新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ

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創刊以来の朝日新聞の危機

2014年09月12日 | 社会

 単なる誤報ではない

                    2014年9月12日

  

 従軍慰安婦の捏造報道、福島原発からの撤退をめぐる誤報で、というより、これも捏造報道で、朝日新聞社がやっと謝罪しました。朝日を含め新聞、テレビがくどいほど報道してきた企業の不祥事対応のまずさの典型的なケースにそっくりです。

 

 テレビ朝日が売り物にする辛口の番組「報道ステーション」は、これまた遅ればせながら、やっと検証特集を組み、親会社の意向が支配する日本の企業集団の特質がメディアにおいても、同じであることを改めて証明してくれました。

 

 不祥事が発覚すると、当事者の企業は当初、筋の通らない釈明を続けて逃げ切ろうとします。ごまかせないと分ると、記者会見をして謝罪します。社会的反響が広がり、対応の遅れによる傷口の広がりで、企業の存続に重大な影響がでるに及んで、社長が辞任を表明します。普段、高邁な主張をしている朝日新聞もその例外ではありませんでしたね。

 

 今回の問題は、社長の謝罪会見、検証報道、第三者委員会による検証では、まず解決できないほど根深い朝日新聞の体質があります。朝日は、よくいえば権力、国家に対する厳しい批判精神、悪くいえば、強引な反権力、反国家精神からさまざまな問題が派生します。それが朝日新聞の強みにもなっているし、基本的な欠陥にもなっています。強みをなくせば、欠陥は解消する一方で、朝日の特色なくなります。簡単なことでは朝日の再生は進まないでしょう。

 

 よくある誤報と違っていたのは、慰安婦、原発という国の根幹にかかわる問題が舞台になったことです。これらは一過性の誤報ではありません。戦争を主導した国家、軍部の責任追及キャンペーンという流れの中で、慰安婦報道の誤報、捏造(慰安婦の強制連行があったとする吉田証言)がおきました。また、編集方針の基本にすえている反原発キャンペーンの流れの中で、「命令に違反し、原発から撤退」という誤報、捏造が記事になったのです。反権力、反国家につながる報道になると思ったから力が入ったし、暴走してしまったのでしょうね。

 

 9月11日の木村社長、編集担当者の釈明、説明には、明らかにごまかしがあると思います。吉田氏(福島第一原発の所長)の調書では、「証言の評価を間違った」とか、「極秘資料だったので、担当記者を限定した結果、チェックが十分できなかった」とかいっています。

 

 「評価を間違った」のではなく反原発キャンペーンに沿うように都合のよい部分だけを取り出して記事を組み立てたのでしょう。誤報ではなく、明らかに「捏造」です。そのほうがニュース価値が上がりますからね。「チェック不足」も、うそでしょう。もともとスクープは少人数の記者がひそかに記事を書くものです。スクープと分れば、普通なら、デスクのチェックも厳しくなります。少人数で都合のよい記事を書こうと申し合わせたか、上司も加わった暗黙の了解のもとで書いたのでしょう。

 

 他紙に「事実に反する」との指摘を受け、朝日は8月末「誤報ではない」とのコメントを発表しました。それが一転して9月11日には「取材班以外の調査で誤りが判明」としました。これは誤報とか、誤りではなく、捏造です。捏造は事実を知った上で、ねじまげて書くことであり、誤報よりたちが悪いのです。吉田調書の文言には、朝日のいう「命令違反、撤退」はありません。

 

 慰安婦報道(強制連行の存在)では、担当記者が反戦争キャンペーンにうってつけだと、思い込み、これは検証が不十分のまま突っ走ってしまったのでしょう。後に「変だぞ」と気づいた時は、時すでに遅しで、朝日あげての大キャンペーという性格上、引っ込みがつかなくなったのでしょう。

 

 朝日新聞の編集幹部だったOBが月刊文芸春秋で告白しています。「97年ころ、吉田証言を訂正したほうがよいという意見があった。証言は怪しく、潔く正したほうがよいと、考えたのです。検証したグループが、そこまで踏み切るのは難しい、というのでそのままになっってしまった」、「歴代の幹部が社長を含め、頬かぶりを決め込んできたのではないか」、「各部の垣根が高く、セクショナリズムが強い」と。恐らくポイントを突いています。

 

 こうした会社の信用に大きくかかわる問題は、社長決断で解決していかなければなりません。歴代社長はうすうす知っていながら、踏み込まなかったのでしょう。よくある話です。さらに、正確な情報があがってこない、あがってきても担当部署任せにする、などの無責任体制が今回の事件の背景にあるのでしょう。せっかく検証委員会を設けたのですから、かれらからも事情聴取しなければなりません。

 

 池上彰氏の寄稿原稿(慰安婦問題の検証をめぐる朝日批判)の掲載を拒否し、波紋を大きくしたことについて、木村社長は「わたしも聞いたけれども、担当部署の意見を尊重して任せてしまったのがまずかった」、「言論の自由の封殺だという思いもよらぬ批判をいただいた」と、発言をしました。これには絶句します。言論の自由に対する社長の見識不足ですね。

 

 テレビ朝日は特集の前半で、「ずっとこの問題を報じてこなかったことに、多くの視聴者から批判をいただいた。深くお詫びします」と、普段は毒舌のキャスターが頭をさげました。後半は「慰安婦の強制連行証言は取り消しても、強制性や、本人の意思に反した募集、動員はあった」ことに、重点をおいていました。

 

 今回の捏造報道の核心は、あくまで強制連行があったとする吉田証言の検証、取り消し、謝罪にあります。慰安婦の存在そのものを否定せよ、といっているのではありません。朝日新聞、朝日を擁護しようとする人たちが「だからといって、慰安婦の存在を認めないわけにはいかない」と、問題の力点をすりかえているのです。

 

 それ(強制連行という捏造証言)はそれ、これ(慰安婦という不幸な存在)はこれなのです。吉田証言は取り消しても、慰安婦の存在という戦時下に犯した罪に、特に日本は正面から向き合う義務まで取り消してはならないことは、いうまでもありません。

 



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