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「星座」になった人
天満ふさこ著『「星座」になった人』を読んだ。副題に「芥川龍之介次男・多加志の青春」とあるように、22歳の若さで戦死した芥川多加志の短い生涯を振り返りながら、同人誌「星座」に発表された彼の小説「四人」を見つけ出すために作者が東奔西走した過程を描いたものである。読み終わって、作者の芥川多加志への深い思い入れに感じるものが多かった。まるで深く愛した亡き人の思い出を探し出すために尽力する女性のようだった。「星座」は同人誌といっても、手書きしたものを数人の同人が回覧するためだけのものであったから、各号この世に1冊ずつしかなかったという。しかも戦火を奇跡的に潜り抜けて無事に生き延びたものを、今の世に見つけ出すなどということは、およそ考えられないことである。それだけでなく、散逸してしまったと思われていた芥川多加志の唯一の小説「四人」の原稿まで見つけ出してしまったのだから、作者の一途な思いが、亡くなった多加志にまで届いたとしか思えないようなことであった。小さな手がかりをひとつずつ、こつこつとあきらめることなく辿って行った作者の真摯な姿勢があればこその偉業であるが、その過程を自賛するような筆致では決してなく、謙虚な思いで書き綴っていったところに、本書を読む者は深い感動を味わえるのだと思う。『「四人」が見つかってよかったね、あなたのおかげですよ、ご苦労様』と思わず作者に声をかけたくなるのは私だけではないだろう。
芥川龍之介の三人の息子のうち、長男の比呂志は俳優として、三男の也寸志は作曲家として高名であったことは私でも知っているが、次男の存在はまったくといっていいほど知らなかった。それは恵まれた才能を持ちながらも、それを発揮する前に亡くなってしまったからである。そんな次男多加志の短い生涯を、巻末に記された年譜から抜粋してみる。
1922.11.8 父芥川龍之介、母文の次男として生まれる。
27.7.24 父龍之介、自殺(享年35)
35.4. 暁星中学入学
40.4. 東京外国語学校仏語部文科に入学
42.1.3 回覧雑誌「星座」創刊
43.11.28朝鮮第22部隊入営のため出征
45.4.13 ビルマ、ヤーン県、ヤメセン地区にて戦死 享年22
享年22というのが哀しい。才気煥発な若者にとって、この年頃はまさしく無限の可能性を秘めた時期であろう。なにか一つのことに集中すれば、華々しい成果を遂げることができる、そんな大志を抱き、人生を闊歩し始める頃ではないだろうか。それが突然に命を絶たれ、すべての思いは灰燼に帰してしまう、そんな理不尽が日常的に繰り返されるのが戦争だ。戦争が多くの命、多くの才能を奪い取ったのは今更言うまでもないことであるが、本書は多加志の戦地での足取りも丁寧に調べ、フランス語のできる通訳として、現地の人々と人間としての交流を深めていたことも明らかにする。極限状態でも、人間として正しく生きようとした彼の姿には、人間の尊厳が感じられた。こうした若者の命と引き換えに、今の私たちの暮らしがあるのだということは常に覚えておかねばならないことだと思う。
見つけ出された小説「四人」も本書の末尾に載せられているが、読んでみてもあまり面白くなかった。ところどころに文才が感じられる箇所はあったが、はっきり言って退屈な小説であった。しかし、彼が生きて年齢を経て、様々な体験を積むことによって、さらに感性が磨かれたなら、傑作をものにすることもできたかもしれない・・、などと思っても詮無いことだが、どうしたってそんな思いに駆られずにはいられない。
もうすぐ8月15日がやってくる。 戦争で亡くなった多くの人を悼むのと同時に、二度と有為な才能を死地に赴かせないよう誓いを新たにするための日だ。今年は芥川多加志のように志半ばで死なざるを得なかった多くの若者たちのことを考えてみたいと思っている。
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