2013年9月8日(日)
黒田日銀総裁による異次元の金融緩和策では、マネー市場に大量の資金を供給することにしています。それに対して、金融、資本マネー市場では、世界はもちろん、日本でも、むしろマネーは過剰になっている、との指摘もおおいのです。どう考えたらよいのでしょうか。
世界という単位で見ると、金融緩和策を広げていくのではなく、過剰なマネーを市場の混乱を防ぎながら、縮小していくことがほうが重大かつ深刻な問題になっているように思います。
最近、日米欧と新興国で構成するG20首脳会議がありました。報道によると「米国の量的緩和の縮小が新興国の経済に与える影響を監視することで合意した」、とあります。「米国の量的緩和の縮小」は正しい方向なのに、「その影響を監視する」というと、いかにも米国が間違った方向を向いているような印象を受けます。
日本通でもある英国の経済学者、ロナルド・ドーア教授は「金融が乗っ取る世界経済」という過激な題名の著書で、鋭い指摘をしています。「経済の金融化がどんど進んでいる」「実体経済の何倍ものマネーが世界にあふれている」「企業利益に占める金融業の比率は拡大している」「米国では工学部、物理学部の優秀な卒業生がヘッジファンドや証券会社にスカウトされてしまう」、というのです。
京都大学の佐伯啓思教授は「経済学の犯罪」という、これまた過激な題名の著書で「過剰なマネーがバブルを生み、過剰な生産力がデフレを生んでいる」といいます。「二つの過剰」が世界経済を混乱させているとの指摘です。
日銀の通貨供給の大胆な拡大戦略をみて、わたしはかれらの経済論を思い出さざるを得ませんでした。一度、この道に入り込んでしまうと、なかなか抜け出せないのです。日銀より先に米国の連邦準備理事会(FRB)は2008年の金融危機以降、大規模な量的緩和策を導入しましたね。
今はどうでしょうか。金融危機は遠のき、実体経済は回復してきて、量的緩和を縮小しようとしています。バーナンキ議長がそのことに言及すると、マネー市場は大きく動揺しました。いわゆる出口戦略の難しさですね。世界にあふれる過剰なマネーは、いつも何かのきっかけを探しています。過剰であるがために、ちょっとした政策変更、実体経済の変化があると、集中豪雨のような激変が起きてしまう、起こそうとするということでしょう。
投資する時も、逃げる時も市場の変動は激しくなるばかりです。投機家は相場の上げでもうける、下げでもうける。要するに二度、もうけようとします。相場の変動がないと、つまり波がきて、波が去らないと、もうけることはできません。自ら波にのみこまれるリスクがあっても、何かのきっかけに乗じて、波を大きくしようとしているようにもみうけられませんか。
実体経済がよくなっても、金融緩和の縮小という出口を見つけられない、出口から出ようとして、市場が混乱すると、実体経済に悪影響が生じてしまう。このことは、実体経済とマネー経済がそれこそ異次元の世界に割れてしまっている状況を証明していませんかね。
黒田総裁の異次元緩和を、米国は日本と入れ代わりに、金融緩和の出口にたどりつけるいいチャンスがきた、と受け止めたことでしょう。それでも出口からなかなか出られません。マネー市場の肥大化によって、金融緩和は歓迎されても、緩和縮小は嫌われます。世界的にみると、過剰なマネーをどう縮小いくかが、大問題になっているように思えてまりません。
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