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片隅から

 参議院議員選挙の投票日が近づいている。告示から投票日まで2週間以上あって、何だか間延びしたような印象もあるが、新聞各紙が議席予想を発表するようになり、大まかな情勢は固まりつつあるようだ。安倍政権発足後初の国政選挙であるため、首相の政治信条の是非を問う選挙になるはずだったのに、年金問題や政治とカネの問題、さらには閣僚の失言などが相次ぎ、「戦後レジュームからの脱却」などという安倍首相の掛け声も空しく響くだけになってしまった。
 新聞報道によれば、今回の参院選では地方の一人区で自民党が大苦戦を強いられているようだ。それには様々な要因があるだろうが、先日の報道番組では、地方経済の疲弊が進み、中央との経済格差が進んでいることが地方住民たちの不満の根底にあると分析していた。同席していた学者も、選挙というものは自分のポケットの問題に一番関心を寄せるものだから仕方のないことだと認めていた。やはり自分たちの暮らしを少しでもよくしてもらいたいというのが素直な庶民の願いであり、そこに立脚した政治を誰もが望んでいる。至極当然のことなのだが、そうした思いとかけ離れた政治が今現在行われているとの思いを多くの国民が抱いているのかもしれない。
 私の住む町は「元気な愛知」の中にあるのだが、地場産業の陶器産業は惨憺たる有様だ。かつて大きな陶器工場であった場所は、工場が取り壊されてマンションが建てられたところが実に多い。閉鎖しないまでも、かつての勢いはまったくなく、細々と家族だけで青息吐息で営業を続けている会社ばかりだ。もう20年近くも陶器産業はダメだ、と言われ続けながらも、何とか生き延びてきた会社の努力は相当なものだったろうが、限界に近づきつつあるのか、ここ数年は廃業する会社が目立ってきた。いよいよお終いか、などという話も聞くが、市内を少し回ってみれば、そんなうら寂れた証拠はいくらでも見つけられる。

  

 私が子供だった頃は、町中にダンプが走り回り、川には粘土でドロドロに汚れた水が流れ、林立する煙突からは煙がもうもうと立ち上っていた。そんな活気ある町並みが記憶にある者には、こんな死んだような工場を目にするだけでも悲しくなる。時代の流れに取り残された者たちが悪い、と言い捨てられても仕方ないのかもしれないが、写真を見ていると、打ち捨てられた工場から怨嗟の声が聞こえてくるようだ。
 地元紙では、安倍首相を「坊ちゃん宰相」と名付け、その華やかな閨閥や交友関係などを紹介している。それを読めば、彼が毎日を必死で生きている庶民の苦しみが分かる人物であるかどうかを判断するのは容易だ。自分が体験したことのない痛み・悲しみを理解するのは相当難しい。しかし、一国の政治を担う首相たる者、それくらいできなくてはならない。だが、悲しいことに安倍首相の日ごろの言動からは、そうした首相に最低限必要な能力を持ち合わせた人物にはとても思えない。「憲法改正よりも暮らしをもっとよくしろよ」と訴えたところで、苦しい暮らしを味わったことのない人間には届きそうもない。
 今回の参議院議員選挙がどういう結果になるかは分からないし、どこの政党にも期待していない私ではあるが、ただ、首相としての安倍ちゃんはもう見たくないという気持ちでいっぱいだ。
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