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「バカまるだし」

 永六輔・矢崎泰久の対談を集めた「バカまるだし」(講談社)を読んだ。読んだと言っても、居住まいを正して読んだわけではなく、トイレに置いてあったものを少しずつ読んでいったので、読み終えるのにかなりの日数がかかった。こうした読み方は邪道なのかもしれないが、「バカまるだし」という題名なのだから、お尻まるだしで読んだところで何も悪くはないだろう、などと軽い気持ちで読み進めた。
 対談集だけあって読み易い。と言うよりも、話し上手な二人がさまざまなテーマについてそれぞれの思いを忌憚なくぶつけ合っているのだから、巻を置くことが難しい。おかげでついつい長居をすることになってしまうのだが、暑くなってからのことだったので、さほど苦にはならなかった。両対談者はトイレに入っている者が手にするなんて思いもしなかっただろうが、おふざけかなと思っていると突然看過できない大問題へと話題が変わったりするので、一筋縄ではいかない内容となっている。さすがだ。
 私は永六輔という人はあのベタベタした舌っ足らずの喋り方が苦手で、ラジオ番組はまともに聴いたことがない。話題にすることは面白いし、深い志も感じ取れるのだが、どうしてもあの喋り方だけには慣れることができない。その点、活字になったものなら、あの声がかすかに聞こえる気はするものの、字面を追うことに集中できれば、ほとんど気にならなくなる。書棚には、「大往生」や 「職人」という岩波新書が並んでいて、興味深く読んだのを覚えている。
 永六輔と矢崎泰久はともに1933年生まれで今年74歳、完全に爺さんだ。しかし、この対談を読む限りまったく年齢を感じさせない。軽妙洒脱な語り口が心に響いてくる。巻頭に永が書いている。

この対談のテーマはひとつ戦争反対だ。
平和バカもいれば戦争バカもいる日本。
「美しい国」バカにこの本を捧げたい。

矢崎も巻末に言う。

 この本は「本音まるだし」とすべきだった。日本社会の仕組みは「タテマエ」だらけであって「ホンネ」は通りにくい。嘘ではないかと思われるほどに、本音でものを言っている。いっそ「嘘ばっかり」というタイトルにするべきだった。
 正反対の位置に鎮座ましましているのが、この国の権力者たちである。腹が立つがどうにもならない。

1933年生まれと言えば先日亡くなった小田実と1歳違い。いろいろな面で違いはあっただろうが、この国を、日本の将来を憂う気持ちは同じだと思う。本書では、自分たちの体力的な衰え、健康に関する不安を嘆く言葉も散見されなくはないが、それよりも今これだけは言っておかねば死ぬに死ねないという彼らの熱い思いが、どのページを開いてみても読み取ることができる。中でも次の一節は彼ら二人から私たち読者に対する遺言として覚えておくべき言葉だと思った。

矢崎:蕎麦屋のオヤジじゃないけど、愛国心なんて、国が押しつけるものじゃない。うまい蕎麦屋だったら、言われなくたってうまいと思う。国もそうでしょう。いい国だったら、みんな好きになりますよ。そこに住んでいることが楽しくて、こんな素晴らしい国はないと思えば、誰だって自然と国を愛しますって。それが愛国心ですよね。
永:蕎麦と愛国心が結びつくとは思わなかった(笑)。僕はね、愛国心を植えつけるより、国を憂える「憂国心」を広めたほうがいいんじゃないかと思う。
この国はこのままでいいのかって、国を憂えることは山ほどあるわけでしょう。
矢崎:愛するんじゃなくて、憂えるねぇ・・・。三島だね。


今日は8月15日。
現在の国のあり方を憂えるには一番の日だ。
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