じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「ザ・ガンマン」

2018-03-04 22:36:06 | Weblog
☆ 映画「ザ・ガンマン」(2015年)を観た。

☆ 舞台は内戦が続くコンゴ。元特殊部隊兵士が、企業に雇われ、表向きは警備の仕事をしながら、要人暗殺の裏家業にも手を染める。

☆ 彼は企業にとって邪魔な大臣を暗殺したことから、恋人を残しながら国を去る。それから8年。過去の過ちを償うためコンゴのNGOで働く彼を傭兵が襲う。誰の命令か。男は真相の解明に動き出す。

☆ 国の混乱に乗じて、途上国の利権をむさぼる先進国の多国籍企業。狙撃手(ガンマン)の動きを通して、その悪を見せつける。

☆ 企業の手先となるガンマンも自業自得だが、そこは主演のショーン・ペンが苦悩を背負いながらもカッコよく敵を倒すことで、何となく納得させられてしまう。
コメント

轟孝夫「ハイデガー『存在と時間』入門」(2017年)

2018-03-04 17:40:34 | Weblog
ハイデガー『存在と時間』入門 (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社


☆ 「ダーザイン」に導かれて、上記の本を読み始めてしまった。新書で1000円はなかなか高価だが、「あとがき」まで431ページ。重厚感のある著書だ。著者の長期にわたる研究、思索の労を慮れば、1000円は全く安すぎる。(研究の価値はお金では測れないけれど)

☆ 厳密さを追究するあまりか、難解な用語や概念が駆使されるハイデガーの「存在と時間」。本書はそれを入門者向けにかみ砕いて解説してくれている。実にありがたい。

☆ 自らの研究の履歴も披露しながら、ハイデガーのどこに難しさがあるのか、どこに面白さがあるのかを教えてくれている。

☆ ハイデガーの「存在と時間」は、(従来論じられてきた「存在」ではなく)真の「存在」の解明を目指した書だという。「時間」が出てくるのは、「存在の意味は時間である」という彼のテーゼに基づくものだという。

☆ まだ序論を読み終わったところなので、詳細はこれからのお楽しみだが、西洋哲学では「存在」を目の前の「静止画」のように捉えていたらしい。また主体が環境から分離され際立っている。

☆ その点、日本人は動画のように存在を捉えているのだろうか。実体の存在を認めず、すべてが「空」であり、万物は縁起によって成住壊空を繰り返すと説く大乗仏教の影響もある。依正不二、本因妙の生き方など、ハイデガーが探究した真の「存在」に意図せず迫っているのかも知れない。 

☆ 著者も日本語の「ある」は語源的に「なる」と関係があり、「そうした点からすれば、ハイデガーが西洋の存在論においては取り逃がされているとする真の『存在』は、実はこの日本語の『ある』が捉えている物事の自然の成り行き、生動性と重なるところがある。彼が大変な苦労をして示そうとしているものを、われわれ日本語の話者はある意味、もうすでに手に入れているとも言える」(39ページ)と指摘する。実に興味深く、また難解な理論に挑む勇気を与えてくれる。

☆ いよいよ、第1章へと読み進めていきたい。
コメント

ダーザイン

2018-03-04 01:20:47 | Weblog
☆ 大澤真幸著「考えるということ 知的創造の方法」(河出文庫、2017年)に触発されて、ハイデガーについて調べてみた。

☆ ハイデガーは人間をわざわざ「ダーザイン(Dasein)」と記述する。直訳すると「そこにある、そこに存在する」という意味だが、一般に「現存在」と翻訳される。

☆ 自らの不完全性を自覚しつつも、現実問題を受け入れ、主体的に生きる存在ということだろうか。

☆ 私たちには必然的に「死」が訪れる。自らの有限性に気づきながらも、日々流されて生きている。そうした「非本来的な」生き方ではなくて、「本来的な」生き方をするにはどうすればよいか。現実から逃げることもできるけれど、逃げない生き方もあるよ、と示唆しているように感じた。

☆ ニーチェのように「超人」として生きるということだろうか。「連帯を求めて孤立を恐れず」といった全共闘のような生き方だろうか。仏教への接近も感じる。本来のありのままの自己を覚知し、それに則って生きるということか。「無作三身」ということか。

☆ 主体的ではあるが、主観的でもある。仏教でいうなら小乗的だ。ハイデガーは個人と社会の関係をどう考えていたのだろうか。まだまだ考えることが多い。

☆ 良い刺激になった。
コメント