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瞑目・・。

 30日、小田実が亡くなった。享年75歳、ガン死だそうだ。死神など寄せ付けそうもないエネルギッシュな風貌に親しんでいた私には、彼の死は唐突であった。昨年刊行された「玉砕」(岩波書店)を読んでみようと書店を探したが、田舎町では見つからずにネットで注文しようかと思っていた矢先だっただけに驚いた。
 新聞でその訃報に接した深夜、書棚に彼の著書を探してみた。少々奥まったところに5冊見つけた。「何でも見てやろう」('61年)、「世界カタコト辞典(開口健と共著)」('65)、「状況から」('74)、「『殺すな』から」('76)、「死者にこだわる」('79)、いずれも紙は黄ばんでいて、長い時間ページを開いていない古書のような匂いがする。これらの本を買ったのはたぶん大学生のときだったろう。あの頃は遊んでばかりいたが、本もよく読んだ。大江健三郎を読み進めるうちに、作家としての小田実を知り(ベ平連のことは以前から知っていた)、これらの本を読んだのだと思う。
 追悼の意味も込めて、いくつかの文章を読んでみた。驚くほど文章が力強い。さすがに30年近くも前の文章であるから時代認識のズレは否めないが、現代の社会状況にも十分当てはまるような指摘がいくつも見つかって、思わず読みふけってしまった。

 礼儀の根本は相手の身になってものを考えることだと思う。
   (中略)
 私は、もともと、人間にはまもるべき最小限の礼儀があると思っている。むつかしいことはいいたくない。まもるべき信義があるなどと言い出しては、ことはややこしく、また重くなる。それよりは礼儀--それも最小限の礼儀というふうに言っておこう。それをはずれると人間は人間でなくなる。それほど基本的なもの、きびしいものが最小限の礼儀、最小限の人間の礼儀だ。   (「状況から」)

 などと書き抜くと、道徳の教科書のように感じられるが、その周りには歯に衣着せぬ直言ばかりが書き連ねてあって、引用するのが少々憚かれるものが多いため、あえて説教臭い箇所を選んでみた。文章全体は、70年代には正論であったはずの論理で貫かれており、まさに直球勝負でひるむところが全くない。何度かTVで彼の話を聞いたことがあるが、大阪弁で力強く語る姿は、その文章から受ける印象と寸分の違いもなかった。実際に会ったことはないので、全くのイメージだけだが、「小田実=強い人」という式が私の中でいつしか出来上がっていた。どうしてこんなに強いんだろうと、長い間思っていたが、今回少し読み返した中に次のような一文を見つけた。

 とりわけ私が死者にこだわりたいのは、私たちがとり行った侵略戦争のなかで死んだ、そして、彼らが殺したおびただしい数の死者のことを考えるからだ。
 それを考えることが、ただの追憶として考えるのではなく、ふたたびこのような死者を出さない原理と手だての双方を考えることが、日本の戦後の出発点だったはずだ。おびただしい数の死者を招きよせた日本にただひとつ、これからの世界に寄与できるものがあるとすれば、それはその考えの実現によってしかない--そのことも戦後の日本の出発の根底にあった。それは人びとの基本の共通の認識だった。ことばを変えて言えば、死者にこだわることから、人びとはものを考え始めた。私もそのひとりだった。そのひとりであるゆえに、ベトナム反戦運動にもかかわった。
 死者にこだわるというのことは、ふたたび、そのような死者を出さないことだ。そこに心をくだき、努力をするということだ。そのためには、まず、いくさをなくす。これが第一だ。結果として、平和が来る。   (「死者にこだわる)

 これには幼年期の、B29爆撃機による大阪空襲が原体験となっているようだが、こうした思いを自らの思想と行動の核として、小田実は戦ってきたのだろう。私のように軟弱な者には想像も出来ないような彼の強さの源は、一人一人の死者にこだわりながら、新たな死者を生み出したくはないというのっぴきならぬ思いの中にあったのではないだろうか。
 私に彼の強さを受け継ぐことなどとてもできるものではないが、こういう男が生きていたということだけは語り継いでいかなければならないと思っている。

 ご冥福をお祈り申し上げます。
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