今日は小学校の終了式の日でした。ただ、私は契約上勤務日ではなかったので、自宅で大人しく静養していました。
ところで、今日3月25日はバルトークの誕生日です。
バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ(1881〜1945)は、ハンガリー王国のバーンシャーグ地方のナジセントミクローシュに生まれ、ニューヨークで没したクラシック音楽の作曲家、ピアニスト、民俗音楽研究家です。かつては『ベラ・バルトーク』と呼んでいたのですが、ハンガリー語では日本語と同じくファミリーネームが先にくるので、最近では『バルトーク・ベーラ』と呼ぶようになりました。
作曲以外にも、バルトークはフランツ・リストの弟子のトマーン・イシュトバーン(1862〜1940)から教えを受けたドイツ・オーストリア音楽の伝統を受け継ぐピアニストでもあり、コンサートピアニストやピアノ教師として活動したほか、ドメニコ・スカルラッティやJ・S・バッハらの作品の校訂なども行いました。また学問分野としての民俗音楽学の祖の1人として東ヨーロッパの民俗音楽を収集・分析し、アフリカのアルジェリアまで足を伸ばすなどの精力的な活動も行いました。
そんなバルトークの誕生日にご紹介するのは《ルーマニア民俗舞曲》です。
《ルーマニア民俗舞曲》Sz.56は、バルトーク・ベーラが1915年に作曲した6曲からなるピアノの小品の組曲です。バルトークの最もよきルーマニアの友人であり、また最も民謡採集に協力した人物であるイオン・ブシツィアに献呈されました。
この作品は、元々は《ハンガリーにおけるルーマニア民俗舞曲》というタイトルをもっていました。しかし作曲当時、ハンガリー領にあったルーマニアは第一次世界大戦により領土の大半を失ったこともあり、ハンガリーの名がとられて現在のタイトルになりました。
初演は、《トランシルヴァニアのルーマニア民俗舞曲》の名で、1920年1月16日に当時ハンガリー領だったコロジュヴァール(現ルーマニア領クルージュ=ナポカ)で、ピロスカ・ヘヴェジのピアノ独奏で行われました。
その親しみやすい旋律と手ごろな長さからバルトークの小品の中では人気が高く、コンサートにはしばしば取り上げられます。ピアニストだったバルトーク自身もコンサートの際にはよく演奏していました。
民族色豊かで親しみやすい旋律により人気が高く、現在でもしばしばコンサートで取り上げられます。6曲の小さな小品の組曲ですが、全曲が民族的な素材〜リズムとモード=旋法〜によっています。
全体は6曲で構成されていて
第1曲:「ジョク・ク・バータ」 アレグロ・モデラート4分の2拍子(男性が棒を持って踊る)棒踊り
第2曲:「ブラウル」 4分の2拍子 アレグロ(少女達が2人ずつ互いに腰をつかみ、円になって踊る)飾り帯の踊り
第3曲:「ぺ・ロック」 4分の2拍子 アンダンテ(男女ペアになって一地点で踊る)踏み踊り
第4曲:「プチュメアーナ」4分の3拍子 モデラート(アルペンホーンというルーマニアの民族楽器〈全長2mの木管楽器〉の伴奏で踊る)アルペンホーンの踊り
“プチュムの踊り”。3拍子のトランシルヴァニア地方のゆったりした舞踏曲です。
ブチュムというのはアルペン・ホルンのような楽器です。
第5曲:「ポアルカ・ロマネアスカ」4分の2拍子 アレグロ(ルーマニア独自の、子供達による快活な踊り)ルーマニアのポルカ
第6曲:「マヌンツェル」4分の2拍子 アレグロ・ピュウ・アレグロ(大勢のカップルによる求愛の踊り)速い踊り
から成っています。
ピアノ原曲の他にも、民族音楽的な要素をより強く感じさせるバルトーク自身の小オーケストラのための編曲やアーサー・ウィルナーによる弦楽合奏版も、今ではレパートリーの一つとして定着しています。他にも、ハンガリー弦楽四重奏団の主宰者でバルトークと親しかったヴァイオリニストのセーケイ・ゾルターンによるヴァイオリンとピアノによる編曲版や吹奏楽アンサンブル版など、様々な形態の版が存在しています。
そんなわけで、今日はバルトークの《ルーマニア民俗舞曲》を、アーサー・ウィルナー編曲による弦楽合奏版でお聴きいただきたいと思います。ノルウェー室内管弦楽団の演奏で、土くさくも魅力的なメロディをお楽しみください。