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「正調」安曇節の集まりに

2009-05-17 | 日記
(朝日新聞2009年05月16日)
 先生は… 梨子田芳正さん(松川村安曇節保存会歌謡部長)
 最後の返しで盛り上りを
 学生時代、山岳部にいた筆者は、上級生から安曇節を教わって覚えた。穂高岳から下山した上高地の奥で、山小屋の人たちと酒を酌み交わし、安曇節で盛り上がった思い出がある。
 松川村の安曇節保存会が正調安曇節を伝えていると聞いて、月1回の集まりをのぞいてみた。多目的交流センター「すずの音ホール」には、小学生から年配の人まで20人近くが集まっていた。太鼓、三味線、尺八の伴奏で歌い始める。
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 ♯サー 寄れや寄ってこい安曇の踊り 田から町から田から町から 野山から チョコサイコラコイ
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 あれっ、筆者の知っている安曇節とちょっと違う。最初に「サー」と入るのは初めて聞いた。歌詞の「町から」は「畑(はた)から」だったような気がするし、メロディーも微妙に違う。
 同会歌謡部長の梨子田芳正さん(61)によると、筆者が覚えた安曇節は「豊科調」だそうだ。
 「正調」は1923(大正12)年、松川村の医師榛葉太生(しんはふとお)が創作した。代かき歌や田植え歌など民謡が歌われなくなったのを憂え、歌詞を収集した。メロディーは「豊科調」などに改良を加え、一つの民謡にまとめあげたという。レコードにもなって普及した。
 歌詞は七七七五調で、3句目の7文字(田から町から)を2回繰り返し、最後の5文字(野山から)を3回繰り返す。さらに「チョコサイコラコイ」(アイヌ語で、そうだ、同感の意という)。安曇節の盛り上がりは、最後の返しの部分とチョコサイコラコイをみんなで歌うところだろう。筆者も覚えがある。無数にある歌詞を知らなくても、だれもが参加できるのだ。
 村では毎夏の「ふるさと祭り」で村民が生歌の安曇節で踊る。
 梨子田さんが語る歌い方の極意。「多少シナ(小節)をつけ、踊りやすくアクセントを」。うーん、むずかしそうだ。(山田新)
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 1947年、松川村生まれ。南安曇農高を卒業後、亜細亜大で会計学を学び、県内の自動車販売会社に就職。県アマ相撲最高位の大関に18年間在位。保存会に携わって約30年。歌、楽器、踊りの3部門のうち歌の責任者だ。
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 松川村安曇節保存会は62年に設立され、現在会員580人。毎月第2木曜の夜、すずの音ホールで練習。問い合わせは村教委文化施設係(0261・62・2481)へ。
 正調安曇節は村観光協会ホームページ(http://www.janis.or.jp/users/kanmatu/)の「イベント」のページで聞くことができる。
http://mytown.asahi.com/nagano/news.php?k_id=21000190905160006
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