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オブジェ

 塾の横にある珪砂工場の倉庫、そこのちょっとした空き地に琉球朝顔が咲き始めた。

 

 これだけ見ているなら鮮やかな濃紺の大きな花弁が見事で、なかなかの景観ではあるが、昨年塾舎の玄関口に父が植えた琉球朝顔が夏を過ぎ、秋を過ぎても毎日咲き誇って、寒気を感じ始めた頃でも相変わらずの勢いを保っていたのを見て、その生命力の強さに少しばかり不気味なものを感じて、根こそぎ抜いてしまった。もう二度と琉球朝顔は植えないでくれ、と父に頼んでおいたので、今年は昔ながらの朝顔を鉢に植えて育てている。種を蒔いてしばらくしても芽が出てこなかったため、心配していたが、このところ次々と芽が出始め、今までの鬱憤を晴らすようにぐんぐん成長を始めたので、父が竹で支えを作ってくれた。


 この朝顔なら、夏の風物詩として季節感を味あわせてくれる。しかし、いつまでも枯れずにいる琉球朝顔は、風流心を解さない花のように思えて、本当は上の写真の琉球朝顔も抜いてしまいたいぐらいだが、他所の土地に生えているものであり、そんな酷いことをしたなら逆に私こそ「モノノアハレ」が分からない鈍物になってしまうので、我慢している・・。
 景観として琉球朝顔をどう評価するかは人によるだろうが、最近橋を渡ったところにあるタイル工場に面白いオブジェ(?)が並べられて、近所でちょっとした話題になっている。この工場では、多くの南米人が働いている。一週間ほど前、その中の一人が、工場の敷地と道路の境界にレンガを並べて高さ30~50cmほどの壁を10mほど作った。タイル工場で働いている人にしては、専門家のような腕前でなかなかの出来栄えだ。


 やはり赤レンガというのはいい。大学の校舎を思い出したりして、なぜか郷愁を誘う。よく見れば薄汚いレンガだが、まっすぐに並べられていると颯爽とした感じがしていい。普段は粉塵や騒音を撒き散らす公害企業だが、たまには洒落たこともするものだ、と私なりに高評価を与えていたこのレンガの壁に、2、3日前一風変わった物が並べられた。遠目で見ては何なのかよく分からなかったので、近づいてみた。

  

 魚だ。魚の形をしたタイルだ。黒、白、茶の3種類の魚がずらっと並べられている。特別綺麗なものでもなく、形に工夫がされているわけでもないが、どことなく可愛らしい。何でこんなものを、と思いながら触ってみたら、持ち上げることができた。接着剤などで貼り付けられているのではなく、ただそこに乗せられているだけだ。これじゃあ、道行く人が持っていってしまうかも、と思ったが、持って行って使い道などあまりないだろうし、飾るにもさほど魅力的なものでもないから、そんな心配などしなくてもいいかもしれない・・。
 
 それでも、ちょっと面白い。

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コロッケ

 火曜日にお千代保稲荷に参拝しに行こうと思っていたら、目が覚めると雷鳴がとどろいていた。雨も激しく降っていて、これでは高速道路を運転するのはイヤだな、と思って階下に降りていったら、妻が「今日は無理みたいだね、天気予報でも大雨だって言ってるし」と言った。「そうだよなあ・・。わざわざこんな日に行かなくてもいいよなあ」と簡単に話がまとまり、水曜日に日延べをした。(火曜は雷雲が過ぎた後は雨も上がって、昼過ぎには陽まで差してきた。なんだか天気予報に騙されたような一日だった)
 昨日水曜日もあまりいい天気ではなかった。どんより黒雲が空を覆って、いつ降り出してもおかしくないように見えた。それでも帰ってくるまでは、何とか降らないでくれないだろうか、と淡い望みを抱きながら出かけた。妻と伯母の三人での道行はもう手馴れたもので、車の中で会話が途切れることはない。なんだかんだと話しているうちにお稲荷さんに着いてしまうのだから、楽なものだ。もちろん運転する私は神経を集中しているのだが、適度にリラックスしながら運転した方が疲れが少なくてすむ。片道1時間弱の道のりが行くたびに短く感じられるのは、楽しく運転できているからなのだろう。

 週の半ばで雨も予想される天候では、人出は少ないのかなと思っていたが、案に反して境内にはそこそこの賑わいがあった。


 夏期講習が大過なく進められるように祈るとともに、自らの気持ちを引き締めてきた。今年の夏も暑くなりそうだが、体調に留意し、交通安全に励みながら、生徒全員の学力を増すよう頑張ろうと誓った。
 
 一番最初にこのお稲荷さんを参拝したときのことを「ワンダーランド」という記事にして以来、1年以上月に一回参拝しているが、今でも参道を歩くたびに「ワンダーランド」だという思いを新たにしている。毎回行くたびに何か1つは新しい発見をしている。実に面白い場所だ。
 今回は、参拝を終えていつも立ち寄る漬物屋に向かう途中で妻が見つけた「コロッケ」。


「チーズ入りうなぎコロッケ」と店先に書いてあったのを目敏く見つけた妻が、「どういう味がすると思う?」と私にたずねてきた。「う~ん、うなぎが入ったコロッケなんだろうが、チーズがどんな役目をしてるんだろう?チーズコロッケにうなぎを入れたものなのかなあ・・・」などと、いい加減な答えをしてしまったが、論より証拠、一つ買ってみようということになって、私が店の中に入った。「うなぎのコロッケを一つください」と店番のおばちゃんに言ったら、「10分ほど待ってくださいね」と言う。それじゃあ、漬物屋に行った帰りに取りに来ればいいや、と思って、代金120円を先払いした。「僕の顔をしっかり覚えておいてよ」と念を押して店を出たが、「へへへ」と笑うばかりの頼りないおばちゃんだった。
 漬物屋であれこれ試食しながら、私が気に入っている「味噌ごぼう」の漬物などを買ってから、先ほどの店に向かった。「出来ました?」とおばちゃんに声をかけると、「?」と不思議そうな顔をした。「もう忘れちゃったの?」と聞き直すと、「ああっ!」と手を打って奥に引っ込んだ。すぐに戻ってきて、「お待ちどう様」とコロッケを渡してくれた。


 小ぶりなコロッケだ。さすがにいい年の大人が歩きながら食べるのは気がひける。車に戻ってから、妻が2つに割って中身を見せてくれた。ころもの中には、うなぎの蒲焼が一切れとジャガイモのすりつぶしたものとがちょうど半々になっていた。チーズはどうなった?と思いながら、一口食べさせてもらったが、チーズの味はあまりしなかった。まずくはなかったが、特別おいしくもない。うなぎをあえてコロッケにする必要はないよな・・というのが素直な感想だった。
 でも、妻は半分私に食べられたのが悔しいらしく、来月こそは一個丸々食べると息巻いている・・。
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Excel

 塾の月謝は、大部分の生徒に銀行振り替えの手続きをしてもらっている。月謝袋を使っている生徒も何人かいるが、今では少数だ。銀行振り替えの方が安全だし、塾側としても管理がし易いので、できるだけ銀行振り替えにしてもらっている。毎月始めに、各生徒の振り替え金額を書いた依頼書を銀行に提出するのだが、その役目は私がすることになっている。銀行が引き落とし先の氏名を書いた用紙を作ってくれるので、それに金額を書けばいいだけだが、何せお金に関することだけに間違いがあってはならない。その用紙に書き込む前に私がExcelを使って下書きを作り、それをもとに用紙に書き込んだり、各生徒に配る振り替え明細を作ったりしている。
 3年ほど前までは、銀行に届ける用紙をコピーして、そこに金額を手書きしてから計算機で合計金額を出していた。子供の頃にそろばんを習ったおかげで、暗算にはかなり自信があった私だが、寄る年波には勝てず、計算間違いをすることがたびたびあり、何度も銀行に迷惑をかけた。このままじゃちょっとまずいだろうと、知恵を絞ってみたところ、Excelを使って表計算までしてもらえば、そんな間違いもなくなるだろうと思い至った。それまで一度もExcelを開いたことはなかったので、入門書を片手に試行錯誤を繰り返しながら、かなり難しかったが、それでも何とか形を整えることに成功して、それ以来ずっとExcelで下書きを作るようになった。
 7月の振り替え用紙もそろそろ銀行に提出しなければならないな、と思ったのが数日前。Excelを開いて、「月謝」をクリックしてみたが、「ファイルが見つかりません」と出てしまった。なに?と思いながら繰り返しても結果は同じ。どういうこと?と途方にくれかけたとき、重大なことを思い出した。最近またPCが重くなってきて動きが悪くなってきたものだから、要らぬものは整理しようと、あれこれゴミ箱に入れていたときに、「マイドキュメント」にあった「月謝」というファイルを捨てたのを思い出した。ひょっとしたらあれがExcelのファイルだったのだろうか?ExcelはExcelの中に記憶されるんじゃないの?違うのかなあ?
 事情通の妻に聞いたところ、「何バカなことやってるの?」の一言で片付けられてしまった。「ゴミ箱から拾ってくればいいじゃん」「ゴミ箱も空にしちゃったから」「データのバックアップはしてないの?」「うん・・」「ちゃんとするように言ってるでしょ、いつも」「うん・・」「まったく・・。じゃあ、ファイルを復元してみたら。うまくいく可能性は少ないかもしれないけど、探せば色々無料ソフトはあると思うよ」「やってみる・・」
 確かに「ファイル復元ソフト」はネット上にいくつもあった。うまくいくかな?と半信半疑でダウンロードしてみた。試してみたら、ファイルを見つけることはできたが、開いてみたら文字化けみたいになっていて何が何やら分からない状態で、とても使い物にならなかった。「だめだ、こりゃ・・」。だが、銀行に提出する期限はだんだん近づいてくるし、グズグズしている訳にはいかない。「作り直すか」と気を取り直して、もう一度初めからExcelで作り直すことにした。
 いくら一度作ったことがあるといっても、3年も前の話だし、普段は数字を入力するだけで、どうやって表を作ったのかまったく覚えていない。妻が昔通っていたパソコン教室のテキストを借りてきて、その通りにやろうとしたが、説明を読むのが面倒で、途中でイヤになってくる。結局は生徒の氏名を入れて、月謝や問題集代、模擬試験代などという明細を入力したら、それが縦と横に自動で足し算されるようにすればいいだけだから、それほど難しくはないはずだ。関数式を入力して、などという説明はよく分からないが、今までも∑を使ったことは何度もあるのだから、それを利用すれば横列の足し算はすぐにできる。後はそれをすべての行で自動的に計算してくれるようにできればいいのだが・・・。どうやるんだろう?
 さすがにここだけはテキストを隅々まで読んだ。すると、「数式をコピーする」という項目が見つかった。それによれば、一番上の横列に∑を使って右端のセルに合計を出しておき、「マウスポインタをそのセルの右下のフィルハンドルの部分に近づけ」ると「ポインタの形が+に変わる」ので、「そのままその計算をしたい行までまっすぐ下方向にドラッグ」すればいいことが分かった。なるほど、そういえばかつて昔もそんなことをしたような記憶がある。最近はまったく忘れてしまっていて、新しく行を加えると、計算を自動的にしてくれないのでその都度、∑を使って足し算していただけに、新しい発見をしたようで嬉しかった。この技を使えば、これからはずいぶん楽になりそうだ。
 などと2時間ほどかかかってやっと完成した表は、以前のものとまったく同じものとなった。これで来月からは数字を入力すればいいだけだ。よかった、よかった。

 おっと、バックアップはしておかなくちゃね。
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復活

 そう言えば、トルストイに「復活」という小説があったなあ、などと軽い思いで始めたカブトムシの「復活」のための儀式・・。これほどまで苦労するとは思わなかった。たかがちっぽけなカブトムシの幼虫の命なんざ、チョチョイノチョイで「復活」させてみせる、簡単さ、などと我が家秘伝の奥義の書を片手に始めたのはよかったが、何せ遥か昔に書かれた書であるため、ところどころ破損し、しかも墨跡がかすれ気味で読み取れない箇所もいくつかあり、呪文を何度も間違えてしまった。そのたびにピクリとする幼虫の死骸にちょっと気味の悪さを感じながらも、このままBK(Beetle Killer)の汚名に甘んじているわけにはいかない、何としてでも雪がねば!と強い意志を持って、昼夜を分かたず、ここ数日必死になった。これほど心血を注いだことは今までなかったなあ、などと妙な充実感を抱いたころにふと唱えた呪文(門外不出ゆえ、ここに書き記すことはできないが)、これが思いがけずもビンゴ!!、硬く黒ずんでいた幼虫の体に一瞬電気が走ったかのような反応が起こり、すっと体全体から黒ずみが消え、かつてのような透き通った白さが戻ってきた。「おお!!」と思わずあげた私の叫び声に呼応したかのように幼虫の何本もある足がもぞもぞし始めた。「成功だ!やったぞ!!」


 死体を残してあったのが、2匹の幼虫だけだったので、前と比べれば数は減ってしまった。それによく見れば体も小ぶりだ。「復活」の際にエネルギーを相当使ったのだろうか、どことなく元気もない。しかし、これからちゃんと世話すれば元の大きさくらいまでは戻るだろう。とにかく、私は「復活」させたのだから、後は自分たちの生命力で何とかカブトムシにまで成長してほしい・・・。


 などといかにも黒魔術師のような言辞を操ってしまったが、まさか私にそんな妖力が備わっているはずがない。これらは、カブトムシの幼虫を死なせてしまって落胆していた私の様子を塾生でもある子供たちから聞いた私の妹が、わざわざ持って来てくれたものである。元々は父から押し付けられたものであるから、私が飼っていた幼虫たちとも兄弟になるのだろう。今度こそ馬鹿なことはしないで、成虫になるまで世話を怠らないように気をつけなければならない。何とかしてBB(Beetle Breeder)の称号が頂けるよう育て上げなければならない!!

 そんな折、塾の教室の窓にこんなものがへばりついていた。


 ノコギリクワガタだ!!すぐに窓を開けて捕まえたが、体長6cmほどの小ぶりなものだった。しかし、力は強く、全身の力で私の指から抜け出そうともがくのを押さえつけるのは大変だった。今の子供たちは虫が嫌いな者が多く、クワガタを持って嬉しそうにしている私を、不思議そうに見ている(それどころか虫など見たくないとばかりに目をそらしているものが多い)。「誰か欲しい?」と聞いても誰も「欲しい」と言ってくれない。仕方なく、逃がしてやった。実はカブトムシよりクワガタのほうがずっと好きな私は、逃がすのはかなり残念だったが、飼うなどと言ってさらに生徒たちから白い目で見られるのもイヤだったから、ぐっと我慢した。
 でも、カブトムシの幼虫たちも、もうそろサナギにならなければいけない時期なのではないだろうか。ちょっと気にかかる・・。
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かささぎの橋

 今日は七夕。織姫と牽牛が1年に一度、7月7日に会えるという日・・。ロマンチックな伝説として誰もが知っている話だが、ふっと「なぜ1年に一度しか会えなくなったんだろう?」と疑問がわいた。ちゃんとした理由があったはずなのにどうしても思い出せない。
 少し調べたら分かったが、それを少しばかり色づけして、以下に書き記してみようと思う。


牽牛さま
 毎日機織に精を出して何も楽しみがなかった私を心配した父が、働き者のあなたと娶らせてくれたのは本当に幸せなことでした。毎日が夢のようで本当に天にも昇るような気持ちですごしていました。
 でも、それがいけなかったんでしょう。お話ばかりしてはしゃいでは、働くのをおろそかにしてしまった私たちに腹を立てた父が、私たちの仲を引き裂いてしまいました。父といっても天帝では逆らうわけにも行きません・・。「もう会ってはならない」この言葉を聞いたとき、私は崩れ落ちそうになりました。あなたも顔が真っ青になり、ガタガタ震えていましたね。そんな私たちを哀れに思ったのか、父が「心を入れ替えて一生懸命働いたなら、1年に一度7月7日にだけ会うことを許す」と言ってくれたときには、心からほっとしました。たとえ一年に一日だけでもあなたに会えるなら、その日のために毎日一生懸命働こう、そう心に誓いました。あなたも同じ思いでいてくれたと思います。
 私は一生懸命働きました。働いていると、あなたと会えない寂しさを紛らわすことができました。一日が終わるとあなたに会える日が近づいた、そんな喜びで胸がいっぱいになりました。
 そして・・・、やっときました。指折り数えた七月七日が・・・。でも、どうしたことでしょう。雨が、大雨が降って天の川の水かさが増してしまったのです。いくら頼んでも月の舟人は私を渡してはくれなかったのです。あなたが向こう岸に立っているのはおぼろげながら見えました。でも、どうしようもできないのです。ただただ泣くしかありませんでした・・・。
 するとその時、どこからともなくかささぎの群が飛んできたのです。かささぎたちは、天の川で翼と翼を広げて橋を作って私を渡らせてくれたのです。そのおかげで私はあなたに会うことができました。一年会うことができずに毎日毎晩恋焦がれていたあなたに・・、やっと・・。
 うれしかった、楽しかった、幸せだった。
 でも時間は止まってくれません。私は戻らなければなりません。あなたとずっと一緒にいたい、でもどうしてもそれは許されないのです。私は帰ります・・。でも、また来年、あなたに会えるのですから、その日を楽しみに生きていきます。
 今日はありがとう。そしてまた来年・・・。
                            織姫                      
 
 天帝というのは天を統べる存在なのだろうが、人の恋路を邪魔するのはいくらなんでもやりすぎだ。今夜晴れればなあ・・。
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鏡子夫人

 私が夏目漱石の小説を読んだのは、「吾輩は猫である」が最初だったと思う。「坊ちゃん」の話はその前から知っていたが、映画やマンガで見聞きしただけで、きちんとした書物で読んだのは「猫」よりも後のことだったはずだ。英語教師苦沙弥先生の家に寄宿することになった、名前のない猫の目を通して描かれた珍妙な言動をする登場人物たちは、どこか浮世離れしていて、私の今まで知らなかった世界に目を開かせてくれた。古今東西に渡るあり余る該博な知識を縦横無尽に駆使しながらも、ユーモアあふれる筆致で著された「猫」は、私にとって漱石文学への水先案内的役割を果たしてくれた。しばらく漱石に沈溺した後で、日本文学、さらには世界文学へと対象を広げていった私には、「猫」こそが文学逍遥への入り口であったのといえるだろう。
 そんな私の宝とも言うべき「猫」の中には、美学者・迷亭をはじめとして素っ頓狂な人物が数多く登場する。誰もが今風の言葉を使えば「濃いキャラ」の持ち主であるが、その中でも私は苦沙弥先生の「細君」がなぜか好きだ。一癖も二癖もある人物ばかりが出入りする苦沙弥家で、表立つ場面は決して多くはないが、常に家の片隅で暗然とした存在感を持っている、そんな「細君」が昔から好きだった。
 そんなことを思い出したのは、「漱石夫妻 愛のかたち」(朝日選書)を読んだからだ。著者は漱石の長女筆子の次女である、松岡陽子マックレイン。アメリカ・オレゴン大学へ留学した後、同大学で30年間日本語・近代文学を教えてきた人物である。この孫娘が、祖母や母から聞き知った祖父・漱石のことや、直接慣れ親しんだ祖母であり漱石の妻でもある鏡子夫人についての思い出などを書き綴ったのが本書である。私は昨年末にこの本を見つけ、著者の来歴に惹かれて読み始めたのだが、初めのうちは私の知りたい漱石のことよりも、自分たち一族についての紹介のような記述が多く、読むのが面倒になってしまい、途中何度も読むのを中断してしまった。2・3ページ読んでは休み、5ページほど読んだらしばらくは別の本を読む、などということを繰り返しているうちに、半年ほどが過ぎてしまった。それでも、何とか半分ほど読んだら、第2章の「祖母鏡子の思い出」にたどり着いた。すると、まったく予想外であったが、そこから話の内容が俄然面白くなってきて、一気に読み終えることができた。
 漱石の妻・鏡子がそのまま「猫」の細君ではないだろうが、かなり彼女を投影した部分があるように思う。例えば、「細君」には頭のてっぺんにハゲがあるのを苦沙弥先生が見つけて驚く、というくだりがあるのを今でもしっかり覚えているが、鏡子夫人にも頭の真ん中に大きなハゲがあったのを見たことがある、と本書の中で著者が述懐しているのを読んで思わず笑ってしまった。もちろん私小説と相容れない文学観を持っていた漱石のことなので、文学的修辞を加えているのは言うまでもないだろうが・・。
 鏡子夫人は「悪妻」として名高い。松岡女史はそれを漱石死後鏡子夫人の暮らしぶりを見て忸怩たる思いをした弟子たちが、作り出したものではないだろうかと、憶測している。そう思われても仕方のない事例として、莫大な印税収入を湯水のように使い、派手で豪勢な暮らしをしていた様子を挙げている。漱石が質実な暮らしをしていたのを知悉していた弟子たちから見れば、そうした鏡子夫人を快く思わなかったのも当然かもしれない。だが、それに対して作者は、それは漱石死後のことであり、「漱石の生前は、教師の給料や新聞記者になってからの給料だけで、夫と自分、それに六人の子供という大きな家庭を賄ったのだから、そのやりくりは大変だったに違いない。・・・・にもかかわらず、不平一つ言わず、夫の友人たちをただ同然の安いお金(五円)で下宿させたり、また学生を助けたり、正月には大勢の人にご馳走を振舞ったり、と多くの援助を施している。普通の人になかなかできることではない。だから、夫を助けたという点では、むしろ良妻だったと私には写る」(P.146)と反論している。
 それが孫娘としての贔屓目から来るものなのかどうかは私には分からないが、次の記述を読んだときには、なぜかほっとした。「<あらゆる意味から見て、妻は夫に従属すべきものだ>という旧式な考えを自覚していた漱石は、「形式的な昔風な倫理観に囚われ」ず<自己の存在を主張しようとする>近代性をもった祖母を、時には憎みながらも、皮肉にも尊敬し、そして愛していたというのが私の見方である」(P.152)
 世間の目がどうあれ、自分の孫娘にこう思われる漱石は幸せ者だなあ、と素直に思った。松岡女史は現在84歳、ますますご健勝で過ごされるよう、僭越ながらお祈り申し上げる。
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ブリッジ

 5月7日に抜いた左下の奥歯のところに義歯を入れてもらった。ブリッジという方法で処置してもらったのを図解すると・・、


 ピンクで塗り潰したところが抜いた箇所。歯並びの悪い私では、こんな歯式図のように綺麗に生えそろっていない。(実際このとき抜いた歯は3本だったのだが、奥歯にしては小さな歯が2本くっついて、本来なら1本生える箇所に生えていたので、感覚としては2本抜いた感じだった。しかし、一応3本は3本なので、上の図では3本分塗り潰しておいた)ちょっと違う気もするが、まあ大雑把に言えば、こんな感じになっていた。一番奥の歯は、被せてあった冠が取れることなくそのままになっていたので、左下の奥歯では唯一抜かずに済んだ。これと、糸切り歯のすぐ後ろにある小さな臼歯とを基にして間の空間を義歯でつなぐというのが、今回処置してもらったブリッジの架け方だ。一番奥の歯がかろうじて生き残ってくれたおかげで、入れ歯にしなくてもよかった。もう30年近く前に処置した歯が、何とか持ちこたえてくれていたのはうれしい限りだ。
 前回の治療のときに、一番奥の歯に被せてあった冠を取り、前の歯と一緒に削ってもらて型を取り、さらには仮歯を作って嵌めてもらった。全部終わるまでに1時間近くかかってしまい、私としては座っているだけなのにかなり疲れた。だが、その間ほとんど私にかかりきりになってくれた従兄弟には、有難くも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。こんなにひどい状態になるまで放置しておかず、もっと早い段階で治療してもらえば、これほど迷惑をかけることもなかったのに・・、と治療に行くたび思いはするが、それができないのが私なんだから仕方ない。(などとすぐに開き直るのはやっぱり悪い癖だ。もっと反省しなくっちゃね・・)
 前回の治療が終わってから、「次の治療の時には奥歯が入る!」と密かに心待ちにしていた。まだまだ一人で待合室に座っていることができない私が、次の通院を楽しみに待っているというのも変なものだが、いつもなら前日くらいから「明日は歯医者か・・」と心がどんよりしてくるのに、今回は少しばかりウキウキしていた。これで9回目の通院となるが、今までで一番心が落ち着いていた。(でも、やっぱり一人で行くことはできないけど・・)
 
 さすがに従兄弟は手際がいい。何度か微調整をした後で、「じゃあ、これで嵌めますね」と言って、4本分のブリッジをしっかり固定してくれた。噛み合わせもよく、些かも苦にならない。いい感じだ!!
 「ありがとうございました」とお礼を言って外に出たら、なんだか今までよりも口の中が重くなった気がした。「大げさな・・」と妻は笑ったが、左側の上の奥歯と下の奥歯がきちんと重なり合うのはいったい何年ぶりだろう。すっかり忘れていた感覚が戻ってきて、本当にうれしかった。今まではほとんどの場合無意識に右側で物を噛んでいたのだろうが、これで左側でも噛めるようになる。それが嬉しくて、その後食べた昼食も左側を中心に噛んでみた。いいなあ、やっぱり・・。嬉しくて写真を撮ってここに載せたくもなったが、さすがにそれはちょっと・・・。

 夏休みに入ると、一日中塾で授業をする毎日になるため、歯医者に通う時間がない。従兄弟と相談したら、来週一回噛み合わせの具合を診たら、9月になるまでしばらく休憩しようということになった。まだ治さねばならない箇所がいくつかあるので、9月になったら必ず行かねばならないが、これで一応ひと段落つくことになる。2ヶ月あまり、自分としてはよくがんばったつもりだが、傍目から見れば何でもないことなんだろうな・・。
 でも、少しばかり大人になれたような気がするのも事実だ。 
 
 
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ふところ鏡(2)

 10日前にサントリー「伊右衛門」のペットボトルにおまけとして付いてきた「ふところ鏡」12種類を集めて、その写真を載せてみた。日本の12ヶ月それぞれに特徴的な風物を裏面に描いた手鏡で、単なるおまけと呼ぶのは勿体ないような気がするほどのものだった。だが、おまけとして付いていたのは手鏡だけではなく、それを入れる袋も同封されていた。長さ6cmほどの手鏡がすっぽり入るくらいの小さな巾着状の袋だが、その表面にも鏡に描かれた絵と同じ題材のものが描かれている。1枚1枚見ていくと、これはこれでなかなかの趣があり、日を別にしてこのブログに写真を載せたいと思った。すぐに載せればよかったものの、あれこれ書き残しておきたいものもいくつかあって、先送りになってしまい、やっと今日思いが叶うことになった。私としてはこれも立派なコレクションだと思っている。

  
 
    1月「あけぼの」          2月「雪兎」                3月「つくし」
 
  

    4月「山桜」            5月「杜若」                6月「蛍」

  

    7月「七夕」            8月「花火」                9月「月見」

  

    10月「渡り鳥」          11月「散紅葉」              12月「千鳥」 

 もちろんおまけであるから布地は化学繊維でできていて、硬めでざらついている。これが柔らかな絹糸で織られたものだったなら肌触りもよく、光沢もあってまた一段と見事なものになったことであろう。なに贅沢言ってるんだ、と叱られる気もするが、絵柄が日本の四季折々を巧みに表しているだけに、ついついを贅沢を言いたくなってしまう。
 しかし、コンビニで買えば150円、スーパーで買えば98円の500mℓのペットボトルにこんなに何度もおまけを付けて果たして採算が取れるのだろうか。もともと原価が驚くほど低いのかもしれないが、ひょっとしたら粗悪な茶葉使っているのでは・・などと、またぞろ喧しくなってきた食品の偽装表示問題を連日見聞きしている身としては、ちょっと疑りたくもなる。さすがにそんなことはないだろうが・・。

 実は、別のおまけシリーズが2種類集めてある。またそれは次の機会ということにしておくが、こんなに次から次へとよく考え付くものだなあ、と感心している今日この頃である。
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土砂崩れ

 水曜日の朝、窓の外の話し声で目が覚めた。8時前・・。私の部屋は崖の下にあるため、外から話し声が聞こえることなどめったにない。不思議に思って窓を開けたら、ヘルメットをかぶった人たちが何人かいた。青いビニールシートをはがそうとしているようだ。「あそこか、土砂崩れがあったというのは・・」
 前日、裏の家の横手が崖から崩れてきた土砂で埋まってしまい、みんなで土砂を掻き出した、という話を妻がしていたが、私は午後から始まる保護者面談の準備で忙しく、その話にあまり注意を払わなかった。「そんなにすごいことだったのか・・」と、驚きながら、思わず携帯で写真を撮った。

 

 階下におりていくとちょうど父が外から戻ってきたところだった。
「工事の人がいるねえ」
「そうか、土砂崩れを直してるんだろう」
「そんなにひどかったの?」
「日曜の夕方に大雨が降っただろう。その後夜中に崩れてきたらしい。昨日市役所に電話したら、応急処置にシートをかぶせて行ったらしいが、今から土留めをするんだろうなあ」
 私はまったく知らなかったが、結構大変なことが起きたようだ。その後集めた情報によれば、崖の上に立っている大きな社員アパートの排水溝が、長い間掃除もせずに放置してあったため、豪雨で溜まった水があふれ出して、一気に土砂を流したらしい。もともとここ最近の雨で地盤が緩んでいたせいもあるのだろうが、日曜夕方の大雨は確かにそれほどひどいものだった。塾から自宅まで20mほど歩く間に傘をさしていてもずぶ濡れになってしまった。あっという間に川が増水して恐ろしい音を立てながら流れていた。一旦は収まったものの、夜になってまた降り出したので臨界点を超えてしまったのだろう・・。
 我が家からではどれだけ崖が崩れたのかよく分からなかったので、裏の家を訪ねてみた。


 近くへ行って驚いた。これほど崩れているとは・・。思わず写真を撮ったが、被害の大きさに動揺したようで、ピントがうまく合っていない。幅5m以上にわたってごっそり崩れている。作業員が数人がかりで、土嚢を並べて土留めをしているようだが、近付いていくと泥のにおいが立ち込めて臭い・・。


 1枚だけ写真を撮らせてもらった。きっと崖の上から見たら、もっと生々しい爪あとが見られるだろうが、作業の邪魔になってもいけないから自重した。今は崖全体が草木で覆われていて、とても土砂崩れなどおきそうもないように思うが、崩れるときは草木もねこそぎ押し流してしまうようだ。そう言えば、もう何十年も前、私の母がもう一軒裏の家で話をしていた時に、土砂崩れがおきて家が埋まってしまい、命からがら逃げ出した、という話を聞いたことがある。その後砂防ダムやブロックなどで土砂崩れが起きないような処置はあれこれ行われたはずだが、それでも長雨が続くと、いつ何時崩れるかもしれない、ということを今回の土砂崩れは教えてくれた。
 それにしても自分の寝ていた目と鼻の先でこんな異変が起こったのもつゆ知らず、ぐっすり眠り呆けていた私はなんて鈍感な幸せ者だろう。だが、まだまだ梅雨は明けていない。梅雨の終わりには激しい雨が降ることがよくある。大雨が降れば、土砂崩れがまた起こるかもしれない・・。警戒を怠ってはならない。面倒だけど、何が起こってもいいように、心の準備だけはしておかねばならない。
 

 もし万一、雨が降った翌日にこのブログが更新されなかったら、私に何かあった印だと思って下され・・・。
 

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Wii

 息子が誕生日プレゼントにくれると言った「風来のシレン3」が送られて来た。有難くて涙が出そうになるが、こうなったらWiiを買わなくちゃいけない。そんなものにお金を使っている場合じゃないが、せっかくの息子の気持ちを大事にしなくちゃ・・などと無理やり理屈をつけてAmazonで注文した。それが土曜日、すると月曜の昼にもう送られてきた。

 

 梱包を開けたのは夜中の2時近く。そんな時間からセッティングしてどうする?と思いながらも、箱から取り出したWii本体が思いの外小さいことにびっくりした。Wiiリモコンを握ってみたら、早く操作をしたいなと思い始めてせっせと説明書を読みながらTVとWii本体とを接続した。
 DVD録画機やBS放送のデジタルチューナー、さらには使わなくなったスカパーのチューナーなどがぐちゃぐちゃに繋げてあるので、どれを外していいものやらよく分からなかった。とりあえず、臨時につないであったビデオデッキの端子をTVから取り外して、そこにWiiの端子を押し込んだら、なんとなくうまくいった。私がこうしたAV機器を触る場合、説明書を読むには読むが、途中から面倒になってきて、最後には勘で適当に接続してしまう。それがどういうわけかうまくいくので、自分の勘もまんざらではないなといつも一人悦に入っている。
 
  

 さて、接続を終えると、TVの画面が変わって初期設定をしろとの表示が出た。設定はWiiリモコンを使ってやるのだが、最初はどのボタンをどう押せばいいのか分からずに、当てずっぽうでやっていたが、これもあれこれ適当に押しているうちに何とかできてしまった。まあ、こんな風にして何でもかんでもいい加減にこなしているから、いつまで経っても基礎知識が増えず、いざというときに困るのだろう。塾の生徒に基礎問題をおろそかにしていると、大事なところで足をすくわれるぞ、と口を酸っぱくしている本人がこうだから、何をかいわんやである・・。
 

 何とか初期設定も完了した。いざ「シレン」を動かしてみよう、と2時半近くなって試してみたが、「風来日記」にプレーヤー名を登録したところで止めておくことにした。ゲームが始まって途中でやめられなくなったら大変だ。さすがにゲームで睡眠時間を削ろうなどという気力はもう浮かんでこない。

 夏休みになってしまえば、とてもゲームなどやっている時間はない。Wiiが、誰もかまわずに埃をかぶってしまうくらいなら、息子のところに送って遊ばせたほうがいいかもしれない。でも、せめて夏休み前くらいは、何度か遊んでみようと思っている。案外簡単にクリアーできたりして・・。
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