毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
忙しい・・・
12月23日から始まった冬休み期間が、9日でやっと終った。わずかな正月休みを挟んで、18日間怒涛のように過ぎて行った。今はただ、ホッとしているが、そんな間もなく、厳しい受験シーズンが始まる。まずは21日に最初の私立中学校の入試がある。その後は、順次週末に私立中学の入試が続いていく。21・22日はセンター試験だし、中学3年生の学年末試験もその頃だ。スケジュール表を見ただけでめまいがしそうになるが、これからが一番大事なときだ。へこたれていてはいけない、気を引き締めよう。
だが、なんでこんなにも忙しがっているんだろう。少し前はこれほど時間に余裕がなかったわけではないような気がする。いまはもう、24時間ある1日が本当にあっという間に過ぎていく。時々、こんなに早く過ぎてしまって大丈夫だろうかと思ったりするが、そんな気持ちを反芻する余裕さえなく、次の日になってしまっている。塾生の様子はしっかり把握しているつもりだが、これほど私に時間的な余裕がないと生徒に悪影響を及ぼしていないか、心配になる。年をとると、時間の進み具合にアクセルがかかるとは聞いたことがあるが、今は少々暴走気味だ。困ったものだ。
それでも、なんとか心にゆとりを持とうと、寝る前にたとえ短時間なりとも読書しようと心がけている。睡眠誘発剤として読書はなかなかの効果を見せてくれる。知らぬ間に寝入ってしまい、本が開きっぱなしに枕元に転がっていることもしばしばだ。それでも、読書が教養の源であると信じて疑わない旧世代に属する私には、ほんの1ページでも本を読んだという満足感が何物にも変えられぬ意味を持っている。今読んでいるのは(と言っても、なかなか進まず、もう何ヶ月も同じ物を読んでいるのだが)夏目漱石の「吾輩は猫である」だ。我が家がとっている地元紙『中日新聞』が、もう何年も朝刊に夏目漱石や森鴎外、芥川龍之介、泉鏡花などの文豪の作品を掲載している。「猫」が連載され始めて一年近くなる。私は最初の頃は頑張って毎朝読んでいたのだが、何かの拍子で読み忘れが2・3日続いてしまったら、もうダメだった。あっという間に引き離されてしまった。それなら、本で読んで何とかして連載に追いつこうと思って読み始めたのだが、全く追いつけない。かえってずるずると引き離されるばかりだ。
「猫」は中学1年生くらいの頃に「旺文社文庫」を買って読んだ。今ではそんな文庫は見かけないが、読み終えたときはこんなに太い本を読み終えたなんてすごいな、などと感心した覚えがある。解説本などを見て面白い小説だと思って読み始めたのだが、なにせ難しい漢語が多くて、その時の私には半分以上理解できなかった。その後何回か読んで、面白さが徐々に分かるようになったが、今回コツコツと読んでみると、また新しい発見が色々ある。今読んでいる箇所にちょうど現在の私の心境を見透かしたような一節があるので引用してみる。
ただおかしいのはこの閑人がよるとさわると多忙だ多忙だと触れまわるのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、わるくすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせついている。彼らのあるものは吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどというが、気楽でよければなるがいい。そんなにせこせこしてくれと誰も頼んだわけでもなかろう。自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと言うのは自分で火をかんかん起こして暑い暑いというようなものだ。
さすが漱石先生、19世紀に21世紀の私の愚かさをちゃんと見据えていらっしゃる。ここを読んだときは一瞬眠気が飛んで、なるほどと唸ってしまった。私の今の忙しさなど全て自分でまいた種だ。刈り取る力もないくせに種をまきすぎるからこうなる。悔しかったら、黙って最後まで刈り取ってみろ。そう怒鳴られたような気がした。
京都に戻った娘が、素敵なオブジェを残していってくれた。冷蔵庫の上にあったマグネットなどを利用して人の顔を形作ってくれたのだ。それを写真に撮ってみたが、心に柔軟性がある人間は面白いことを思いつく。私もこれくらいの余裕を持ってこの忙しさを乗り越えていかなければ、待ち望む結果は得られないだろう。心しよう。
だが、なんでこんなにも忙しがっているんだろう。少し前はこれほど時間に余裕がなかったわけではないような気がする。いまはもう、24時間ある1日が本当にあっという間に過ぎていく。時々、こんなに早く過ぎてしまって大丈夫だろうかと思ったりするが、そんな気持ちを反芻する余裕さえなく、次の日になってしまっている。塾生の様子はしっかり把握しているつもりだが、これほど私に時間的な余裕がないと生徒に悪影響を及ぼしていないか、心配になる。年をとると、時間の進み具合にアクセルがかかるとは聞いたことがあるが、今は少々暴走気味だ。困ったものだ。
それでも、なんとか心にゆとりを持とうと、寝る前にたとえ短時間なりとも読書しようと心がけている。睡眠誘発剤として読書はなかなかの効果を見せてくれる。知らぬ間に寝入ってしまい、本が開きっぱなしに枕元に転がっていることもしばしばだ。それでも、読書が教養の源であると信じて疑わない旧世代に属する私には、ほんの1ページでも本を読んだという満足感が何物にも変えられぬ意味を持っている。今読んでいるのは(と言っても、なかなか進まず、もう何ヶ月も同じ物を読んでいるのだが)夏目漱石の「吾輩は猫である」だ。我が家がとっている地元紙『中日新聞』が、もう何年も朝刊に夏目漱石や森鴎外、芥川龍之介、泉鏡花などの文豪の作品を掲載している。「猫」が連載され始めて一年近くなる。私は最初の頃は頑張って毎朝読んでいたのだが、何かの拍子で読み忘れが2・3日続いてしまったら、もうダメだった。あっという間に引き離されてしまった。それなら、本で読んで何とかして連載に追いつこうと思って読み始めたのだが、全く追いつけない。かえってずるずると引き離されるばかりだ。
「猫」は中学1年生くらいの頃に「旺文社文庫」を買って読んだ。今ではそんな文庫は見かけないが、読み終えたときはこんなに太い本を読み終えたなんてすごいな、などと感心した覚えがある。解説本などを見て面白い小説だと思って読み始めたのだが、なにせ難しい漢語が多くて、その時の私には半分以上理解できなかった。その後何回か読んで、面白さが徐々に分かるようになったが、今回コツコツと読んでみると、また新しい発見が色々ある。今読んでいる箇所にちょうど現在の私の心境を見透かしたような一節があるので引用してみる。
ただおかしいのはこの閑人がよるとさわると多忙だ多忙だと触れまわるのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、わるくすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせついている。彼らのあるものは吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどというが、気楽でよければなるがいい。そんなにせこせこしてくれと誰も頼んだわけでもなかろう。自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと言うのは自分で火をかんかん起こして暑い暑いというようなものだ。
さすが漱石先生、19世紀に21世紀の私の愚かさをちゃんと見据えていらっしゃる。ここを読んだときは一瞬眠気が飛んで、なるほどと唸ってしまった。私の今の忙しさなど全て自分でまいた種だ。刈り取る力もないくせに種をまきすぎるからこうなる。悔しかったら、黙って最後まで刈り取ってみろ。そう怒鳴られたような気がした。
京都に戻った娘が、素敵なオブジェを残していってくれた。冷蔵庫の上にあったマグネットなどを利用して人の顔を形作ってくれたのだ。それを写真に撮ってみたが、心に柔軟性がある人間は面白いことを思いつく。私もこれくらいの余裕を持ってこの忙しさを乗り越えていかなければ、待ち望む結果は得られないだろう。心しよう。
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成人式
9日の娘の成人式は大変だった。朝6時に美容院が予約してあるため、5時過ぎに娘と妻は起きた。妻の運転で美容院に向かい、2時間以上かかって着物の着付けと化粧をしてもらった。妻はその間ずっと美容院で待っていて、帰途、予約してあった写真館に立ち寄り、娘の着物姿を撮ってもらった。7日にも同じ所で写真を撮ったから、成人の記念写真が2タイプもできたわけだ。うまくすいていたため、スムーズに取り終えることができ、9時過ぎに一旦帰宅した。と言っても、実はここまで私は全く関与していない。私が目覚めて寝室からふらふらと出てきたら、妻が玄関をちょうど開けたところだった。前夜娘の成人を祝う小宴を家族で開いたため、少々飲みすぎた私がそんな早朝から活動できるはずもない。妻は私なぞ全く頼りにするつもりもなかったが、それでも寝起きの私の顔を見て「まあ、お早いこと」と嫌味だけは忘れなかった。
成人式は10時から学区の公民館で開かれるため、娘は今のうちに腹ごしらえをしておこうと、少し腰を下ろして、買ってきたサンドイッチを食べ始めた。私は初めて娘の晴れ着姿を見たのだが、さすがにこれだけ長身だと映える。27年前に妻がこの着物を着ていた姿を思い出そうとしても、記憶がぼやけてしまっている。別の着物のような気さえする。それにしても保存状態がよかったようで、新品と言っても過言ではないように見える。紅白で絞りの入ったこの着物は、妻の母ご自慢の一品らしくて、私のようなものが見てもその良さが分かる。柄が今風でないのがかえって新鮮に見えるくらいだが、娘は至極満足そうな顔をしている。横にいる妻も実に嬉しそうで、ずっと笑顔だ。成人の日というのは、振袖を着る女の子だけでなく、準備を整えた母親も同じくらい心が浮き立つ「晴れの日」なのだろう。そう言えば、私の母も私の妹の成人式の日は、妹のそばを離れず、ずっとうれしそうな顔をしていたのを思い出す。あの日の母の顔に浮かんでいた笑顔が今日は妻の顔に浮かんでいる。なんだか不思議な気がするが、男親としては、ただただ感心するばかりだ。
妻が公民館まで車で送って行ったのを見送って、私は午前中塾で授業を行った。受験を間近に控えた生徒を抱えていては、いくら我が家の一大イベントだと言えどもおろそかにするわけにはいかない。正午に授業を終えた私は、成人のお祝いを頂いた親戚にお祝いの印として配る赤飯を取りに行った。それを娘や妻と一緒に配りがてら、娘の晴れ姿を一目なりとも見てもらおうという計画になっていた。式を終えた娘はさすがにゲンナリしていたが、それでも嫌な顔もせずに一軒一軒挨拶に回ってくれた。車の乗り降りが大変そうだが、さほど不平も言わずに付き合ってくれたのは、当たり前のこととは言え、2年間の一人暮らしで少しは人との付き合い方を学んできたのかなと思わせるものだった。子供だとばかり思っていたが、いつの間にかちゃんと大人になっている。成人という名に少しはふさわしいかもしれない。
嬉しいことに行く先々で親戚が娘の来るのを待っていてくれた。私たちが着くと、待ってましたとばかりに家の中から大勢出てくる。娘は小さい時から、親戚の誰からも可愛がられていたため、皆が口々に「きれいだ」とか「似合うね」とか褒めてくれる。そして誰もがその次に「大きいねえ」と口にする。髪の毛がうず高くセットされいる上に草履をはいているものだから、本当に大きく見える。妻が迎えに行った時も、公民館から出てきた女の子の中でひときわ背が高く、かなり目立ったそうだ。親戚皆が集まって何枚も写真を撮ったのだが、誰もが嬉しそうな顔をしてくれる。本当に幸せな奴だ。
私が塾の用意をしなければならないため、挨拶を簡単に済ませ、急いで帰宅したのだが、大事なことを忘れていた。妻も私も息子も、娘と一緒に写真を撮っていなかった。それじゃあ一枚ずつ、ということになって私もやっと念願成就となった。私の父も、照れながらしっかり写真に収まった。「じゃあ、これで終わり、着替えていいよ」と妻の一声で、大騒動も無事終了した。
ああ、疲れた。何もしていない私でさえ、こんなに疲れるたんだから、妻はたいそう疲れたことだろう。勿論娘も。しかし、10日には講義が8時40分からあるそうだ。出席するため、朝一番の電車で京都に向かうらしい。それも妻が送って行ってくれるだろう。私は最近、眠くて眠くて、とてもそんな時間には起きられない。ご苦労様、私はベッドの中で「行ってらっしゃい」を言うつもりだ。
成人式は10時から学区の公民館で開かれるため、娘は今のうちに腹ごしらえをしておこうと、少し腰を下ろして、買ってきたサンドイッチを食べ始めた。私は初めて娘の晴れ着姿を見たのだが、さすがにこれだけ長身だと映える。27年前に妻がこの着物を着ていた姿を思い出そうとしても、記憶がぼやけてしまっている。別の着物のような気さえする。それにしても保存状態がよかったようで、新品と言っても過言ではないように見える。紅白で絞りの入ったこの着物は、妻の母ご自慢の一品らしくて、私のようなものが見てもその良さが分かる。柄が今風でないのがかえって新鮮に見えるくらいだが、娘は至極満足そうな顔をしている。横にいる妻も実に嬉しそうで、ずっと笑顔だ。成人の日というのは、振袖を着る女の子だけでなく、準備を整えた母親も同じくらい心が浮き立つ「晴れの日」なのだろう。そう言えば、私の母も私の妹の成人式の日は、妹のそばを離れず、ずっとうれしそうな顔をしていたのを思い出す。あの日の母の顔に浮かんでいた笑顔が今日は妻の顔に浮かんでいる。なんだか不思議な気がするが、男親としては、ただただ感心するばかりだ。
妻が公民館まで車で送って行ったのを見送って、私は午前中塾で授業を行った。受験を間近に控えた生徒を抱えていては、いくら我が家の一大イベントだと言えどもおろそかにするわけにはいかない。正午に授業を終えた私は、成人のお祝いを頂いた親戚にお祝いの印として配る赤飯を取りに行った。それを娘や妻と一緒に配りがてら、娘の晴れ姿を一目なりとも見てもらおうという計画になっていた。式を終えた娘はさすがにゲンナリしていたが、それでも嫌な顔もせずに一軒一軒挨拶に回ってくれた。車の乗り降りが大変そうだが、さほど不平も言わずに付き合ってくれたのは、当たり前のこととは言え、2年間の一人暮らしで少しは人との付き合い方を学んできたのかなと思わせるものだった。子供だとばかり思っていたが、いつの間にかちゃんと大人になっている。成人という名に少しはふさわしいかもしれない。
嬉しいことに行く先々で親戚が娘の来るのを待っていてくれた。私たちが着くと、待ってましたとばかりに家の中から大勢出てくる。娘は小さい時から、親戚の誰からも可愛がられていたため、皆が口々に「きれいだ」とか「似合うね」とか褒めてくれる。そして誰もがその次に「大きいねえ」と口にする。髪の毛がうず高くセットされいる上に草履をはいているものだから、本当に大きく見える。妻が迎えに行った時も、公民館から出てきた女の子の中でひときわ背が高く、かなり目立ったそうだ。親戚皆が集まって何枚も写真を撮ったのだが、誰もが嬉しそうな顔をしてくれる。本当に幸せな奴だ。
私が塾の用意をしなければならないため、挨拶を簡単に済ませ、急いで帰宅したのだが、大事なことを忘れていた。妻も私も息子も、娘と一緒に写真を撮っていなかった。それじゃあ一枚ずつ、ということになって私もやっと念願成就となった。私の父も、照れながらしっかり写真に収まった。「じゃあ、これで終わり、着替えていいよ」と妻の一声で、大騒動も無事終了した。
ああ、疲れた。何もしていない私でさえ、こんなに疲れるたんだから、妻はたいそう疲れたことだろう。勿論娘も。しかし、10日には講義が8時40分からあるそうだ。出席するため、朝一番の電車で京都に向かうらしい。それも妻が送って行ってくれるだろう。私は最近、眠くて眠くて、とてもそんな時間には起きられない。ご苦労様、私はベッドの中で「行ってらっしゃい」を言うつもりだ。
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寒い!
寒い。とにかく寒い。なんでこんなに寒いのか。腹が立つほど寒い。愛知県がこんなに寒いところだと生まれて初めて知った。昨日のラジオで、日本全国に12月から降り積もった雪の量が平年の3倍に達したと言っていたが、本当に異常だ。地球温暖化が叫ばれているにもかかわらず、この寒さはいったいどうしたことなんだろう。少なくともあと1ヶ月以上は、この寒さに耐えなければならない。大変だ。
愛知でこんなに寒いんだから、北国の寒さはすごいだろう。TVのニュースでしか窺い知ることはできないが、相当寒いのだろう。思わず、中原中也の詩を思い出す。
海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。
曇った北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪っているのです。
いつはてるともしれない呪い。
海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。 『北の海』
今日も北の海は歯をむいて空を呪っているのだろうか。冬の北国の海を間近に見たことがない私には想像するしかないのだが、冬の海は人を寄せ付けない激しさがあるように思う。吉野弘の詩は、さらに激烈だ。
吹雪のなか 遠く 海を見た。
海は荒れていた。
そして 荒れているわけが 僕には
すぐ わかった。
海は 海であることを
只 海であることを
なにものかに向かって叫んでいた。
あわれみや救いのやさしさに
己を失うまいとして
海は狂い
海は走り
それは一個の巨大な排他性であった。
吹雪のなか 遠く 走っている海を見た。
そして
海の走っているわけが
僕には わかりすぎるほどよく
わかった。 『冬の海』
私は吉野弘の詩が好きだ。中原中也のようにいかにも詩人だという者の詩もいいけれど、ネクタイを締めた詩人のような吉野弘の詩も好きだ。律儀でいて、しかも詩人の魂を具現化したような彼の詩は、折にふれて私を励まし力づけてくれる。なにか壁にぶち当たったとき、彼の詩を読むと乗り越えられるような気がしてくる。この詩も、どうしようもなく荒れた己の心を見つめ、押さえつけるでもなく、慰めるでもなく、ただ暖かい眼差しを忘れまいとする詩人の心が、読む者の心を包んでくれる。これが吉野弘の詩の真骨頂だと私は思っている。
さらにもう1つ。冬を歌った萩原朔太郎の詩を。
つみとがのしるし天にあらはれ、
ふりつむ雪のうへにあらはれ、
木木の梢にかがやきいで、
ま冬をこえて光るがに、
おかせる罪のしるしよもに現はれぬ。
みよや眠れる、
くらき土壌にいきものは、
懺悔の家をぞ建てそめし。 『冬』
この寒さは私たちに与えられた試練なのか。いやいや、一日も早く春のきたらんことを願うのみである。
愛知でこんなに寒いんだから、北国の寒さはすごいだろう。TVのニュースでしか窺い知ることはできないが、相当寒いのだろう。思わず、中原中也の詩を思い出す。
海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。
曇った北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪っているのです。
いつはてるともしれない呪い。
海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。 『北の海』
今日も北の海は歯をむいて空を呪っているのだろうか。冬の北国の海を間近に見たことがない私には想像するしかないのだが、冬の海は人を寄せ付けない激しさがあるように思う。吉野弘の詩は、さらに激烈だ。
吹雪のなか 遠く 海を見た。
海は荒れていた。
そして 荒れているわけが 僕には
すぐ わかった。
海は 海であることを
只 海であることを
なにものかに向かって叫んでいた。
あわれみや救いのやさしさに
己を失うまいとして
海は狂い
海は走り
それは一個の巨大な排他性であった。
吹雪のなか 遠く 走っている海を見た。
そして
海の走っているわけが
僕には わかりすぎるほどよく
わかった。 『冬の海』
私は吉野弘の詩が好きだ。中原中也のようにいかにも詩人だという者の詩もいいけれど、ネクタイを締めた詩人のような吉野弘の詩も好きだ。律儀でいて、しかも詩人の魂を具現化したような彼の詩は、折にふれて私を励まし力づけてくれる。なにか壁にぶち当たったとき、彼の詩を読むと乗り越えられるような気がしてくる。この詩も、どうしようもなく荒れた己の心を見つめ、押さえつけるでもなく、慰めるでもなく、ただ暖かい眼差しを忘れまいとする詩人の心が、読む者の心を包んでくれる。これが吉野弘の詩の真骨頂だと私は思っている。
さらにもう1つ。冬を歌った萩原朔太郎の詩を。
つみとがのしるし天にあらはれ、
ふりつむ雪のうへにあらはれ、
木木の梢にかがやきいで、
ま冬をこえて光るがに、
おかせる罪のしるしよもに現はれぬ。
みよや眠れる、
くらき土壌にいきものは、
懺悔の家をぞ建てそめし。 『冬』
この寒さは私たちに与えられた試練なのか。いやいや、一日も早く春のきたらんことを願うのみである。
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振袖会
7日(土)に、娘の高校の同窓会が名古屋で開かれた。同窓会と言っても、今年20歳になる娘達が振袖を着て集まって、皆で成人を祝う、娘の卒業した高校の伝統的行事らしい。「振袖会」とずばりそのものの別名があり、送られて来た案内状にも、『同窓会(振袖会)』と明記してあった。この高校は、中高一貫のミッション系の女子高であるが、なかなか派手なことをやるものである。さすが金ピカ名古屋の私立学校と思わないでもないが、勿論出欠は自由であるから、そんなバカらしいことには賛成できないと思えば欠席しても構わない。しかし、卒業生の3分の2が併設された大学には進まずに他大学へ進学しているため、懐かしさも手伝って多くの同級生が参加する予定らしい。娘も京都に住んでいる関係上、卒業して2年、なかなか旧友に会う機会がなかったため、喜んで出席することにしたようだ。
しかし、9日には地元で成人式が開かれ、そちらにも出席する予定なので、都合2回着物を着ることになる。その際、違う着物を着たいと娘が言ったのか、妻が着せてやりたいと思ったのかは定かではないが、とにかく2日別々の着物を着ることになっている。と言っても、そのためにわざわざ新しく着物を作ってやったわけではない。私は一枚くらいならどうにか工面して作ってやらなければと思っていたのだが、妻の考えは、自分の着物か、私の妹の着物、または妻の妹の着物のうちから、娘に似合うものを選んで仕立て直しをしようというものだった。ほとんど着ることもない着物にそんな大金をかけるのは勿体ないと、自分のSMAP三昧にはお金に糸目をつけない奴が、そんな倹約家のようなセリフを吐いても、俄かには信じがたい。が、結局自分の意向を押し通して、去年の冬に何枚か娘に着せてみて、柄や色合いが娘に似合うと思われるものを2枚選んだ。1枚は妻が自分の成人式に着た物、もう1枚は妻の妹が成人式に着た物がよく似合ったらしい。しかし、妻は身長160cm、義妹は155cmくらいで、娘は170cmを超えている。当然仕立て直しをしなければならず、デパートの呉服売り場に持ち込んだのだが、仕立て代は着物1枚くらいは買えるほどかかったと教えてくれた。もう何年も前から、成人式のためにとコツコツ貯めたお金で支払ったそうだが、彼女にしては上出来だった。good job!だ。
そこで、7日の同窓会には義妹の着物を着ることになった。だが、12時からの会にあわせて9時から美容院で着付けをしてもらい、そのまま名古屋の会場まで行ってしまった。しかも帰って来たのが、ちょうど私が生徒をバスで送迎している間だったらしく、私は全く娘の着物姿を見ていない。できたら写真を撮ろうという目論見が外れて家に戻ったら、脱いだ着物が衣紋掛けにかけてあった。とりあえずこれでいいやと、写真に収めてみた。今日は時間的に無理だったのかもしれないが、何にしても「哀しき者は父親」である。どうせこんなもんだろうとは思っていたが、いざそうなってみるとやはり寂しい。でも、着物姿の1枚くらいは写真に収めてあるだろうから、後でそれを拝ませてもらえばいいかと、気を取り直して娘に会の様子をたずねてみた。
卒業生190人ほどのうち、8割くらいが出席したらしい。出席者全員が当然の如く振袖だったそうで、想像しただけでその壮観さが目に浮かんでくる。これこそハデハデ名古屋嬢の大博覧会のようで、是非この目で見たかったものだと残念に思う。卒業式の後の、はかま姿の謝恩会も華麗なものだが、高校の同窓会でこれほどきらびやかさを演出するものはそうざらにはないだろうな、と思わず嘆息してしまった。
娘の振袖姿は9日の成人式までお預けとなってしまったが、今度こそは一生の記念に、娘と並んで写真に収まりたいものだ。今日は厳寒ではあったが、幸いなことに晴天だった。成人式の当日も、穏やかな天気にならんことを心より祈っている。
しかし、9日には地元で成人式が開かれ、そちらにも出席する予定なので、都合2回着物を着ることになる。その際、違う着物を着たいと娘が言ったのか、妻が着せてやりたいと思ったのかは定かではないが、とにかく2日別々の着物を着ることになっている。と言っても、そのためにわざわざ新しく着物を作ってやったわけではない。私は一枚くらいならどうにか工面して作ってやらなければと思っていたのだが、妻の考えは、自分の着物か、私の妹の着物、または妻の妹の着物のうちから、娘に似合うものを選んで仕立て直しをしようというものだった。ほとんど着ることもない着物にそんな大金をかけるのは勿体ないと、自分のSMAP三昧にはお金に糸目をつけない奴が、そんな倹約家のようなセリフを吐いても、俄かには信じがたい。が、結局自分の意向を押し通して、去年の冬に何枚か娘に着せてみて、柄や色合いが娘に似合うと思われるものを2枚選んだ。1枚は妻が自分の成人式に着た物、もう1枚は妻の妹が成人式に着た物がよく似合ったらしい。しかし、妻は身長160cm、義妹は155cmくらいで、娘は170cmを超えている。当然仕立て直しをしなければならず、デパートの呉服売り場に持ち込んだのだが、仕立て代は着物1枚くらいは買えるほどかかったと教えてくれた。もう何年も前から、成人式のためにとコツコツ貯めたお金で支払ったそうだが、彼女にしては上出来だった。good job!だ。
そこで、7日の同窓会には義妹の着物を着ることになった。だが、12時からの会にあわせて9時から美容院で着付けをしてもらい、そのまま名古屋の会場まで行ってしまった。しかも帰って来たのが、ちょうど私が生徒をバスで送迎している間だったらしく、私は全く娘の着物姿を見ていない。できたら写真を撮ろうという目論見が外れて家に戻ったら、脱いだ着物が衣紋掛けにかけてあった。とりあえずこれでいいやと、写真に収めてみた。今日は時間的に無理だったのかもしれないが、何にしても「哀しき者は父親」である。どうせこんなもんだろうとは思っていたが、いざそうなってみるとやはり寂しい。でも、着物姿の1枚くらいは写真に収めてあるだろうから、後でそれを拝ませてもらえばいいかと、気を取り直して娘に会の様子をたずねてみた。
卒業生190人ほどのうち、8割くらいが出席したらしい。出席者全員が当然の如く振袖だったそうで、想像しただけでその壮観さが目に浮かんでくる。これこそハデハデ名古屋嬢の大博覧会のようで、是非この目で見たかったものだと残念に思う。卒業式の後の、はかま姿の謝恩会も華麗なものだが、高校の同窓会でこれほどきらびやかさを演出するものはそうざらにはないだろうな、と思わず嘆息してしまった。
娘の振袖姿は9日の成人式までお預けとなってしまったが、今度こそは一生の記念に、娘と並んで写真に収まりたいものだ。今日は厳寒ではあったが、幸いなことに晴天だった。成人式の当日も、穏やかな天気にならんことを心より祈っている。
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鍛錬(3)
深夜の鍛錬はずっと続けている。さすがに大晦日、元日辺りはサボってしまったが、2日からはちゃんと再開した。現在、腹筋80回以上、腕立て伏せ35回以上、バットの素振り100回以上をノルマにして、日曜を除く毎晩、必死に続けている。かれこれ2年近くなるだろうか、近頃では雨や雪が降って屋外でバットを振ることができないと、体中がムズムズして何か気持ちが悪い。それで少々の雨くらいなら、車庫の軒下で100回バットを振るようにしている。
以前も書いたように(「鍛錬(2))、このおかげでかなり体が締まった。胸の筋肉が盛り上がったし、腹筋も固くなった。腕も太くなったと思うし、この年になってちょっとした肉体改造ができたようで、少しばかり自慢に思う。「継続は力なり」と言われるが、これほど体が正直に応えてくれるものだとは予想していなかったので、驚いてもいる。まあ、それはあくまでも外面的なことだけで、健康診断など受けたことがない私は、体内がどうなっているのかは怖くて想像もしたくない。でも、体調が変だなと強く思えば医者にかかればいいわけだし、それで手遅れならばそれも仕方ないことだと、自分に言い聞かせている。
毎晩の鍛錬のセットの中で、今一番注目しているのがバットの素振りである。野球部に所属していたと言っても、小学校と中学校前半だけで、まともな技術も知識も持ち合わせていない私だが、一応松井秀喜と同じ右投げ左打ちで、身長もちょうど同じなので、彼のフォームを見よう見まねで真似しながらバットを振っている。まず両足を開き、膝を少し折って重心を下げる。左肘を上げてバットを握り、真っ直ぐ立てて構える。そこで松井のように右足でタイミングをとったりはしないが、その位置からバットを一直線に振り下ろす。素振りをし始めた頃は、これがなかなかできなかった。バットの重さに負けて、スイングがどうしても波打ってしまった。バットコントロールなんてとんでもない話で、たとえボールに当たったとしても力ない打球しか飛ばなかったことだろう。しかし、今は全く違う。上半身全体についた筋肉のおかげで、自由にバットが操作できる。構えた位置から最短距離で振り下ろすことができるし、最後までバットの軌道をしっかりコントロールできる。今ならバッティングセンターに行っても、見事素晴らしい打球をはじき返せるだけの自信はある。(問題なのは、老眼ぎみのこの目がボールのスピードに付いて行けるかどうかだけだ)
年間通して毎晩こうやってバットを振っていると、季節の移ろいを肌で感じ取ることができる。春から夏にかけて次第に空気が暖まっていくと、汗ばむようになる。盛夏には汗だくになるが、いつの間にか涼しさが増し始めると、体を動かすのが楽になる。やがて秋が過ぎ、冬が近付くにつれ空気が日毎に冷たくなる。真冬の今では、バットを握る手が冷たくかじかみそうになる。それでも何回か振るうちにゆっくりと体が温まって来て、指先もほぐれてくる。しかし、とにかく寒い。白い息を吐きながら、半ばヤケ気味に深夜バットを振るオヤジ・・・とてもいい絵柄とは言えないが、やっている本人はいたって真面目だ。
50回くらいまではなかなか数が増えていかない。くそっ、と思いながら50回まで必死に頑張ると、不思議なことに、後はあっという間に100回までいく。何とか100回振り終えると、仕上げに5回くらい力のこもったスイングをして完了。少し荒くなった息を吐きながら夜空を見上げると、星が凍ったように輝いている。「よし、今日はこれで終わり。明日も頑張るぞ!」そう呟きながら、自宅に戻る。後は風呂に入って寝るだけだ。
この運動が体には心地よい疲れをもたらすのか、入浴後の落ち着いた心持ちも手伝って、ビールを一本も飲めばもうほとんど意識がなくなってしまう。夢見心地でベッドに入ればすぐに眠り込んでしまう。寝つきがすこぶるいい。
さあ、これを書き終わったら、今夜も始めるとするか。
以前も書いたように(「鍛錬(2))、このおかげでかなり体が締まった。胸の筋肉が盛り上がったし、腹筋も固くなった。腕も太くなったと思うし、この年になってちょっとした肉体改造ができたようで、少しばかり自慢に思う。「継続は力なり」と言われるが、これほど体が正直に応えてくれるものだとは予想していなかったので、驚いてもいる。まあ、それはあくまでも外面的なことだけで、健康診断など受けたことがない私は、体内がどうなっているのかは怖くて想像もしたくない。でも、体調が変だなと強く思えば医者にかかればいいわけだし、それで手遅れならばそれも仕方ないことだと、自分に言い聞かせている。
毎晩の鍛錬のセットの中で、今一番注目しているのがバットの素振りである。野球部に所属していたと言っても、小学校と中学校前半だけで、まともな技術も知識も持ち合わせていない私だが、一応松井秀喜と同じ右投げ左打ちで、身長もちょうど同じなので、彼のフォームを見よう見まねで真似しながらバットを振っている。まず両足を開き、膝を少し折って重心を下げる。左肘を上げてバットを握り、真っ直ぐ立てて構える。そこで松井のように右足でタイミングをとったりはしないが、その位置からバットを一直線に振り下ろす。素振りをし始めた頃は、これがなかなかできなかった。バットの重さに負けて、スイングがどうしても波打ってしまった。バットコントロールなんてとんでもない話で、たとえボールに当たったとしても力ない打球しか飛ばなかったことだろう。しかし、今は全く違う。上半身全体についた筋肉のおかげで、自由にバットが操作できる。構えた位置から最短距離で振り下ろすことができるし、最後までバットの軌道をしっかりコントロールできる。今ならバッティングセンターに行っても、見事素晴らしい打球をはじき返せるだけの自信はある。(問題なのは、老眼ぎみのこの目がボールのスピードに付いて行けるかどうかだけだ)
年間通して毎晩こうやってバットを振っていると、季節の移ろいを肌で感じ取ることができる。春から夏にかけて次第に空気が暖まっていくと、汗ばむようになる。盛夏には汗だくになるが、いつの間にか涼しさが増し始めると、体を動かすのが楽になる。やがて秋が過ぎ、冬が近付くにつれ空気が日毎に冷たくなる。真冬の今では、バットを握る手が冷たくかじかみそうになる。それでも何回か振るうちにゆっくりと体が温まって来て、指先もほぐれてくる。しかし、とにかく寒い。白い息を吐きながら、半ばヤケ気味に深夜バットを振るオヤジ・・・とてもいい絵柄とは言えないが、やっている本人はいたって真面目だ。
50回くらいまではなかなか数が増えていかない。くそっ、と思いながら50回まで必死に頑張ると、不思議なことに、後はあっという間に100回までいく。何とか100回振り終えると、仕上げに5回くらい力のこもったスイングをして完了。少し荒くなった息を吐きながら夜空を見上げると、星が凍ったように輝いている。「よし、今日はこれで終わり。明日も頑張るぞ!」そう呟きながら、自宅に戻る。後は風呂に入って寝るだけだ。
この運動が体には心地よい疲れをもたらすのか、入浴後の落ち着いた心持ちも手伝って、ビールを一本も飲めばもうほとんど意識がなくなってしまう。夢見心地でベッドに入ればすぐに眠り込んでしまう。寝つきがすこぶるいい。
さあ、これを書き終わったら、今夜も始めるとするか。
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光と液晶
私のPCが光回線につなげられた。今まではYahoo B.B. の ADSL だったが、LAN を組んで無線で飛ばしていたため、時々不具合が生じて、まったくPC音痴の私には手に手に負えないことが何度かあった。以前から、1回線別に引いてネットを安定させたいと思っていたが、どうせなら光が通じるようになるまでは我慢しようと、時をうかがっていた。やっと私の家の周りにも、光が通じるようになって、待ってましたとばかりに昨年の10月末に申し込んだものが、やっと昨日5日になって我が家に順番が回ってきた。
午前中に回線工事が終って、午後からネットのセットアップをしてくれる予定になっていた。それが、正午少し前に担当者から電話があって、今から伺いますと言って来た。男性なのか女性なのか判然としないような優しい声の持ち主だったが、現れたのは小柄な男性だった。グレイのスーツを着て、ネクタイもちゃんと締めていたその青年は、茶髪で長髪で細眉でピアスで・・・とスーツ姿とはしっくりこない容貌をしていた。しかし、話し方は丁寧で、見た目ほど変な人間ではないのかもしれない、アキバ系と趣は違うが別の意味で典型的な電脳少年なのかもしれないな、と少し話してみて感じた。私が、「今から生徒を送っていくので、1時過ぎまでは戻らない」と言ったら、「いいですよ、3・40分で終りますから」と答えたから、「それではお願いします」と生徒の送迎に出た。しかし、戻ってきても彼はまだPCの前にいた。「ノートンが入っていましたが、どこかにエラーがあって、それごと外すのにちょって時間がかかって・・もうすぐ完了します」と細かく教えてくれても、私には何のことやら分からない。「はあ」と生返事をして授業を行っていたら、いつの間にかいなくなっていた。挨拶くらいしていけよと思ったが、机の上に作業の完了報告書が置いてあって、「授業中のようでしたので、お声を掛けず失礼します」と伝言が書いてあった。まあ、認めのサインは出掛けにしておいたし、ネットもちゃんと通じるようだから、一言残していけば十分だなと思い直した。でも、オタクみたいなのにちゃんとしゃべれるし、無機的な感じもするのにそこそこ気遣いもできるようなので、不思議な人間だなあというのが彼と接した率直な感想だ。でも日常的に彼と接するのは私には厳しいかなと、思わないでもない。
そんなことよりも、光だ。初めてつないだときには画面が今までより鮮明に見えたのはただの気のせいだろうか。速い、速いと言われるが、ブログを読むだけでは何の違いも分からない。試しに画像をダウンロードしてみて驚いた。今まではトン、トン、トンでおりてきた画像が、今はトンと一気に降りてくる。「わあ、すごい!」と思わず叫んでしまったが、画像の速度以外にも色々違いがあるのだろう。それはおいおい実感できるだろうから、これからの楽しみにしておこう。
それともう1つ、私の部屋のTVが液晶になった。私の部屋に今まで置いてあったTVはビデオも内蔵している「テレビデオ」だったが、TVのリモコンが全くきかず、ビデオも見ているとキーキー変な音がするし、録画しても画面がぶれてしまう。もう寿命かなと思っていた昨年末、馴染みの電気屋の店頭に14型の液晶TVがあるのを見つけた。欲しいなあと思って価格を尋ねたら、「地上波デジタルが見えないTVですから、5万円でいいですよ」という返事だった。私は、「安いよね」と隣にいた妻に同意を求めたら、「安いと思うよ」と妻も珍しく私に同意した。気をよくして、「よし、自分へのXマスプレゼントにしよう」と思わず衝動買いをしてしまった。年末は忙しくて部屋の掃除もできないので、年明けに設置してもらうよう頼んでおいたのが、昨日持ってきてくれた。これに、妻から譲り受けたDVD録画機をつないで、BSデジタルチューナー、スカパーも接続してもらった。これで06年の松井の試合を全て録画する態勢は整った。後は松井が、録画した試合を何度も見たいと思わせるような、素晴らしい活躍をしてくれるだけだ。
06年の10大ニュースに必ず入るような出来事が、新年5日目にしてもう起こってしまった。液晶TVはまだ一度も見ていないが、どんな風に見えるんだろう。早く帰って見てみよう、っと。
午前中に回線工事が終って、午後からネットのセットアップをしてくれる予定になっていた。それが、正午少し前に担当者から電話があって、今から伺いますと言って来た。男性なのか女性なのか判然としないような優しい声の持ち主だったが、現れたのは小柄な男性だった。グレイのスーツを着て、ネクタイもちゃんと締めていたその青年は、茶髪で長髪で細眉でピアスで・・・とスーツ姿とはしっくりこない容貌をしていた。しかし、話し方は丁寧で、見た目ほど変な人間ではないのかもしれない、アキバ系と趣は違うが別の意味で典型的な電脳少年なのかもしれないな、と少し話してみて感じた。私が、「今から生徒を送っていくので、1時過ぎまでは戻らない」と言ったら、「いいですよ、3・40分で終りますから」と答えたから、「それではお願いします」と生徒の送迎に出た。しかし、戻ってきても彼はまだPCの前にいた。「ノートンが入っていましたが、どこかにエラーがあって、それごと外すのにちょって時間がかかって・・もうすぐ完了します」と細かく教えてくれても、私には何のことやら分からない。「はあ」と生返事をして授業を行っていたら、いつの間にかいなくなっていた。挨拶くらいしていけよと思ったが、机の上に作業の完了報告書が置いてあって、「授業中のようでしたので、お声を掛けず失礼します」と伝言が書いてあった。まあ、認めのサインは出掛けにしておいたし、ネットもちゃんと通じるようだから、一言残していけば十分だなと思い直した。でも、オタクみたいなのにちゃんとしゃべれるし、無機的な感じもするのにそこそこ気遣いもできるようなので、不思議な人間だなあというのが彼と接した率直な感想だ。でも日常的に彼と接するのは私には厳しいかなと、思わないでもない。
そんなことよりも、光だ。初めてつないだときには画面が今までより鮮明に見えたのはただの気のせいだろうか。速い、速いと言われるが、ブログを読むだけでは何の違いも分からない。試しに画像をダウンロードしてみて驚いた。今まではトン、トン、トンでおりてきた画像が、今はトンと一気に降りてくる。「わあ、すごい!」と思わず叫んでしまったが、画像の速度以外にも色々違いがあるのだろう。それはおいおい実感できるだろうから、これからの楽しみにしておこう。
それともう1つ、私の部屋のTVが液晶になった。私の部屋に今まで置いてあったTVはビデオも内蔵している「テレビデオ」だったが、TVのリモコンが全くきかず、ビデオも見ているとキーキー変な音がするし、録画しても画面がぶれてしまう。もう寿命かなと思っていた昨年末、馴染みの電気屋の店頭に14型の液晶TVがあるのを見つけた。欲しいなあと思って価格を尋ねたら、「地上波デジタルが見えないTVですから、5万円でいいですよ」という返事だった。私は、「安いよね」と隣にいた妻に同意を求めたら、「安いと思うよ」と妻も珍しく私に同意した。気をよくして、「よし、自分へのXマスプレゼントにしよう」と思わず衝動買いをしてしまった。年末は忙しくて部屋の掃除もできないので、年明けに設置してもらうよう頼んでおいたのが、昨日持ってきてくれた。これに、妻から譲り受けたDVD録画機をつないで、BSデジタルチューナー、スカパーも接続してもらった。これで06年の松井の試合を全て録画する態勢は整った。後は松井が、録画した試合を何度も見たいと思わせるような、素晴らしい活躍をしてくれるだけだ。
06年の10大ニュースに必ず入るような出来事が、新年5日目にしてもう起こってしまった。液晶TVはまだ一度も見ていないが、どんな風に見えるんだろう。早く帰って見てみよう、っと。
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初えびす
1月4日は、毎年私にとっては大きな意味を持っている。冬期講習として受験生を対象にした授業は2日から行っているが、4日は通常の授業を始める日となっていて(この日が日曜となる場合は5日から)、正月気分を完全に払拭しなければならない日である。生徒たちはまだまだ正月が続いているようで、欠席した者もちらほらいたが、私としてはいよいよ3月までの長い受験シーズンが、本格的に開幕したと、身の引き締まる思いがする日である。今年は寒さが例年になく厳しいから、体調管理をしっかりして、生徒たちの夢が叶うよう、ひたすら頑張らなければならない。
と同時に、4日は授業が終った後、11時半過ぎから「初えびす」という当地では恒例となっている神事に赴かなければならない。これを説明するために、少し調べてみたのだが、1月10日に「初えびす」を行う神社が関東・関西では一般的なようだ。5日を「初えびす」としているのは愛知県を中心とした地域に多いようだ。私の住む地方では、名古屋の熱田神宮の「初えびす」が一番盛大なようなので、HPからその様子を以下にコピーする。
南門の西側に鎮座する、上知我麻神社・大国主社・事代主社において、商売繁昌と家内安全を祈願するお祭りを執り行います。
「あきないえびす」や「はたらきえびす」など商売繁昌・家内安全の一番札や、福をかき寄せる「福熊手」を受けようと、つめかけた数千人の参拝者で境内は熱気に包まれます。
私が毎年行くところは、自宅から車で10分ほど行った山の中腹にある寺だ。寺に何故えびすという神が祀られているのか、よく考えてみると不思議だが、その謂れを尋ねようにも、住職が常駐していないような小さな寺なので、調べようがない。田舎のことだから、神仏混合で祀ってあるのかもしれないが、その辺りのおおらかさが愉快だと言えなくもない。午前0時から、えびすと大黒が描かれたお札が売りに出される。それを求めに私たち(父と娘と息子)が境内に着いた頃には、もう100人以上の人が並んでいた。何本も太い薪をくべた焚き火が、大きな炎を立ち上げている周りを、ぐるりと囲むように行列ができている。その近くには、お神酒や汁粉、甘酒などが用意され、自由に飲んでいいようになっている。私は娘の運転で来たため、心配せずにお神酒を頂ける。父も枡に塩をのせてありがたく頂いている。息子までが調子に乗って飲んでいる。全くしようがない奴だ。
12時になると、太鼓が打ち鳴らされ読経が始まる。それを合図にお札が売られ始め、30分ほど待ったら私たちも買うことができた。1000円払うとお札が頂け、その上、何故だかくじ引きをする。うまく当たればTVや自転車など結構な物がもらえる。しかし、かれこれ25年以上ずっと来ているが、バケツやタワシ以上の物が当たった例がない。どうしてこんなサービスがあるのか知らないが、私の住む地域の神社では、初えびす恒例の行事となっているようだ。
くじの結果は「菜ばし」だったが、こんなことで運を使い果たすのも損だと思い直して、交通安全のお守りを買った。毎年ここで所有している車全てにお守りを買っているが、昨年から1つ1000円に値上がりした。今年は娘の車が1台増えたため、父の分も含め、合計7台分のお守りを買った。これだけで安心なわけではない。安全運転の意識を高め、決して事故が起こらないよう皆が集中して運転しなければならない。
思えば母の存命中には二人だけで何年もこの初えびすに参拝したものだ。今は、父と娘と息子の4人でやって来るのが決まりとなっている。私は子供たちが小さい頃には、深夜子供連れで初詣でできる日が来るのを夢見ていた。その夢が叶った今では、来年も再来年もこうやって皆で参拝することができたらいいなとそれしか考えていない。とりあえず、来年は息子がセンター試験を直前に控えて、参加しないだろうから、父と娘の3人で元気で初えびすに参拝できることを祈ってやまない。
信心などまるでない私だが、妻も寒いなどと言わずに一回くらい一緒に来ればいいのに、と毎年思っている。
と同時に、4日は授業が終った後、11時半過ぎから「初えびす」という当地では恒例となっている神事に赴かなければならない。これを説明するために、少し調べてみたのだが、1月10日に「初えびす」を行う神社が関東・関西では一般的なようだ。5日を「初えびす」としているのは愛知県を中心とした地域に多いようだ。私の住む地方では、名古屋の熱田神宮の「初えびす」が一番盛大なようなので、HPからその様子を以下にコピーする。
南門の西側に鎮座する、上知我麻神社・大国主社・事代主社において、商売繁昌と家内安全を祈願するお祭りを執り行います。
「あきないえびす」や「はたらきえびす」など商売繁昌・家内安全の一番札や、福をかき寄せる「福熊手」を受けようと、つめかけた数千人の参拝者で境内は熱気に包まれます。
私が毎年行くところは、自宅から車で10分ほど行った山の中腹にある寺だ。寺に何故えびすという神が祀られているのか、よく考えてみると不思議だが、その謂れを尋ねようにも、住職が常駐していないような小さな寺なので、調べようがない。田舎のことだから、神仏混合で祀ってあるのかもしれないが、その辺りのおおらかさが愉快だと言えなくもない。午前0時から、えびすと大黒が描かれたお札が売りに出される。それを求めに私たち(父と娘と息子)が境内に着いた頃には、もう100人以上の人が並んでいた。何本も太い薪をくべた焚き火が、大きな炎を立ち上げている周りを、ぐるりと囲むように行列ができている。その近くには、お神酒や汁粉、甘酒などが用意され、自由に飲んでいいようになっている。私は娘の運転で来たため、心配せずにお神酒を頂ける。父も枡に塩をのせてありがたく頂いている。息子までが調子に乗って飲んでいる。全くしようがない奴だ。
12時になると、太鼓が打ち鳴らされ読経が始まる。それを合図にお札が売られ始め、30分ほど待ったら私たちも買うことができた。1000円払うとお札が頂け、その上、何故だかくじ引きをする。うまく当たればTVや自転車など結構な物がもらえる。しかし、かれこれ25年以上ずっと来ているが、バケツやタワシ以上の物が当たった例がない。どうしてこんなサービスがあるのか知らないが、私の住む地域の神社では、初えびす恒例の行事となっているようだ。
くじの結果は「菜ばし」だったが、こんなことで運を使い果たすのも損だと思い直して、交通安全のお守りを買った。毎年ここで所有している車全てにお守りを買っているが、昨年から1つ1000円に値上がりした。今年は娘の車が1台増えたため、父の分も含め、合計7台分のお守りを買った。これだけで安心なわけではない。安全運転の意識を高め、決して事故が起こらないよう皆が集中して運転しなければならない。
思えば母の存命中には二人だけで何年もこの初えびすに参拝したものだ。今は、父と娘と息子の4人でやって来るのが決まりとなっている。私は子供たちが小さい頃には、深夜子供連れで初詣でできる日が来るのを夢見ていた。その夢が叶った今では、来年も再来年もこうやって皆で参拝することができたらいいなとそれしか考えていない。とりあえず、来年は息子がセンター試験を直前に控えて、参加しないだろうから、父と娘の3人で元気で初えびすに参拝できることを祈ってやまない。
信心などまるでない私だが、妻も寒いなどと言わずに一回くらい一緒に来ればいいのに、と毎年思っている。
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スターウオーズ(2)
やっと見れた。「スターウオーズ・エピソード3・シスの復讐」のDVDを元日と2日で見終った。率直な感想は「素晴らしい」の一言だ。エピソード2が何だか安手のラブストーリーのようで、正直がっかりしていたものだから、余計に感動したのかもしれない。しかし、見終わった直後に、最初の3部作を続けてもう一度見たいと思ったほど、ストーリーに整合性があって、うまくできていたと私は思う。
確かに、アナキンが何故あれほど簡単に暗黒面にとらわれてしまったのか、解せない面はあるが、それでもアナキン役のへイデン・クリステンセンの顔を見ていれば、野心に溢れた若者ならそういうこともありうるだろうな、と思わせるだけの迫力があった。今時、私の周りにあれほどの顔つきをした猛々しい若者はいない。己の力を信じ、愛する者を守ろうとするのなら、悪魔に魂を売ることもあるのかなと見る者に思わせるだけの力がこの俳優にはある。かつて日本にもあんな顔をした若者達がゴロゴロしていたんだろう。それが今では、年末に放送された格闘技番組くらいでしか、荒々しい顔を見かけなくなったのは、日本が穏やかな国である証拠なのだろうが、どこか物足りない気がしてしまう。なんだか年寄りくさいことを言ってしまったが、彼の演技があったからこそ、アナキンがダースベーダーとなってしまう必然性が納得できるのだと思う。
映像はCGがここまで進化したのかと思わせるほどのものだった。TVゲームの世界に生の人間が入り込んで行って、暴れまくるような印象を受けた。ヨーダの動きとかオビワンの戦闘シーンとか、CGで溢れているのだろうが、作り物だと思えないような映像で臨場感で溢れていた。特に色彩が今までとは違って鮮やかだったと思う。背景の色使いもその場その場での状況をそれとなく暗示しているようで、デテールまで計算し尽くされているように感じた。完結編として、「スターウオーズ」の魅力を全て見る者に味あわせてくれたと思う。
ジョージ・ルーカス監督は、「スターウオーズ」を「ダーズベイダーの贖罪の物語」だと語っているそうだが、エピソード1~6の全編を通して考えればその通りだろう。ルークもレイア姫もダースベイダーの子供なのだから、物語の主人公はダースベイダーなのだろう。始めからその意図を持って作られていたとするならば、実に壮大な物語だ。改めてこの作品のすごさに驚く。
思えば「スターウオーズ」の第一作が発表されたのが1977年、私が大学1年の時だった。一度京都で友人と見て、こんなすごい映画見たことない、と名古屋で妻と2回ほど見た。それ以来、80年の「帝国の逆襲」83年の「ジェダイの帰還」と必ず映画館に足を運び、TV放映などもあって何度見たのかも覚えていないほどだ。ここまでは妻も一緒に見ているはずだ。彼女は、ハリソン・フォードが演じるハン・ソロの大ファンで、彼が出なくなったその後の映画は魅力に欠けるとばかりに見ていないと思う。極端な奴だが、それも1つの楽しみ方なのかもしれない。
99年の第4作「ファントム・メナス」まで随分間が空いた。その間に私には子供が生まれ、この作品からは成長した息子と一緒に見るようになった。息子もそれなりに楽しかったと見えて、次の「クローンの攻撃」は早く見に行こうと請求されたし、今回の「シスの復讐」では私が行くのを待ちきれずに、友人と見てきてしまった。同伴者を失った私はついつい映画館に行きそびれてしまった。そのせいで、ここまで見るのが遅れてしまったのだが、見て本当によかったと実感している。同時期に買った「ハウルの動く城」が期待はずれだっただけに、「スターウオーズ」までがつまらなかったら最悪だったが、そんなことがなくてホッとしている。
それにしても「スターウーズ」の歴史を振り返ってみることが、私の半生を振り返ることになるとは面白い。また、親子で楽しめる映画というものがあるのは素晴らしいことだと思う。でも、やっぱり劇場で見なければ本当に「スターウオーズ」を楽しんだとは言えないだろうと思う。今となってはどうしようもないから、せめてエピソード1から6までのDVDはちゃんと揃えておいて、折々に楽しみたいと思っている。
確かに、アナキンが何故あれほど簡単に暗黒面にとらわれてしまったのか、解せない面はあるが、それでもアナキン役のへイデン・クリステンセンの顔を見ていれば、野心に溢れた若者ならそういうこともありうるだろうな、と思わせるだけの迫力があった。今時、私の周りにあれほどの顔つきをした猛々しい若者はいない。己の力を信じ、愛する者を守ろうとするのなら、悪魔に魂を売ることもあるのかなと見る者に思わせるだけの力がこの俳優にはある。かつて日本にもあんな顔をした若者達がゴロゴロしていたんだろう。それが今では、年末に放送された格闘技番組くらいでしか、荒々しい顔を見かけなくなったのは、日本が穏やかな国である証拠なのだろうが、どこか物足りない気がしてしまう。なんだか年寄りくさいことを言ってしまったが、彼の演技があったからこそ、アナキンがダースベーダーとなってしまう必然性が納得できるのだと思う。
映像はCGがここまで進化したのかと思わせるほどのものだった。TVゲームの世界に生の人間が入り込んで行って、暴れまくるような印象を受けた。ヨーダの動きとかオビワンの戦闘シーンとか、CGで溢れているのだろうが、作り物だと思えないような映像で臨場感で溢れていた。特に色彩が今までとは違って鮮やかだったと思う。背景の色使いもその場その場での状況をそれとなく暗示しているようで、デテールまで計算し尽くされているように感じた。完結編として、「スターウオーズ」の魅力を全て見る者に味あわせてくれたと思う。
ジョージ・ルーカス監督は、「スターウオーズ」を「ダーズベイダーの贖罪の物語」だと語っているそうだが、エピソード1~6の全編を通して考えればその通りだろう。ルークもレイア姫もダースベイダーの子供なのだから、物語の主人公はダースベイダーなのだろう。始めからその意図を持って作られていたとするならば、実に壮大な物語だ。改めてこの作品のすごさに驚く。
思えば「スターウオーズ」の第一作が発表されたのが1977年、私が大学1年の時だった。一度京都で友人と見て、こんなすごい映画見たことない、と名古屋で妻と2回ほど見た。それ以来、80年の「帝国の逆襲」83年の「ジェダイの帰還」と必ず映画館に足を運び、TV放映などもあって何度見たのかも覚えていないほどだ。ここまでは妻も一緒に見ているはずだ。彼女は、ハリソン・フォードが演じるハン・ソロの大ファンで、彼が出なくなったその後の映画は魅力に欠けるとばかりに見ていないと思う。極端な奴だが、それも1つの楽しみ方なのかもしれない。
99年の第4作「ファントム・メナス」まで随分間が空いた。その間に私には子供が生まれ、この作品からは成長した息子と一緒に見るようになった。息子もそれなりに楽しかったと見えて、次の「クローンの攻撃」は早く見に行こうと請求されたし、今回の「シスの復讐」では私が行くのを待ちきれずに、友人と見てきてしまった。同伴者を失った私はついつい映画館に行きそびれてしまった。そのせいで、ここまで見るのが遅れてしまったのだが、見て本当によかったと実感している。同時期に買った「ハウルの動く城」が期待はずれだっただけに、「スターウオーズ」までがつまらなかったら最悪だったが、そんなことがなくてホッとしている。
それにしても「スターウーズ」の歴史を振り返ってみることが、私の半生を振り返ることになるとは面白い。また、親子で楽しめる映画というものがあるのは素晴らしいことだと思う。でも、やっぱり劇場で見なければ本当に「スターウオーズ」を楽しんだとは言えないだろうと思う。今となってはどうしようもないから、せめてエピソード1から6までのDVDはちゃんと揃えておいて、折々に楽しみたいと思っている。
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双子(6)
前回の双子シリーズは私の不徳のいたすところによって、グチャグチャになってしまったが、今回は落ち着いて書くことができる。
1月2日は、私の母方の親戚が母の実家に集まる日である。総勢17人いる従兄弟の大部分が集結する一大イベントであり、お年玉の交換会も兼ねているため、出席しないわけにはいかない。私は3時過ぎまで塾があったため、実家に行ったのは4時近くだったが、さすがに参加者はかなり出来上がっている状態で、駆けつけ3杯とばかりに、ビールが私の手元に集まってきた。そこで焦ってガブガブ飲むほど初心ではないけれど、お正月につき遠慮なしに頂いた。近くに住む従兄弟が大部分だが、一人仕事の都合で東京に住んでいる者がいる。1年ぶりに顔を合わせたが元気そうなのは何よりだ。彼から年下のメンバーは全て私の塾で学んだ者たちであり、塾の同窓会のような錯覚を抱かせるほどだが、誰もが皆元気そうで、つつがないことは心から喜ばしいことだった。
程なく、弟一家も到着した。不思議なことに双子たちが泣かない。同世代の子供がたくさんいたせいかもしれないが、親の手元から離れはしないものの、時には笑顔を見せたりして、なかなかの評判を得ている。これならひょっとして、と私が近付いていって、手を差し出したところ、例の如く私に抱かれようとはしない。やっぱり、と諦めるしかなかったが、いつになったら簡単に抱きかかえることができるようになるだろう。前と比べれば、少しは慣れてはきたようだが、まだまだ時間がかかりそうだ。悲しき伯父はもうちょっと、努力しなければならないらしい。
5時過ぎまで実家にいて、それからは父主催の食事会が私の兄弟家族を集めて行われた。年末に予約を取っておいたレストランに娘の運転で向かったのだが、まだまだスリルを味わえる。ギャーギャー叫びながら、何とかたどり着くことができたが、これでは京都まで車を持っていくことなどまだまだ許可できない。祖父から譲り受けたマーチだが、ミッションであるため、慣れるのに時間がかかりそうだが、昨今の簡単に運転できる車と違って、ギアを換えなけりゃならないのは、娘のこれからのドライブ人生にとっては好影響をもたらすものだと、私は思っている。
年に一度父が大盤振る舞いをしてくれる恒例の行事だけに、遠慮なしに注文できて楽しい。息子など、私の弟に誘われて、ワインを飲んでいる。未成年のくせにというそしりを覚悟して言うが、息子は自分専用のワインセラーを持っている。何でそんなことになったのかよく分からないが、中学3年生の頃にワインに興味を持ち始め、自分のワインセラーを購入したのだが、その中には私が誕生日の記念に買ってやった1988年もののワインの他、何本かが収められている。家の外で飲酒することは禁止してあるし、年に何度も飲むわけでもないから、少しくらい大人の気分を味あわせてやるのもいいかと、大目に見てやった。でも、少し飲みすぎたようで、帰宅した後も赤い顔をしていつもと様子が違っていた。
双子たちも一旦我が家へ立ち寄った。さすがにこれだけ一緒にいれば慣れたようで、家に入っても泣いたりしない。二人でがさごそ遊んでいる。全員が居間に集まって一緒に遊んでいたが、娘が小さい頃遊んでいた積み木をどこからか出してきた。カビ臭くてとてもこのままじゃ遊ばせることもできないので、風呂場に行って洗ってやって、除菌ペーパーでふき取ってから渡してやった。すると、積み木遊びは二人とも好きらしく、叫び声をあげながら楽しそうに遊んだ。じっと見ていると、姪のほうは実に表情が豊かだ。顔も随分可愛らしくなって、にっこりしたりすると本当に愛らしい。甥は暴れん坊だが、こちらも目がパッチリして見違えるくらい可愛くなった。二人を見守る弟も、可愛くて仕方がないといった様子でこまめに世話を焼いている。義妹は鷹揚に構えて、母親らしくなった。私はいつも心の隅で彼らのことを気にかけているのだが、これならすくすくと成長していくだろうなと安心できて嬉しくなった。
8時半頃に帰り支度を始めた子供たちを見ていたら、去年私が買ってやった上着が丁度いい大きさになっている。大きくなったなと実感したが、今年の秋には新しい上着を買ってやらなけりゃいけないだろう。
弟一家を送り出しながら、いい伯父さんになるのも結構大変なもんだなと思った。
1月2日は、私の母方の親戚が母の実家に集まる日である。総勢17人いる従兄弟の大部分が集結する一大イベントであり、お年玉の交換会も兼ねているため、出席しないわけにはいかない。私は3時過ぎまで塾があったため、実家に行ったのは4時近くだったが、さすがに参加者はかなり出来上がっている状態で、駆けつけ3杯とばかりに、ビールが私の手元に集まってきた。そこで焦ってガブガブ飲むほど初心ではないけれど、お正月につき遠慮なしに頂いた。近くに住む従兄弟が大部分だが、一人仕事の都合で東京に住んでいる者がいる。1年ぶりに顔を合わせたが元気そうなのは何よりだ。彼から年下のメンバーは全て私の塾で学んだ者たちであり、塾の同窓会のような錯覚を抱かせるほどだが、誰もが皆元気そうで、つつがないことは心から喜ばしいことだった。
程なく、弟一家も到着した。不思議なことに双子たちが泣かない。同世代の子供がたくさんいたせいかもしれないが、親の手元から離れはしないものの、時には笑顔を見せたりして、なかなかの評判を得ている。これならひょっとして、と私が近付いていって、手を差し出したところ、例の如く私に抱かれようとはしない。やっぱり、と諦めるしかなかったが、いつになったら簡単に抱きかかえることができるようになるだろう。前と比べれば、少しは慣れてはきたようだが、まだまだ時間がかかりそうだ。悲しき伯父はもうちょっと、努力しなければならないらしい。
5時過ぎまで実家にいて、それからは父主催の食事会が私の兄弟家族を集めて行われた。年末に予約を取っておいたレストランに娘の運転で向かったのだが、まだまだスリルを味わえる。ギャーギャー叫びながら、何とかたどり着くことができたが、これでは京都まで車を持っていくことなどまだまだ許可できない。祖父から譲り受けたマーチだが、ミッションであるため、慣れるのに時間がかかりそうだが、昨今の簡単に運転できる車と違って、ギアを換えなけりゃならないのは、娘のこれからのドライブ人生にとっては好影響をもたらすものだと、私は思っている。
年に一度父が大盤振る舞いをしてくれる恒例の行事だけに、遠慮なしに注文できて楽しい。息子など、私の弟に誘われて、ワインを飲んでいる。未成年のくせにというそしりを覚悟して言うが、息子は自分専用のワインセラーを持っている。何でそんなことになったのかよく分からないが、中学3年生の頃にワインに興味を持ち始め、自分のワインセラーを購入したのだが、その中には私が誕生日の記念に買ってやった1988年もののワインの他、何本かが収められている。家の外で飲酒することは禁止してあるし、年に何度も飲むわけでもないから、少しくらい大人の気分を味あわせてやるのもいいかと、大目に見てやった。でも、少し飲みすぎたようで、帰宅した後も赤い顔をしていつもと様子が違っていた。
双子たちも一旦我が家へ立ち寄った。さすがにこれだけ一緒にいれば慣れたようで、家に入っても泣いたりしない。二人でがさごそ遊んでいる。全員が居間に集まって一緒に遊んでいたが、娘が小さい頃遊んでいた積み木をどこからか出してきた。カビ臭くてとてもこのままじゃ遊ばせることもできないので、風呂場に行って洗ってやって、除菌ペーパーでふき取ってから渡してやった。すると、積み木遊びは二人とも好きらしく、叫び声をあげながら楽しそうに遊んだ。じっと見ていると、姪のほうは実に表情が豊かだ。顔も随分可愛らしくなって、にっこりしたりすると本当に愛らしい。甥は暴れん坊だが、こちらも目がパッチリして見違えるくらい可愛くなった。二人を見守る弟も、可愛くて仕方がないといった様子でこまめに世話を焼いている。義妹は鷹揚に構えて、母親らしくなった。私はいつも心の隅で彼らのことを気にかけているのだが、これならすくすくと成長していくだろうなと安心できて嬉しくなった。
8時半頃に帰り支度を始めた子供たちを見ていたら、去年私が買ってやった上着が丁度いい大きさになっている。大きくなったなと実感したが、今年の秋には新しい上着を買ってやらなけりゃいけないだろう。
弟一家を送り出しながら、いい伯父さんになるのも結構大変なもんだなと思った。
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のんびり
元日の朝は、妻から「お雑煮できたよ」と9:30頃に起こされた。思ったほど酒は残っていないし、それなりに元気かなと思いながら、雑煮を食べた。だが、妻がしきりに「眠い、眠い」と連発し、子供たちは起きてくる気配もないから、どうしようかと思っているうちに、「いいやもう一回寝てやれ」と決めた。妻に「やっぱり寝てくる」と告げてベッドに戻った。すると、本当にすぐに寝付いてしまって、目が覚めたら12:30だった。階下では妻と娘・息子の話し声が聞こえる。昼過ぎまで寝たなんて何年ぶりだろうと、驚きながら台所へ行くと3人が楽しそうに話をしている。皆私のことなど気にかけずに話し続けていたから、居間に行ってソファーに寝転がってTVを点けた。当たり前のように毎年恒例の番組しかやっていないからボーッと眺めていたが、それでも時にはチャンネルを換えながら見ていたら、いつの間にか3時になった。こんなことだったら、DVDでも見ればよかったと、少し後悔して台所に行ったところ、3人はまだ話し続けていた。よくもまあ、話すことがあるもんだと思ったが、私は少し空腹を感じたので、「デニーズへ行こう」と誘ってみた。すると、まばらな反応ながら、年賀状を出しがてら出かけてもいいか、ということに話がまとまった。じゃあ、「お前が運転していけよ」と娘に言ってやったら、「うん」と素直に応じた。昨夜の初詣で大分肝を冷やしたが、なにせあの時は私が酔っ払っていたから、さほど怖くはなかったが、素面で横に乗るのはこれが初めてだ。ちょっと緊張したが、そこそこのハンドルさばきで何とかデニーズまでたどり着けた。
やっぱり娘は元気だ。デニーズではひとりでべらべらしゃべり続けていた。店にあったバイトの求人雑誌を取ってきて、名古屋は京都より時給が高いだとか、こうした広告の枠は、1:1.6 の黄金比でできていて、ハンバーグも黄金比で作るとおいしいだとか、とりとめのないことを話す。息子はそんな話を真剣に聞いているが、如何せん頭の回転がついていかないので、トンチンカンなことを言っては娘からたしなめられる。この2人の取り合わせは天の配剤の妙と言えなくもないが、来年大学受験を迎える息子にはさらなる向上を望みたくなる。これでもかなり大人になってきたのだけれど・・・
帰宅して、さあこれから寝るまで何をしようかと考えた。今度こそ「スターウオーズ」のDVDを見ようかと思ったのだが、あっと思い直して、村上春樹の「東京奇譚集」を読むことにした。今まで村上春樹はあまり読んだことはなかったが、一度ちゃんと読んでみようと年末に購入してあった。元日に読書などというものはあまりしたことがない。いつも酔っ払ってはTVで愚にもつかない番組を半分居眠りしながら見ているだけだから、私としてはかなり画期的な試みだった。読み易い作家だとは思っていたが、短編5作をすらすらと、あっという間に読了した。帯に「不思議な、あやしい、ありそうにない話。しかしどこか、あなたの近くで起こっているかもしれない物語」と紹介がある。確かにそういう物語を集めたものだが、私はその中でも最初の「偶然の旅人」が一番面白かった。題名の通りに、偶然が積み重なって1つの出来事が起こる不思議さを描いた物語だが、私は話の内容から少し外れているかもしれないが、主人公(?)の次の言葉が印象に残った。
「かたちのあるものと、かたちのないものと、どちらかを選ばなくちゃならないとしたら、かたちのないものを選べ。それが僕のルールです。壁に突きあたったときにはいつもそのルールに従ってきたし、長い目で見ればそれが良い結果を生んだと思う。そのときはきつかったとしてもね。」
これは彼の経験則らしいが、私はどうだろう。今までそんな二者択一の場面に立ち会ったことがあるだろうか。形のあるもの(=物質)とかたちのないもの(=精神)との狭間で選択をしなけりゃならない場面が果たしてあっただろうか。うーん、あったような、ないような・・・
まあ、心がこんなにゆったりしている時にそんな難しいことを考えるのはやめておいたほうがいい。もう、2日から塾だし・・・
やっぱり娘は元気だ。デニーズではひとりでべらべらしゃべり続けていた。店にあったバイトの求人雑誌を取ってきて、名古屋は京都より時給が高いだとか、こうした広告の枠は、1:1.6 の黄金比でできていて、ハンバーグも黄金比で作るとおいしいだとか、とりとめのないことを話す。息子はそんな話を真剣に聞いているが、如何せん頭の回転がついていかないので、トンチンカンなことを言っては娘からたしなめられる。この2人の取り合わせは天の配剤の妙と言えなくもないが、来年大学受験を迎える息子にはさらなる向上を望みたくなる。これでもかなり大人になってきたのだけれど・・・
帰宅して、さあこれから寝るまで何をしようかと考えた。今度こそ「スターウオーズ」のDVDを見ようかと思ったのだが、あっと思い直して、村上春樹の「東京奇譚集」を読むことにした。今まで村上春樹はあまり読んだことはなかったが、一度ちゃんと読んでみようと年末に購入してあった。元日に読書などというものはあまりしたことがない。いつも酔っ払ってはTVで愚にもつかない番組を半分居眠りしながら見ているだけだから、私としてはかなり画期的な試みだった。読み易い作家だとは思っていたが、短編5作をすらすらと、あっという間に読了した。帯に「不思議な、あやしい、ありそうにない話。しかしどこか、あなたの近くで起こっているかもしれない物語」と紹介がある。確かにそういう物語を集めたものだが、私はその中でも最初の「偶然の旅人」が一番面白かった。題名の通りに、偶然が積み重なって1つの出来事が起こる不思議さを描いた物語だが、私は話の内容から少し外れているかもしれないが、主人公(?)の次の言葉が印象に残った。
「かたちのあるものと、かたちのないものと、どちらかを選ばなくちゃならないとしたら、かたちのないものを選べ。それが僕のルールです。壁に突きあたったときにはいつもそのルールに従ってきたし、長い目で見ればそれが良い結果を生んだと思う。そのときはきつかったとしてもね。」
これは彼の経験則らしいが、私はどうだろう。今までそんな二者択一の場面に立ち会ったことがあるだろうか。形のあるもの(=物質)とかたちのないもの(=精神)との狭間で選択をしなけりゃならない場面が果たしてあっただろうか。うーん、あったような、ないような・・・
まあ、心がこんなにゆったりしている時にそんな難しいことを考えるのはやめておいたほうがいい。もう、2日から塾だし・・・
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