毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
さあ、夏休み!!
2008年07月21日 / 塾
さあ、夏休みだ。今日から8月31日まで6週間、約40日の夏休みが始まる。塾にとって夏休みが勝負のときだ。長い休みを利用して、生徒一人一人の学力を少しでも引き上げ、受験生には志望校合格を勝ち取るための基礎力を高めてやらねばならない時期だ。6月末から夏期講習生を募集してきたところ、それなりの人数が集まってきてくれた。塾の経営としては喜ばしいことであるが、それだけ各生徒たちに対する責任が重くなったことでもあり、気を引き締めて全力投球をする覚悟である。(さすがに15時間労働が続くのは少々厳しいが・・)
と言っても頑張るのはあくまでも生徒一人一人であり、私にできることはあくまでも各生徒のサポートに過ぎない。各生徒が私の塾で勉強したことでこれだけ充実した夏休みを過ごせたと言えるような環境を作ってやることが、私に課せられた一番の仕事である。役に立つテキストを選び、それを使って学力を高める、それは塾として当たり前のことであり、それに応えるだけの授業はこれから毎日行っていくつもりだ。授業内容に関しては他のどんな塾にも負けないだけの自負は常に持っている。では、それ以外に塾として補完しておかねばならないことはないだろうか、夏休みを前に改めて考えてみたところ、長年の懸案事項に思い至った。それは・・、
塾の玄関から階段を上がった二階に窓があり、そこに夕方5時過ぎになると西日が差す。普段はさほど気にならないが、夏の間中は日光の力が激しく、階段を隔てた教室まで厳しく照らし出す。それがかなり教室内の温度を上げる。ただでさえ、梅雨明け宣言がなされ猛暑が予想されるこの夏だけに、少しでも教室を快適な環境を整えておくため、この西日対策を施すのが私のなすべきことだと思い至った。
そこでホームセンターに行って「よしず」を買ってきた。サッシ窓に取り付けるための「スダレハンガー」と「スダレ巻き上げ器」も一緒に売っていたので買った。
これらを汗だくになりながら組み合わせたら、何とか形になった。
階段に梯子をかけながら作業したのだが、まったく暑くて汗がぽたぽた落ちた。お隣の多治見市では最高気温が37℃を超えたというから、窓を閉めきった二階では40℃近くまで温度が上がっていたかもしれない。昨年8月に、この階段の上で気温を計ったら40度はゆうに超えていたから、この階段の辺りは塾舎で一番暑い場所なのだろう。このまま何も手立てを施さなかったら、今年も猛烈な暑さを記録したかもしれない。このよしずがどれだけの効果があるかよく分からない。だが、見た目で言えばかなり涼しげに見える。西日を完全にシャットアウトするのはさすがに難しいだろうが、冷房効果を助ける役割を果たしてくれれば汗を流した甲斐があるのだが・・。
とにかくこれで準備は万端整った。後は私がどれだけ頑張れるかだ。暑さになんか負けるものか!!
頑張ろう!!
と言っても頑張るのはあくまでも生徒一人一人であり、私にできることはあくまでも各生徒のサポートに過ぎない。各生徒が私の塾で勉強したことでこれだけ充実した夏休みを過ごせたと言えるような環境を作ってやることが、私に課せられた一番の仕事である。役に立つテキストを選び、それを使って学力を高める、それは塾として当たり前のことであり、それに応えるだけの授業はこれから毎日行っていくつもりだ。授業内容に関しては他のどんな塾にも負けないだけの自負は常に持っている。では、それ以外に塾として補完しておかねばならないことはないだろうか、夏休みを前に改めて考えてみたところ、長年の懸案事項に思い至った。それは・・、
塾の玄関から階段を上がった二階に窓があり、そこに夕方5時過ぎになると西日が差す。普段はさほど気にならないが、夏の間中は日光の力が激しく、階段を隔てた教室まで厳しく照らし出す。それがかなり教室内の温度を上げる。ただでさえ、梅雨明け宣言がなされ猛暑が予想されるこの夏だけに、少しでも教室を快適な環境を整えておくため、この西日対策を施すのが私のなすべきことだと思い至った。
そこでホームセンターに行って「よしず」を買ってきた。サッシ窓に取り付けるための「スダレハンガー」と「スダレ巻き上げ器」も一緒に売っていたので買った。
これらを汗だくになりながら組み合わせたら、何とか形になった。
階段に梯子をかけながら作業したのだが、まったく暑くて汗がぽたぽた落ちた。お隣の多治見市では最高気温が37℃を超えたというから、窓を閉めきった二階では40℃近くまで温度が上がっていたかもしれない。昨年8月に、この階段の上で気温を計ったら40度はゆうに超えていたから、この階段の辺りは塾舎で一番暑い場所なのだろう。このまま何も手立てを施さなかったら、今年も猛烈な暑さを記録したかもしれない。このよしずがどれだけの効果があるかよく分からない。だが、見た目で言えばかなり涼しげに見える。西日を完全にシャットアウトするのはさすがに難しいだろうが、冷房効果を助ける役割を果たしてくれれば汗を流した甲斐があるのだが・・。
とにかくこれで準備は万端整った。後は私がどれだけ頑張れるかだ。暑さになんか負けるものか!!
頑張ろう!!
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ダウスン
南條竹則「悲恋の詩人 ダウスン」(集英社新書)を読んだ。私はダウスンなる詩人をまったく知らなかった。ただこの本を書店で見つけたとき、「悲恋の詩人」などという大仰な形容がはたしてふさわしい詩人なのかどうか、少しばかり興味を引かれた。手にとってプロローグを読んでみたところ、映画「風と共に去りぬ」の原題や「酒と薔薇の日々」という言葉も、ダウスンの詩の一句であると書かれていて、いやがうえにも興味が増した。詩人の生き様を読むのはしばしば暗澹たる思いに駆られることが多いし、きっとこのダウスンという詩人も破滅的な人生を送ったことだろうと予想もできた。だが、他人の破天荒な人生ほど興味をそそられるものはない。自分とはまったく違う次元で生きた人間の一生を覗き見たところで、何も得るものはないだろうが、かえって客観視できるだけ身につまされることは少なくてすむ。まったくの興味本位でいられる点が楽でいい。そんな怖いもの見たさな心持ちで、最後まで読んでみた。
ダウスンは1867年にロンドンで生まれながらも、幼少期の大部分をフランスで過ごしたという。そのためものの考え方が「コスモポリタン的だった」と著者は述べているが、それは彼が「究極の詩人」と呼ばれることと深い関係をもっていないようだ。ならば、ダウスンはなぜ「究極の詩人」であると言われるのだろう。著者によれば、ダウスンの人生は「貧苦と悲恋と不治の病と、そして酒とに彩られていて、まさに”不幸なる詩人”の典型」であり、「破滅に向かう彼の人生が、倦怠と絶望を歌うその詩と見事な諧調を奏でている」からだと言う。たしかにかつては裕福だった実家は事業が傾き始め、困窮の度を深めていく。その末に両親が自殺してしまい家庭は消滅・・。また、「心の君」と深く思いを寄せていた少女アデレイドに求婚したものの受け入れられず、少女は他の男と結婚してしまう・・。さらに父祖伝来の病とも言うべき結核に冒された身は次第に弱まっていく・・。こうした八方塞がりの状況下で自棄にならぬほど人は強くない。「こんなに運が悪い人がやけくそになって、何が悪いといいたくなる」と著者は同情しているが、「ダウスン伝説」なるものが一人歩きしたほど、ダウスンは酒に溺れる・・。
これほど裏目続きの人生も珍しいと思うが、それでも詩人は魂まで汚したりはしないのだろう。それこそが詩人と呼ばれる種族が凡才とは違う点だ。さもなければ、次のような詩をものすることなどできるはずもない。(ダウスンのもっとも有名な詩と言われる「シナラ」を尾島庄太郎の訳で。矢野峰人訳は高雅すぎて近寄りがたいので)
おもえば昨日の晩のこと、女と接吻(キス)していたら
ふと浮かぶ貴女(きみ)の顔、おお、シナラ、接吻をしいしい
酒のめば、この胸にふりそそぐ貴女の吐息よ。
またしても、よみがえる恋の心のやるせなさ
ああ、やるせなく、しおれかえって居はしたが
シナラよ、ぼくはぼくなりに、思うは貴女のことばかり。
夜っぴてぼくの胸の上に、女の胸が動悸うち、
愛と眠りをむさぼって、女は夜中(よじゅう)抱かれていた。
売笑婦(おんな)の紅い唇は、真実甘くはあったけど、
またしても、よみがえる恋の心のやるせなさ、
灰色のうすらあかりの明けがたにめざめては。
シナラよ、ぼくはぼくなりに、思うは貴女のことばかり。
あれもこれもと打ち忘れ、ただ風まかせ、
群がる仲間と浮れ騒ぎ、薔薇の花々なげあげて、
命なき白百合の貴女の面忘れようとて踊ったが、
またしても、よみがえる恋の心のやるせなさ、
踊り続くそのひまの、全く長いやるせなさ、
シナラよ、ぼくはぼくなりに、思うは貴女のことばかり。
もっと狂った音楽を、強い酒を、とわめいたが、
酒と歌とにおさらばすれば、火は消えて後は闇、
貴女の姿は現れて、シナラよ、夜は貴女のもの。
またしても、よみがえる恋の心のやるせなさ、
いとしい貴女の唇を憧れ求めるこの気もち。
シナラよ、ぼくはぼくなりに、思うは貴女のことばかり。
なんだか、ダウスンの人生を要約したような詩・・。酒に溺れながらも己を見つめる目は確かということか・・。
ダウスンは1867年にロンドンで生まれながらも、幼少期の大部分をフランスで過ごしたという。そのためものの考え方が「コスモポリタン的だった」と著者は述べているが、それは彼が「究極の詩人」と呼ばれることと深い関係をもっていないようだ。ならば、ダウスンはなぜ「究極の詩人」であると言われるのだろう。著者によれば、ダウスンの人生は「貧苦と悲恋と不治の病と、そして酒とに彩られていて、まさに”不幸なる詩人”の典型」であり、「破滅に向かう彼の人生が、倦怠と絶望を歌うその詩と見事な諧調を奏でている」からだと言う。たしかにかつては裕福だった実家は事業が傾き始め、困窮の度を深めていく。その末に両親が自殺してしまい家庭は消滅・・。また、「心の君」と深く思いを寄せていた少女アデレイドに求婚したものの受け入れられず、少女は他の男と結婚してしまう・・。さらに父祖伝来の病とも言うべき結核に冒された身は次第に弱まっていく・・。こうした八方塞がりの状況下で自棄にならぬほど人は強くない。「こんなに運が悪い人がやけくそになって、何が悪いといいたくなる」と著者は同情しているが、「ダウスン伝説」なるものが一人歩きしたほど、ダウスンは酒に溺れる・・。
これほど裏目続きの人生も珍しいと思うが、それでも詩人は魂まで汚したりはしないのだろう。それこそが詩人と呼ばれる種族が凡才とは違う点だ。さもなければ、次のような詩をものすることなどできるはずもない。(ダウスンのもっとも有名な詩と言われる「シナラ」を尾島庄太郎の訳で。矢野峰人訳は高雅すぎて近寄りがたいので)
おもえば昨日の晩のこと、女と接吻(キス)していたら
ふと浮かぶ貴女(きみ)の顔、おお、シナラ、接吻をしいしい
酒のめば、この胸にふりそそぐ貴女の吐息よ。
またしても、よみがえる恋の心のやるせなさ
ああ、やるせなく、しおれかえって居はしたが
シナラよ、ぼくはぼくなりに、思うは貴女のことばかり。
夜っぴてぼくの胸の上に、女の胸が動悸うち、
愛と眠りをむさぼって、女は夜中(よじゅう)抱かれていた。
売笑婦(おんな)の紅い唇は、真実甘くはあったけど、
またしても、よみがえる恋の心のやるせなさ、
灰色のうすらあかりの明けがたにめざめては。
シナラよ、ぼくはぼくなりに、思うは貴女のことばかり。
あれもこれもと打ち忘れ、ただ風まかせ、
群がる仲間と浮れ騒ぎ、薔薇の花々なげあげて、
命なき白百合の貴女の面忘れようとて踊ったが、
またしても、よみがえる恋の心のやるせなさ、
踊り続くそのひまの、全く長いやるせなさ、
シナラよ、ぼくはぼくなりに、思うは貴女のことばかり。
もっと狂った音楽を、強い酒を、とわめいたが、
酒と歌とにおさらばすれば、火は消えて後は闇、
貴女の姿は現れて、シナラよ、夜は貴女のもの。
またしても、よみがえる恋の心のやるせなさ、
いとしい貴女の唇を憧れ求めるこの気もち。
シナラよ、ぼくはぼくなりに、思うは貴女のことばかり。
なんだか、ダウスンの人生を要約したような詩・・。酒に溺れながらも己を見つめる目は確かということか・・。
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ノミ
一昨日、車の中でふっと腕を見たら、小さな虫が3匹いた。「何?」と思って払おうとしたら、ぴょんと跳ねて消えてしまった。「何だ、今のは?」と叫んだら、妻が「ノミだよ。やっぱりノミがいるんだ、見てこれ」と言って自分のすねの辺りを指差した。赤い点々がいくつもある。「さっき物置に行ったときにくわれたみたい。かゆい」と怒った顔をする。「何でノミがいるんだろう?」私がたずねると、「少し前にノラ猫が子供を生んで、2・3日家の物置にいたことがあるでしょう。あのときにノミが卵を産んだんじゃないの」と、妙に冷静な分析をする。一ヶ月ほど前に生まれたばかりの子供を3匹つれたノラ猫が家の横にある物置にねぐらを構えたことがあって、子猫を飼ってやろうかどうか、少しばかり相談したことがあった。結局は妻がもう猫は二度と飼いたくない、と言い張って飼うことは止めにした。その後猫たちの姿は見えなくなったが、妻は時々母猫にえさをやっていたと言うから、物置にはずっと猫たちが出入りしていたようだ。そんな恩に対してノミという仇を返すのだから、やはりノラ猫なんて不人情なものだ。しかも、妻に被害が一番大きいのだから笑うに笑えない話ではある。
だが、経緯はどうあれ、このままノミを放置しておくわけには行かない。妻は毎日その物置に行くので、ノミに刺されたり、知らぬうちにノミを家の中に運び込んだりしてしまう。車の中にいたノミも、妻にくっついてきたものが車の中まで乗り込んで私の腕を刺そうとしたのだろう。家の中にもたくさんいるかもしれない。このままにしておくと、体中刺されてしまうかもしれない。どうにかして早い段階で駆逐せねば!と妻がその夜から、ネットで対策をあれこれ検索し始めた。さすがに検索が大の得意である妻だけにいろいろとノミ退治の方法を探し出してきた。
まずは、バケツに水を入れ、その中に酒と洗剤を混ぜて、一晩中電灯を点けた部屋に置いておく。するとノミがバケツに集まってきて、水の中に沈んでしまう、という。どういう理由なのかは判然としないが、なかなか評判のいい方法らしく、早速試すことになった。物置に一晩置いた結果は・・、
ウソのようだが、本当にたくさんのノミが沈んでいる。黒い点々が全部ノミだが、まだまだ大量に潜んでいることだろう。妻が試しに物置に入ったら、一斉にのみがたかってきたと言うから、これの何倍もまだいるはずだ。それじゃあ、とバルサンを買ってきて炊くことにした。ノミにバルサンはあまり効果はないという説もあるようだが、とりあえず炊いてみなくては気持ちが治まらない。入り口と奥にひとつずつ点火してみた。
終了後、妻が物置に入って確かめたところ、前のようにノミがたかってくるようなことはなくなったようだ。かなりの効果はあったようだ。
しかし、これくらいではまだ油断できない。元を絶たなければ解決にはならない。と言ってもノラ猫たちを捕まえて、どうにかするなんてことはとてもできないから、自衛策として猫が物置や家の中に入り込めないように処置することにした。そこでペットショップに行って、結界を張るための道具を買ってきた。
袋を開けたら、細かな粒が入っていて、鼻をつんと刺激するいやなにおいがした。これを大量にまいておけば、猫が近づかなくなり、えさを失くしたノミもやがて死に絶えるだろう。これが一番いい考えかな、と思って、猫が出入りしそうなところにザッと撒いてみた。うまくいってくれればいいが・・。
しかし、妻の脚はいまだ無残にも点々と赤く腫れている。「かゆい、かゆい」と塩湯に足を漬けたり、薬を塗ったりケアに余念がない。被害の少ない私でも、その様子を見ていたら、なんだか体中がかゆくなってきた。本当にノミはかゆい・・。
だが、経緯はどうあれ、このままノミを放置しておくわけには行かない。妻は毎日その物置に行くので、ノミに刺されたり、知らぬうちにノミを家の中に運び込んだりしてしまう。車の中にいたノミも、妻にくっついてきたものが車の中まで乗り込んで私の腕を刺そうとしたのだろう。家の中にもたくさんいるかもしれない。このままにしておくと、体中刺されてしまうかもしれない。どうにかして早い段階で駆逐せねば!と妻がその夜から、ネットで対策をあれこれ検索し始めた。さすがに検索が大の得意である妻だけにいろいろとノミ退治の方法を探し出してきた。
まずは、バケツに水を入れ、その中に酒と洗剤を混ぜて、一晩中電灯を点けた部屋に置いておく。するとノミがバケツに集まってきて、水の中に沈んでしまう、という。どういう理由なのかは判然としないが、なかなか評判のいい方法らしく、早速試すことになった。物置に一晩置いた結果は・・、
ウソのようだが、本当にたくさんのノミが沈んでいる。黒い点々が全部ノミだが、まだまだ大量に潜んでいることだろう。妻が試しに物置に入ったら、一斉にのみがたかってきたと言うから、これの何倍もまだいるはずだ。それじゃあ、とバルサンを買ってきて炊くことにした。ノミにバルサンはあまり効果はないという説もあるようだが、とりあえず炊いてみなくては気持ちが治まらない。入り口と奥にひとつずつ点火してみた。
終了後、妻が物置に入って確かめたところ、前のようにノミがたかってくるようなことはなくなったようだ。かなりの効果はあったようだ。
しかし、これくらいではまだ油断できない。元を絶たなければ解決にはならない。と言ってもノラ猫たちを捕まえて、どうにかするなんてことはとてもできないから、自衛策として猫が物置や家の中に入り込めないように処置することにした。そこでペットショップに行って、結界を張るための道具を買ってきた。
袋を開けたら、細かな粒が入っていて、鼻をつんと刺激するいやなにおいがした。これを大量にまいておけば、猫が近づかなくなり、えさを失くしたノミもやがて死に絶えるだろう。これが一番いい考えかな、と思って、猫が出入りしそうなところにザッと撒いてみた。うまくいってくれればいいが・・。
しかし、妻の脚はいまだ無残にも点々と赤く腫れている。「かゆい、かゆい」と塩湯に足を漬けたり、薬を塗ったりケアに余念がない。被害の少ない私でも、その様子を見ていたら、なんだか体中がかゆくなってきた。本当にノミはかゆい・・。
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書店
先週の木曜日、いつもの書店に行ったらびっくりした。一番奥の書棚に本がない!!そこは高校生用の参考書や問題集が並べられていた棚で、この書店に行く度に必ずたたずむ場所だけに、本当に驚いた。「棚卸しかな?」とも思ったので、店員さんに聞いてみた。すると、なんだか奥歯に物が挟まったように、
「撤去したんです」
「撤去?問題集を?」
「はい・・」
「なんで?」
「社長が高校生の問題集はもう片付けろ、って言ったものですから・・。」
「売れないから?」
「まあ・・、そうですね・・」
と苦笑いする。
「今の高校生は本当に勉強しないものね」
と私が常日頃感じていることを正直に言うと、
「そういうことです」
と力なく答えた。
でも、私は困ってしまう。高校生用の問題集はなかなかいいものが売っている書店が少なく、この店が売らなくなってしまったら、少し遠くまで探しに行かなければならなくなる。
「困ったなあ・・」
と私がため息をつくと、
「すみません」
と店員は言ってくれたが、彼に非があるわけではないからそれ以上何も言えなかった。
一週間経った昨日、また同じ書店に行ったが、棚は空っぽのままだった。
開いたスペースをどう利用しようか決めかねているのだろうが、これだけガランとした空間があると、どうにもみすぼらしい。こんな状態を続けるなら、売れなくてもまだ参考書や問題集を並べておいたほうがずっと見栄えがする。どうしてすぐにでも善後策を講じないのか、まったく不思議だ。
私が思うに、書店を利用する人は大まかに分けて、
①週刊誌や月刊情報誌などを買う人
②マンガ本を買う人
③文芸書を買う人
④学習参考書や問題集を買う人
⑤趣味や娯楽のための本を買う人
⑥仕事関連の本を買う人
などに分けられると思うが、このうちの④をこの書店では半分放棄したわけだから、いくら大きな建物であっても、書店としての中身はかなり薄っぺらなものになってしまったように思う。ここ数年は、私の欲しい問題集がだんだん見つけられなくなってきて、他の書店に行く回数が増えてきたから不便は感じていたし、書店としての「気概」というものがだんだん萎んできているのではないか、と密かに心配していた。(書店にはその地域の文化を先導する役目があると思う。大げさな言葉を使えば、書店は、その地域の人々を啓蒙し、地域文化を活性化させようという「気概」を持つべきだと思う)その流れから言えば、こうした事態を予想できなかったわけではないが、それでもまさか高校生用の問題集を一切置かなくなるとまでは思いもしなかった。この書店を私は長い間利用していて、無理を聞いてもらったこともたびたびあり、少なからず恩義を感じている。その書店がこんな惨めな姿をいつまでもさらしているのはあまりに忍びない・・・。
私は今ちょっと迷っている。今までのように毎週この書店へ行くのを続けるべきかどうか・・。いくら世話になって来たといっても、欲しい本が見つからない書店などに行っても意味がない。しかし、サインをするだけで本を買うことができ、月ごとに清算してもらいまとめて支払いをする、こうした便宜を図ってくれる書店が果たして他にあるだろうか。その辺りを調べてからでないとなかなか結論は出ないような気がしている。
「撤去したんです」
「撤去?問題集を?」
「はい・・」
「なんで?」
「社長が高校生の問題集はもう片付けろ、って言ったものですから・・。」
「売れないから?」
「まあ・・、そうですね・・」
と苦笑いする。
「今の高校生は本当に勉強しないものね」
と私が常日頃感じていることを正直に言うと、
「そういうことです」
と力なく答えた。
でも、私は困ってしまう。高校生用の問題集はなかなかいいものが売っている書店が少なく、この店が売らなくなってしまったら、少し遠くまで探しに行かなければならなくなる。
「困ったなあ・・」
と私がため息をつくと、
「すみません」
と店員は言ってくれたが、彼に非があるわけではないからそれ以上何も言えなかった。
一週間経った昨日、また同じ書店に行ったが、棚は空っぽのままだった。
開いたスペースをどう利用しようか決めかねているのだろうが、これだけガランとした空間があると、どうにもみすぼらしい。こんな状態を続けるなら、売れなくてもまだ参考書や問題集を並べておいたほうがずっと見栄えがする。どうしてすぐにでも善後策を講じないのか、まったく不思議だ。
私が思うに、書店を利用する人は大まかに分けて、
①週刊誌や月刊情報誌などを買う人
②マンガ本を買う人
③文芸書を買う人
④学習参考書や問題集を買う人
⑤趣味や娯楽のための本を買う人
⑥仕事関連の本を買う人
などに分けられると思うが、このうちの④をこの書店では半分放棄したわけだから、いくら大きな建物であっても、書店としての中身はかなり薄っぺらなものになってしまったように思う。ここ数年は、私の欲しい問題集がだんだん見つけられなくなってきて、他の書店に行く回数が増えてきたから不便は感じていたし、書店としての「気概」というものがだんだん萎んできているのではないか、と密かに心配していた。(書店にはその地域の文化を先導する役目があると思う。大げさな言葉を使えば、書店は、その地域の人々を啓蒙し、地域文化を活性化させようという「気概」を持つべきだと思う)その流れから言えば、こうした事態を予想できなかったわけではないが、それでもまさか高校生用の問題集を一切置かなくなるとまでは思いもしなかった。この書店を私は長い間利用していて、無理を聞いてもらったこともたびたびあり、少なからず恩義を感じている。その書店がこんな惨めな姿をいつまでもさらしているのはあまりに忍びない・・・。
私は今ちょっと迷っている。今までのように毎週この書店へ行くのを続けるべきかどうか・・。いくら世話になって来たといっても、欲しい本が見つからない書店などに行っても意味がない。しかし、サインをするだけで本を買うことができ、月ごとに清算してもらいまとめて支払いをする、こうした便宜を図ってくれる書店が果たして他にあるだろうか。その辺りを調べてからでないとなかなか結論は出ないような気がしている。
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オールスター
昨日行われたMLBオールスターゲームは延長15回、ヤングの決勝犠飛でアメリカンリーグがサヨナラ勝ちした。試合終了は現地時間で午前1時30分を過ぎていた。このオールスター史上最長時間の試合を私は所々見たが、一番印象に残ったのはゲーム前のセレモニーだった。殿堂入りしたかつての名プレーヤーが自らのポジションに陣取るところへ、両リーグのファン投票で選ばれた各ポジションの先発メンバーが駆け寄っていき、挨拶を交わすという味な演出で楽しませてくれた。私はさほど過去のMLBの名選手に詳しいわけではないが、ハンク・アーロン、カル・リプケンJr.、レジー・ジャクソンなどは顔を見ればすぐに分かった。こうしたセレモニーを見るたびに、MLBが過去の名選手に敬意を払っているのがよく分かる。名選手もその名に恥じないほど堂々としていて、私でさえ彼らの姿を見られたことに胸が熱くなった。一時代を築いた人物には、どんな分野であれ、敬意を忘れることがあってはならない。
今年は現在のヤンキースタジアムが使われる最後の年であるため、それを記念してのメモリアル・オールスターゲームだった。松井秀喜も彼には珍しく出場を熱望する発言をしていたが、ひざ痛で試合出場もままならない状態ではどうしようもない、残念ながら願いはかなわなかった。ヤンキース入団後、1年目と2年目は連続で出場できたが、あのときは実力で勝ち取ったというよりも一種のブームで選ばれただけだから、真に力あるプレーヤーとして認められての出場は未だ果たしていないように思う。今年は開幕から、高打率を保ち、打点やHRは少ないもののけが人続出のヤンキースの中で頑張っていたから、何とか出場させてやりたかったが、こればかりはどうしようもない。ここ数年はけがに悩まされてばかりだが、体の状態さえ万全だったらなあ、と残念でならない・・。
などとオールスター戦を見終わった直後に書き留めておいた。が、その後ゴジ健さんから松井に関する衝撃的な情報を教えていただいた。
「左ひざを痛めて故障者リスト(DL)入りし、キャンプ地で調整していたヤンキース・松井秀喜外野手が、16日にニューヨークへ戻ることになった。左ひざの状態が悪化したためで、18日に精密検査を受ける。
報告を受けたヤンキースのキャッシュマン・ゼネラルマネジャー(GM)は、この日「すべては検査を受けてからだが、他の治療方法がなければ手術しかない」と、手術の可能性が高いことを示唆。この2日間、治療に専念していた松井秀も「球団と話すことになると思います。もし手術をするのならばプラスになると思ってする」と覚悟を決めた。
検査の結果を受けて手術を行えば、松井秀のメジャー6年目は事実上終わる」
私は松井がひざ痛でDLした直後は、今までどおり試合に出ながらだましだましやっていけばいい、手術の必要なんてないだろう、とひざの状態を軽く考えていた。だが、15日間のDLが明けても、復帰どころか本格的な練習も始められない日々が続き、ひざの状態はかなり深刻なんだなと思い始めた。そして何とかバッティング練習を始めたと聞いてちょっとほっとしたのも束の間、ひざがまた腫れてしまい、水を抜く処置を行ったとの報を受けて、もうこんなことを繰り返していてもだめだな、潔く手術を受けて来シーズン以降に捲土重来を期すべきだと思うようになっていた。だが、やはり現実に手術を受ける可能性が高くなったと聞けば、心が騒ぐ。ここ3年はけがでDL入りを繰り返し、松井のいない試合のつまらなさをいやというほど味わってきただけに、今年も残り試合松井の姿を見られないかと思うと暗然とした気持ちになってしまう。
だが、今はそんな目先のことを言っている場合ではない。松井がこのままで終わってしまうか、それともこの先新たな姿を私たちに見せてくれるかの大きな分岐点だ。確かに松井も34歳、今手術してもひざの状態が完全に元に戻るとは思えない。多少の違和感、痛みはずっと引きずっていかなければならないかもしれない。しかし、このままではもう先には進めない。退路を断って、がむしゃらに突き進むしかない。そのためにはひざを手術するしか方法はない。シーズンの半ばを過ぎ、これから優勝争いが熾烈を極める時期だけに、戦列を完全に離れる選択は難しいかもしれないが、走れない選手などいたところで、チームに何の役にも立たない。もう粛々と手術を受けるしかないだろう・・。
松井よ、何も心配するな。君の手術が成功するよう、祈るファンは日本中にいくらでもいる。大船に乗ったつもりで安心して手術を受けてくれ!!
手術が成功し、苦しいリハビリに耐え、以前のように、「走り、守り、打つ」ことができるようになるまで、私たちファンは君の姿を見守り、声援を送り続けよう。
そして、君の努力と私たちの願いが天に通じ、君が復帰を果たす試合では、あらん限りの声援を君の耳に届くよう叫ぼう。
私は今からその日が来るのが楽しみだ。
その日から、真の「ゴジラの逆襲」が始まるのだから!!
頑張れ、松井、頑張れ!!!
今年は現在のヤンキースタジアムが使われる最後の年であるため、それを記念してのメモリアル・オールスターゲームだった。松井秀喜も彼には珍しく出場を熱望する発言をしていたが、ひざ痛で試合出場もままならない状態ではどうしようもない、残念ながら願いはかなわなかった。ヤンキース入団後、1年目と2年目は連続で出場できたが、あのときは実力で勝ち取ったというよりも一種のブームで選ばれただけだから、真に力あるプレーヤーとして認められての出場は未だ果たしていないように思う。今年は開幕から、高打率を保ち、打点やHRは少ないもののけが人続出のヤンキースの中で頑張っていたから、何とか出場させてやりたかったが、こればかりはどうしようもない。ここ数年はけがに悩まされてばかりだが、体の状態さえ万全だったらなあ、と残念でならない・・。
などとオールスター戦を見終わった直後に書き留めておいた。が、その後ゴジ健さんから松井に関する衝撃的な情報を教えていただいた。
「左ひざを痛めて故障者リスト(DL)入りし、キャンプ地で調整していたヤンキース・松井秀喜外野手が、16日にニューヨークへ戻ることになった。左ひざの状態が悪化したためで、18日に精密検査を受ける。
報告を受けたヤンキースのキャッシュマン・ゼネラルマネジャー(GM)は、この日「すべては検査を受けてからだが、他の治療方法がなければ手術しかない」と、手術の可能性が高いことを示唆。この2日間、治療に専念していた松井秀も「球団と話すことになると思います。もし手術をするのならばプラスになると思ってする」と覚悟を決めた。
検査の結果を受けて手術を行えば、松井秀のメジャー6年目は事実上終わる」
私は松井がひざ痛でDLした直後は、今までどおり試合に出ながらだましだましやっていけばいい、手術の必要なんてないだろう、とひざの状態を軽く考えていた。だが、15日間のDLが明けても、復帰どころか本格的な練習も始められない日々が続き、ひざの状態はかなり深刻なんだなと思い始めた。そして何とかバッティング練習を始めたと聞いてちょっとほっとしたのも束の間、ひざがまた腫れてしまい、水を抜く処置を行ったとの報を受けて、もうこんなことを繰り返していてもだめだな、潔く手術を受けて来シーズン以降に捲土重来を期すべきだと思うようになっていた。だが、やはり現実に手術を受ける可能性が高くなったと聞けば、心が騒ぐ。ここ3年はけがでDL入りを繰り返し、松井のいない試合のつまらなさをいやというほど味わってきただけに、今年も残り試合松井の姿を見られないかと思うと暗然とした気持ちになってしまう。
だが、今はそんな目先のことを言っている場合ではない。松井がこのままで終わってしまうか、それともこの先新たな姿を私たちに見せてくれるかの大きな分岐点だ。確かに松井も34歳、今手術してもひざの状態が完全に元に戻るとは思えない。多少の違和感、痛みはずっと引きずっていかなければならないかもしれない。しかし、このままではもう先には進めない。退路を断って、がむしゃらに突き進むしかない。そのためにはひざを手術するしか方法はない。シーズンの半ばを過ぎ、これから優勝争いが熾烈を極める時期だけに、戦列を完全に離れる選択は難しいかもしれないが、走れない選手などいたところで、チームに何の役にも立たない。もう粛々と手術を受けるしかないだろう・・。
松井よ、何も心配するな。君の手術が成功するよう、祈るファンは日本中にいくらでもいる。大船に乗ったつもりで安心して手術を受けてくれ!!
手術が成功し、苦しいリハビリに耐え、以前のように、「走り、守り、打つ」ことができるようになるまで、私たちファンは君の姿を見守り、声援を送り続けよう。
そして、君の努力と私たちの願いが天に通じ、君が復帰を果たす試合では、あらん限りの声援を君の耳に届くよう叫ぼう。
私は今からその日が来るのが楽しみだ。
その日から、真の「ゴジラの逆襲」が始まるのだから!!
頑張れ、松井、頑張れ!!!
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襲来
暑い、とにかく暑い。なんでこんなに暑いのか?昨日の朝、外に出たら一瞬頭がボーっとした。まだ梅雨も明けていない7月半ばだというのに、こんなに暑くてはこの先が思いやられる。地球温暖化などという程度のものではなく、地球と太陽の距離が縮まっているのではないだろうか、などと突拍子もないことも考えてみたくなる。暑い、イヤになるくらい暑い・・。
梅雨の合間に急に暑くなると、時々塾舎の周りで大量に虫が発生する。川が横を流れていて、山が迫ったところにあるのだから、虫くらいいくらでもいるが、この時期に大量に発生する虫は想像を絶するくらいだと言っても過言ではない。いつもは蚋のように小さな虫が発生して、塾の窓という窓をびっしり覆い、気持ちが悪くてブラインドを閉めなくてはとても授業にならない。しかもわずかな隙間から侵入してくる奴らもいて、時にはパニックになった女子生徒が悲鳴を上げたりして、なかなか授業に集中できなくなることもある。周りに明るい建物がないため、塾舎が誘蛾灯のような役目をしているのだろうが、傍迷惑にもほどがある。殺虫剤をまけばいいのかもしれないが、扉や窓をびっしり閉めた部屋で殺虫剤を撒き散らせば生徒たちの体によくない気がして、なかなかそうはできない。仕方なく虫に気づいた者が手でパチパチ叩いたり潰したりするしかなくなる。年に2・3日のことではあるが、私にとってはまったく憂鬱な時でもある。
だが、今年は虫の種類が違った。羽ありのようなものが大挙して押し寄せてきたのだ。
長さ5mmほどの羽ありが大量に窓に張り付いてうごめいているのは、無茶苦茶おぞましい。ただ窓に張り付いているだけならブラインドさえ閉じれば見なくてすむ。だが、玄関の扉は出入りするときにどうしても触らなくてはいけないところだ。そこのガラスに写真のようにウジャウジャいたら、虫嫌いの女子生徒でなくても悲鳴を上げる。困った、どうしよう。いくら叩いて潰しても次から次にやってくるだろうから、きりがない。そんなものより何か他にいいものはないだろうか・・。そんな時、この様子を偶然目にした妻が「これを置いてみたら」と言って持って来てくれたのがこれだ。
「火を使わない! 犬猫用 虫よけ安泉香」と名づけられている。「虫よけ芳香ゲル」というものが中心になって、ユスリカ・チョウバエなどの不快害虫を寄せ付けなくしてくれるそうだ。「特長」として、
・忌避成分が常温で揮散し、広くゆきわたります。
・忌避成分は天然ハーブ精油。そのうえ煙が出ませんので、人にペットにやさしく使えます。
・シトロラネとユーカリの爽やかな香り。
などと書かれている。ペット用だというのがちょっとひっかかったが、物は試しと開封して玄関横の傘立ての上においてみた。すると・・・、
2時間ほどしたら、嘘のように羽ありがいなくなっていた。たまたま何かの関係で虫がいなくなったのかもしれないが、これだけきれいにいなくなったのをみると、「虫よけ安泉香」の効果だと信じないわけにはいかない。それ以来ずっと傘立ての上に置くようになったが、まだまだ虫が集まって来なくなったわけではないので、完璧な効果を持ったものではないようだ。それでも、数はかなり減ったのは事実なので、これからもずっと置いておこうと思っている。
梅雨の合間に急に暑くなると、時々塾舎の周りで大量に虫が発生する。川が横を流れていて、山が迫ったところにあるのだから、虫くらいいくらでもいるが、この時期に大量に発生する虫は想像を絶するくらいだと言っても過言ではない。いつもは蚋のように小さな虫が発生して、塾の窓という窓をびっしり覆い、気持ちが悪くてブラインドを閉めなくてはとても授業にならない。しかもわずかな隙間から侵入してくる奴らもいて、時にはパニックになった女子生徒が悲鳴を上げたりして、なかなか授業に集中できなくなることもある。周りに明るい建物がないため、塾舎が誘蛾灯のような役目をしているのだろうが、傍迷惑にもほどがある。殺虫剤をまけばいいのかもしれないが、扉や窓をびっしり閉めた部屋で殺虫剤を撒き散らせば生徒たちの体によくない気がして、なかなかそうはできない。仕方なく虫に気づいた者が手でパチパチ叩いたり潰したりするしかなくなる。年に2・3日のことではあるが、私にとってはまったく憂鬱な時でもある。
だが、今年は虫の種類が違った。羽ありのようなものが大挙して押し寄せてきたのだ。
長さ5mmほどの羽ありが大量に窓に張り付いてうごめいているのは、無茶苦茶おぞましい。ただ窓に張り付いているだけならブラインドさえ閉じれば見なくてすむ。だが、玄関の扉は出入りするときにどうしても触らなくてはいけないところだ。そこのガラスに写真のようにウジャウジャいたら、虫嫌いの女子生徒でなくても悲鳴を上げる。困った、どうしよう。いくら叩いて潰しても次から次にやってくるだろうから、きりがない。そんなものより何か他にいいものはないだろうか・・。そんな時、この様子を偶然目にした妻が「これを置いてみたら」と言って持って来てくれたのがこれだ。
「火を使わない! 犬猫用 虫よけ安泉香」と名づけられている。「虫よけ芳香ゲル」というものが中心になって、ユスリカ・チョウバエなどの不快害虫を寄せ付けなくしてくれるそうだ。「特長」として、
・忌避成分が常温で揮散し、広くゆきわたります。
・忌避成分は天然ハーブ精油。そのうえ煙が出ませんので、人にペットにやさしく使えます。
・シトロラネとユーカリの爽やかな香り。
などと書かれている。ペット用だというのがちょっとひっかかったが、物は試しと開封して玄関横の傘立ての上においてみた。すると・・・、
2時間ほどしたら、嘘のように羽ありがいなくなっていた。たまたま何かの関係で虫がいなくなったのかもしれないが、これだけきれいにいなくなったのをみると、「虫よけ安泉香」の効果だと信じないわけにはいかない。それ以来ずっと傘立ての上に置くようになったが、まだまだ虫が集まって来なくなったわけではないので、完璧な効果を持ったものではないようだ。それでも、数はかなり減ったのは事実なので、これからもずっと置いておこうと思っている。
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コンチキチン
妻が京都の祇園祭の見学に行ってきた。娘が京都にいる間に一度は行きたいと常々言っていたから、やっと思いが叶ったことになる。とは言え、17日の山鉾巡行を見学するには日程が合わず、雰囲気だけでも味わえたら、と日曜日の午後に出かけて月曜の昼過ぎには戻ってきた。慌しくはあったがそれなりに楽しめたようで、私が頼んでおいた写真も何枚か撮ってきてくれた。夏の京都の代名詞ともいえる祇園祭の様子を以下に載せてみよう。
どうだろう、「コンチキチン」というお囃子が聞こえてこないだろうか・・。京都の夏は暑いと言われるが、この日も本当に暑かったそうだ。「暑いし、人手も多いし、歩き疲れてくたくた・・」と妻は嘆いていたが、それでも祇園祭の風情を十分味わってきたようだ。羨ましい・・・。
それと妻が買ってきてくれた粽。「学業成就」のご利益があるという白楽天山という山鉾をわざわざ探して買ってきたという、妻の気合が入った一品だ。早速塾の入り口に掲げた。
大文字の送り火は見るぞ!!
どうだろう、「コンチキチン」というお囃子が聞こえてこないだろうか・・。京都の夏は暑いと言われるが、この日も本当に暑かったそうだ。「暑いし、人手も多いし、歩き疲れてくたくた・・」と妻は嘆いていたが、それでも祇園祭の風情を十分味わってきたようだ。羨ましい・・・。
それと妻が買ってきてくれた粽。「学業成就」のご利益があるという白楽天山という山鉾をわざわざ探して買ってきたという、妻の気合が入った一品だ。早速塾の入り口に掲げた。
大文字の送り火は見るぞ!!
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「灯台守の恋」(2)
2年半ほど前に「灯台守の恋」というフランス映画について記事を書いた。そのときは新聞の映画評をそのまま写しただけの記事になってしまったが、昨日夕方6時過ぎからWOWOWでその映画が放送された。毎月送られてくる放送予定を列記した冊子の中にこの映画の題名を見つけて以来、ほぼ半月近くずっと楽しみにしてきた。ひょっとしたら見落とすことがあるかもしれない、と妻に頼み込んで録画をしてもらったが、何とか開始時間にTVの前に座ることができて、100分ほどの映画を最後まで見ることができた。
このブログで記事にしたことはなんとなく覚えていたが、映画のストーリーがどうだったのかなどはかなりアヤフヤになっていた。「記事を読み返そうかな」とも思ったが、映画を見ればすべて分かることなので、余計なことはしないでおこうと決めた。
いい映画だった。思わず泣けちゃうほどに・・。一応これでもフランス語を専攻した身であり、大学生の頃は英語よりもフランス語のほうが理解できる、となどと思っていた私ではあるが、そんなことは遥か昔のこと、この映画を見ている間に聞き取れたのは、Oui か Non くらいで、「お前はいったい何を勉強したんだ?」と自分に突っ込みを入れたくなった。だが、幸いなことに字幕が入っていて、映画の人物が話すことの内容はきちんと伝わる。さすがにこれは意訳過ぎるだろう、と思いたくなるような場面もいくつかあったが、まあ、それもインチキ仏文学生の成れの果ての感想だから、当てになるものじゃない・・。
私はフランス映画というものをそれほど見たことがあるわけではないので、何も偉そうなことは言えないが、アチラの人々の考え方、特に恋愛に関する性向は私のような者には少しばかり理解しがたい。いくら互いに惹かれるものがあったとしても、単一民族で占められた島へ灯台守見習いとしてやってきたよそ者と、その上司の妻とがいとも簡単に結ばれてしまうというのは、さすがに流れる血が違う、と思わざるをえなかった(もう少し互いの心の濃淡が描かれた方が情緒があったかも・・)。しかし、恋に落ちる瞬間というのは神の啓示のようなもので、心が共鳴してしまえばもう一気に突き進んでしまうものなのかもしれない。まあ、それも当人同士のことだけで、そのあおりを食らう周りの者たちは、そんな詩的なものではないだろうが・・。
と、いかにも分別くさいことを言っても、これほど魅力的な女性が目の前にいたらどうだろう、などと思わずにいられないほどの色香を称えているのがマベ役の女優、サンドリーヌ・ポネール。
彼女は、「私なら、アントワーヌ(花火の夜に結ばれた相手)と一緒に島を出て行ったわ」とインタビューに答えたそうだが、それがかの国での一般的な性向なのだろうか。確かに燃え上がる恋の炎を消し去ることは容易ではないし、行き着くところまで行くのも自分に正直な生き方なのだろう。だが、マベのように心の奥に炎をしまいこんで、秘めたる恋(情事を目撃した男によって寝取られた夫[フランス語でcocu]に二人の関係は知られてしまうが・・)に生きた女性をテーマにした映画が作られるということは、ともすれば大胆に恋愛感情をあらわにすると思われがちなヨーロッパ人も、日本的な人情の機微を少しは理解できるのかな、と偉そうなことを考えてしまった・・。
そんなことはともかく、アントワーヌ役のグレゴリー・デバンジェールという役者の顔が、名古屋場所で綱とりなるかと期待していた大関琴欧洲によく似ていたのが最後まで気になった。この映画が始まる前に相撲中継を見ていて、苦手安美錦に一方的に押し出されて、がっかりしたばかりだったから余計そう見えたのかもしれないが、はにかみがちに微笑んだりすると優しそうで、本当によく似てると思った。
二人の写真を並べてみると、この二人が出会えば恋に落ちるのも仕方ないように思える・・。
このブログで記事にしたことはなんとなく覚えていたが、映画のストーリーがどうだったのかなどはかなりアヤフヤになっていた。「記事を読み返そうかな」とも思ったが、映画を見ればすべて分かることなので、余計なことはしないでおこうと決めた。
いい映画だった。思わず泣けちゃうほどに・・。一応これでもフランス語を専攻した身であり、大学生の頃は英語よりもフランス語のほうが理解できる、となどと思っていた私ではあるが、そんなことは遥か昔のこと、この映画を見ている間に聞き取れたのは、Oui か Non くらいで、「お前はいったい何を勉強したんだ?」と自分に突っ込みを入れたくなった。だが、幸いなことに字幕が入っていて、映画の人物が話すことの内容はきちんと伝わる。さすがにこれは意訳過ぎるだろう、と思いたくなるような場面もいくつかあったが、まあ、それもインチキ仏文学生の成れの果ての感想だから、当てになるものじゃない・・。
私はフランス映画というものをそれほど見たことがあるわけではないので、何も偉そうなことは言えないが、アチラの人々の考え方、特に恋愛に関する性向は私のような者には少しばかり理解しがたい。いくら互いに惹かれるものがあったとしても、単一民族で占められた島へ灯台守見習いとしてやってきたよそ者と、その上司の妻とがいとも簡単に結ばれてしまうというのは、さすがに流れる血が違う、と思わざるをえなかった(もう少し互いの心の濃淡が描かれた方が情緒があったかも・・)。しかし、恋に落ちる瞬間というのは神の啓示のようなもので、心が共鳴してしまえばもう一気に突き進んでしまうものなのかもしれない。まあ、それも当人同士のことだけで、そのあおりを食らう周りの者たちは、そんな詩的なものではないだろうが・・。
と、いかにも分別くさいことを言っても、これほど魅力的な女性が目の前にいたらどうだろう、などと思わずにいられないほどの色香を称えているのがマベ役の女優、サンドリーヌ・ポネール。
彼女は、「私なら、アントワーヌ(花火の夜に結ばれた相手)と一緒に島を出て行ったわ」とインタビューに答えたそうだが、それがかの国での一般的な性向なのだろうか。確かに燃え上がる恋の炎を消し去ることは容易ではないし、行き着くところまで行くのも自分に正直な生き方なのだろう。だが、マベのように心の奥に炎をしまいこんで、秘めたる恋(情事を目撃した男によって寝取られた夫[フランス語でcocu]に二人の関係は知られてしまうが・・)に生きた女性をテーマにした映画が作られるということは、ともすれば大胆に恋愛感情をあらわにすると思われがちなヨーロッパ人も、日本的な人情の機微を少しは理解できるのかな、と偉そうなことを考えてしまった・・。
そんなことはともかく、アントワーヌ役のグレゴリー・デバンジェールという役者の顔が、名古屋場所で綱とりなるかと期待していた大関琴欧洲によく似ていたのが最後まで気になった。この映画が始まる前に相撲中継を見ていて、苦手安美錦に一方的に押し出されて、がっかりしたばかりだったから余計そう見えたのかもしれないが、はにかみがちに微笑んだりすると優しそうで、本当によく似てると思った。
二人の写真を並べてみると、この二人が出会えば恋に落ちるのも仕方ないように思える・・。
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夏織り てふき
もうこうなると単なるおまけとは呼べないよなあ、などという思いで集めたサントリー「伊右衛門」に付いていた「夏織り てふき」。綿で作られていて、袋から取り出して触ると少しゴワゴワするが、何度か水洗いするうちにきっと手に馴染んでくるのだろう。柄の描かれた少し厚手の布地の裏に、ガーゼ状の布がもう一枚重ねられていて、これなら案外長い間使えるかもしれない。中国製だけに縫製がイマイチかなと思わないでもないが、まあ、おまけだからそのあたりは大目に見なくてはいけないだろう。
私がこの「てふき」を気に入った一番の理由は、なんと言っても表地に描かれた柄の綺麗さだ。「夏織り」と銘打つだけに日本の夏を感じさせる風物が6種類描かれている。いるかどこかで見たことのある図柄ばかりだが、それがかえって郷愁を誘うような気がする・・。
「細渦」
「青海波」
「竹縞」
「花火」
「金魚」
「朝顔」
愛知県では梅雨が明けたとの発表はまだないが、昨日は35℃近くまで気温が上昇し、昨年の猛暑の再現か!と少々気持ちがげんなりした。しかし、たとえどんな酷暑であっても、吹き出る汗を拭いながら何とか乗り切らねばならない。そのためには、この「てふき」がきっと役に立ってくれるだろう。いつもポケットに入れておこう。
私がこの「てふき」を気に入った一番の理由は、なんと言っても表地に描かれた柄の綺麗さだ。「夏織り」と銘打つだけに日本の夏を感じさせる風物が6種類描かれている。いるかどこかで見たことのある図柄ばかりだが、それがかえって郷愁を誘うような気がする・・。
愛知県では梅雨が明けたとの発表はまだないが、昨日は35℃近くまで気温が上昇し、昨年の猛暑の再現か!と少々気持ちがげんなりした。しかし、たとえどんな酷暑であっても、吹き出る汗を拭いながら何とか乗り切らねばならない。そのためには、この「てふき」がきっと役に立ってくれるだろう。いつもポケットに入れておこう。
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スパゲティー
昨日金曜日、歯医者への通院がひとまず完了した。まだまだ治療してもらわなければならない歯が何本か残っているから、9月になったらまた通い始めるつもりでいるが、とりあえず「前半戦終了」といった感じだ。2ヶ月間、あれほどイヤでたまらなかった歯医者に、痛くてどうしようもなかったとはいえ、2ヶ月間も通うことが出来たのはすごいことだと自惚れたくなる。でも、これも妻が毎回付き添ってくれた賜物であるから、一応の区切りが付いたところで、感謝の気持ちを表すため、ちょっとした「打ち上げ」をすることにした。と言っても、ただ歯医者で最後の治療を終えた後で昼食を食べに行っただけのことだが・・・。
「何を食べよう?」と聞いたら、前夜TVで見た「あんかけスパゲティー」を食べたいと言った。名古屋めしとしてこの頃では広く定着した感のある「あんかけスパゲティー」は私たちこの地方の住む人間にとっては味覚が合うのだろう、私も定期的に食べに行っている。市内に「あんかけスパゲティー」を食べさせる店も増え、どこにするか選べるようにもなったが、私は昔からある「からめ亭」の黒胡椒の入ったあんの味がやっぱり好きで、昨日も迷わず行くことにした。
私が頼んだのは、エビの入った玉子焼きを上にのせた「ナポリ」。歯医者もこれで一旦終了かと思ったら、肩の荷が下りた気がしてお腹がすいてきた。思わずLサイズ450gのものを頼んだ。
この店は1年ほど前に経営者が変わってしまった。チェーン店だから人が変わったところで味に変化はないように思うが、やはり作り手によって微妙な味の違いが出るのは面白い。私は以前の方が黒胡椒の味がもっと際立っていたように思うが、それでも久しぶりに食べた「あんかけスパゲティー」は美味しかった。
確かに「あんかけスパゲティー」は美味しい。だが、私にとって一番のスパゲティーは、やはり喫茶店で出されるような、昔ながらのトマトケチャップのスパゲティー、一般的には「ナポリタンスパゲティー」と呼ばれているようだが、私たちの周りでは昔から「イタリアンスパゲティー」もしくは「イタスパ」と呼ばれるものだ。
ゆであがった麺をフライパンに入れ、ケチャップをかけてねぎやピーマンやソーセージなどと炒める、まさに「炒スパ」である・・。それが玉子焼きををしいた鉄板の上に乗せられて出てくる、まるで古典的なスパゲティーだが、やはりこれが最高だ。洒落たイタメシ屋などで食べられるスパゲティーと比べたら、まったくの別物にしか見えないかもしれないが、私にとってのスパゲティーはまさにこれだ。(トマトが大嫌いな私が、ケチャップを好きなのは変な話だが、多分小さなときにケチャップがトマトから出来ているのを知らなかったせいだろう・・)写真のスパゲティーは先月映画を見に行った帰りに、映画館と併設しているショッピングセンターの中の洋食屋で食べたものであるが、本当に美味しかった。映画を見に行くたびにその店に入って毎回同じものを注文している。これを食べたら他のものなど注文したくなくなる。何だか食材をこねくり回して「これが美味しいだろう!」などと偉そうに出てくる料理が多い中、こうしたシンプルな味わいのものの方が私の口には合う。
スパゲティーをツルツルと口に入れれば、両方の奥歯で噛める、こんな当たり前のことがやっと私にはできるようになった。これも歯医者のおかげだ。9月になったら、必ず行こう!!
「何を食べよう?」と聞いたら、前夜TVで見た「あんかけスパゲティー」を食べたいと言った。名古屋めしとしてこの頃では広く定着した感のある「あんかけスパゲティー」は私たちこの地方の住む人間にとっては味覚が合うのだろう、私も定期的に食べに行っている。市内に「あんかけスパゲティー」を食べさせる店も増え、どこにするか選べるようにもなったが、私は昔からある「からめ亭」の黒胡椒の入ったあんの味がやっぱり好きで、昨日も迷わず行くことにした。
私が頼んだのは、エビの入った玉子焼きを上にのせた「ナポリ」。歯医者もこれで一旦終了かと思ったら、肩の荷が下りた気がしてお腹がすいてきた。思わずLサイズ450gのものを頼んだ。
この店は1年ほど前に経営者が変わってしまった。チェーン店だから人が変わったところで味に変化はないように思うが、やはり作り手によって微妙な味の違いが出るのは面白い。私は以前の方が黒胡椒の味がもっと際立っていたように思うが、それでも久しぶりに食べた「あんかけスパゲティー」は美味しかった。
確かに「あんかけスパゲティー」は美味しい。だが、私にとって一番のスパゲティーは、やはり喫茶店で出されるような、昔ながらのトマトケチャップのスパゲティー、一般的には「ナポリタンスパゲティー」と呼ばれているようだが、私たちの周りでは昔から「イタリアンスパゲティー」もしくは「イタスパ」と呼ばれるものだ。
ゆであがった麺をフライパンに入れ、ケチャップをかけてねぎやピーマンやソーセージなどと炒める、まさに「炒スパ」である・・。それが玉子焼きををしいた鉄板の上に乗せられて出てくる、まるで古典的なスパゲティーだが、やはりこれが最高だ。洒落たイタメシ屋などで食べられるスパゲティーと比べたら、まったくの別物にしか見えないかもしれないが、私にとってのスパゲティーはまさにこれだ。(トマトが大嫌いな私が、ケチャップを好きなのは変な話だが、多分小さなときにケチャップがトマトから出来ているのを知らなかったせいだろう・・)写真のスパゲティーは先月映画を見に行った帰りに、映画館と併設しているショッピングセンターの中の洋食屋で食べたものであるが、本当に美味しかった。映画を見に行くたびにその店に入って毎回同じものを注文している。これを食べたら他のものなど注文したくなくなる。何だか食材をこねくり回して「これが美味しいだろう!」などと偉そうに出てくる料理が多い中、こうしたシンプルな味わいのものの方が私の口には合う。
スパゲティーをツルツルと口に入れれば、両方の奥歯で噛める、こんな当たり前のことがやっと私にはできるようになった。これも歯医者のおかげだ。9月になったら、必ず行こう!!
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