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祇園祭

 今週はヤンキースの試合を週末までNHK・BSが中継してくれない。松井が今までの鬱憤を吹き飛ばすかのような猛打爆発を続けているのに何たることだ。習慣で8時過ぎには目が覚めてしまうが、試合が見られないのはなんとももどかしい。スカパーでは中継しているようだが、今年は解約してしまったので見られない。それがものすごく残念ではあるが、私が見ていようがいまいが、松井がどんどんホームランを連発して行ってくれさえすれば私は満足だから、仕方ないものと諦めている。。
 だが、起きるといつものように朝刊と菓子パンを手にしながら、TVの前に座ってしまう。試合の中継がないなら、おとなしく朝刊を読みふければいいものを、どうしてもTVをつけてしまう。さすがに昨日は新潟の地震のニュースばかりで気持ちも引き締まったが、CMが入ったときにチャンネルをハイビジョンに変えたら、BSフジに目が釘付けになってしまった。京都の祇園祭もハイライトの山鉾巡行の日となり、それを生中継していたのだ。
 私は大学4年間を京都で過ごしたのだが、一度も山鉾巡行を見たことがなかった。それだけでなく、葵祭も時代祭も大文字の送り火も、何一つ見たことがなかった。今思えば随分勿体無いことをしたものだと後悔するが、当時はそんなものよりももっと楽しいことがあったから、まるで気にも留めていなかった。祇園祭も、夏休みになると暑い京都にいるのがいやで、さっさと実家に帰ってしまっていたから、期間中に京都にいた記憶はほとんどない。かえすがえすも勿体無いことをしたものだ・・。卒業してからも祇園祭の期間に京都を訪れることは一度もできなかったので、よく考えれば祇園祭がいったいどういうものであるかを全く知らないも同然だ。
 だから、いかにも京都の四条通りに自分がいるかのような錯覚を受けるほど鮮明なハイビジョンの映像を目の前にしたら、ついつい惹きこまれてしまった。
 先頭を行く長刀鉾に乗った稚児が、四条麸屋町で通りに渡された注連縄(しめなわ)を太刀をかざして切り落とす儀式。今年の山一番・芦刈山の「くじ改め」で少年が一番くじを見せる際にとった凛々しい所作・振る舞い。四条河原町の交差点で割り竹を下に敷いて水をまき、その上に車輪を乗せて豪快に滑らせ、向きを変える「辻回し」。様式美の粋を集めた伝統の深さにただただため息をつくばかりだった。実際に四条通りにいる観衆よりも、祭りを堪能できるのがTVの持つ大きな魅力ではあるが、アナウンサーやレポーターが祭りの真髄を理解しているとは思えない言動が目立ったのは残念であった。だが、「コンチキチン」という鉦・太鼓・笛の祇園囃子もよく聞こえ、すっかり祭りの情緒に酔いしれて、長い間中継を見入ってしまった。
 京都にいる娘は、私と違って毎年祇園祭を楽しんでいるようだ。一昨日の夜には出かけて行って、山鉾の写真を妻の携帯に送ってきた。(頼み込んで私にも送ってもらった)


今年は浴衣を送ってくれと連絡が来なかったそうだが、いったいどうやって祭りに行くのだろう。さすがに4年目ともなると祇園祭の楽しみ方も堂に入ってくるのかもしれない。去年買って送ってくれた祇園祭の厄除けちまきは今も玄関脇にかけてある。


 「今年も買って送ろうか」とメールが妻に来たらしいから、もう少ししたら新しいちまきが飾られることになるだろう。
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