goo

息子の修学旅行

 息子が沖縄への修学旅行から帰って来た。3月8日に出発して3泊4日の旅をして、11日に戻って来た。その間9日に猫のとらが死んだことは息子には連絡していなかった。友だちに悲しむ姿を見られたくないから、もし死んだとしても知らせないでくれと、ちょっと男らしい言葉を残していったそうだ。しかし、息子を駅まで迎えに行った妻が、家に戻るまでの車中でとらの死を告げたところ、一瞬何のことか理解できなかった様子だったらしい。旅行での睡眠不足と疲れから理解力が鈍っていたせいなのかもしれないが、事実を受け入れるのに時間がかかったようだ。とらが生きている間、息子は自分が家にいるときには必ずエサの世話をしてやり、夜も一緒に寝ることが多く、まさに猫可愛がりしていた、言わば、兄弟のようなとらが死んだのだから、息子の悲しみは私などには想像もできないものだったに違いない。「土を掘り起こしてとらに会いたい」と呟いたそうだが、それこそが心の叫びだったのだろう。しかし、昨日とらの眠る墓標の傍らの桜の木を見たら、何輪かの花が咲いていた。悲しむ息子の心をなだめるかのように咲き始めた桜は、とらの息子への思いやりなのかもしれない。



 修学旅行は、全般的に天気が悪く余り楽しくなかったようだ。沖縄に行ったことがない私は、少しでも土地の様子を聞きたいと思ったのだが、面倒くさがって教えてくれない。残念だが、しつこく聞くのも嫌なので、これから折に触れて聞いていけばいいかと思い直した。しかし、息子が帰って来た日はちょっとした沖縄物産展が開催されたようだった。あらかじめ宅配便で送って来たものと、息子が自分で持ち帰ったものとを合わせると、かなりの種類のみやげ物が台所のテーブルの上に並べられた。泡盛・ちんすこう・さーたーあんだぎー・紅いもカステーラ・紅いも田舎まんじゅう・沖縄そば・マンゴープリンのたまご・シークワサーの「ハイチュー」など、ずらっと並べられているとなかなかの壮観だ。食べるものばかりというのが、息子らしくて笑える。私が、「シーサーの置物は買ってこなかったのか」とたずねると、「なんだ、シーサーが欲しかったの。そんなもの買うわけないじゃん。欲しいなら教えておいてよ」と一蹴されてしまった。3年前に娘が高校の修学旅行で同じく沖縄に行った時に買ってきてくれた小さなシーサーが塾の教室に飾ってある。今は受験のお守り代わりになることもあり、塾の守り神のような役割を果たしている。そういうものを1つ買ってきてと頼んでおくべきだったが、後悔してもどうにもならない。
 泡盛は祖父に、ハイチューは塾の友だちに、マンゴープリンは母と祖母へのみやげとなるようだ。紅イモやちんすこうは、長いあいだお世話になってきた習字の先生のところへ持っていくらしい。「で、俺のは?」とたずねてみたところ、「お父さんはその辺のものをなにか適当に食べておいて」と、訳のわからぬ食べかけのものを指差した。「くそっ、またかよ」と内心舌打ちした。娘が去年イタリアに行った時もそうだったが、どういうわけか子供たちは私へのおみやげにちゃんとしたものを買ってきてくれない。息子にだって小遣いは渡して、親としての務めは果たしたはずなのに、なんだこの扱いは!と少々腹が立ったが、そんなことで目くじらを立てても父親の沽券に関わると思って、「ふーん」とだけ言ってその場を離れた。でも、今でも納得がいかない・・・


 
 息子も4月から高校3年生。いよいよ受験生として正念場を迎える。本人も大分実戦モードになりつつあるが、とらの死を乗り越え、人間的に一回り成長できれば、それ程心配せずとも自力で道を切り拓いていってくれるのではないかと密かに期待している。そういう意味でも、とらという猫は私たちに色々なことを教えてこの世を去っていったんだなと、改めて立派な猫だったと感心する。
 とらが息子を見守っていてくれるように。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )