログラムについて「職員の熱意が感じられた」とする一方、「多くの人に見てもらうだけでなく、アイヌ民族への理解を促す教育施設としての役割もしっかり果たさないといけない」と話す。
 開業直前には、アイヌ民族が差別されてきた歴史について、萩生田光一文部科学相が「価値観の違い」と発言するなど政府内でアイヌ民族を取り巻く歴史や現状への認識不足も露呈した。川村さんは「来場者と丁寧に対話し、なぜアイヌ文化の復興拠点が必要になったのか、歴史的背景を含めて理解を促す取り組みを国が率先して行うことが不可欠だ」と訴える。
 ウポポイ中核施設の国立アイヌ民族博物館には、アイヌ民族の権利回復に努め、民族初の国会議員となった故萱野茂さんを紹介する展示もある。日高管内平取町の萱野茂二風谷アイヌ資料館長で、次男の萱野志朗さん(62)は、ウポポイについて「全国のアイヌが気軽に訪ね、自身のルーツや文化に触れ、探求できる拠点であることが大切だ」と強調。所蔵品や資料の開示などについてアイヌ民族のための仕組みづくりを求める。
 またアイヌ文化は、各地域のアイヌ民族がそれぞれに独自性を育んできたことを踏まえ、「各地で活躍する担い手を育てる体制づくりも重要だ」とも述べ、ウポポイだけではなく、各地域で担い手育成の学校や講座を展開することを提言した。(斉藤千絵)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/450011

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【特集】「トナカイ」「ラッコ」「ノンノ」は実は『アイヌ語』 「日本の民族として伝えたい」“大阪アイヌ”が思うこと

2020-08-14 | アイヌ民族関連
MBSNEWS 8/13(木) 16:02配信

『アイヌ』という言葉を聞いて「北海道の先住民族?」「今もいるの?」などと思う方もいるかもしれませんが、実は大阪にも、アイヌの血を受け継ぐ人がいます。アイヌの文化や伝統を受け継ごうと、いわゆる「アイヌ新法」が施行され関心が高まりつつある今、“大阪アイヌ”が思うこととは。
民族共生象徴空間『ウポポイ』(北海道・白老町)
7月12日、北海道の白老町にオープンした民族共生象徴空間『ウポポイ』。北海道を中心に暮らしてきた先住民族アイヌの固有の文化を知ってもらおうと、工芸品や資料などが約1万点展示されています。国が約200億円を投じた一大事業なのですが、大阪の人はどのくらい関心があるのでしょうか、『ウポポイ』という言葉を知っているかどうか、街の人に聞きました。
【大阪の街の人】
「ウポポイ?生き物っぽい?」
「植物かな?」
「デザート?ハワイの。」
「夏の暑さをはらうのに『ウポポイ!』みたいな。」
まだまだ認知されているとはいいがたいようです。ちなみに『ウポポイ』とはアイヌ語で「大勢で歌うこと」という意味です。アイヌにルーツを持つ人は、現在日本に数万人~数十万人いるとされています。
大阪にも「アイヌ文化」を学べる施設が
実は大阪にもアイヌ民族について学べる施設があります。大阪府吹田市の国立民族学博物館です。ここでは、かつてアイヌが使っていた道具や衣服などが展示されています。
例えば、アイヌの伝統的な家屋『チセ』。北海道の寒い冬を乗り越えるための工夫が施されています。
「ヨシを使っています。空気をためこむようなストローのようになっていますよね。断熱性がある。冬でも外の寒さをこの厚みによって入れないことができると。」(国立民族学博物館 齋藤玲子准教授)
またアイヌは「アイヌ語」という独自の言語を持っています。文字を使わずに口頭で伝承されてきたということですが、現在の日本語の中にもアイヌ語がそのまま浸透して使われているものがあります。
「北の方の動物だとかは、元々はアイヌ語というものがたくさんある。『トナカイ』『ラッコ』『シシャモ』とか。あとは雑誌の『ノンノ』ってありますけど、“花”と言う意味のアイヌ語です。」(齋藤玲子准教授)
最近ではアイヌをテーマにした漫画「ゴールデンカムイ」が大ヒットし、幅広い世代で関心が高まっています。これがきっかけで足を運ぶ人もいるそうです。
アイヌ新法の施行を受け、博物館では現代の工芸家による作品などを展示するようになりました。アイヌは『現在も続く文化』だというメッセージです。
「こういう暮らしをしている人が、ずっと過去に閉じ込められているという誤解を与えてはいけないので、やはり今の人たちがどういう生活をしているのか、どうやってアイヌ文化を受け継ごうとしているのかをぜひ紹介したい。」(齋藤玲子准教授)
大阪に住む「アイヌ」
大阪府羽曳野市に住む藤戸ひろ子さん(44)。北海道釧路市で生まれたアイヌです。藤戸さんは小さいころからアイヌのコミュニティで歌や踊り、手仕事を教えてもらいました。今の生活にもアイヌ文化が息づいていました。
藤戸さんの愛犬・イタ(9)の名前の由来は、アイヌ語の「イタク」で「話す」という意味です。
藤戸さんが料理を作ってくださいました。
「ユクオハウ(鹿肉の汁物)を作ります。元々アイヌ民族の主食とも言われていたものなんですけど。」(北海道出身のアイヌ 藤戸ひろ子さん)
材料はジャガイモやタケノコなどの野菜に、実家の北海道から送ってもらったという鹿肉。味付けは昆布の出汁と塩というシンプルな汁物です。さらに、鹿肉とギョウジャニンニクが入った手作りのソーセージ、特別な時に食べていたとされるジャガイモで作った団子「シト」などいずれも伝統的なアイヌ料理です。
藤戸さんは長男の大貴くん(13)と長女の若夏菜さん(10)の3人で暮らしています。
「(2人の子どもは)大阪アイヌです。生まれも育ちも大阪だけど、アイヌの血を受け継いでいるので、それはね、偽りでもなんでもないので。」(藤戸ひろ子さん)
(Q学校でアイヌを何と話しているの?)
「アイヌの血を引き継いでるでって。」(大貴くん)
(Q自分がアイヌであることをどう思う?)
「うれしい。珍しいから。」(大貴くん)
「きょうから遊べない」日常的にあった差別
藤戸さんが小さな頃はアイヌ民族への差別が日常的にあったといいます。
「その日まですごく仲が良い友達が、次の日の朝になったら急に『きょうから遊べないから』って言われたりね。『なんで?』って聞くと、『だってアイヌでしょ。親が遊んじゃいけないって言われたから』っていうね。アイヌだから仕方がないかっていう気持ちで過ごしていたので。」(藤戸ひろ子さん)
明治維新以降、政府は一方的に北海道の開拓に乗り出し、川でのサケの捕獲を禁止したり日本語の使用を強制したりと、アイヌ民族に対して同化政策を進めてきました。それが差別を生むことにもつながりました。
「アイヌ」が知られていない現実に衝撃 自分のルーツ見つめなおすきっかけに
結婚を機に28歳で大阪へやってきた藤戸さんですが、今度はあまりにもアイヌが知られていない現実に衝撃を受けたと言います。
「『アイヌって実際にいたの?』とか、『物語だけの世界じゃなかったの?』とか、『まだ生きている人がいたの?』って言われるくらいだったんですよ。大阪に来て。そんなに差がある?って。」(藤戸ひろ子さん)
大阪に来たことが自分のルーツを見つめなおすきっかけになりました。現在は学校での講演会や刺繍教室などを開き、アイヌ文化を広める活動をしています。
2人の子どもも揃ってアイヌ文化に興味津々です。
「エムシ(刀)とエムシタラ(刀の帯)で、こうやって(刀を出したりしまったりして)音を鳴らして、刀の帯をぶら下げて踊る。」(大貴くん)
(Q(刀の)どこがおすすめ?)
「ここ(刀の柄)!」(大貴くん)
「鹿の角!」(若夏菜さん)
「こっち(刀の帯)を母さんが作って、こっち(刀)をじいじが作った。」(大貴くん)
子どもたちが学校で自らアイヌだと発信することに、うれしい反面、複雑な思いもあるようです。
「いつ自分のようになる(差別される)だろうかっていう不安はやっぱりあるけど、自分たちがアイヌのことを伝えたければ伝えていいし、嫌だったらそこでやめてもいいし。でも受け継いでいる血はやめることはできないし、残っていくものなので。ただそれだけはちゃんと感じ取ってもらえたらなとは思いますね。」(藤戸ひろ子さん)
「日本という国の中での民族として知ってほしい」
漫画やウポポイでアイヌへの関心は広がりつつあります。藤戸さんは観光や一時的なブームで終わらないでほしいと願っています。
「自分たちの住んでいる日本には、違う言葉を持ち違う文化を持っている人たちがいるんだっていうのを、北海道じゃないからアイヌ民族とは大阪はあんまり関わりないからじゃなくて、日本という国の中での民族としてやっぱり知ってもらいたい。」(藤戸ひろ子さん)
(8月12日放送 MBSテレビ「Newsミント!」内『特集』より)
https://news.yahoo.co.jp/articles/c76d173338ee4e4571858389f80dd90e3ed022c8

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物欲から解放されるためには?本当の財産とは何か

2020-08-14 | 先住民族関連
All About 2020/08/13 21:40
■The more you know, the less you need.
「The more you know,the less you need.」
これはオーストラリアの先住民族のことわざだそうです。直訳すれば「知れば知るほど、必要な物は少なくなる」となります。皆さんは、この言葉から何を連想しますか?
私は、現代人が忘れつつある「豊かさ」の意味を思い出させてくれる言葉だと受け取りました。現代人が陥っているのは、自分という無形財産の可能性を忘れ、お金という二次的・外形的な表象を追求する風潮です。
■お金がないと幸せになれない?
お金というのは、しょせん投影物に過ぎません。何の投影かというと、他人に与えた有用さ、作り出した快適さ、自分が発揮できるエネルギーの投影なのです。だから、お金持ちになる人は、商売がうまいのではなくて、自分自身を上手に使えたからお金が集まってきたのです。
しかし、現代ではすぐに結果を求められ、人と競争をさせられて、優劣の烙印をすぐに押されるようなせちがらい環境にさらされています。ですから、目先の結果を求め、明日のキャッシュを追いかけて、どんどん自分という資産をすり減らしているのです。
そんなはかない立場に置かれているから、形のあるお金、財産を持っていないと不幸になると人は思い込んでしまうのですね。しかし、彼らは、まったく異なる解釈をしていたと思います。
■最大の財産は自分自身!
豊かさの根源にある価値、それは人のエネルギーであり、英知であり、生きる力です。それを備えている人は、いっときの貧乏や困窮も乗り越えることができます。その根源を支えているのは、お金などではなくて、自分自身という資産なのです。
物に頼る生活、外食に依存した健康、商品に左右される投資、外的環境に振り回されるビジネスといった悪循環から抜け出せた人は、きっと本当の自由を手に入れることができるのでしょう。
あなたの本当の価値を充実させれば、貯金が1円もなくても、ホームレスであっても、冷蔵庫に何も入っていなくても、あなたは幸せになれるはずです。それでも、お金はないよりはあったほうがいいと考えて、幸せになるための資産運用をガイドしています。
北川 邦弘(マネーガイド)
https://news.goo.ne.jp/article/allabout/trend/allabout-44834.html

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青森の民俗資料や文化財を用いた展覧会 『いのちの裂け目―布が描き出す近代、青森から』

2020-08-14 | 先住民族関連
コロカル) – 2020年08月13日(木) 19時52分
豊かな布文化の地・青森から発想された3人展
例年凍てつく寒さに見舞われる青森。古くから青森では、そんな風土から身を守るため、衣食住のさまざまな文化が生まれ、今も継承されています。特に“衣”においては、裂織や刺し子、ボロなど、独自の風土から立ち上がった、豊かな布文化が存在します。
現在、そのような背景を持つ場所、青森公立大学国際芸術センター青森(ACAC)で、展覧会『いのちの裂け目―布が描き出す近代、青森から』が8月30日(日)まで開催中。
碓井ゆい、遠藤薫、林介文(リン・ジェーウェン/ラバイ・イヨン)3人の現代美術作家による、青森市教育委員会所蔵の民俗資料や文化財が用いられたそれぞれの作品は、戦前の女子教育や戦争と花火、台湾先住民族と日本の関わりなどのさまざまな物事が交差する、非常に示唆に富んだものとなっているようです。
縫い、裂き、編んで表現された壮大な作品
以前より、布を用いて作品制作を行っていた碓井、遠藤、林。
1980年東京都生まれ、埼玉県在住の碓井ゆいは、趣味の手芸などの身近なテクニックや素材を用いて作品を制作しているアーティスト。現代社会において、ジェンダーや育児などの個人的な経験や疑問を社会的・政治的なものとして捉え、文献資料やインタビューによるリサーチを重ね、作品を生み出しています。
今回制作された作品『景色をならう』では、民俗資料にあった女子用理科教科書から、女子教育に着目。壁に飾られた津軽に伝わるこぎん刺しと西洋のクロスステッチの対比、そして机上の理科の教科書から、戦前の女性への固定概念の内面化がどう行われてきたのかを、私たちに無言で訴えかけます。
遠藤薫は、1989年大阪府生まれ、ベトナム・ハノイ/大阪府在住の工芸・美術作家。生活に根差した工芸の本質を現代美術的な視座から探るべく、テキスタイルに複雑な社会的事実が織り込まれていると考え、布を集め、使用と修復の行為を繰り返し、作品に落とし込んでいます。
みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたらきっと戦争なんか起きなかったんだな ー山下清
今回遠藤は、画家・山下清の言葉に触発され、戦争と花火に関するインスタレーション『閃光と落下傘』を制作。
時に人の命を助け、時に人を殺す道具として用いられたパラシュート。また、花火は夏の風物詩ですが、人によって戦争を追想するものにもなり得ます。この、文化財に眠っていた衣服をはじめ、全国から集めた古着を引き裂き形づくった花火のようなパラシュートは、複雑に交差する物事の多面性や平和への祈りなどを物語っているかのようです。
林介文は1982年生まれ、台湾・花蓮出身、同地在住のアーティスト。台湾先住民の太魯閣(トゥルク)族の一員として、伝統的な織物の技法を用い、ジュエリーデザインの知識も生かした彫刻的なインスタレーションを制作しています。
『解縄(ときなわ)』は、台湾と日本の古布、彼女の母方の家にあった時計と鏡を用い、自身のアイデンティティや生命の循環などをテーマとしています。
時計と鏡、幾十にも編まれ、途中からほぐれたロープ。『解縄』は、家系で唯一の日本人の曾曾叔父、そして、過去に日本が台湾を植民地支配をしていた事実など、歴史や自身のルーツへの複雑な思いを整理し、確かな意味を見出す行為のようにも見えます。
近代以前から地続きでつながる普遍的な問い
今回展示を企画された、青森公立大学国際芸術センター青森の学芸員である慶野結香さんに話を聞きました。
「借りてきた文化財は、第二次世界大戦頃まで使用されてきたものばかりで、時代区分的には、江戸時代末期から明治大正を超えて昭和初期の近代です。今回3名それぞれが、植民地主義や西洋化と教育、戦争といった題材を扱っていますが、それらは近代だけではなく、それ以前から現在もつながりのある事柄です。ぜひ、各作品の背景も含めた表現に注視し、考えを深めていただけたら」
こちらの青森公立大学国際芸術センター青森のYouTubeでは、展覧会の解説や作家のトークライブが記録されているので、気になる方はぜひご覧ください。
3名の個人的な体験や興味から生まれた、壮大な作品たち。それらは簡単に理解することは難しいかもしれませんが、多くの生きる上で大切なことを、私たちに訴えかけてきます。
深緑がきらきらとひかる、夏の青森公立大学国際芸術センター青森。そんな美しい会場で、ぜひ3名の尊い思考の一端に触れてみてはいかがでしょうか。
information
いのちの裂け目―布が描き出す近代、青森から
会期:2020年5月7日(木)〜8月30日(日)
会場:青森公立大学国際芸術センター青森(ACAC)
住所:青森県青森市合子沢字山崎152-6
TEL:017-764-5200
開館時間:09:00〜19:00(展覧会は10:00〜18:00)
休館日:会期中無休
観覧料:無料
Web:http://www.acac-aomori.jp
writer profile
Kanae Yamada
山田佳苗
やまだ・かなえ●島根県松江市出身。青山ブックセンターやギャラリースペース、ファッション・カルチャー系媒体などを経て、現在フリーのライター、編集者として活動中。まだまだ育ち盛り、伸び盛り。ファッションと写真とごはんが大好きです。
credit
撮影:Delphine Parodi画像提供:青森公立大学 国際芸術センター青森
https://news.goo.ne.jp/article/colocal/region/colocal-135559.html

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モラレス前大統領支持者ら、総選挙再延期に抗議 ボリビア

2020-08-14 | 先住民族関連
(AFPBB News) – 2020年08月13日(木) 17時59分
【AFP=時事】ボリビアで、武装した抗議デモ参加者による道路封鎖が10日目に入った。当局は、これにより新型コロナウイルスの感染拡大対策に必要な医療物資が病院に届けられなくなっているとして、デモ隊を非難している。
 ハビエル・イッサ内務副大臣は12日、国外に逃亡したエボ・モラレス前大統領の支持者らが、ボリビアの政府機関9機関の至るところにバリケード142個を設置したと述べた。
 デモ参加者の大部分は先住民族と農家で、総選挙が再び延期されたことに怒りの声を挙げている。選挙は当初5月に行われる予定だったが、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)を受け、9月6日に延期されていた。
 最高選挙裁判所は今回、総選挙をさらに10月18日に延期。アルゼンチンに亡命中のモラレス氏によりあおられたデモ隊は、これを9月に戻すよう要求している。
 モラレス氏の支持者らは、総選挙の延期はモラレス氏が党首を務めた政党「社会主義運動」から立候補したルイス・アルセ氏が、大統領になることを妨げるのが目的だと主張している。アルセ氏は、今年1月にMASの候補に指名されて以降、世論調査で常に支持率トップを維持している。 【翻訳編集】AFPBB News
https://news.goo.ne.jp/article/afpbb/world/afpbb-3299007.html

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「観光資源化」するアイヌ民族の歴史に、なぜ歯がゆさを感じるのか

2020-08-14 | アイヌ民族関連
論座 2020年8月13日 17時0分
北海道を挙げて「宣伝ムード」
 北海道白老町に国立アイヌ民族博物館と共に「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開館してから、今月11日で1カ月を迎えた。
 筆者は「ウポポイ」が北海道内で過剰に宣伝されていることに、驚きを禁じ得なかった。北海道へ向かう飛行機の側面に「ウポポイ開業」のシールが貼られていたのだ。それだけではない。通常は、交通情報を案内するはずの国道や高速道路の看板にも「ウポポイ誕生」という文言が踊っていた。しかもウポポイが位置する白老町から遠く離れた道東地区ですら、である。
 7月下旬、実際に筆者も訪問してみた。筆者が訪問した際、PRキャラクター(いわゆる「ゆるキャラ」)の「トゥレッポん」との交流イベントや、アイヌ式伝統芸能上演などが行われていた。また、アイヌ式住居の再現施設の見学も行った。また国立アイヌ民族博物館では、アイヌ文化のほか、差別の歴史を含むアイヌの苦難な歴史が展示されていた。
 とはいえ、歯がゆさを禁じ得なかった。なぜなら、アイヌの歴史を単なる「観光資源」として消費しているように思えてならなかったからである。「歯がゆさ」を感じるに至った自らの経験にも触れながら、アイヌの人々に日本人と日本政府が何をしてきた/いるのかについて考察していきたい。
「旧土人児童教育規定」校の跡地で
 筆者は、北海道旭川市にある北門中学校の出身である。
 当該地区は、「近文(ちかぶみ)アイヌ」が多く住んでいる地区として知られている。近文とはアイヌ語の「チカプニ」(鳥がいるところ)に由来する地名で、旭川市の西側に位置する。その近文地区に建てられた上川第五尋常小学校(その後、豊栄小学校と改名される)の跡地に設置されたのが北門中学校である。
 上川第五尋常小学校は、アイヌのみを分離し通学させる「旧土人児童教育規定」に伴い設置された学校だった。
 同地は、『アイヌ神謡集』の編訳者の知里幸恵の出身地であり、筆者自身「知里幸恵生誕祭」にも生徒会長として参加した経験がある。アイヌの祈りの儀式「カムイノミ」を執り行ったほか、「川村カ子ト(かねと)アイヌ記念館」の館長の講話も聴いた記憶がある。また知里幸恵に黙とうを捧げたほか、彼女の代表的著作である『アイヌ神謡集』の一部(「銀の滴降る降るまわりに」)を合唱した。
 余談だが、同書は岩波書店から刊行されているが、なぜか「外国文学」の扱い=赤になっている。一方で沖縄最古の歌集とされる『おもろさうし』が日本文学の扱い=黄色になっていることに鑑みると、植民地主義の歴史に敏感でなければならないはずの出版界ですら琉球・アイヌ文化をいかにぞんざいに扱ってきたのかが伺える。
 本題に戻ろう。「旧土人児童教育規定」では、どのような教育が行われていたのだろうか。新谷行『アイヌ民族抵抗史』によれば、平取町の「旧土人学校」で教育を受けた貝沢正は、以下のように回想していたという。
 明治三十二年、『旧土人保護法』が制定され、旧土人学校となり、『旧土人児童教育規程』によって教育されたのが私達だった。六十人余の学童に老先生が一人。六学年の複式で大半は自習、始業も終業も先生の配合だけで一定の時間はない。天皇の写真に最敬礼することや教育勅語を中心とし、日本人がいかに優れた民族であるかをシサムの先生によってくり返しくり返し、たたき込まれた(注1)。
 教育現場では「日本人」と「旧土人」は徹底的に分離され(アパルトヘイト=人種隔離政策である!)、「旧土人」に対しては皇民化教育を押し付けるかわりに、十分な学修環境を認めなかったのである。これを「差別」と呼ばずしていかに形容できるのだろうか。
近文アイヌの苦悩と日本の教科書教育
 1877年に明治政府は、アイヌ民族の居住地をすべて官有地とした。1899年には「北海道旧土人保護法」が制定され、一戸につき1万5千坪を「給与地」として下付した。「給与地」は農地に適さなかったり、第2次世界大戦後の「農地解放」で安く買収されたりしたという(注2)。
 しかし官憲が、近文アイヌに対して行った措置は、とくに差別的なものだったのである。「旧土人保護法」制定とほぼ時を同じくして、文字を読めない人が多かった近文アイヌに、土地の「交換」をさせる署名を書かせたのであった。比較的肥沃な近文の土地と、気候的に農業に適さない天塩(てしお)の原野を交換させるというもので、交換というより詐取的な「取り上げ」という実態のものだった。
 結局、天川恵三郎らによる返還要求運動が奏功したが(第1次近文アイヌ給与地問題)、その後も「給与地」問題は再燃する。たとえば、1934年に制定された「旭川市旧土人保護地処分法」を根拠として「給与」された土地は、1戸あたり3千坪にすぎなかった(第3次近文アイヌ給与地問題)。これは「旧土人保護法」の規定すら下回るものであったという。
 「給与地」制定にともない「強制移住」をさせようとした事例は、近文アイヌに限らない 。たとえば、樺太千島交換条約にともない樺太(現在のサハリン)を追われたアイヌは(樺太から地理的に近く、全員一致で希望したとされる)宗谷に移住した。その後、開拓使の黒田清隆長官は石狩に移住を指示したが、樺太アイヌは石狩に移住するより樺太に戻りたいと希望した。しかし、黒田は彼らを樺太に近い宗谷に置いておくと、脱走する恐れがあり、そうすると「国体」に関係するとの理由で、鉄砲を持った警察官によって彼らを小樽から江別にかけての領域に強制的に移住させたとされる(注3)。
 しかし日本の教科書教育では、こうした問題を十分に教えてこなかった。それだけではない。「(旧土人保護法の趣旨を)生徒が誤解するおそれのある表現」と検定意見が付き、土地を「取り上げた」から「与えた」へと記述変更をする教科書もあった(注4)。しかもこれは「つくる会」や「育鵬社」といった、いわゆる右派系の教科書の話ではない。同記事によると、育鵬社はそもそも「旧土人保護法」に関する記述が一切ないのだという。
 私たちが「日本史」を語るとき、「日本」のなかにアイヌは入っているのか。今もなお、私たちは教育の名のもとに、「単一民族神話」を子どもたちに吹聴しているのではないか。改めて問わねばならない。
「差し替えられた」シャクシャイン像から考える
 北海道新ひだか町静内の真歌公園にある、アイヌの英雄シャクシャイン像。空に向けて杖を指し伸ばしている勇猛果敢な姿で知られた像が、内省的な像に「差し替えられた」のは、今から2年ほど前の出来事である(注5)。
 報道によると、旧像は「老朽化が進み、倒壊の恐れがあり危険」として撤去されたのち、重機によってバラバラにされ、産廃扱いで最終処分場に送られたという(注6)。同記事によると、シャクシャイン顕彰会の会長は、「取り壊して撤去するぐらいなら、台座から切り離してこちらに渡してほしいと頼んだのですが、町の答えはノーでした」と憤っていたという。
 もちろん、この「旧像」にも植民地主義の差別性が色濃く反映されていた。台座には、町村金五知事(当時)の名が記されていたのである。町村氏といえば、戦時中、社会運動を取り締まる内務省の警保局長や警視総監を務め、戦後も「公選知事制反対」「内務省復活」を唱えていたとされる(ちなみに次男は自民党清和政策研究会〈当時は町村派〉の会長も務めた町村信孝である)。
 アイヌの戦士であるシャクシャインの像に何故に和人の侵略者の代表である知事の町村氏が文字を書かねばならないのか――「静内をまわり、平取や二風谷をまわっているうちに、多くのアイヌがこの文字と碑文に反感を持っていることを知った」という詩人・新谷行は、1972年、台座の名前部分を削り、切り取った。
 新谷は、著書『アイヌ民族抵抗史』で以下のような回想をしている。
 あるアイヌの人は私に言ったものだ。「あんな文字はいらないが、ああやって書いておけば観光になって、シャモ(引用者注・和人のこと)が集ってくるべ」。しかし、彼等はこれを当然のことながら観光的にするのを特にきらっていた(注7)。
 この「事件」から約半世紀を経たいま、アイヌ文化の観光資源化をめぐる状況が変わっておらず、むしろ悪化していることに憤りを覚える。「あるアイヌの人」が鋭く指摘するように植民者との「融和」を演出したうえで抵抗のシンボルをそぎ落とし、隠蔽することで初めて少数文化を「観光資源化」することができるのである。
 「マイノリティ」による抵抗の姿をかたどる像を設置することは、決して共生の理念と反するものではない。なぜなら「マジョリティ/マイノリティ」「植民者/被植民者」の間には圧倒的な力関係の差があるからだ。「共生」を勝ち取るために、「マイノリティ」側は多数の犠牲を払ってきている。「共生」とは、そうした抵抗の歴史を黙殺して「価値相対主義」的にふるまうことを意味するわけではない。
「文化の良さを広める」、文科相発言の根底にあるもの
 ここまで論じてきたように日本政府と日本人は、アイヌの人たちに対して差別政策をとってきた。また経済格差を放置するなど「構造的差別」は今なお続いている。先月10日の文科省大臣・萩生田光一の閣議後会見での以下の発言は、あまりに無神経なものであった。
 原住民と、新しく開拓される皆さんの間で様々な価値観の違いがきっとあったのだと思う。それを差別という言葉でひとくくりにすることが、後世にアイヌ文化を伝承していくためにいいかどうかは、ちょっと私は考えるところがある(…中略…)せっかくの施設ですから、前向きにアイヌ文化の良さを広めていくことに努力したい(注8)。
 この発言は、到底看過できるものではない。差別の歴史を「価値観の違い」という言葉で言い逃れしているうえに、責任の所在を政府や官憲ではなく「新しく開拓される皆さん」に矮小化しているからである。それだけではない。あたかも文化に「優劣」があるかのような物言いをしていることも見逃せない。ちなみに萩生田はこの発言をめぐってアイヌ団体からの抗議を受け、さらに記者会見でも記者から2度、謝罪をするか問われているが、明確な謝罪を拒否し続けているのである(注9)。
 この発言の根底には「文化の選別的消費」が見え隠れする。もしや「内地」からの観光客にとって不快に感じられない文化は「前向き」で「良い」文化であって、日本人自らの植民地主義と加害性について告発する文化は「悪い」ものだと、一方的に線引きしたいのだろうか。
 沖縄に基地を集中させている現状に目を背けながら、他方で「青い海」「青い空」にみられる観光地的〈記号〉を「ほめ殺したり消費したり」する日本人の姿と重なるようにすら思えてしまう。以下は社会学者の野村浩也が『無意識の植民地主義』で指摘した内容である。
 文化の選別的消費によって、日本人は、みずからの植民地主義をますます隠蔽することが可能になり、みずからの加害性にますます無意識となることができるようになる(…中略…)日本人が「沖縄大好き!」と言って沖縄人の文化から「おいしいとこどり」することは、沖縄人を犠牲にして基地の負担から逃れ文化の選別的消費によって自己の植民地主義と加害性に積極的に無意識となってきたからこそ、前述したように、「沖縄大好き!」を無邪気に連発し「沖縄病患者」を自称してはしゃぐ日本人も増殖してきたのである(注10)。
 そのうえで、野村は差別から「手のひらを返したように、今度はほめ殺し」をする類の日本人が沖縄人に対する植民地主義や加害行為を真正面から問題化することは、「ほぼ100パーセントない」とまで断じている。こうした状況は、「沖縄」を「アイヌ」に置き換えても、ほとんど一致するといってよい。
「なんという幸福な人たち」を差別してきたのはだれか
 さて「ウポポイ」開業以降、こうした状況に対して政府はどのような政策を打ち出したのだろうか。ひとことで述べると「差別・格差の放置」である。アイヌ政策にアイヌ民族の声を反映する場となってきた「アイヌ政策推進会議」は、2018年2月を最後に1年半以上開かれていないのである。北海道新聞の報道によると、7月の「ウポポイ」の開設やアイヌ施策推進法施行などが実現し、政府は「現時点で開催する必要はない」としているという(注11)。
 北海道アイヌ協会は長年、生活教育支援や、サケなどの自然資源をめぐる「先住権」を認めるよう訴えてきたが、半ば「放置」されている状態である。経済的メリットが大きい「観光地化」にはもろ手を上げながら、他方で当事者の生活や先住権を先送りする姿勢は言語道断である。
 最後に、知里幸恵が『アイヌ神謡集』に寄せた序文を引用する。
 その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう。
 繰り返すがアイヌの人々は、土地も言語も文化も奪われ、日本人に同化することが幸福だと教育され、差別されてきた。「なんという幸福な人だち」を差別した当事者は、政府と、和人=日本人である。これは決して「価値観の相違」などではない。突きつけられているのは、私達の側である。
【注】
(1) 新谷行『増補 アイヌ民族抵抗史』三一書房、1977年、199頁。
(2) 北海道新聞社社会部編『銀のしずく』北海道新聞社、1991年、34頁。
(3) 菊池勇夫『蝦夷島と北方世界』吉川弘文館、2003年、287頁。
(4) 花野雄太「アイヌ民族から土地取り上げた→与えた 教科書記述変更」(朝日新聞デジタル)https://digital.asahi.com/articles/ASJ1N45K8J1NIIPE00R.html  閲覧日:2020年8月4日。
(5) 平田剛士「アイヌ英雄像差し替えが暗示する政府の“だまし撃ち”」(週刊金曜日オンライン)http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2018/11/21/antena-370/ 閲覧日:2020年8月10日。
(6) 「シャクシャイン像の喪失を生んだ行政の怠慢と責任」(北方ジャーナル)http://hoppo-j.com/corporation_iss.html?ISS=2019_12_1 閲覧日:2020年8月10日。
(7) 新谷行『増補 アイヌ民族抵抗史』三一書房、1977年、300頁。
(8)丸山ひかり「アイヌ差別の歴史に持論 萩生田氏『価値観違いあった』」(朝日新聞デジタル)https://digital.asahi.com/articles/ASN7B5GDXN7BUCVL00V.html 閲覧日:2020年8月10日。
(9) 鈴木誠「文科相、明確な謝罪避ける アイヌ民族『価値観の違い』発言」(北海道新聞 どうしん電子版) https://www.hokkaido-np.co.jp/article/449490 閲覧日:2020年8月12日。
(10)野村浩也『増補改訂版 無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人』 松籟社、2019年、200-201頁。
(11) 「北海道新聞」2020年8月10日 朝刊。
(田中駿介 慶應義塾大学法学部4年)
https://news.livedoor.com/article/detail/18728748/

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地域のアイヌ文化知って 郷土資料館でパネル展 新冠

2020-08-14 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2020/8/13配信
 新冠町郷土資料館主催の企画展「新冠のアイヌ文化を知ろうパネル展」が、同館ロビーで開かれている。入場無料。9月5日まで。  白老町にアイヌ民族共生象徴空間「ウポポイ」がオープンし、アイヌ文化が注目される中、ふるさと新冠の「地名や史跡」…
この続き:393文字
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https://www.tomamin.co.jp/article/news/area2/26226/

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シューズブランド「フラワーマウンテン」が写真家の森山大道と初コラボ 

2020-08-14 | アイヌ民族関連
WWD 8/13(木) 21:00配信
日本発シューズブランドの「フラワーマウンテン(FLOWER MOUNTAIN)」は、写真家の森山大道とのコラボスニーカーを発表した。2021年春に公開予定のドキュメンタリー映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道」と同時期にローンチする。森山がシューズブランドとコラボするのは今回が初めて。
コラボスニーカーは全2型。同ブランドの定番モデル“パンパス(PAMPAS)”と、アイヌ民族の履物ストゥケレをモチーフにしたアッパーのレース使いで、快適なホールド感とデザインが特徴の“ライキリ(RAIKIRI)”に、森山が手掛けたスナップショットを反映させた。 “パンパス”は3デザイン(各2万円)、“ライキリ”は2デザイン(各2万3000円)をそろえた。
9月5日~10月31日には、美術展「KEEP WALKING PROJECT-DAIDO MORIYAMA× 『フラワーマウンテン』スニーカーズ エキシビション」を北海道・札幌のアイエルエーギャラリー(ILA GALLERY)で開催する。
「フラワーマウンテン」は、OEMのシューズデザインなどを手掛けていた太田圭輔デザイナーが中国・北京在住のヤン・チャオ(Yang Chao)デザイナーと共同で2015年にスタートしたブランド。自然の動植物から切り出した情景をコンセプトに、ハンドメイドで製作する独創的なデザインが特徴だ。
森山は1938年大阪生まれ。岩宮武二、細江英公のアシスタントを経て64年に独立。写真誌などで作品を発表し続け、67年「にっぽん劇場」で「日本写真批評家協会新人賞」を受賞。2012年にはニューヨークの国際写真センター(ICP)が主催する「第28回インフィニティ賞」生涯功績部門で日本人として初受賞。同年、ウィリアム・クライン(William Klein)との2人展「William Klein+Daido Moriyama」をロンドンのテート・モダン(Tate Modern)で開催した。また18年にはフランス政府より芸術文化勲章「シュヴァリエ」が授与されたほか、19年にハッセルブラッド財団国際写真賞を受賞している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/53bf04cc520e4f9c933b2ec52f0f5bfa61358c09

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道庁赤れんが休館、5年半に延長 北海道のシンボル 五輪延期で改修再延期、完成は25年3月

2020-08-14 | アイヌ民族関連
北海道新聞 8/13(木) 17:30配信
 道は、来夏に延期された東京五輪マラソン札幌開催のため、マラソンコース沿いの道庁赤れんが庁舎改修工事の工期をさらに1年延期し、当初案より2年遅い2025年3月の完成を目指す方向で調整していることが12日、分かった。札幌開催が決定した昨年11月に続き、2度目の工期延長となる。事業費約43億円は大きくは変わらない見通しだが、休館期間は当初予定の3年半から、5年半に延びることになる。
 改修工事は今年1月から耐震補強のための調査に着手。当初は4月に本格工事に着手し、23年3月完成予定だったが、昨年12月、五輪マラソン時に庁舎を道都のシンボルとして世界にPRするため、本格着工を21年4月に、完成を24年3月に先送りした。今回の再延期によって22年4月本格着工、25年3月完成となる。
 休館は昨年10月から始まっており、長期化によって道民の親近感が薄れることが懸念されるため、五輪期間中に一般公開し、アイヌ文化や観光情報を発信するスペースを設ける。近くの札幌駅前通地下歩行空間などと連動して北海道の食と観光もアピールする。このほかにも、工事が本格化する前に一般公開する機会を複数回設ける方向で検討している。
 東京五輪開催の可否の判断は早くて10月中とされ、政府内には来春との見方もある。仮に開催が中止された場合でも、庁舎改修の工期を早めるのは、作業員や資材の確保に半年程度を要する上、経費削減で冬場は工事を避けるため、困難とみられる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bf1ca7db4068142aaff38d01dbb6f380e3fce86f

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