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不思議

 私が今不思議でたまらないのは、塾の玄関口に咲いている南天の花である。今年はすごく花盛りで、きれいだ。


こんなに花が咲いたのを見るのは今年が初めてだ。何かいいことがある予兆のような気がして嬉しい。南天は特に珍しい植物ではなく、多くの家の庭先に植えられている、かなりポピュラーな植物だ。したがって、今はごく当たり前のように色んな場所で南天の花が咲いているのを見かける。同じ南天だから、同じ時期に花をつけるのは当たり前だが、こんなに一斉に咲いているのを目にすると、かえって「どうして当たり前なのだろう」と不思議に思えてくる。植物だって人間と同じように一本一本違うわけだから、咲き方だって違いがあってもいいはずだ。それなのにほぼ一斉に花が咲く。それは何も南天だけではなく、春の桜でも、今の時期の紫陽花でも同じことだ。申し合わせたように一斉に咲き始める。当たり前だと思ってしまえばなんでもないことかもしれないが、不思議だと思えば不思議でたまらなくなる。

     「不思議」   金子みすヾ
    私は不思議でたまらない、
    黒い雲からふる雨が、
    銀にひかつてゐることが。

    私は不思議でたまらない、
    青い桑の葉食べてゐる、
    蠶が白くなることが。 

    私は不思議でたまらない、
    たれもいぢらぬ夕顔が、
    ひとりでぱらりと開くのが。

    私は不思議でたまらない、
    誰にきいても笑つてて、
    あたりまへだ、といふことが。

 もちろん植物の体の中に温度を感知するセンサーがあり、それが作動することによって信号が送られ花が咲くのだろう。同じ種類の植物の中には同じシステムが内蔵され、同じように動くようにプログラムされているため(同じシステムが内蔵されていることこそが同じ種類である identity にもなっている)、気温や天候が同じ地域内では一斉に花が咲くのであろう。だが、こうした科学的メカニズムもそう教えられれば「なるほど」と合点がいくが、その出発点は虚心坦懐に物を見つめることから生じる疑問と素直に向き合うことだと思う。そこからその疑問の原因理由を突きとめようとする好奇心を大切にし、想像力を働かせながら、考えたり、調べたり、観察したりしていけば、たとえ答えは見つからなくとも、自らの脳に刺激を与え活性化するには十分であろう。こうした知の翼を広げようとすることは、私のようにかなり老朽化した人間でも心躍るものである。毎日の暮らしの中から浮かび上がる疑問、どんなにちっぽけなものであっても、それについて自分なりの思惟を働かせること、それこそが知の楽しみというものでり、これからも大切にしていかねばならないと思っている。(最近の子どもたちを見てると、そうした知的欲求があまりに希薄であるように思えて心配だ)。
 そういう意味で、このブログは私の「知の冒険」の印でもあるわけだから、好奇心をなくさぬ限り続けていくことになるだろう。心ある人から見ればかなり低級なものであろうが、己の何たるかをさらけ出すカタルシスの場でもあるから、なくてはならないものかもしれない。

 などと書き終えたらこれが800回目の投稿であるのに気がついた。我ながら「なんて暇人なんだ!」と思うが、まあ、それなりの快挙であるようなないような・・。

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