「ミステリー」と名がつくものは目が無いので、毎日のように本からテレビドラマまで一通りチェックしているが、先週の日曜の夜に放映されていた「アストリッドとラファエル」(NHK)はとても面白かった。
フランス発の洒落たミステリーで犯罪捜査資料局に勤務する自閉症の女性「アストリッド」と、猪突猛進型の敏腕警視「ラファエル」という二人の女性がコンビを組んで数々の難事件を解決していくというストーリー。
「自閉症」というハンディを抱えた女性を主人公にするという大胆な着想に感心するが、異質のキャラクターを持つ二人の固く結ばれた友情と信頼がドラマ全般に通奏低音のように流れており、単なる謎解きドラマに終わっていないところが素晴らしい。
本国で大人気のドラマだというのもよくわかる。
で、本題に移ってこのほど放映されたドラマの中で「アストリッド」が(書棚がいっぱい詰まった)広大な「資料局」の中でバッハの「フーガの技法」をラジカセで聴くシーンがあった。
(実は、「フーガの技法」の中に仕込んだバッハの遊び心が事件解決の重要なカギを握っているのだがそれはドラマの終末になってはじめてわかる。)
ほう・・、ミステリードラマの中でバッハですか!
一気にドラマの品格が向上する感じだなあ~と、監督など関係者のセンスに感心するばかりだが、音楽の方も所詮はテレビなのにとても澄み切った音で素敵!
「フーガの技法」はバッハの最晩年の大傑作だと噂には聞いていたが、まだ本腰を入れて聴いたことはない。
よし、いっちょう挑戦してみよっか!
評価の高いのは「タチアナ・ニコラーエワ」女史(ピアノ:ロシア)だと知っていたので、オークションで調べてみるとさすがに本命盤だけあって高っ(笑)。
とりあえず、小手調べということで「コープマン・ラトー」のコンビ(チエンバロ)で肩慣らししてみることにした。
即決で落札してほどなく到着。
さっそく、このところお気に入りの「トライアクショム」で聴いてみたが、やっぱりというかバッハは難しい~(笑)。
山の頂が想像すらもできず、どこをどう登って辿りつこうかともう皆目見当がつかない「五里霧中」のありさま。
とうとう自棄(やけ)になって夕食前のひと時「すきっ腹」にウィスキーを流し込みながら聴く始末(笑)。
すると、なかなかいいじゃない・・、せめてあと30回ぐらいは聴いて峰の半分くらいは辿りつきたいものだがと俄然意欲が出てきた。
「バッハ」と「ウィスキー」はいい組みわせのようですぞ(笑)。
あっ、そうそうバッハ好きの「M」さん(関西)・・、ニコラーエワ女史の「フーガの技法」をお持ちでしたら貸していただけませんか~。
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「おい、ちょっと加勢してくれ~」と、いつも5時ごろに早朝散歩に行く前の家人を捕まえてスピーカー「AXIOM80」を動かすのを手伝わせた。
板厚の薄い箱だが、音に重量感を持たせるため底板の四方に「鉄筋」を敷き詰めているので一人で動かすのはとうてい無理。
で、つい先日「何だか雑然としているわね、ちょっと片づけた方がいいんじゃない」と偉そうに宣うた当のご本人だから嫌も応もなかろう(笑)。
その結果、次の画像のとおり「トライアクショム」が我が家のベストポジションに収まった。バッフルの下部にはこのたびの工作で開けた3cmほどの隙間で背圧を逃がしている。
ちょっと「見てくれ」が悪いけど、気にしない、気にしない、音さえ良ければいいんだから~(笑)。
で、定位置に動かしたわけは歴然としている。
これから我が家のエースとして活躍してもらうためであり、当然それだけの重責に似合う能力を秘めているので頼もしい限り。
ボーカルを含めてあらゆる楽器の再生にうまく対応できるし(自分で勝手に思うだけだが・・)、オーケストラを盛大に鳴らしても「AXIOM80」のように過大入力を気にしなくて済むので精神衛生上極めてよろしい。
これまでの50年以上に亘るオーディオ人生の集大成ともいえるサウンドで、毎日オーディオ機器のスイッチを入れる度にワクワク心が弾む。
これ以上望むと罰が当たりそうだが、唯一試してみたいのがツィーターのテストである。
現在使っている「スーパー3」(ワーフェデール:赤帯マグネット付き)にまったく不満はないが、コーン型ユニットだけに、これを金属のダイヤフラムを付けたツィーターに代えると、「管楽器」の輝きが増えるかもしれないと淡い期待を持ちたくなる。
候補はJBLの「075」と「175」。
な~に、気に入らなければ元に戻すだけの話。入れ替えの手間は5分もあれば十分だろう。
丁度3連休の終わりの10日(月)、辛口のオーディオ仲間「Y」さんに来ていただいての実験となった。
我が家にお見えになったのが先月の23日なのでおよそ3週間ぶりとなる。
例によってこの間に我が家のオーディオ環境は一新しているが、とりわけ新装なった「トライアクショム」とは初めてのご対面である。
さあ、どういう辛口のコメントを洩らされるか楽しみだな~(笑)。
以下、続く。
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流石に10月中旬ともなると気温がぐっと下がってきてまことに秋らしくなってくる。
今朝(11日)の起き抜けの室内温度は18度だったので、そろそろエアコンの出番かな。
そして、秋は「憂愁の秋」でもある。
毎日大好きな「音楽&オーディオ」を楽しみ、読書三昧の日々でまったく不満はなく、「人生終わり良ければすべて良し」といきたいものだが、何の脈絡もなくふと過去の失敗が次々に思い出されてきて身を苛むことがありそれがちょっとブレーキかな~。
家内や娘にこんな話をすると「お父さんは真面目すぎるのよ、私なんか嫌なことはすぐに忘れてしまうわ!」と、異口同音に能天気な返事が返ってくる。
男性と女性では違うんだろうか~(笑)。
いずれにしても、不愉快な過去をすっかり「忘れきる能力」も必要みたいですね。
あるテレビ番組で「晩年は人生の総決算」で、マラソンを人生にたとえるとヤマ場は後半にあってラストで勝負が決まるようなものと言っていたが、その重要な人生後半の指針を36名の著名人が記載している本がある。
それぞれに読み応えがあったが、作家などの自由業が多いためか「人生後半は楽しく遊んだ人の勝ち」みたいな論調が多かった。
たとえば、浅田次郎(作家)さん
「定年まであと何年」と考えるから苦しくなる。「100歳まで生きる」と思い込めば、人生が楽しくなるんです。」
次に、大前研一(経営コンサルタント)さん
「50歳になったら成仏して、好きなことだけをやる生き方に目標を変える。」
といった具合。
たしかに共感を覚える部分もあるが、後半期になっても人それぞれの環境が違うので、こういう自由人たちの意見を紹介しても意味がなさそう。もっと精神的に指針となる生き方を問いたいものだ。
そして、36人の中で一番印象に残ったのが「鎌田 實」(医師)さんだった。
「どん底の人生でも、投げ出さない人が幸せになれる」と題した小文。ややシリアスな内容だが自らの体験を率直に綴っただけにズシリと心に響いてくるものがある。
~以下引用~。
『人間の中には”獣”がいるって僕はそう思っているんです。実際、僕は18歳のときにオヤジの首に手をかけているんです。
親父はタクシーの運転手をしていて、心臓病を患った女房を抱えて少しでもいい治療を受けさせたい、医療費を稼ごうと苦労して毎日15時間くらい働いていた。家も貧しかった。
高3の春に親父に「大学にいかせてくれ」と言ったら「うちは大学なんかにいかなくていい、いく必要はない」とつっぱねられた。泣きながら何度言っても、ただ「ダメだ」とだけ。理由すら説明してくれない。反対されるなんて考えてもいなかったからたいへんなショック。
だけど夏休みになっても、どうしても進学をあきらめきれなくて・・・。自分の人生だから投げ出すわけにはいかない。もう1回泣きながら、親父と対決するんです。「どうしても大学にいきたいんだ」と言いながら首に手をかけた。でも、締めあげなかった。首をゆすりながら、泣き叫んだんです。
そしたら、親父も泣き出してふたりで床にへたりこんだ。そのあとで親父に言われたんです。「好きなようにしろ。だが、何もしてやれないぞ」「うちみたいな貧乏人、弱い人のための医者になれ」と。
先年、関西で16歳の子が父親の首を斧で切断した事件がありましたがほんのわずかな差なんです、18歳の僕とその16歳の子と・・・。僕にはいまも18歳のときに現われたその獣が潜んでいるんですから。
獣は16歳の子だけじゃなくて、誰にも潜んでいると思うんです。人間の中の獣を暴れさせないために、感動するような音楽や小説、素晴らしい絵があり、いい家族が必要なのではないか。
その獣を暴れさせないための仕組みがもともと日本には豊かにあったのに、地域社会が壊れたし、成果主義を前面に押し出してからますます社会がギスギスしてそのうえ家族までもがうまくいかなくなった・・・。
世の中の獣が暴れださない仕組みがものすごく弱まっていると思うんです。』
~以下略~。
※ 鎌田さんが両親の実子でなかったことをはじめて知るのは35歳のときだった。
さて、「誰にも潜んでいる”獣”」で連想するのが、どなたの記憶にも残っている「秋葉原の通り魔殺人事件」で、7人もの犠牲者が出た大惨事である。
犯人の「加藤 某」はこのほど(2022年)死刑執行されましたね。
その人物像となると、派遣社員であり年齢は30歳前後、背景にあるのが家族との断絶、現状に対する不満、将来への不安、ハケ口のなさなどで現代の世相とも織り重なるところがありますよ。
この種の犯罪によって無辜(むこ)の被害者をこれ以上増やさないためにもこういう「人間の中の獣」を暴れさせないための何らかの妙案がないものか・・。
というわけで、鎌田さんが仰るように芸術、文化、スポーツ、読書などに興味を持たせる息の長い環境づくりが必要だし、けっして無駄な投資ではないと思うがどうなんだろう。
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前回からの続きです。
このところ「オーディオ記事」ばかりで息もつかせぬ怒涛の4連発となった。
ついに本性を現したか・・、とまあオーディオ以外の記事を期待している読者にはまことに申し訳ない、積り~(笑)。
さて、エンクロージャーの工作によって想像以上に変身した「トライアクショム」だが、これほどの音を出してくれるのだから、これまでずっと補欠にしてきたのは大間違いだった。
これほどの資質の持ち主とは夢にも思わず、すっかりなめていた(笑)。
となると、我が家でのサウンドの「二者択一」を迫られてしまう。
つまり、やや神経質だけど明るめの「AXIOM80」を選ぶか、それともやや控えめで思慮深い「トライアクショム」かというわけ。両者とも出自は「グッドマン」(英国)だけど~。
ちなみに世間には「両雄並び立たず」という言葉もある。
実に難しい選択を突き付けられるが、気候との相性でいえば気温が上り坂の「春と夏」は「AXIOM80」となり、気温が下り坂の「秋と冬」は「トライアクショム」かなあ。
とまあ、とりあえず「どっちつかず」にしておこう(笑)。
なお、新装なった「トライアクショム」に組み合わせるアンプに触れておかないと「画竜点睛を欠く」というものだろう。
これほどのユニットとなると、それに見合ったアンプを選ばないと礼を失することになる(笑)。
そこで、満を持して「PP5/400シングルアンプ」の登場だ!(画像左側)
こういうときのために、これまで大切に保管してきた「PP5/400」(初期版:英国マツダ)出力管である。「PX25系」では王様と言っても過言ではないだろう。
アンプの概要は前段管が「LS7」(GEC)、整流管は「WE422A」、インターステージトランスは「A19」(UTC)、出力トランスは「リスト」(PX25専用)という布陣。
このアンプとトライアクショムの組み合わせでおかしな音が出るはずもなく(笑)、感想はあえて控えておくが「どこに出しても恥ずかしくない音」とだけ言っておこう。
なお、このサウンドだと常時組み合わせていた「サブウーファー」を敬遠したくなってくるから不思議。
まあ、周波数レンジを求めるか、音の濁りを優先的に排除するかの二者択一になりますね。
最後に余計な一言を。
エンクロージャーをメーカー任せにする方が圧倒的に多いが、そういう方々はオーディオの「真髄」を味わえないまま(オーディオ)人生を終えることになるわけで実にもったいない話だと思う。
メーカー製は第一「見てくれ」がいいし、信頼したくなるのもわからないではないが、所詮は一定の規格に縛られた「建売住宅」のようなもので、個人の嗜好やそれぞれのオーディオ環境に配慮した代物ではない。それに所詮は企業なんだから儲けを念頭に置いた「コスト」第一主義であることを忘れてはいけない。
その点、薄い板厚にしたときのエンクロージャーによる表現力の多彩さ、背圧の逃がし方、音像定位のためのユニット同士の振動板の位置合わせ、吸音材の選び方、詰め方などまさに「宝の山」だと思うんだけどなあ~。
このうち特に「薄い板厚」(1~1.5cm)にしたときのエンクロージャーは響きの面でクラシック鑑賞には試してみる価値が大いにある。とにかく市販の製品は板が厚すぎて余韻が物足りない!
とまあ、この際とばかり「言いたい放題」になったが、所詮は人それぞれだし「要らん世話!」ですけどね(笑)。
なお、博士に今回の件について「うまくいきましたよ。どうもありがとうございました」とご報告したところ、「それは良かったですね!きっかけはミサイル発射のおかげですよ、すべて前向きに考えないと・・」。
この幸運に対して「北朝鮮」に感謝しないといけないかな~(笑)。
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前回からの続きです。
オーディオでスピーカーいじりほど深遠なものはないといつも思う。なぜなら、ほんのちょっとした改造でも音の変化が著しいから~。言い換えると、どこまでも気を抜けないのがスピーカーの分野でもある。
もちろん、いっさい「メーカー任せ」の方は別ですよ~(笑)。
で、「北国の真空管博士」からヒントをいただいたのでさっそく箱の改造に取り掛かった。いや、「改造」とは大袈裟なので「工作」の方が正解かな(笑)。
前回述べたように「トライアクショム」を取り付けているバッフルの下側の隙間をさらに広げて背圧(逆相の音)を逃がしやすくしようという算段である。
スピーカー回りの作業は比較的簡単だが肝心のユニットを傷つけると元も子もなくなるのでかなり神経を使う。
まずは予備のバッフルを倉庫から出してきて鋸で隙間が「3cm」になるようにカットした。バッフルにはすでにユニット用の穴(口径30cm)を開けているので楽勝だ。これで左右2枚のバッフルが無事完成。
次に本体の作業に移ってバッフルのネジを緩めて箱から取り外し、それから専用の金具でバッフルからユニットを取り外し、予備のバッフルへと取り付けて最後に箱に取り付けてネジ締め。いつものように電気式ドライバーが大活躍。
言葉にすると簡単だが、実際の作業となるとゆうに2時間くらいはかかっただろうか。
夕飯直前になって完成したが、いつものようにワクワクしながら音出し。
すると思わず息を呑んだ!
まるでSPユニットそのものが変わったみたいに開放的な音が鳴り響く。とても抜けが良くて軽々と音が出てくる感じ。音響空間にふわっと漂う音の表情がことのほか麗しい。
背圧の逃げ道をちょっと広げただけでこんなに音が変わるんだからと、オーディオの奥深さに恐れおののき、そして打ちのめされた。
こんな基本的なことに気が付かなかったとは、いったい何年オーディオをやってんだと自分の頭を小突きたくなったほど。
まあ、うれしい悲鳴ですけどね(笑)。
それにしても爽やかな弦の美しさは相変わらずでいつまでも聴いていたいと思わせる魅力的な音にさすがはグッドマンと感嘆!
同社はタンノイのようにそれぞれのユニットに応じた専用の箱をつくらなかったが、それだけに工夫次第でその可能性は無限大ともいえる。
言い換えると、しょぼい箱だと無限小となる危険性もある(笑)。
そして、じっと耳を澄ますうちにふと「ブリティッシュ・サウンド」という言葉を連想した。
「ブリティッシュ・サウンド」って?
イギリス人はヨーロッパ大陸人に比べて独特の翳りのある気質を持っており、それがサウンドにも微妙に反映されているという。
で、ずっと以前のブログで書いたように、
「音の微妙な陰影を表現でき、人の心に寄り添ってくれる音に尽きる。一聴するだけではとても地味だし、けっして大向こうを唸らせる音ではないが、聴けば聴くほどに琴線に触れてくるものがあって音楽&オーディオを心から愛する人にだけ通じる何かがある。」
とまあ、偉そうに言わせてもらおう(笑)。
「音楽と音質」に何を求めるか、こればかりは人それぞれだが自分の場合はどちらかといえば「下降旋律」が好きだし、しんみりとした心情をもたらしてくれる音質が好き・・。
いわば「滅びゆく者の美しさ」が好きなのかな。
以下、続く。(やたらに引っ張るようだが長くなるので悪しからず~笑)
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先日早朝の「警戒アラート」(テレビ)には「いったい何事か!」と本当にびっくりした。
北朝鮮の「バカタレ」がミサイルなんか撃つもんだから~、人騒がせにも程がある!
警戒対象地域は北海道と青森ということだったので、さっそく北国の真空管博士に連絡してみた。
「ミサイルが落ちなくて良かったですねえ」「いやあ、携帯に警戒アラートが入ったので驚きましたよ。上空といえどもミサイルが飛んで来るのはとても気持ちが悪いものですよ」「そりゃそうでしょうね、国連に諮って他国の上空飛行禁止措置なんかできないものですかね」
と、話が一段落したところで「最近耳よりのニュースは何かありませんか」とお訊ねしたところ、
「そうですねえ、NATOの軍事用真空管をかなり大量に仕入れましたよ。海外のオークションで最初は4本落札したのですが、たいへんな掘り出し物でした。
多極管なのに3極管接続にするととても音がいいんです。製造はあのムラード(英国)ですからツクリも問題ないです。
出品者はスペイン在住でしたが、もっとストックがありませんかと交渉したところ上手く商談成立しました。こういう隠れた名球を発掘して陽の目を当たらせるのはとても楽しいですよ」
この球は「2A3」を小柄にしたようなST管だそうで、スピード感が抜群とのこと。アンプ化が実現できたら一度試聴してみたいものだ。
それはさておき、ここからが本題になるが博士から次のようなアドバイスがあった。
「あなたのブログを読んでいるんですが、現在のトライアクショムの箱はちょっと背圧の逃げ道が狭いように思います。もっと広げてあげた方がいいんじゃないですか。そうすると箱のボンつきも随分収まることでしょう」
「そうですか、少し狭すぎますかね・・・」
ほかならぬ博士のご提言なので実験する価値は大いにある。
ご覧のとおり、というか画像ではなかなか分かりにくいがバッフルの下部に「1cm×50cm」の隙間を開けている。背圧(逆相の音)を逃がすためである。この部分をもっと広げてみてはというご提言。
以下、知ったかぶりして書いてはみたが間違ってたらごめんなさいね(笑)。
コーン型ユニットからは二種類の音が出ている。まずリスナーに向けて出てくる音が「正相」であり、逆に裏側から出る音は「逆相」である。
この両方の音が混じり合うとお互いに音波が打ち消し合って(極端に言えば)音が出なくなる。そこで両方の音を仕切るための箱が必要となるわけだが、この逆相の音を逃がすために箱には様々な仕組みが講じられている。
前側、後ろ側、下側、上側、はては側面に穴を開けたりして逃がすが、その逃がし方によって音は千変万化する、で今回の場合は前述どおり前側から逃がしている。
で、その面積といえば「1cm×50cm=50平方センチ」になるが、これを円形に換算すると「円の面積はπR(半径)の二乗」だから、口径8cm程度の円を開けていることになる。
どうせチャレンジするならせめて「3cm×50cm=150平方センチ」ぐらい開けてみようかな、これまた円形に換算すると口径14cmぐらいの計算になるが・・。
こういう作業の手間を面倒くさがるようではオーディオ愛好家の資格はないよなあと自分に渋々ながら言い聞かせた(笑)。
そこで、ひと呼吸おいて日課のウォーキングをしながらベストの方法を考えることにした。歩きながら考えると名案が浮かんでくることが多いんですよねえ。
ほら、ベートーヴェンがハイリゲンシュタットの森を散策しながら名曲の着想を得たのとよく似ているでしょうが(笑)。
「そうだ、予備のバッフルが1ペアあったはずなのでそれを鋸でカットして取り付けてみよう、手順はああしてこうして・・・」という結論に落ち着いた。
考えがまとまったのでウォーキングを早々に切り上げてすぐに帰参し作業に取り掛かった。
以下、続く。
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今朝起きた時の室温は22度で、ようやく秋に相応しい快適な気温になってきた。
芸術の秋、読書の秋、実りの秋、食欲の秋、交流の秋・・。
さて、「二転三転」しながら、ひとまず落ち着いた我が家のオーディオシステム。
それはいいとして、昨日のことたまたまオーディオルームに入ってきた家人が冷たい一瞥のもと「あらっ、またスピーカーの位置を代えたの? 何だか雑然としているわね。もう少し片づけた方がいいんじゃない・・」
いちいちうるさいんだから、もう・・、「つべこべ言うな」と一喝したいところだが、長年の付き合いだし、まいっか・・。
やや神経質な「AXIOM80」に比べて今度の「トライアクショム」はサウンドに「おおらかさ」があるので、気持ちの方までおおらかになってきたような気がする(笑)。
秋の夜長を楽しむには絶好のサウンドだなあと、悦に入っていると次第に欲が出てきてこれにサブウーファーを付け足したらどうなるんだろう・・。
今でも十分だと思える低音域だが、オーケストラなどの大編成のソースには大いに威力を発揮するに違いない。
と、思い立ったが吉日で即実行に移した。こういう時のために「安井式プリアンプ」の出力を「3系統」に増設しているのが大いに効いた。
これで変則的な3ウェイ・マルチ・システムになるが、わかりやすく整理しておくと、
★ サブウーファー(100ヘルツ以下)
アンプ「EL34プッシュプル」 → スピーカー「ウェストミンスター」(内蔵ユニット「スーパー12」(ワーフェデール:赤帯マグネット付き:口径30cm)
★ フルレンジ
アンプ「6FQ7プッシュプル」(RCAクリアトップ) → スピーカー「トライアクショム」(グッドマン:同軸3ウェイ:口径30cm)
★ ツィーター
アンプ「71系シングル」(SRPP回路) → SPユニット「スーパー3」(ワーフェデール:赤帯マグネット付き:口径10cm)
気になるのは「サブウーファー」と「フルレンジ」のユニットの振動板の位置がかなり離れていることだが、周知のとおり「100ヘルツ」の波長は「3.4m」だ。音速が1秒間に340mだからそういう計算になる。
ネットワークの肩落ちは「-6db/oct」なので100ヘルツから200ヘルツまでに「-6db」減衰するがその200ヘルツの時でさえも波長は「1.7m」となって、両方のユニットの振動板の位置がその範囲に収まるので違和感は無いはずだと踏んだ。
もちろん、総合的に見てプリアンプから出力を3系統も出すと音圧減衰の影響がきっとあるはずだが、この際だから片目をつぶろう。
オーディオにプラスとマイナスはつきものなんだから~(笑)。
これでシステムは「フルレンジ」を中心にして100ヘルツ以下の低音域と9000ヘルツ以上の高音域を付ぎ足したことになる。
肝心の「フルレンジ」だけには「コイル」や「コンデンサー」さらには「チャンデバ」を使っていないところがミソである。これらはクラシックに必須の「ハーモニー」に悪影響を及ぼしますからね。
理屈なんかどうでもよろし、結果はどうなんだと突っ込まれそうだが、期待通りのサウンドでした!
こういう雄大なサウンドに包み込まれると細かいことはどうでもよくなりますねえ。
「AXIOM80」に戻るのは随分先のことになりそう。
ただし、例によって辛口のオーディオ仲間がこのサウンドを聴いてはたしてどういう感想を洩らすか、ちょっと心配になりますなあ(笑)。
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先日のブログ「素敵な言い訳」(9月23日)をご記憶だろうか。
結論を一言でいえば「過去の失敗をいくら悔いても仕方がない、なにしろそのときは一生懸命だったんだからと思えば諦めもつく」
これについてKさん(横浜:設計士さん)からメールが届いた。
「今回も素敵な言葉ありがとうございます。「あの時“ああすれば”、他の案もあったのに」と悔やむこと多々・・。
でも今日の言葉に救われました、「その時は一生懸命」だった、確かに!
まあこう言い切れるのは記憶の内の?%としてもですが。」
これに対し、「実は私もそうなんです。その時は一生懸命だった、と言い切れるのは「?%」くらいかな~。まさに盲点を突かれましたね(笑)。」
この記事は2週間くらい経った今でも過去記事ランキングに登場してくるほどだからかなり共感を覚えられた方がいるみたい。
それはさておき、この中で「このブログは更新することに意義があるので、質より量を優先している」みたいなことを、いささか開き直って書いたわけだが、これに関連して10年ほど前に「数こそ質なのか」という、これに賛同できるような記事をふと思い出した。
改めて一読したところ、かなり頷けるので適当に今風に改変して再掲してみよう。それでは以下のとおり。
ブログを始めてからこの10月でまる16年になる。振り返ってみると一瞬のことだが、渦中にいるときはそうでもない。
「一日が過ぎるのは長く感じるけど、一年が過ぎるのは早い」と、ずっと前に退職した先輩がしみじみと言ってたが、自分も実際にその境遇になってみるとその感覚を実感するところが大いにある。
さて「石の上にも3年」という言葉があるが、初めの頃は大好きなオペラ「魔笛」(モーツァルト)の同好の士を募って「魔笛倶楽部を組織できればいいな」ぐらいの軽い気持ちで(ブログの)投稿を続けていたが、この頃ではとうとう投稿記事数が3000件近くとなり、しかも(ブログへの)アクセス数も想像以上の盛況ぶり。
こんなニッチな内容で勝手気ままの独善的なブログを読んでいただくのはとてもありがたいことだし、ブログを続けていくうえで大きな励みとなっている。
とはいえ、「はたしてこのままでいいんだろうか」という疑問がときどき湧いてくるのも事実。
単に目新しいというだけで人の目に触れて後は“読み捨て”同然に忘れ去られていくパターンの繰り返しには当然マンネリズムの罠もあって質的な劣化は避けられないところ。
実を言うと「量から質への転換」というのはいざ実行するとなるとなかなか難しい。
質的な向上のためには深い洞察力と思考力が求められるが、自分のような「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」式のタイプには無理のような気もする(笑)。
そういう中、興味深いテレビ番組があった。
それは、毎週日曜日の23時から放映されている「情熱大陸」(30分)。たいへんな長寿番組である。
様々な分野で活躍する人たちをひとりひとり密着取材して取り上げ、紹介していくドキュメンタリー番組だが、先日登場されていたのが心臓外科医の「新浪博士」(にいなみ ひろし)氏。
埼玉医科大学教授(当時)として年間300例にも届く難易度の高い心臓手術を手がけている斯界(しかい)の第一人者。
(ちなみに、番組の中で新浪氏がこの世で唯一、頭の上がらない存在として紹介されていたのが兄に当たる現「サントリー」社長の新浪剛史氏。)
番組の中でこの新浪氏が仰るのには「数こそ質なのです。毎日のように手術をやってないと、腕が錆びつくだけです。」
成る程、そういう考え方もあるのかと「眼からウロコ」だった。
このブログも毎日のように更新していると、内容はどうであれ「筆が錆びつかない」利点があるのかもしれないですね(笑)。
そういえばベストセラー作家の東野圭吾さんなどが「いったい寝る間があるんだろうか」と思うくらい次々と作品を発表されているが、いずれも軒並みレベルが高いのもこれで頷ける。
どうやら、“人それぞれ”の持ち味があるようだ!
そういえば好きな趣味の一つに「釣り」があるが、これが実に人の性格がよく出る。
一発大物狙いで、1回の釣行で大物が1匹釣れればいいという辛抱強い人もいれば、たとえ小物でもいいから間断なく釣れる方が退屈しないでいいという人の二つのタイプにはっきり分かれるが、自分は明らかに後者のタイプである。
そういうわけで、これから大切なことはただ一つ、「数こそ質」で“つべこべ”言わずに「身の丈に合った内容でコツコツと投稿を続ける」ことぐらいかな~(笑)。
前回からの続きです。
いくら歳をとっても熱中できる趣味があると毎日がメチャ楽しい(笑)。
夜、寝床に入るとき「明日はあれをこうしてああして・・」とワクワクしながら目を瞑っていると、いつのまにか睡魔が襲ってくる。
とはいえ、肝心の夢見となるとどうもはかばかしくない。
たとえば、病が癒えて職場に復帰したところ自分の机がどこにも無かったり、駐車場に止めたはずのクルマが見当たらず方々を探し回るといった「胃の痛くなるような」夢ばかりで、目が覚めてからああ夢でよかった~!(笑)。
夢と現実の落差に大いに刺激を受けているが、本題に戻って今回は「ニューゴールデン8」(英国:リチャードアレン)についてのお話。
この箱はもともとJBLの「LE8T」(口径20cm)が入っていた箱である。
プロが作った極めて剛性の高い箱で内部も補強材で頑丈なツクリになっていて素人が簡単に手を出せる代物ではない。わずかに、小袋に容れた羽毛の吸音材を注ぎ足したくらい。
肝心の「LE8T」(初期版)の方はとうとううまく鳴らせないまま「オークションの露」と消えてしまった。どなたかうまく鳴らしてやってくださいね~。
なお、同軸2ウェイの場合、前に述べたように我が耳の事情でツィーターを注ぎ足すことにしているが今回も例外ではない。
で、2ウェイ・マルチ方式での音出しだが、こんな小さな箱からと思うくらいの力強くて豪快な低音が出たのには驚いた。それに高音域もツィーター効果で繊細極まりない。
小口径なので音像定位は抜群で「口径20cm、侮るべからず!」いいぞ、いいぞと頷きながら半日ほど聴いていると、そのうちあまりにも音がカチッと締まりすぎてもう少しゆとりが欲しい気がしてきた。
ジャズにはバッチリなんだけどクラシックとなるともう少し余韻が欲しいかなあ・・。
日頃から「響きが多め」の薄い板厚の箱の音に慣れているだけに余計に「耳に沁みる」(笑)。
やっぱり、元に戻すか・・。
というわけで、再度「トライアクショム」の出番へ。
そのままでは面白くないのでプリアンプを一新した。
「JADIS型回路」(12AY7×6本)から「安井式プリ」へ。
真空管はもともと「12AU7×4本」だが、そっくり「E80CC」に代えている。これまでは「フィリップスとヴァルボ」を2本づつだったが、ヴァルボ銘柄(ドイツ:金足)で4本とも統一。
真空管のお値段だけで本体のプリアンプのお値段を超えるんだから主客転倒だね、これは~(笑)。
パワーアンプは代える気がせずそのままで。
そして、箱のボンつきを少しでも収めるために箱の上に「3kg」のダンベルをどしっと置いた。
さあ、これでどうだといわんばかりにワクワクしながら音出し~。
やはりというか、思い通りの音が出た。
よし、これでしばらく行くとするかな・・。
とはいっても、気になるのが残された「スーパー10」(ワーフェデール口径25cm)やJBLの「D123(口径30cm)+175ドライバー」などの面々・・。
まあ、「夜道に日は暮れない」ので後日の楽しみにとっておこう。
それにしても「浜の真砂は尽きるとも 世にオーディオの種は 尽きまじ」だね、これは~(笑)。
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残暑が厳しいものの、何だかんだ言っても暦は10月、もはや初秋といってもいいが、過ごしやすくなると猛然と頭をもたげてくるのがオーディオ熱。
「お前は年から年中じゃないか」と突っ込まれそうだが、やはり暑いとヤル気が出ず、ここ3か月ばかりはほとんど音沙汰なしだった(はず?)。
久しぶりの「トライアクショム」(グッドマン)の登場で、心浮き立つ我が家だが、いろいろとアラも見えてくるのがオーディオの宿命である。
まず、なぜ低音域がボンついたかを冷静に考えてみた。
1 箱の剛性が足りない
所詮は素人にちょっと毛の生えたような人間が作った箱である。市販の箱には見られない板厚の薄さは響きの面で特筆すべきものだが、その反面ガッチリとした剛性に欠けているのでどうしてもボンつき気味となる。長所と欠点が裏腹になりやすいのがこれまたオーディオの宿命だろうか。
2 トライアクショムの高音域不足
年齢的にみてもう1万ヘルツ以上はほとんど聴こえない耳になっているはずなのに高音域が十分出ているかどうかが凄く気になる。むしろ、聴き取れないのでそれだけ敏感になっている面があるのかもしれない。
で、同軸型ユニットの欠点としてどうしても高音域に物淋しさを覚えてしまう。もちろん、若い人の耳なら別ですよ~。
そこでの話だが、今回の「ボンつき」の原因となると、高音域が足りないためにアンプのボリュームを上げる、すると比例的に低音域が増大してしまったというのが真相だ。
つまり、高音不足と低音のボンつきは裏腹の関係だったのである。
となると、高音域専用の「ツィーター」を登場させてやればこの問題は解決する、と、まことに都合のいい解釈をして「スーパー3」(ワーフェデール)の出番となった(笑)。
口径10cmの赤帯付きマグネットの持ち主である。自作の箱に取り付けており、後面開放になっている。
コーン型ツィーターの特徴として弦楽器の再生に長けているのでクラシック主体の我が家ではまず欠かせないツィーターである。
今回はウェスタン製のブラック型コンデンサーを使って、クロスオーバーを9000ヘルツ(-6db/oct)あたりに設定した。
この「スーパー3」を駆動するアンプは画像の左後ろに控えている「71系シングル」(SRPP回路)で決まり。高音域の再生に限っては我が家でNO.1のアンプである。
これで、今回のシステムは2ウェイ・マルチ・チャンネルの駆動となったので、9000ヘルツを境にパワーアンプのボリュームが自由度満開となった。
「トライアクショム」の高音域ボリュームを最小にしたうえで実際に聴いてみるとまったく「様変わり」で、ツィーターがメチャ効いている!
音の余韻が音響空間の中に微かに尾を引いて溶け込んでいく様子がとても美しい。
家庭で音楽を聴くのならこれで十分、しかもスピーカーがずいぶん手前に来たこともあって、クラッシックの再生に必須の奥行感がことのほか感じられるようになった。
この音なら「AXIOM80」に戻らなくていいんじゃないか・・。
とまあ、まったくいいこと尽くめだがこうなると次から次に欲望が出てきて歯止めがかからない(笑)。
「トライアクショム」の代わりにリチャードアレンの「ニューゴールデン8」(口径20cm:同軸2ウェイ)ならどういう音が出るんだろう。
おそらく、もっと引き締まった音が出るだろうなあ。
となると「矢も楯もたまらず」・・。
たったの5分程度で簡単に交換できるのだから、もうたまらん(笑)。
以下続く。
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「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかくこの世は住みにくい」とは、ご存知の方も多いと思うが「草枕」(夏目漱石)の冒頭の一節です。
こういう世知辛い世の中を上手く渡っていくには、ときには気長に構えて「あいまい・ぼんやり」させておくのも一つの手段だと思いますよ~。
前回の曖昧言葉「どうも」が好評を博したので味をしめて「第2弾」といこう。(以下引用)
2 「ある程度」(8頁)
ある程度というのは、どの程度のことなのだろうか。「ある人」「あるところ」のように具体的なことを言わない表現だから、具体的に程度を言わないというだけを表すはずだ。
その点では「ある程度」というのは相当ぼんやりした意味しかないように思われる。しかし、「ある程度」の意味には注意すべき範囲がある。
例えば、「ある程度協力してもらわないと困る」と言われたのである程度掃除しておいた。のように言う場合、「ある程度」はただのいい加減な程度ではない。
一応の「想定される水準までの程度」という意味である。完全完璧でなくても良いが、「最低合格点」以上の程度である、といった意味はあるのだ。
したがって、ただ何でも良いというわけではない。ぼんやりした意味の語ではあるがそれなりの水準を要求する言葉なのである。
いわば「ある程度」は許容範囲の水準を問題にしている点で「ある程度」(?)いい加減にしても良いという程度ではない。
3 やれやれ(192頁)
「やれやれ」を「新潮現代国語辞典」で引くと「深く物に感じた時、疲れた時、失望した時などに発する声」とある。
(自分もよく使っており、ネット記事などを見ながら、「やれやれどうしようもないな~」とか独り言を洩らしている~笑~)
というわけで、現代では「やれやれ、くたびれた」(疲れ)、「やれやれ、ようやくメドが立った」(安堵)、「やれやれ、また失敗か」(失望)といった用方が主であろう。
こうしてみると否定的な意味で用いられることが多いように見えるが、必ずしもそうではない。
「あなたにしかできない仕事ですよ」などと頼みごとをされた場合に、「やれやれ、しかたがないなあ」と、まんざらではない表情をして引き受けることもある。
表向きは「失望」のように見せながら、その実は相手に対して優位に立っていることに心地よさを感じているものである。「やれやれ」には少し余裕がある。
また、「やれやれ」と聞くと村上春樹作品を想起する人も多いであろう。心中の描写、実際の発話を問わず「やれやれ」が多用され、たとえば「ノルウェイの森」だけでも10を超える用例がある。
一例では「そんなに永沢さんのことが好きなんですか?」「好きよ」と彼女は即座に答えた。「やれやれ」と僕は言ってため息をつき、ビールの残りを飲み干した。「それくらい確信をもって誰かを愛するというのはきっと素晴らしいことなんでしょうね」
「やれやれ」に類似する感動詞として「あ~あ」があり「あ~あ、くたびれたorまた失敗か」(疲れ・失望)のように言うことはできるが、「あ~あ」に安堵の用法はない。
「やれやれ」の表す感情の領域はなかなかに複雑な形をしているようである。
4 ちょっと(100頁)
「ちょっと」の用法はちょっと(?)多岐にわたっている。
1 この服はちょっと大きい。ほかにも、ちょっとお腹がすいた、ちょっと遅れます、など
2 (上司が部下に)この書類、ちょっとわかりにくいね。
3 「今夜飲みに行かない?」「今夜はちょっと無理かな」
1,2の用法では「ちょっと」を「少し」と置き換えることができる。その一方、3のちょっとは断りによる相手の負担への配慮と考えられる。
「ちょっと映画でもどうですか」のように勧誘の場合に使うのも同様である。これは具体的な時間や量を想定しているのではなく、依頼や勧誘によって生じる負担が大きくないことを表そうとして「ちょっと」を使っていると考えられる。
「ちょっと~、なんでそんなことを言うのよ」のように文句を言うときにも使われるがこれらも相手に負担をかけない場合の用法から広がったものだろう。
さらには「今日はちょっと・・」「彼はちょっと・・・」などと曖昧にして続きの理解を聞き手に委ねることもある。
「ちょっと」の用法は幅広く、ときにちょっと(?)曖昧な印象をもたらしている。
以上、3つの「曖昧言葉」を挙げてみましたがいかがでしたか?
前回投稿した「どうも」も含めて、外国語でこれらの用語に直接該当する言葉はないようです。
今さらながら日本人独特の繊細かつ微妙な気配りに満ちた「社会感覚」に驚かされます。
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「平等」と「差別」のどちらが好きかと問われたら、もちろん前者なので「主役」とか「脇役」とかの区分をあまり意識しないようにしているが、世の中は万事につけ「差別」に満ちているようだ。
たとえば映画だって主役と脇役の存在が不可欠だし、プロ野球でも「エース」と「4番バッター」がカギを握っているし、組織でもトップクラスとその他大勢に、極端な話になるが国民においても「上級国民」と「それ以外」に分けられる(笑)。
で、いつもの常套手段でこの話をオーディオに当てはめてみよう。
システムはその役割からいって大きく「前段機器」(CDやレコード)、「増幅機器」(アンプ)、そして「変換機器」(スピーカー)の3つに区分されるが、主役といえば何といってもスピーカーでありその他は脇役だとずっと思ってきた。
ところがこれが違うんですよねえ・・。
そういう認識に至った顛末を記してみよう。
昨日(30日)のこと、クルマで片道20分ほどの隣町の図書館で「本の匂い」を満喫し、ウキウキ気分のもとで自宅のオーディオ機器のスイッチを入れる時にふと気まぐれというか何となく「AXIOM80」以外のスピーカーを聴きたくなった。
その心底にマンネリ打破という気持ちが無かったといえばウソになりますなあ(笑)。
どんなに「いい音」でも長期間聴いていると飽きてくる、言い換えると脳はマンネリを嫌う、もう2か月近く同じスピーカーばかりというのは我が家では極めてよく持った方だ・・。
そこで実に久しぶりに「トライアクショム」(グッドマン)の登場とあいなった。
ご覧のようにいつでも「AXIOM80」に戻せるようにその斜め前に設置し、リスニング席にぐっと近くなった。
オークションでもめったに見かけないグッドマンの逸品で「口径30cmの同軸3ウェイ」で、自作の小さめの箱(板厚1.2cm)に容れている。
外見はさほどでもないが内部は凝りに凝っていて、羽毛の吸音材を適当に配置し、定在波を防ぐため「卵トレー」を敷き詰め、後ろの直径10cmの穴はビニールで覆い、前面バッフルの下側には背圧を気持ちよく逃がすために1cmの隙間を設けている。
AXIOM80が「微視的サウンド」とするとこれは「巨視的サウンド」になる。中低音域に曖昧模糊としたところがあって、人によってはこれが逆に奥ゆかしくて想像力を掻き立てる音になったりする。
こういう音じゃないと伝わってこないクラシック音楽があることもたしかだが「あばたもえくぼ」と言えないこともない(笑)。
それはさておき、小さめの箱なので低音不足が心配だったが実際に聴いてみると何とその反対の「低音過多」だった!
盛大にボンつくのである。
この低音を何とかしないと始まらないが、低音域の分解能と量感のバランスはオーディオの永遠のテーマの一つともいえるほど難しいので簡単にケリがつく問題でもないがベストを尽くさねば・・。
駆動したアンプは「6A3シングル」で、WE300Bの代わりに「6A3」を挿し込んでいるわけだが、そこで低音域がやや薄めの「071シングル」の登場とあいなった。
ところがこの小出力アンプでもボンつきが収まらないのには参った。
もう打つ手がないかと諦めかけたところでふと目に入ったのが「6FQ7プッシュプル」アンプ。
前段管は「12AY7」、出力管は「6FQ7」(RCA:クリアトップ)と何の変哲もないが出力トランスは名門「TRIAD」でプッシュプル接続になっている。
ダメ元のつもりでこのアンプで鳴らしてみたところ見事にボンつきが収まったのには驚いた。
プッシュプルの特徴の一つとして低音域の制動力が挙げられているのは嘘ではなかった。
このアンプは出力がたかだか1Wぐらいだろうがパワー不足を微塵も感じさせないのはありがたい。スケール感だってなかなかのものでオーケストラも十分こなしてくれる。
我が家では一番「投資金額」の少ないアンプなだけに殊のほかうれしい(笑)。
このアンプのおかげで「トライアクショム」は名誉挽回を果たし予備役編入を免れたわけで、主役の座をあえなく奪われた格好。
スピーカーとアンプはどちらが主役か決めるのは危険ですね~。
また、このアンプは手持ちの9台のアンプの中で一番の下層階級だったが、一躍上層階級の仲間入り。
オーディオ機器に限っては、お互いに持ちつ持たれつの相互依存の関係にあり迂闊に「主役と脇役」を決め付けられないことを身を以って体験したので、ここに謹んでご報告いたします(笑)。
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