外交を危うくする発言を懸念
2015年4月23日
安倍首相の言動に数々の不安を感じています。そろそろ収まるのかなと、思っていましたら違うのです。これまで同様に無神経な発言が続き、アジア外交に影響がでるのではないかと心配になってきました。首相の周辺には止めたり助言したりする人はいないのでしょうか。あるいは、たきつける人しか置いていないのでしょうか。
まず22日のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念会議での首相演説を聴いて、あぶないこだわりに不安を感じました。「日本の誓い」では、バンドン平和10原則にある「侵略によって他国の領土保全、政治的独立を侵さない」に言及し、「日本は先の大戦の深い反省とともに原則を守り抜くことを誓った」と過去形で述べました。
「あの時(60年前)にすでに誓っているよ」ということですね。「改めて反省する必要はない」とも受け取れます。さらに「深い反省」には「心からのお詫び」が伴うはずです。そのお詫びが見当たりません。首相はそういうことでいいのだと、こだわってきました。今回もそうでした。朝日新聞の慰安婦、原発報道の捏造、誤報の検証特集記事の際、「反省という文言はあるのに、お詫びがない。本当には反省していない」という批判が安倍政権内部からもおきました。それと同じことです。
中国を「高利貸し」とは
もうひとつ本当に驚いたのは、民放テレビ(4月20日)に登場し、中国主導のアジアインフラ投資銀行の加盟問題に関して述べた発言です。「しっかりしたガバナンス(統治)があること、案件ごとに審査が行われること、理事会が機能すること」という指摘はもっともだと思います。問題は「悪い高利貸しからお金を借りた企業は、結果として未来を失ってしまう」という下りです。
発言の流れからすると、「悪い高利貸し」は中国政府、あるいは中国主導で設立する新銀行を意味します。当然、中国側に伝わっているでしょう。問題の性質からして外交的発言であり、極めて不用意な表現です。腹の中でどう思おうと、外交問題でこんな発言をするのは無神経すぎ、幼すぎます。「高利貸し」と言われた中国は腹を立ていると想像します。
新銀行には金融機関として備えるべきルール、基準が不透明です。それをただすならともかく、中国側を「高利貸し」呼ばわりする発言は、ケンカを売ったのと同じです。さらに「日本のお金を出資するわけだから慎重でなければならない」と続けました。要するに「加盟しないよ」という宣言ですかね。ただでさえ微妙な時期になんでこんな言い方をしたのでしょう。言葉尻の話ではなく、言葉尻に首相は本意をこめているのでしょう。
対決姿勢を好むのか
意図的に日中関係をこわすつもりだと、受け取られてもしょうがありません。どうも安倍首相の本心は中国にはあくまで対決姿勢をとるべきだし、そのほうが自分の国家思想に合うし、政治的支持も集まると、計算しているのかもしれません。危うい賭けですね。
このテレビ番組では、戦後70年談話について「植民地支配と侵略」や「痛切な反省とおわび」などを盛り込まないことを明確にしました。「(村山談話や小泉談話と)同じことをもう一度書く必要はない。コピーして渡せば、名前を書き換えればいいだけの話になる」と、これまたずけずけ言ったものです。バンドン会議の直前の話です。外交表現としては、荒っぽく、周辺のアジア諸国をわざわざ刺激することを狙ったとも解釈する人もいるでしょう。
読売まで厳しい批判
安倍政権に親近感をもって報道してきた読売新聞の社説(4月22日)を読んで、その激しさにこれまた驚きました。安倍首相に深刻な危機感を抱いているのです。「満州事変以降の日本軍の行動が侵略的だったことは否定できない」、「談話が侵略に言及しないことは、その事実を消したがっているとの誤解を招く」、「政治は自己満足の産物であってはならない」などなど。政権発足以来、最大級の安倍批判です。
読売はこれまで、いろいろ問題があっても、できるだけ理解を示してきたのに、まるで朝日新聞が好むような論調なのです。日中関係にまた亀裂が走りかねないことを憂慮しているのでしょう。談話では、まず第一に、「侵略への謝罪、反省」を述べ、次に「戦後の平和国家としての歩み」と続け、最後に存分に持論を展開し、「今後、どういう国を目指すのか。世界の平和に積極的に貢献する」と3段論法で構成すればいいのに、と思いますよ。
肝心の第一段階の部分から「侵略、おわび」と削ることに、なぜ首相はそこまでこだわるのでしょうか。米国の議会調査局は「安倍首相はナショナリスト(国家主義者)として知られる。日本帝国の侵略、虐待を否定する歴史修正主義の視点を持っている」(1月)との見解を発表しています。首相にとっては、「侵略やおわび」は単に言葉の上の問題ではないのでしょう。「首相は右翼的支持者を振り切るべきだ」というような論調を掲げる米国紙があるくらいです。余計なお世話だと居直る前に、そんなことをいわれないようにするのが本来の外交ですね。
米国はまるで家庭教師か
そうした戦後史の整理、総括をあいまいにしたまま、持論の「積極的平和主義」を強調するので、「真意は別のところにあるのではないか」という批判を招くのです。政治家は歴史家でもなく、持論を述べることを任務とする人でもありません。米国務省の報道官代行は「米国はどの国にも、関係改善と和解を進めるよう歴史問題に取り組むことが大切だと、強調し続けてきた」と述べました。まるで家庭教師のような口ぶりですね。日米首脳会談、主要国会議(G7)会合、戦後談話の発表、アジア銀行の設立問題など、まだまだ修正はききます。
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