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「ふふふ」

 井上ひさしの「ふふふ」という本を読んだ。小説現代2001年1月号から2005年1月号までに連載されたエッセー45編を集めた本である。さすが井上ひさし、様々なジャンルに渡る随想を名人技と呼べる切り口でまとめあげ、読む者を飽きさせない。面白かった。
 井上ひさしを読んだのは久しぶりだが、「吉里吉里人」という傑作を読んで以来ずっと読み続けて来た作家である。脚本にも秀作が多く、昨年藤原竜也が出演した『天保十二年のシェークスピア』も井上ひさしが原作である。妻が苦労して手に入れたが私には読ませてくれないので、いつかこっそり読んでやろうと思っている。また、中学3年生の教科書(光村出版)にも『握手』という短編が載せられていて、彼の作品が少しでも多くの生徒に読まれているのは喜ばしいことである。私は毎年読むことになるが、読むたびに味わいが深まる珠玉の名作である。
 
 このエッセー集からは多くの刺激を受けたのだが、その中からいくつかの興味深い話題を以下に引用してみたい。
 冒頭の「世界一長い名前」では、彼が知る限り世界で最も長い名前の持ち主は、英国女王だと書かれている。エリザベス女王の正式名は、
 Elizabeth, II, by the Grace of God, of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland and of Her Other Realms and Territories Queen, Head of the Commonwealth, Defender of the Faith.
なのだそうだ。最近はTVで薀蓄番組が幅をきかしているので、知っている人も多いかも知れないが、私は初めて知って「へ~っ」と驚いた。

 入試のために子供たちと毎日格闘している私にはなかなか興味深かったのが「問題の出し方」で紹介されている、アメリカのさる大学が出したという次の問題だ。
 「ここにあなたの一生を書き綴った一冊の伝記があって、その総ページ数は300頁である。さて、その270頁目にはどんなことが書いてあるだろうか。その270頁を書きなさい」
まあ、人間の一生などいつ終るか分からないが、300ページのうちの270ページと言えば、おそらく一生の終結部に当たるかだろう。受験生にそれまでの人生の「総括と未来への展望を探らせるわけで、たいへん興味深い出題ではないか」と井上ひさしは書いている。こんな出題を大学がするようになったら、私の塾ではとても太刀打ちできず、廃業せざるを得なくなるだろう。「知識を暗記しているだけではだめなのであって、幼いころから自分と人間について考えていないと書けない」わけだが、実際問題として、現在の日本の18歳の子供たちに上のような問いを発してちゃんと答えられるものがどれだけいるだろう。そうした人材を育成できないことが、現在の日本の教育がもつ大きな欠点だと言われればなるほどとも思う。しかし、不確定な要素が以前にも増して大きくなってきている現在の日本で、自らのはるか遠い将来を想像するのは至難の技であるのも事実であろう。

 もう1つ、「自分の好きなもの」では、『サウンド・オブ・ミュージック』で歌われた「自分の好きなものを思い出せば、嵐なんか怖くない」という大意の唄を挙げ、井上ひさし自身も自分の好きなものを選定して、恐怖を乗り切るときのおまじないにしていると語っている。私もその例にならって、自分の好きなものを選定しておいてピンチの時に唱えようかと思う。
『私の好きなもの』
1.志望校に合格したときの生徒たちの笑顔
2.娘のとりとめのないおしゃべり
3.飲み始めたときの1口目のビール
4.息子が塾の教室で私を『お父さん』と呼ぶ声
5.アクセルを踏み込んだ瞬間に加速する車
6.酔っ払った父が話し出す昔話
7.あつあつのご飯にかけたとろろ汁のしみこむ音
8.難しい数学の問題の解法がひらめいた瞬間
9.妻がSMAPのTVを観ているときの呆けた横顔
10.湯船に沈んでふっと眠りに落ちる瞬間
確かにこれを繰り返し唱えていれば、どんな恐怖でもやわらぎそうだ。

ここまで取り上げたのは本書のごく一部だが、これだけでも面白みが分かるだろう。何度も読み返したくなる本だ。


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