皆様は大人になってから、中学校や高校で習ったような古典文学を読み返してみたことはあるでしょうか。
私は言うほどではないにしろ、たまに気が向いていろんな古典を読んでみることがあります。去年一昨年あたりはやたらと《古事記》を読んでいましたが、最近では兼好法師の書いた《徒然草》を読み返しています。これは《源氏物語》のようなフィクションではなく今風に言うところのエッセイなので、あまり難しいことを考えず気軽に読むことができます。
ただ、この兼好法師というエッセイストが只者ではありません。和漢の文学に通じ、和歌の撰者でもあった才人らしい機智に富みながらも、そこにチクリど毒が含まれていたりするのです。そういった面ではちょっとイギリス人的なブラックユーモリストと言ってもいいかも知れません。
例えば…
あるお寺の和尚が弟子の一人をつかまえて
「君の顔は『しろうるり』に似ておるのお。よし、今日から君を『しろうるり』と呼ぼう。」
と言ったので、そう言われた弟子が
「お言葉ですが和尚様、その『しろうるり』とは如何なるものでありましょうや?」
と尋ねたそうです。ヘンテコなあだ名を付けられてしまったから、気になったのでしょう。
すると和尚は
「知らん。もしあったら君に似とるじゃろ。」
と言って、さっさと庫裏へ行ってしまったとさ。チャンチャン♪。
…みたいな、なかなかパンチのあるお話が入っていたりもします。
そんな中で個人的に身につまされるのが、第150段にある習い事の習得についての心得という部分です。どう身につまされるかは…動画を御覧になってみて下さい。
兼好法師の説く「徒然草」スゲーー! 現代語訳が感動するレベルだった
私は言うほどではないにしろ、たまに気が向いていろんな古典を読んでみることがあります。去年一昨年あたりはやたらと《古事記》を読んでいましたが、最近では兼好法師の書いた《徒然草》を読み返しています。これは《源氏物語》のようなフィクションではなく今風に言うところのエッセイなので、あまり難しいことを考えず気軽に読むことができます。
ただ、この兼好法師というエッセイストが只者ではありません。和漢の文学に通じ、和歌の撰者でもあった才人らしい機智に富みながらも、そこにチクリど毒が含まれていたりするのです。そういった面ではちょっとイギリス人的なブラックユーモリストと言ってもいいかも知れません。
例えば…
あるお寺の和尚が弟子の一人をつかまえて
「君の顔は『しろうるり』に似ておるのお。よし、今日から君を『しろうるり』と呼ぼう。」
と言ったので、そう言われた弟子が
「お言葉ですが和尚様、その『しろうるり』とは如何なるものでありましょうや?」
と尋ねたそうです。ヘンテコなあだ名を付けられてしまったから、気になったのでしょう。
すると和尚は
「知らん。もしあったら君に似とるじゃろ。」
と言って、さっさと庫裏へ行ってしまったとさ。チャンチャン♪。
…みたいな、なかなかパンチのあるお話が入っていたりもします。
そんな中で個人的に身につまされるのが、第150段にある習い事の習得についての心得という部分です。どう身につまされるかは…動画を御覧になってみて下さい。
兼好法師の説く「徒然草」スゲーー! 現代語訳が感動するレベルだった