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センター試験

 私はセンター試験は言うまでもなく、前身の共通一次試験も受けていない。私たちの2学年下から共通一次試験が導入され、2浪した友人は新制度で苦労したことを覚えている。私たちの頃は、国公立大学が一期、二期と分かれていて、一期校の発表が終ってから二期校の入試が行われていたと思う。今の分離分割方式もなんだか訳が分からないが(後期試験廃止の動きは進んでいるが)、当時の一期校・二期校と言うのもふざけた制度であったと今は思う。
それにしても、センター試験は雪にたたられることが多い。私の娘が受験した2年前も、1日目は雪が舞い、2日目は道路が凍結してしまって、試験会場まで妻が必死の思いで車で送って行った。今年も雪で交通機関の乱れが心配される。何もこんな時期に試験を行わなくてもと毎年思うが、スケジュール的にどうしようもないことなのだろう。それだけに様々なアクシデントに備えるだけの体力と精神的タフさを身に付けておかなければいけない。それで思い出すのが娘のセンター試験だ。
 1日目の英語の時間に、急にお腹が痛くなりだした。我慢すればできそうだったが、グズグズしているよりスパッとトイレに行ったほうがすっきりして落ち着いてできるだろうと瞬時に判断し、手を挙げ、許しを得てトイレに行ったそうだ。「戻ってきてパパッと仕上げたら、15分も時間が余っちゃった」帰宅して、あっけらかんとこう話した娘を見て、こんな冷静な判断ができるんだからこの試験はきっとうまくいくだろうと思った。17・8の女の子では「試験中にトイレに行くなんて恥ずかしくてできない、我慢しよう」という子が多いだろうが(たぶん私もそうしただろう)、自分が今何をしなければならないかを判断し、それを実践できるだけの意志を持った一個の人間に成長した証だと思って、娘が妙に頼もしく見えた。
 しかし、そんなファインプレイができたかと思えば、トンチンカンなことも平気でしてしまうのが私の娘だ。2日目の終了後自己採点を終えて、予想以上の点が取れて大喜びしていたはずの娘が、深夜近くなって、「数ⅡBのマークシートに名前を書き忘れたかもしれない」と言い出した。「書いたとは思うんだけど、自信がないなあ」そう言う本人はさほど深刻そうではないが、聞いた私は顔面蒼白になった。「えっ、もしそうなら0点になってしまう。それどころか数ⅡBを受けていないことになって必要科目不足で受験できなくなってしまうぞ」「たぶんいいとは思うけど・・まあ、今さらどうしようもないし」とけろっとしている。「私立に出願して、もし名前が書いてなくて0点ならどこも受からないし、逆に受かってたら名前が書いてあった証拠になるから、そこでわかるよ」こんな度胸が座ったことが言えるのは私の遺伝ではない。妻の血が濃く流れているからだ、私ならとてもこんな平気ではいられない・・・
 結果は、センター出願した私立大学は全部合格したから、ちゃんと名前は書いてあったのだろうが、それまでは私には不安な日々が続いた。(豪胆な妻と娘はすぐにそんなことは忘れていたようだが)
 しかし、センター試験で今までに一番驚いたのは娘の一学年上の生徒が受験したときだった。私が塾で授業をしていたところに緊急な用件だと一人の塾生から電話が入った。「H君が国語の試験科目を間違えて受験したって今携帯にかかってきたんだけど大丈夫なの?」「何だって?」「国語Ⅰ・Ⅱを受けなきゃいけないのに間違えて国語Ⅰを受けたらしい」「本当か・・じゃあ、すぐ塾に電話して来いと言ってくれ」私はすぐに国語Ⅰでも受験できる国公立大学を調べた。幸い彼は理系だったため、国語Ⅰでも行ける学校が結構見つかった。勿論第一志望校はダメになってしまったが、まだまだ何とかなる。しばらくして電話してきたH君に、「受験できるところはたくさんあるからとにかく落ち着いて残りの科目を頑張れ」と告げた。最初彼はすごく動揺していて蚊の鳴くような声だったが、私の話を聞いて何とか気を取り直すことができたようだ。残りの科目も気力で何とか乗り越えて、今は岩手大学に通っているが、この話は入試会場で注意すべきことを話す時の好例とさせてもらっている。
 入試は途中で諦めてはダメだ。最後まで粘り強く集中して、自分の持てる力を120%出すようにしなければいけない。

 受験生よ、頑張れ!!
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いざ!

 いよいよ入試が始まる。この日のためにずっと頑張ってきた生徒たちが日頃の成果を試すときがやってきた。私にとっても己のやってきたことが正しかったどうか審判が下される時であるから、心は自ずと引き締まる。
 21日(土)にセンター試験が始まる。しかし、高校3年生ともなると自分たちの力でなんとか乗り越えて行ってくれるので、さほど心配はしないですむのだが、私立中学入試の場合はとてもそんな余裕を持ってはいられない。まず21日に最初の入試がある。偏差値的には低い学校だが、ここで入試本番のピーンと張りつめた空気を体験させ、少しでも場馴れさせようという意図の下に受験させるため、逆に絶対に取りこぼしができない。子供たちには普段どおりにやれば必ず合格できる学校だから、とにかく落ち着いて本番の試験がどんなものなのかをしっかり味わって来い、と言い聞かせている。
 その後、1週間毎の土・日に、当地の私立中学入試が行われるため、生活のリズムや体調を整えながら、2月12日の最終の入試まで決して気を抜くことができない日々が続く。受験生も私も長く苦しい戦いになるが、良い結果を信じて頑張るしかない。
 しかし、ここまで来たら、どれだけ勉強したかではなく、どれだけ落ち着いて普段の力が出せるかが合否の分かれ目となる。いくら模試などで合格確率が低いとされた生徒でも、何かの拍子に受かってしまうことがあるのが中学入試だ。それだけ小学生には不確定要素が多い。当日の体調は勿論のことだが、気持ちの持ちよう如何でかなりのプラスαが期待できる。昨年も、中堅校までしか合格できないだろうと私が危ぶんでいた生徒が、一気に上昇気流に乗って受験した学校全て、トップ校まで合格したのには驚いた。少子化とゆとり教育の影響によって、私立中の合格レベルは年々確実に下がってはいるが、私の予想をはるかに超えたこの生徒の強運さ、本番での強さには本当に舌を巻いたし、小学生の可能性を大人の柔軟性に欠けた頭で判断してはいけないと、目から鱗が落ちた思いだった。
 しかし、この小学生の土壇場での踏ん張りを引き出したのは、私の塾秘伝の「梅干」であると私は密かに思っている。以前も書いたことがあるが、京都北野天満宮で販売されている「神梅」なるものを受験生全員に配り、実を食べて残った種をお守りとして携行すれば「受験の神様がきっと力を貸してくれる」と勇気付ける。すると皆素直に受け取って、食べられる者はその場で食べ、梅干が苦手な者は家に持ち帰って家族に食べてもらい、種をお守りとして大切に持って行ってくれる。中には何故梅干なのかと尋ねる者もいるので、「それはその神社に菅原道真が祀られているからだ。菅原道真といえば学問の神様だ。学問の神様が祀られた神社の境内にある梅の木から採れた梅を使っているから、効果抜群に決まっている。信じてちゃんと持っていろよ」と怪しい宗教家めいた言葉で子供たちに説明する。すると、さすがに受験勉強を重ねてきた者たちには「菅原道真」の名前は心に響くらしく、それ以上誰も文句は言わない。こうやって少しでも子供たちの心の支えとなり、自信を持って試験に臨むことができればと願って、もう10年以上続けている。目に見えぬ効果は必ずあると、私は信じている。
 この梅干は昨年から京都に住んでいる娘が北野天満宮まで出向き、参拝し、絵馬に塾生全員の合格祈願をしたためた上で買ったものを宅配便で送ってくれるようになった。今年も先日送ってきてくれたが、包みを開けてびっくりした。一箱の中に入っている梅の数が明らかに昨年より減っている。以前は箱にびっしり詰まっていたのが年々減ってきて、今年はとうとう12個になってしまった。3箱送ってくれたが、これでは小中高全ての受験生に配るには数が足りない。「う~ん、困った」と唸りながらも、とりあえず今週末に受験する小学生・高校生に配った。「必ず受かるからね、心配するなよ」と一人一人を勇気付けながら。
 よし、これで準備万端整った。

「落ち着いて、焦らずにしっかり問題を読みさえすれば必ず合格するんだから、自信を持って全力を尽くして来いよ」

 あとは祈るばかりである。

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「大人」がいない・・・

 清水義範の『「大人」がいない』(ちくま新書)を読んだ。清水は小説家であり、私は『国語入試問題必勝法』という彼の小説を読んだことはあるが、「必勝法」というほどのものではなかったと記憶している。しかし、小説家が書く新書は、古くは大江健三郎の『広島ノート』『沖縄ノート』(ともに岩波新書)という名著があるように、研究者・専門家が書く新書よりも興味深い読み物が多いので、この本も書店で見つけるとすぐに読もうと決めた。
 確かに読み易かった。研究者というものは論理を1つ1つ丁寧に積み重ねていって結論に達する手法をとるため、読んでいてまだるっこしくなるし、データをやたら見せられてもどう読み取ればいいのか分からないことが多く、途中で投げ出してしまうか、飛ばし読みになってしまう。その点小説家は自由な視点から物が言える気軽さから、少々詰めが甘く見える方法で論を進めていってくれるので、小気味いい。グダグダと1つのことだけに拘泥し、にっちもさっちも行かなくなるようなこともないので、気楽に読んでいける。しかもやはり文章がこなれているため、読者を自らの掌中に捕らえる力強さも持ち合わせている。この書もその例に漏れず、200ページほどを一気に読み終えることができた。
 清水は、現代の日本に「大人」がいないと嘆く。彼の言う「大人」とは肉体的な定義ではなく、精神的に定義したものである。したがってその対義語は「子供」ではなく、「大人でない」となる。そこで、彼の考える「大人」のいい面・悪い面、「大人でない」のいい面・悪い面を以下に書き出してみる。
  
  「大人」のいい面                     「大人」の悪い面
 ・豊かな経験をもとに正しい判断ができる      ・個人の自由を認めない
 ・自己のコントロールができる             ・つきつめず、折り合いをつけてしまう
 ・対人関係が構築できる                ・他人のことに口をはさむ
 ・子を教育する
  「大人でない」のいい面                 「大人でない」の悪い面
 ・自由にものが考えられる               ・自分本位になりがちである
 ・新しいこと、未知のことに挑戦する意欲がある   ・視野が狭い
 ・学んだだけ向上する                  ・生活力がない

これはそのまま清水が考える「大人」の定義だと言えるだろう。そして今の日本は「大人」のよい面が薄れてきて、「大人でない」悪い面が目立つようになっているのではないか、という問題提起をする。それを解説するために彼は小説家独特のアプローチを見せる。架空の対談によって論を進めたり、自らの小説の一部を引用したりと読む者の興味を逸らさせない工夫が随所に見られる。
 それなら、何故今の日本に「大人」が少なくなってしまったのだろう。これに清水は、日本が経済的に豊かになったことがこうした現象を生み出すもとになったと考える。そして今の日本では、『未成熟なままで生きていけるんだからそっちを選んでしまう』(P.81)ため、『「大人」として社会の中に自己を確立している人間がほとんどいなくなってしまった』(P.171)と憂う。そうした、「大人でない」人で溢れた今の日本の状況を
 『成熟した大人になれない国民が子供のような価値観で社会生活を営んでいるが故に、とても短絡的な、思慮の足りない社会現象を生んでしまっているのではないか』(P.114)
と分析する。そしてこの状況を乗り越えるために、今こそ
 『「大人」の思考力と、知恵と、巧みさが必要なってくるのだ』(P.201)
『「誰が悪いかではなく、今どうするべきかを考えるのが大人というものであろう。今後のために、どういう手を打つべきなのか、そもそもそこまでの経緯を吟味してみるべきではないか』(P.147)
と我々のなすべき指針を示してくれている。
 私はこの本を読了して、自分が『大人として社会の中に自己を確立している』(P.171)かどうか考えてみた。う~ん、とても自信がない。毎日子供たちを相手に偉そうにしている私が「大人」でなくてどうする。
 恥ずかしい話ではあるが、己を反省するにはなかなかの書であったことは確かである。もっとちゃんとした「大人」になろう。
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人間の証明

 『人間の証明』を見た。松田優作主演の1977年の角川映画だ。松田優作ファンを自認している私だが、どういうわけだかこの映画だけは見たことがなかった。当時、あれだけTVCMが流れていた作品だから、松田優作が出ていることは当然知っていたが、何故だか一度も見たことがなかった。それが、先週の土曜日朝起きて朝刊をぼんやり眺めていたら、番組表の一番下に『人間の証明』という文字を見つけた。深夜1:30からの放送だったが、これこそ天からの贈り物とばかり、録画予約をした。と言っても、妻から譲り受けたDVD録画機を使って初めて録画しようとしたものだから、勝手が分からず、妻に教えを請いながら何とかセットした。しかしどうにも心配だったため、予備のために違うTVでビデオの予約をしておいた。
 が、そんな心配はいらなかった。うまく予約できていたようで、最後まで見終えることができた。それにしても驚いたのは画質のよさだ。HDDに標準速度で録画したものを液晶TVで見たのだが、本当に「なんじゃこれ?」と松田優作の真似をしたくなるほど鮮明な画像だ。30年近く前の映画だから、元テープがかなり古くなっているはずなのにこれだけきれいに見えるなんて驚きだ。ホームシアターというものが存在するようだが、これだけAV機器が進歩すれば、文字通り家に劇場を作り出すことも可能だろうなと、初めて欲しいと思った。まあ、デジカメを買う勇気もない奴にそんな立派なものが買えるはずもないのだが・・・
 映画の内容ははっきり言って大したことがなかった。森村誠一の原作がかなり分厚いのに、たった130分ほどで全てを描こうというのがどだい無理な話だ。登場人物に過去の結びつきをあまりに持たせすぎたため、そんな話はないだろうと突っ込みを入れたくなるようなストーリーで、ご都合主義といえなくもない。しかし、私にはそんなことはどうでもよかった。若い頃の松田優作を見られればそれで十分だ。若さのせいか、常に眉にしわを寄せた深刻ぶった表情ばかりで、見ている私はかなり肩がこったが、それも松田優作、いくらぎこちなさが目立ったと言っても、間違いなくかっこいい。当時、28歳。これから大スターへと成長し始めた彼はどう見たって素晴らしい。
 松田優作もいいが、さらに素晴らしいのが共演者たちだ。三船敏郎、鶴田浩二、岡田茉莉子(この芸名は谷崎潤一郎が命名!)、ハナ肇、伴淳三郎、氾文雀・・・岡田茉莉子を除いて亡くなってしまった人ばかりだが、いずれも名役者ばかりだ。特に三船敏郎と鶴田浩二という日本映画の二大スターが、名を連ねる映画というのは素直にすごいと思う(からみは一度もなかったが)。話の進行そっちのけにして、「あっ、伴淳だ」とか、「えっ、竹下景子?」とか思わぬ人が登場するたびに声をあげてはしゃいでしまった。さすが総製作費が6億円を越えたというだけあって、出演者が豪華なのには感動した。
 しかし、いくら出演者が豪華でも、アメリカロケがふんだんに敢行されたにしても、この映画の真の主役は西条八十の詩「帽子」だろう。劇中、松田優作が口ずさみ、岡田茉莉子も暗誦した詩だ。

   母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
   ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
   谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

   母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
   僕はあのときずいぶんくやしかった、
   だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

   母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
   紺の脚絆に手甲をした。
   そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
   けれど、とうとう駄目だった、
   なにしろ深い谷で、それに草が
   背たけぐらい伸びていたんですもの。

   母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
   そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
   もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
   秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
   あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

   母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
   あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
   昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
   その裏に僕が書いた
   Y.S という頭文字を
   埋めるように、静かに、寂しく。

ジョー山中の歌うテーマソングが聞こえて来る・・・
  
   Mama, Do you remember the old straw hat you gave to me
   I lost the hat long ago,flew to the foggy canyon・・・



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ドリーム・オブ・ユー

 土曜の朝、バスに乗ったらラジオから「次の曲は『ドリーム・オブ・ユー』です」というアナウンサーの声が聞こえた。「洋楽か」と思いながら、Dream of you と Your dream は意味がどう違うんだろうとぼんやり考えてみた。Dream of you の方は of が「~についての」という意味で、「あなたの出てくる夢」というようなことを表し、Your dream は「あなたが持っている夢」という意味なんだろうな、とどうでもいいような結論に達した。「なるほど」、と勝手に納得してラジオに耳を傾けると、始まったのは意外にも日本人の女性の歌だった。「えっ?」と思ってじっと聞いていると、「竹内まりやの声かなあ」という気がしてきた。「竹内まりやに『ドリーム・オブ・ユー』なんて曲があったっけ?知らないなあ・・」と思いながらさらに聞いていると、何だかあまり歌い方が洗練されていない。歌い慣れていないという感じがして、ちっとも竹内まりやらしくない。「違うのかな」、と思いながら最後まで聞いていたら、アナウンサーが「竹内まりやさんの『ドリーム・オブ・ユー』を聞いて頂きました。この曲は清涼飲料水のCMに使われていましたね」と話した。「やっぱり竹内まりやか。でも、いつの曲なんだろう・・」と彼女についてはちょっと詳しいつもりでいた私は軽いショックを受けた。「初期の頃の歌なのかな・・」とはっきりしない。そこでネットで検索してみた。
 この曲は、1978年にデビューした竹内まりや2枚目のシングルだった。この後に、『September』『不思議なピーチパイ』とヒット曲が続いた。彼女は1955年生まれだから(えっ、今50歳?あの竹内まりやが、信じられない・・)当時24歳。声は若々しいがいささか抑揚に欠け、歌い方もまだまだしっとり感がない。下手だと言ってしまえば言えなくもない。山下達郎と結婚したのが1982年だからなのかどうか分からないが、作詞は竜真知子、作曲は加藤和彦で、曲としてはなかなか軽快だ。歌詞の一部を載せてみる。

  瞳とじれば あなたが見える
  陽だまりの匂いと 優しいまなざし
  遭いにゆきたい 裸足のままで
  あなた両手広げて きっと迎えて

  Dream a little dream of you
  澄んだ目をしたあなたが好き
  It's a dream a little dream of you
  なんて不思議なハーモニー

  レモンライムの青い風
  伝えて愛の Dream of you

 思い返せば、私が本格的に竹内まりやを聞き出したのは、1987年のアルバム『Request』からだった。それまでは『不思議なピーチパイ』の印象が強すぎて、軽い、ノリのいい歌を歌う人だとばかり思っていた。それが『駅』のようなバラードもしっかりと歌えることを知ってからは彼女のファンになった。『元気を出して』『シングルアゲイン』『告白』など、その後の楽曲は全て私の favorite songs である。1992年のアルバム『Quiet Life』は本当に何度も繰り返し聞いた。車で聞くCDは、サザンか竹内まりやかSMAPという時代が長く続き、私の子供たちは彼らの曲と共に育ったと言っても過言ではない。
 2001年のアルバム『Bon Appetite!』は成熟した竹内まりやの魅力を余すところなく伝えてくれる。ポップな曲からバラードまで、彼女の幅広い才能には感嘆するばかりだ。2003年の『Longtime Favorite』はカバー曲を集めたアルバムだが、今も車のCDチェンジャーの中の1枚となっている。
 もし、好きな女性アーティストを1人あげろと言われたら、私はユーミンではなく、竹内まりやを選ぶだろう。時々山下達郎のFMラジオの番組に出演する彼女の話を聞いていると、アーティストとしてだけではなく、一人の女性としてすごく魅力的な人だということがよく分かる。しかし、彼女が50歳を過ぎたなんてとても思えない。
 年なんて関係ない。竹内まりやは永遠に竹内まりやなんだ。
 
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8・14 vs.TEX

 先日、名古屋に所用で出かけた折に、弟のマンションに立ち寄った。双子たちにバーゲンで買ったやった服を届けるためだが、そのお返し(?)にビデオテープをもらった。私がずっと前に録画を頼んでおいた松井の試合のビデオだそうだ。えっ、いつのだろうとしばらく考え込んでしまったが、8月に私が京都に連泊した際に、自宅のビデオでは録画できなくなるため弟に録画を頼んであったものだとゆっくりと思い出した。8月12日は試合が終って、翌日の試合の録画予約をしてから車で出発した。その13日の試合は京都のホテルで見た覚えがある。ライターが4ボールを連発して、乱戦気味の試合だったが、ヤンキースが打ち勝った。松井も12日にはHR.を打って、13日も3安打して復調気味の頃だった。などということは思い出せたが、はて、14日の試合はどうだったか・・・全く思い出せない。朝起きてホテルで見た覚えもないから、たぶんデーゲームで日本では深夜に放送されたものだろう。しかし、松井はどうだったのか、試合はどうだったのか、まるで記憶がない。それなら逆に、先入観なしに試合を楽しめるじゃないかと、何か得をした気分になって、久しぶりに松井を見てみるかとビデオをセットしてみた。
 すると、やはりデーゲームだった。試合はヤンキースが7-5でサヨナラ勝ちを収めたが、試合経過を簡単にまとめてみる。
 
 初回A-RODとマツイのタイムリーで2点を先制したヤンキースは3回にもシェフィールド、A-RODの2者連続アーチで序盤から4点リード。投げてもムッシーナが5回に一発を浴びたもののそれ以外は危なげない完投ペースのピッチング。しかし、8回にメンチに2ランを浴びて2点差とされてしまい、ここで降板、ゴードン、リベラに後を託した。ところが、9回にリベラがまさかの乱調。高めに浮いた球を痛打され3安打で2失点。同点とされてしまう。試合はそのまま延長へ突入し、流れはレンジャーズに傾いたかと思われたが、11回裏、バーニーが放った打球は綺麗な放物線を描いて右中間スタンドへ。打った瞬間小さくガッツポーズをしながらホームインしたバーニーはチームメイトから手荒い祝福を受けた。(何度見ても松井がその輪の中にいなかったのは何故?)
    1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 R H
  TEX 0 0 0 0 1 0 0 2 2 0 0 5 13
  NYY 2 0 2 0 0 0 1 0 0 0 2x 7 12
 
 それで肝心の松井のこの日の打撃成績は、
○第1打席 1回1死1,3塁:センター前タイムリー・1打点
○第2打席 3回0死走者なし:ショートゴロ
○第3打席 6回先頭打者:四球
○第4打席 8回先頭打者:空振り三振
○第5打席 10回2死走者なし:セカンドゴロ

 この試合のヒーローは言うまでもなくサヨナラHR.を打ったバーニーである。しかし、私が見たところ、松井がヒーローになれるチャンスが3度あった。
 1度目は3回の攻撃で、シェフィールド、A.ロッドが連続HR.を放った後の打席。松井が続いてHR.を打てば6月のTAM戦の3者連続HR.の再現とばかりに、カーテンコールに応えられたことだろうがショートゴロ、がっかり。
 2度目は9回の守備。2点リード、2アウト満塁で相手バッターが放ったライナー性のヒットを松井が捕球してすばやくバックホーム。しかし、ワンバウンドでポサダのミットへ。ダイレクトで返球されていたら、ひょっとして2塁ランナーが本塁憤死で試合終了となっていたかもしれない。
 3度目は言うまでもなく、10回の最終打席、2アウトランナー無し。HR.を狙ってもいい場面で、2-1と追い込まれてから変化球に合わずにゴロアウト。思わず溜息が出てしまった。
 全く偶然に見た試合だったが、昨シーズンの松井を象徴するような内容だった。確かに4打数1安打1四球1打点とそこそこの仕事はしている。しかし、ここぞという場面でヒーローになりきれない。見ている私のストレスはたまるばかりであった。 
 しかし、今年の松井は違う!何の根拠もないが同じ轍を踏むような男ではない。きっとやってくれる。そのためにWBC出場を辞退して今シーズにかけようとしている。
 松井、チャンピオンリング目指して頑張れ!!私は君の力を信じているぞ!!  
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灯台守の恋

  今とても見たい映画が1本ある。「灯台守の恋」というフランス映画だ。映画なんて、もう何年も劇場で見たことがない私のような男が何故そんな気になったのかといえば、11日付けの地元紙中日新聞の文化面に、この映画の紹介が載っていたのをたまたま読んだからだ。ふだん文化面などあまり読むことがない私が「ひっそり燃えた恋 古風に」という小見出しを目に止めたのも不思議だが、出会いとはそんなものかもしれない。大谷弘路という人の書いた記事だが、私に是非この映画を見たいと思わせた文なので、ここに勝手に掲載させていただく。

 最果ての地と呼ばれたフランス西端ブルターニュのウエッサン島が舞台の、古風で地味な恋と友情の物語。風雨にさらされてなお、がっしりと立つ灯台が妙に情感をそそる。
 時は1963年。灯台守のイヴォン(フィリップ・トレトン)は彼を支える妻のマベ(サンドリーヌ・ポネール、感情を隠す演技がいい)と暮らす。無骨なイヴォンに対し、彼女は本好きでいつかは外へ出たいと考えていたが、代々灯台を守る家系で、彼と結婚した。住民たちはイギリスから来たケルト人の子孫。結束が固く古い文化を守る。
 こんな島にアルジェリア戦争で左手を負傷したよそ者の帰還兵、アントワーヌ(グレゴリ・デランジェール)が灯台守の一員に加わるためにやってくる。二ヶ月間二人だけで灯台の灯をともす手作業の過酷な仕事。いつしかふたりには友情が芽生えるのだった。
 一方で、マベもアントワーヌに心ひかれ、イヴォンが仕事の、祭りの夜に結ばれる。たった一夜のできごと。結局アントワーヌは、イヴォンをおもんばかって、彼女には何も告げずに去っていく。
 閉塞的な村で夫に仕えた主婦が、一変して見せるが、夫はあくまでも純真。妻の不実を許すのである。灯台に人生をかける夫、灯台に人生を縛りつけられた妻の心情が対照的で哀れを感じる。
 そして、三十数年後両親も亡くなり、都会住まいの一人娘が家を処分にやってくる。母あてに送られてきた本を見て、秘話と自分の素性を知ることに。
 灯台シーンはすべて本物のジュマン灯台で撮影。ひっそり燃えた恋に似合った舞台だ。監督は、「マドモワゼル」のフィリップ・リオレ。

 映画の内容がここまで書いてあるのを読んでしまうと、実際に劇場に足を運ばなくても見たような気になってしまう。しかし、それはストーリーをたどっただけで映画を見たことになるはずもない。役者の演技一つ一つから、彼・彼女の思いを感じ取らなければ映画を見たことにはならない。したがって、まだ見てもいない映画について語る愚をここで犯したくはない。世の中には、ろくに読んでもいない本やしっかり聞いてもいない音楽について論評を平気で加える輩も多くいる。しかし、芸術を語るには、実際に目や耳や心で触れることが不可欠だ。触れもせず、味わいもせず、芸術を語るなど愚の骨頂だ。触れた上でどんな感想を持とうが、それは全く個人の自由であり、こういう風に感じなければならないなどという公式は存在しない。正道も邪道もありはしない。
 したがって、もうこれ以上この映画については語らないが、残念なことに劇場公開を私が見ることはできないだろう。今から、2ヶ月間私には全くまとまった時間が取れない。この映画もまたDVD化されるのを待たなければならないだろう。とても残念だ。
 しかし、灯台守の映画といえば、佐田啓二と高峰秀子主演の「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年)に触れないわけにはいかないだろう。私が生まれる以前の映画だが、何度か見た記憶がある。全国各地を転々とする灯台守夫婦の悲喜こもごもの人生を木下恵介監督が描いた作品だが、夫婦が力を合わせて困難を乗り越えていく姿が見る者に感動を与える名作だ。まるで、「灯台守の恋」のアンチテーゼのようだ。それを象徴しているのが主題歌だ。

  ♪おいら 岬の灯台守は 妻と二人で~ 沖行く船の
    無事を祈って 灯をかざす 灯をかざす♪

夫婦が力を合わせて一生懸命生きていくっていうのは実に素晴らしい。この映画はDVD化されているのだろうか。探してみよう。
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寒い!(2)

 寒い、寒いと言いながら毎日が過ぎていく。それでも私の住む辺りは、今日は雨模様だが、ここ数日寒さが少し緩み、日中は陽光の有り難さを実感できる日もあった。しかし、日本海側は記録的な大雪が続き、新潟県では雪で交通が遮断され孤立してしまった村を救うため、自衛隊が出動している。私がラジオで聞いた現地からのレポートでは、積もった雪は4mを越え、外出するには2階の屋根から出なければならないそうだ。除雪機の燃料が不足しだしたし、故障も直せないから、日々状況が深刻化していると悲痛な声で報告されていた。そうした人たちから見れば私が嘆いている寒さなど比べ物にならないかもしれないが、私の周りでもこの厳寒の影響は次第に大きくなっている。
 まず、冬野菜がこの寒さのため生育不良となったり、地中の根が凍りついてしまって収穫ができなくなり価格が高騰している。新聞報道によると、キャベツは平年に比べ5割以上、ネギ・ホウレン草は4割台、大根や白菜も2割以上値上がりしているそうだ。私の父もやっと近づけるようになり、一昨日年が明けてから初めて畑に行った。雪の多かった年末は、畑がコチコチに凍ってとても収穫などできなかったそうだ。挙句の果てには、土手から滑って転んであやうく川に落ちそうになったと嘆いていた。まさに踏んだり蹴ったりである。そのため、雑煮に入れる餅菜が今年は少なくて困ると妻がこぼしていた。これだけ寒ければ仕方のないことだろうが、雪がとけてしまったこの地方でも、まだまだ雪の影響を受けている。
 寒さの影響を受けるのは何も露地栽培に限ったことではない。ハウス栽培のキュウリなども暖房に必要な燃料が多くかかり、折からの石油高騰と相まって価格が上昇しているようだ。これと同じ現象が我が家でも見られた。私の住む地域には都市ガスが通っていないので、プロパンガスのボンベからガスを引いている。12月のガス代が、例年の2倍近くかかったと妻が驚いていた。これだけ寒いと風呂の追い炊きを何度もするし、台所のガス給湯器もいつもより暖かい湯が出てくるのに時間がかかる。当たり前といえば当たり前だ。ところがこのガスに関してこの前の日曜日にちょっとした騒動が起こった。夜の11時過ぎに私が塾舎でPCの前に座っていたら、まだ家にいた娘が「お父さん、緊急事態が起こった!」と私を呼びに来た。「えっ、どうした!」と慌てて家に戻ったら、憮然とした妻が「ガスが出ない」と怒っている。娘が懐中電灯を持って、台所の裏にあるガスのボンベを調べていたが、「ガスがないって表示が出てる!」と大声で叫んだ。妻はそれを聞いて、ガス屋の緊急連絡先に電話して対処の仕方を教えてもらった。臨時の措置で何とかガスは出るようになったが、裸になってから浴槽に湯が入っていないのに気づいた妻は、「もう寝る」と言って寝室に引っ込んでしまった。ガス屋が定期的にボンベを交換しに来てくれるので、今まで一度もガスが切れるなどということはなかった。それがこんな事態になってしまったのは、それだけ寒くてガスの消費量が予想を超えていたという証明なのだろう。
 そう言えば、伯母の家でも珍しい話を聞いた。毎年寒い時期になると、水道管が凍ってしまい早朝は水が出ないことがよくあるが、今年はそれだけでなく、配水管までも凍ってしまって流し台の水が流れていかないことがある、とあきれ顔で話してくれた。伯母の家は一階部が空間となっていて2階に住居があるため、配水管がむき出しになっているせいもあるだろうが、それにしても今までこんなことは一度もなかったのにと、毎朝の対策を考えるのに一苦労している。
 これはみな愛知県での話だ。名古屋から車で1時間足らずのところの話だ。ここでこんなに寒いなんておかしい。もうイヤになってくる。私は今までこんなに春が来るのを待ちわびたことはない。とにかく少しでも早く暖かくなって欲しい!

   ♪春よ来い 早く来い
    あるきはじめた みいちゃんが
    赤い鼻緒の じょじょはいて
    おんもへ出たいと 待っている♪  「春よ来い」

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ちびまる子

 昨日私が目にしたニュースの中で、一番驚いたのは、TVアニメ「ちびまる子ちゃん」が実写化されるというニュースだ。「えっ!」と思ってネットで調べてみたら、次の記事が出ていた。

  実写化の夢実現!「ちびまる子ちゃん」がドラマになるよ。(サンケイスポーツ)
 フジテレビ系で放送中の人気長寿アニメ「ちびまる子ちゃん」(日曜後6・0)が初めて実写版のドラマになることが11日、分かった。
 2年前、昨年1月のテレビ放送15周年を目指しドラマ化の企画が持ち上がったが、まる子のイメージにあう子役が見つからず一度は断念。だが、あきらめきれない制作サイドが昨年末に再度オーディションを行ったところ、500人を超える天才子役集団の中に、“ダイヤモンド”を発見した。
 まる子役を射止めたのは、原作者のさくらももこさんが以前目にした住友生命のCMで「まる子にいいなぁ」と思っていたという森迫永依=もりさこ・えい=(8つ)。「まる子に決まってうれしい。まる子になりきってやろうと思います」と大はりきりの森迫に、浅野澄美プロデューサーは「森迫さんは見た目はもちろん、子どもらしさと大人と対等に会話できる能力が同居している。原作のキャラクターを自然に演じることができる」と太鼓判を押した。4月に2時間スペシャルとして放送予定。
 
 以前私は手塚治原作の「どろろ」が実写化されることに関して「大丈夫か」と疑念をさしはさんだが、今回このニュースを知ったときの第一印象も同じものだった。さくらももこがマンガで描いた「ちびまる子」の世界を実写でうまく表現できるのだろうか、正直心配になった。しかし、ここで私が注目したいのは、さくらももこの発言である。まる子役に決まった子役を「まる子にいいなぁ」と作者自身が思っていたことは、この実写化が成功するような気にさせてくれる。というのは、アニメ「ちびまる子」で『後半に続く』などと軽妙なナレーターをしているキートン山田氏が、先日NHKのラジオで出演の経緯等を話すのを聞いていたからである。
 キートン氏は俳優・声優として長い間芽が出ず、アルバイトをして何とか生活を支えていた。あまりに苦労であったため、もう夢を追うのはやめようかとも思ったが、このままやめては子供たちに親として何も残せない、もう一度頑張ろうと一念発起し、再出発を誓った。その手始めに芸名を付けようと思い立ち、直感的に「キートン山田」という芸名を思いついたのだそうだ(本名の山田とバスターキートンの合体)。印象に残る芸名を付けたお陰で徐々に仕事が増えていき、何とかアルバイトをせずに生活できるようになった頃に、「ちびまる子」のナレーター役のオーディションを受けた。この役は作者のさくらももこが、自分のイメージにぴったり合う人をなかなか見つけられずに、放送開始の一ヶ月前になっても、声優が決まっていなかった。ところが、キートン氏が送ったデモテープを聞いたさくらが、これこそ自分の探し求めていた声だと、まさしく鶴の一声でキートン氏が抜擢されることに決まったということであった。彼は自分を運だけで生きてきたと謙遜していたが、大きな苦労を耐える力があったからこそ運を引き寄せることができたのだろうと私は思う。
 さくらももこの選択がどれだけ正しかったかは、「ちびまる子」を見たことがある人なら、誰もが納得するであろう。それは自分の作品を愛してやまない作者だけが持つ嗅覚というべきものかもしれないが、そのさくらが、「まる子にいいなぁ」と思ったと言うのだから、この森迫永依という女の子はまさしく「まる子」そのものなんだろう。そういう意味で私はこの実写化は期待が持てると思っている。
 しかし、声はどうするのだろう。イメージとしてはぴったりだとしても、まさか声まで「まる子」役のTARAKOに似ているということはないだろう。私たちはあのTARAKOの飄々としたしゃべりこそ「まる子」だと思っているから、子役が自分の声で話したら随分印象が違ってしまうだろうし、かと言ってTARAKOがアフレコしては微妙なずれが気になって落ち着いて見ていられないような気もする。果たしてその辺りをどう処理するのか見ものである。
 でも、キートン山田のナレーションだけは是非そのままにしておいて欲しいと思う。



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年末年始TVワースト10

 11日発売の「週刊文春」を読んでいたら、年末年始に放送されたTV番組のうちから、ワースト10が選んであった。1000人にアンケートをした結果だそうであるが、本当にそうなのかかなり怪しい。でも、何かの参考にはなるかなと思って、以下にそれを写してみる。

 ワースト1位 「紅白歌合戦」(NHK)
      2位 「新春かくし芸大会」(フジ系)
      3位 「K-1](TBS系)
      4位 「レコード大賞」(TBS系)
      5位 「PRIDE」(フジ系)
      6位 「ナイナイ炎の年越し」(日本TV系)
      7位 「里見八犬伝」(TBS系)
      8位 「細木数子が平成18年を緊急大予言!!」(テレビ朝日系)
      9位 「新年もズバリ言うわよ!」(TBS系)
     10位 「箱根駅伝」(日テレ系)
  
 ワースト番組=不人気番組でないのは、一目すれば分かる。面白くなくても、ついつい見てしまう番組がある。中には見なけりゃよかったのに、と後悔する番組もある。上に選ばれた番組は全てそういった番組なのだろうが、きっと高視聴率を稼いだことであろう。現に私でも、全く見なかったのは7~9位の3番組だけだ。もともと細木数子があまり好きでないこともあるのだが、正月早々なにもあのおばさんの顔を見ることもないだろうと思うし、そもそも彼女がどれに出演するのかも全く知らなかった。8、9位は、私にとっては圏外の番組である。「里美八犬伝」は番宣は何度か見たが、ドラマのために長時間TVの前に座っていることができなかったため、これだけでなくドラマは一本も見ていない。
 10位に駅伝が入ったのは意外だ。私はライブでは見なかったが、ハイビジョンで復路の録画放送を見た。途中まで連覇は難しいと思われていた駒大が、ちょっとチャンネルを換えていた間に1位になっていたのには驚いた。しかも、今結果を調べたら、亜細亜大学が優勝したなんて知らなかった。こんなドラマがある競技がどうして10位なのか、よく分からない。だが、6位の「ナイナイ・・」が選ばれたのには十分納得がいく。毎年この番組は見ていてそれなりに楽しめるが、バカらしいといえばかなりバカらしい。今年はあまりに引っ張りすぎて、初詣に出かける時間になってしまい、私は結末が見られなかった。まあ、それほど残念でもなかったが。  
 5位、3位の格闘技は、対戦カードによってムラがありすぎた。曙vsボビーなど見ていてイヤになった。予想はしていたが、曙のあの不甲斐ない姿はやはり悲しすぎる。「もうやめろ!」と言いたい。小川vs吉田は、対戦前の前振りが長過ぎるし、試合内容もなんだか中途半端で残念だった。やっぱり、小川直也は格闘家というより、プロレスラーなんだなというのが率直な感想だった。大晦日の格闘技もそろそろ食傷気味かなと思う。
 4位のレコ大はもうやめにしなけりゃいけないと思う。大賞受賞が倖田來未なんて何のことやらさっぱり意味が分からない。新人賞がAAAとか言うグループだとか。そんな奴ら全く知らない。これ以上続けたら、過去の受賞者達の名誉を傷つけるだけのような気がする。心からやめて欲しいと思う。私にとっては、これこそがワースト1位の番組だ。
 2位の「かくし芸」については、私はWATが参加した、大旗を使った演目しか見ていないので大したことは言えない。ただ、審査員1人1人の点数が表示されるのではなく、合計点しか出ないシステムになっていたのには驚いた。審査の透明性などと目くじら立てるほどの番組ではないにせよ、何だかなあと思わないでもなかった。マンネリ番組という、そしりは免れないだろうと思う。
 1位の「紅白」は当然の結果だろう。それは何も楽しくなかったという意味ではなく、どんな工夫をしたところで、どんな歌手を出したところで、紅白という番組は決してよかったといわれることのない番組だからだ。あらゆる世代が一緒に見て満足できる歌番組など、今の時代にできるはずがない。そんな無理難題に毎年挑んでいるNHKのスタッフに私は拍手を送りたいぐらいだ。でも、「PRIDE]を見ていてユーミンの歌を聞き逃したのは、痛恨のミスだった。あれほど楽しみにしていたのに、家族に聞いても誰も見ていなかったようで何の感想も聞けなかった。私の妻は、年の最後にSMAPを見られて大満足だったようだが・・・

 こう見てくると、年末年始のTV番組というものは大して面白くないものだと改めて思う。TVを見る暇があったら、本を読むか、DVDを見るかしたほうがよっぽど楽しめる。でも、TVってついつい見ちゃうんだよなあ・・・ 



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