毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
未来予測
「10年後の日本」(「日本の論点」編集部編、文芸春秋社)という本を買った。
「消費税二桁化、団塊世代の大量定年、学力衰退、500万人のフリーター、年金崩壊、熟年離婚ラッシュ。『日本の論点』編集部が豊富なデータを駆使し、47項目の社会問題を取り上げ、その未来を簡潔にやさしく解説」
と、カバーにまとめが書いてあるが、まだ読み終えていない。飛ばし読みしかしていないので偉そうなことを言う資格はないが、読んでいて10年後の自分(もし生きていられたら)の悲惨な姿が思い描かれ、なんとも気の重くなる内容だ。「衝撃の大予測。あなたは生き残れるか」などとセンセーショナルな言葉が帯に踊っているが、「私には無理でしょう」と答えたくなってくる。これから少しずつ気になる箇所を読み続けていくことになるだろうが、この予測がどれだけ当たるのか、興味のあるところだ。
しかし、未来予測という点で言うなら、小学6年生の教科書(東京書籍版)に「百年前の未来予測」(横田順彌著)と言う文の中で紹介されている「二十世紀の預言」の精度の方が驚きである。
これは、報知新聞1901年(明治34年)1月2・3日付けの紙面に発表されたものである。これからの100年間にどんなことが起こるか、どんなことができるようになるかを23項目にわたって予測したものである。書いた人は分からないが、これらの予測が驚くほどよく当たっている。実現したものとほぼ実現したものと言えるものを合わせると、18項目にもなる。以下に実現したと思われるものをいくつか挙げてみる。
「無線電信及電話」--- 国際電話が可能になると予測
「遠距離の写真」--- カラーテレビの登場を予測
「寒暑知らず」--- エアコンの登場を予測
「植物と電気」--- 植物の品種改良が進むこを予測
「人声十里に達す」--- テレビ電話の登場を予測
「買物便法」--- カタログ販売の普及を予測
「鉄道の速力」--- 時速240kmになり、東京・神戸間を2時間半で走れるようになると予測
「医術の進歩」--- レーザーメスの登場を予測
「自動車の世」--- 自動車の全盛時代の到来を予測
(自動車が初めて輸入されたのはこの記事のわずか3年前)
「電気の輸送」--- 国内隅々まで電気が行き渡ることを予測
100年前に、現代の生活様式をこれほど的確に予測できたことは驚嘆に値する。こうした予言を可能にした背景には、当時、電話も自動車もすでにアメリカやヨーロッパの国々で発明され、その科学技術が発展の途中にあったという事実があるようだ。しかし、当時の日本にはまだそうした科学の先端技術が広まっていたわけではないので、外国文明の発達ぶりを目の当たりにした人が、技術の進歩に期待を込めて予測したものではないかと、教科書には述べられている。「人と獣の会話自在」とか、「暴風を防ぐ」とかドラえもんの世界のようなことが予測されているのはご愛敬だとしても、この預言を書いた人が相当の慧眼の持ち主であることは確かなようだ。
100年前には、科学技術に全幅の信頼を寄せ、バラ色の未来社会の到来を思い描くこともできたであろう。しかし、100年たって21世紀となった今、その科学技術の進歩によってもたらされた、いわば負の遺産と言うべき多くのものによって、我々の生活は深甚なダメージを受けている。環境問題などを挙げるまでもないだろう。その結果、わずか10年後を予測するだけで暗い見通ししか立てられなくなってしまった。果たして「10年後の日本」からこうした真っ暗な近未来予測を押し付けられて、「いやそんなことはない、未来は我々自分たちの力で切り拓くものだ」と反発するだけの力が今の私たちにあるのだろうか。
何ともやりきれない気持ちになる。
「消費税二桁化、団塊世代の大量定年、学力衰退、500万人のフリーター、年金崩壊、熟年離婚ラッシュ。『日本の論点』編集部が豊富なデータを駆使し、47項目の社会問題を取り上げ、その未来を簡潔にやさしく解説」
と、カバーにまとめが書いてあるが、まだ読み終えていない。飛ばし読みしかしていないので偉そうなことを言う資格はないが、読んでいて10年後の自分(もし生きていられたら)の悲惨な姿が思い描かれ、なんとも気の重くなる内容だ。「衝撃の大予測。あなたは生き残れるか」などとセンセーショナルな言葉が帯に踊っているが、「私には無理でしょう」と答えたくなってくる。これから少しずつ気になる箇所を読み続けていくことになるだろうが、この予測がどれだけ当たるのか、興味のあるところだ。
しかし、未来予測という点で言うなら、小学6年生の教科書(東京書籍版)に「百年前の未来予測」(横田順彌著)と言う文の中で紹介されている「二十世紀の預言」の精度の方が驚きである。
これは、報知新聞1901年(明治34年)1月2・3日付けの紙面に発表されたものである。これからの100年間にどんなことが起こるか、どんなことができるようになるかを23項目にわたって予測したものである。書いた人は分からないが、これらの予測が驚くほどよく当たっている。実現したものとほぼ実現したものと言えるものを合わせると、18項目にもなる。以下に実現したと思われるものをいくつか挙げてみる。
「無線電信及電話」--- 国際電話が可能になると予測
「遠距離の写真」--- カラーテレビの登場を予測
「寒暑知らず」--- エアコンの登場を予測
「植物と電気」--- 植物の品種改良が進むこを予測
「人声十里に達す」--- テレビ電話の登場を予測
「買物便法」--- カタログ販売の普及を予測
「鉄道の速力」--- 時速240kmになり、東京・神戸間を2時間半で走れるようになると予測
「医術の進歩」--- レーザーメスの登場を予測
「自動車の世」--- 自動車の全盛時代の到来を予測
(自動車が初めて輸入されたのはこの記事のわずか3年前)
「電気の輸送」--- 国内隅々まで電気が行き渡ることを予測
100年前に、現代の生活様式をこれほど的確に予測できたことは驚嘆に値する。こうした予言を可能にした背景には、当時、電話も自動車もすでにアメリカやヨーロッパの国々で発明され、その科学技術が発展の途中にあったという事実があるようだ。しかし、当時の日本にはまだそうした科学の先端技術が広まっていたわけではないので、外国文明の発達ぶりを目の当たりにした人が、技術の進歩に期待を込めて予測したものではないかと、教科書には述べられている。「人と獣の会話自在」とか、「暴風を防ぐ」とかドラえもんの世界のようなことが予測されているのはご愛敬だとしても、この預言を書いた人が相当の慧眼の持ち主であることは確かなようだ。
100年前には、科学技術に全幅の信頼を寄せ、バラ色の未来社会の到来を思い描くこともできたであろう。しかし、100年たって21世紀となった今、その科学技術の進歩によってもたらされた、いわば負の遺産と言うべき多くのものによって、我々の生活は深甚なダメージを受けている。環境問題などを挙げるまでもないだろう。その結果、わずか10年後を予測するだけで暗い見通ししか立てられなくなってしまった。果たして「10年後の日本」からこうした真っ暗な近未来予測を押し付けられて、「いやそんなことはない、未来は我々自分たちの力で切り拓くものだ」と反発するだけの力が今の私たちにあるのだろうか。
何ともやりきれない気持ちになる。
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