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「日本沈没」

 草剛主演の「日本沈没」を見た。2ヶ月ほど前にWOWOWで放送されたものを録画してあったのだが、この前の日曜にやっと見ることができた。と言っても、さほど期待して見始めたわけではない。最近の草の演技は、「いい人」「やさしい人」「純真な人」という言葉で全て言い尽くせるような気がして、見る前から予想がつく。スマヲタの妻は、「こうしろって監督から言われるから仕方ないでしょ」と草を擁護するが、この映画でも期待(?)を裏切らぬいつもの剛くんの演技だった。彼が画面に出てくると、見ていて力が抜けてしまう。「まったく・・」と横で一緒に見ていた妻が舌打ちするのはおかしかったが、演技者としての見せ場はほとんどなかったように思った。妻によれば、ライブツアー中に自分の出るシーンだけを撮影しに行ったり来たりして完成させた映画らしく、手馴れた演技しできないのもある意味当たり前なのかもしれない。
 小松左京の原作を読んだことはないし、1973年に映画化されたものも見ていない私ではあるが、確か中学生の頃に「日本沈没」がブームになり、本当に日本が沈んだら自分たちはどうなるだろう、と心配になった覚えはある。現代のように何が起きるか少し先がまったく読めない時代に生きていると、危機管理の大切さが身に沁みる。シミュレーションしたところでその上を行く出来事が次から次に起こるのだから、その場その場で適切な処置をする心構えを常に持っていなければならない。この映画も、もし日本が沈没し始めたら、外国へ避難することがいかに難しいかを描いてはいるが、それも上辺だけで、草を使って安っぽい人間ドラマを挿入したために、焦点がぼけてしまったように思う。草を、最後には自分の命を犠牲にしてまで愛する者たちを守ろうとするヒーローにまで祭り上げてしまい、まるで「アルマゲドン」のブルース・ウィリスのような最期を遂げさせるのには思わず苦笑してしまった。たった一人の人間の力で日本の沈没を防ぐことができるなんて、いくら映画だといっても荒唐無稽すぎる、という思いが感動なんてものを引き起こさせなかったのかもしれない。(勿論これは剛くんのせいではありません、監督のせいです、念のために)
 まったく限りなくB級に近い映画だったな、と思いながらエンディングロールを眺めていたら、ふっと、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」の最後を思い出した。
 
 (激しい寒波の襲来による凶作で飢饉に見舞われた昨年と同じような恐ろしく寒い気候が今年もやって来そうだと恐れたブドリは、カルボナード火山を人工的に噴火させ、気層の中に炭酸ガスを増やして、地表からの熱の放射を防ぎ、地球全体を温めようと計画する。この計画を実行するのに必要なカルボナード火山を爆発させるには、その装置を操作する最後の一人はどうしても逃げられず、命を犠牲にしなければならない。ブドリは自分がその役目を果たすと言いだす。)
 ブドリは帰って来て、ペンネン技師に相談しました。技師はうなずきました。
「それはいい。けれども僕がやろう。僕は今年もう六十三なのだ。ここで死ぬなら全く本望というものだ。」
「先生、けれどもこの仕事はまだあんまり不確かです。一ぺんうまく爆発しても間もなく瓦斯が雨にとられてしまうかもしれませんし、また何もかも思った通りいかないかもしれません。先生が今度お出でになってしまっては、あと何とも工夫がつかなくなると存じます。」老技師はだまって首を垂れてしまいました。
 それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。
 すっかり仕度ができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。
 そしてその次の日、イーハトーブの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅いろになったのを見ました。けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖くなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになる筈の、たくさんのブドリのお父さんやお母さんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮すことができたのでした。

 
 宮沢賢治は地球温暖化の仕組みを知っていたんだなあ。それなら解決策も知っていたかも・・。
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