今日も小学校支援級では、様々なゴタゴタがありました。その中でも、一番に目立つのは暴力沙汰です。
鏡です。そこに、私怨しかこもっていない己の姿を見た子どもたちは、大概ギョッとしてたじろぎます。
きっかけは、本当につまらないことです。しかし、特に情緒級の子どもたちはそれぞれに独自の『自分ルール』を勝手に設定して、それに符合しないとなると年齢性別学年云々関係なく攻撃を加えてくるのです。
言い争いなんぞは可愛いもので、自身の主張が通らないとみるや女子だろうがなんだろうが殴る蹴るの応酬がスタートします。大人たちは何とか穏便に収めようとするのですが、私は
「いい加減にしなさい!」
と一喝して黙らせます。
子どもたちも悪知恵だけは長けたもので、すかさず
「うるせぇパワハラ野郎!」
と楯突いてきます。なので私は
「パワハラ?お好きに言えばいいでしょう。では問いましょうか、貴方が今さっきまで人を蹴り飛ばしていたことは暴行罪、『死ね』と罵声を浴びせたのは侮辱罪、教室の備品を蹴り飛ばしたことは器物損壊罪に該当しますが、それと私の一喝と、どちらが罪状が重いのでしょうか?」
と目を逸らさずに真っ直ぐに言い返してやると、大概黙るか泣き喚きます。
それでも尚、私は許しません。
「質問にお答えなさい。貴方から突っかかってきたのだから、貴方は答えなければなりません。」
と投げかけると、一体どうなると思われますか?
想像もつかないかも知れませんが、それまで流していた滂沱の涙がピタリ!と止まって、私のことを蛇蝎視して睨みつけます。つまり彼らは
『いかに自分が被害者であるか』
ということを演出する処世術を、たかだか10歳チョロチョロで身につけているのです。
そこで私が取り出すのが
鏡です。そこに、私怨しかこもっていない己の姿を見た子どもたちは、大概ギョッとしてたじろぎます。
そして最後に
「いいかな?これ以上他人様にそんな顔を向けないでもらいたいものですね。」
というと、少なくともその日一日は大人しくなります。あとは、はっきり言ってこれの繰り返しです。
昨年末、奈良県で教師に度重なる暴行を加えた女子中学生が警察に逮捕されるというニュースがありました。現行法では14歳から普通に罪に問われることになるのですから、彼らも今までのような狼藉をはたらいていけば、もうほんの数年で補導ではなく逮捕されるようになるのです。
彼らには、そのことを自覚してもらう必要があります。なので、これからも私は『鉄拳制裁をしない怖い昭和のオジサン』に徹するつもりでいます。